《第3章》ティア x ウィリアム(2)

ディーン:ティアを見送ったディーンは再度ウィリアムに向き直ると

「ウィリアムくんに、ティアを抱える覚悟があるのなら、ティアという娘に関して話しておきたいいくつかの事柄があるのだけれど?」

と問いかけた。


ウィリアム:ティアを見送ってすぐ告げられた言葉に、居住まいを正す。

「抱える、ですか。少なくとも、彼女が人生のパートナーを選んで歩むときに望めば、喜んでミストナイトとしての関係を解消するつもりではあります。それがこの世界にとってどうなのか……というのはさておきですが」

自分の言葉に苦笑する。

「もしも彼女が誰も選ばず、ずっと戦い続けるというなら、生涯彼女の相棒でいることに何も異存はありません。それは、とても誇らしい」

一旦言葉を切って俯く。

「けれど、それがもし、彼女の人生を狭めるなら、大切な願いすら苦しくなる。僕は女性を幸せにするのが上手くない男です。なのに僕が彼女の周りをうろついていたら、彼女は恋もおちおちできない」

 初対面の人にこうも打ち明けていいものかと思ったが、彼女の身内で事情を知っている人間には正直に言っておきたかった。

「僕は弱くて愚かな人間です。それでも彼女をそれこそ命がけで守る覚悟はありますし、そうしてきました。僕の側にはとっくに覚悟はあるんだと思います。でも、彼女に自由でいて欲しい……なんでしょうね、これ」

 苦笑が深くなった。

「前置きが長くなりました。こんな僕でよければ聞かせてください」


ディーン:「うん、長かったね。ちゃんと正直に自分の状態を説明できてるから、医者としては診察しやすいタイプの患者でありがたいけれども」

とディーンは素直に返す。

「ええと、ティアはたぶん君には自分が先祖返りの個体であるということは伝えているだろうから、まずそこから入ろうか」

そう言ってディーンは鞄から古い本を取り出す。独特の言語が使われているそれの該当するページを開くと、ウィリアムに差し出す。色付きで描かれている人狼の絵の雰囲気はどこかティアに似ている。

「そこに描かれている耳の場所と形、毛並みとその色、それから瞳。要素のふたつ以上があてはまれば、先祖返りとみなされる。このなかで一番難しいのは瞳の色でね。なぜなら、それは祖先の狼と交わった人間が持っていた要素だったから、遺伝子に引き継がれてはいてもなかなか表には出てこない。ここ百年の記録によると三~四人で、それでも他の要素を引き継ぐことはできていない」  

ディーンは一旦言葉を切り、水を口にした。

「だから、全ての要素を持ってティアが生まれて来たとき、一族は大騒ぎだった。さらには女性であることで、それらをすぐ次の世代に受け継ぐことができるのではないかという期待もかけられている。……先祖の血が濃いということは、裏を返せばマイナス面も大きい。それは省みられていない状況だけどね」


ウィリアム:「それは……彼女は、彼女自身の意志は」

しばらく絶句する。所謂良家にはありがちな話だ。だが彼女のそういう姿にも期待されているとは。頭を振って

「マイナス面ですか。雨の日が辛そうなのは感じていましたが、体や心に辛いものを抱える形に?」


ディーン:「うん、ティアは総じて不安定な精神を抱えている。ふだんは強い理性で抑えている狩猟本能のような部分が、ふとしたはずみで外れてしまったりもする。雨の日が辛いように見えるのは、根っこの奥に自然への畏れがあるからなのだろうね」

ディーンはため息をつきながらそう返した。

「それに加えて、先祖返りのためにひとりだけ他の子供たちと毛頭が違う状態だったものだから、言葉の刃で傷つけられることも多かったようだ。ティアが物心ついたあたりに私は勉強で故郷を不在にしていて、助けになれなかったことが悔やまれてならない」


ウィリアム:「先日も雷雨の日にとても辛そうでした。僕に爪を向けようとして必死で『離れてくれ』と。彼女は人といることが辛い時もあるでしょうね」

言葉を切って

「同世代に傷付けられたなら余計に、距離を保とうとするかもしれない。どうしたらその苦しみを和らげられるでしょうか」


ディーン:「一番いいのは、信頼できる他人を作ることだろうね。一族のなかでそれが出来ればまだ救いはあったのだろうけれど、色々あってあちらに留まることを難しいと感じたから、社会勉強という名目でティアには霧の帝都へ出て貰う事にしたんだ。孤独をより深めてしまうのではないかという懸念はあったけども」

 そこでディーンはまた息を吐いて、続ける。

「ウィリアムくんに出会えたことでティアは少しずつ変わってきてはいるよ。だから、それだけで君が信頼に足る人物だということはわかる。……だから、そのままティアの手を掴んでいてやってくれないか」


ウィリアム:「それは……彼女の騎士としてのパートナーであれば、一生その覚悟です。でもそうではなくて、伴侶として、ということですか? もしそうなら、彼女とあなたの一族の意に反することになる。彼女は、それを望むでしょうか」

答えながら、自分に疑念が沸いた。今自分は何を口にしているのだ、と。彼女の一生を決めるようなことに自分が立ち入っていいのだろうか、と。半面、何か胸の奥でひどく熱い針のようなものが暴れているのに驚いていた。

「大切なのは彼女自身の幸せだ、とあなたは仰っているように聞こえます。そのあなたが彼女に自分が寄り添うのではなく、僕と彼女が、と仰るのですか」

 ひどく不思議な感じがした。予感もあった。圧倒的な優しさや、深い愛情を、目の前の青年に感じた。


ディーン:「別に伴侶とかそういう畏まった関係で考えなくてもいいよ。まあ、その方が気兼ねなく一緒にはいられるだろうけど」とディーンは苦笑する。

「私も結局は一族に連なる者だからね。親にはティアを娶ってヴァイル家の地位をより強固なものにしろと言われているけども、それを実行する気はさらさらないよ。そして私はティアを故郷に戻したくはない。ずっとこの霧の帝都に留まっていて欲しい。だから、私にとっても信頼のおける他人の手は必要なのさ。半分はティアの幸せのため、もう半分は私の打算も入っている。別に私は善人というわけではないよ」

と返したところでその耳にティアの足音が届いてきた。

「そろそろティアが戻ってくるね。どうやらパンのおかわりまで買ってきてくれたようだ。いや、ありがたい」

 そう言って笑い

「一族のことはほんとに気にしなくていいし、ティアも君を拒みはしないと思うよ。まあ、すぐに答えが出るものでもないから気楽に構えるといいかな」

とだけ告げて口を閉じた。


ウィリアム:「わかりました。これまでと変わったとしても、どんな形であれ、大切にします」

そう答えたとき、ノックの音が響いた。

 名を告げる彼女の声に立ち上がり、ドアを開けて迎えた。彼女と目が合った時、気恥ずかしさが少しあって上手く立ち回れた気がしなかった。


ティア:ティアがノックをしたあと、ドアを開けてくれたのはウィリアムだった。その瞳が揺らいでいたような気がしたが、深く気にすることはせず中に入る。

 そしてディーンに「はい、水飴買ってきました。それと、さっきのパンが気に入ったみたいだったから、ふたつほど買ってきました。どうぞ」と包みを渡す。


ディーン:「ありがとう。ティアは気が利くね。つぎは自分でも買いに行ってみるよ」

と笑ってディーンはそれらを受けとってから

「ああ、そうだ。ウィリアムくんにも私の連絡先を渡しておくよ。あと一週間はここにいるから、何かあれば訪ねてくれていい」と言って紙にペンを走らせ、折り畳んで渡していた。


ウィリアム:連絡先を受け取り「僕もお渡ししておきます」と一枚紙を出して書きつけ、ディーン氏に渡した。

「多分今夜か明日の夜あたり、戦いになる気がします。終わったら、また良かったら食事をご一緒しませんか? 今度は僕が作ります。鮭のクリームシチューなどいかがですか」

 ようやく笑う余裕ができた。やはり料理の話は自分を穏やかにするようだ。料理人になるべきだったのかもしれないが、仕事にするよりも周りの誰かの笑顔のほうが大事だったし、これでいいと思う。

「肉のほうがお好みだったら、ローストビーフを焼きますよ」


ディーン:「えっ、ウィリアムくん料理できるのかい?! 材料費出すから是非とも両方作ってくれないかい」

と目を輝かせてディーンが言う。


ティア:一回霧の帝都で何年かを過ごしているこの従兄は、すっかり濃い味付けに慣れてしまったので故郷のそれを物足りないと愚痴をこぼしていたから実に渡りに船状態なのだろう。

 ウィリアムも笑顔を見せていてなんとなく安心すると同時に、戦いという言葉に気をひきしめる。この世界で足を踏みしめて歩きつづけるためにも、立ち向かわなければならないのだ。


ウィリアム:「ああ、ではおもてなししたいですし、材料費は結構ですので、気に入ったパンを多めに買ってきてください。もしワインがお好きならそれもお願いします。ローストビーフと鮭のシチューとサラダ、パンということでいかがですか?」

 未来を想おう。世界と人の笑顔を想おう。

 それがとこしえに続くかは別として、美しいまま終わらせるなどというエゴで終わることのないように、最後まで足掻いて足掻いて。笑うのだ。

「楽しみにしています。じゃあ、明後日だと準備が間に合わないし、明々後日にしましょうか。いい肉を予約してきましょう」


ディーン:「パンとワインね…わかった、ワインは伝手を辿ってちょっといいのを用意するようにしておくよ。待ち合わせはまたあの広場でいいのかな。明々後日を楽しみにしているよ」


ティア: ディーンはすっかり上機嫌で、ティアにはその日従兄が美味しい料理に舌鼓を打つであろう様が容易に想像できた。それから時計をみて

「話もまとまったみたいですし、今日はそろそろここからおいとまさせていただきますね」

とディーンに告げる。


ディーン:「わかった、引き留めてしまってすまないね。暗くなってきているからちゃんとウィリアムくんに送ってもらうんだよ」


ティア:ディーンにそう返されたので、素直に頷く。

「それじゃ、行きましょうか、ウィリアム」


ウィリアム:「長々とお邪魔しました、これからもよろしくお願いいたします」

 ディーン氏に一礼して荷物を手にする。

「そうだね、行こうティア。ああ、シチューに人参を入れても大丈夫かい?それだけは聞いておかないと」

 他愛もない話をしながら彼の部屋を辞した。


ティア: 「大丈夫よ。兄さんも濃い味付けのほうが好みなこと以外は好き嫌いもないと思うわ」

 ささいなことでもちゃんと確認してくれるウィリアムの心遣いが嬉しくて、顔を緩めながら霧にけぶる夜の街へと歩きだしていった。

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