《第2章》アリアナ x フラーウム
アリアナ:
夢を見た。
凛々しい制服姿の、あれは女性だろうか……美しいひとが、赤い錠剤を受け取って飲み込むシーン。 その赤色はわたしの目には禍々しく映った。
薬を渡した秀麗な青年はむしろ清らかでさえあるのに、どこか危険な気配を漂わせていた。あの二人は、誰なのだろう。判らないなりに感じたことがある。あの薬を飲み込んだひとは、さまざまな想いを飲み込んで暴れさせ、近々私とラウのまえに立ちはだかる、と。
(また戦いになるのね)
早朝。霧のけぶる街でわたしは目覚めた。うまれた世界からはるか遠くにやってきて暮らしているラウと私は、この世界を守る戦いに身を投じている。
凝華の
(どんな絶望に身をさらして、あのひとは怪物になるのだろう)
あるいは、この世界を美しいままに終わらせることに執着するあまり、なのかもしれないけれど。
わたしがエクリプスになったとき、世界は私に牙をむいたと感じた。戦いで無茶していたわたしに対して、護られているはずの大事な人々や世界までもが背を向け、あまつさえわたしを滅ぼそうとしているように感じていた。
そのまま衝動に負けてエクリプスとなった私たちの行く末は判り切っていた。戦いに負けステラナイトから降りたわたしとラウを、誓約生徒会の人が誘いに来てくれて、今に至る。
「こんな世界は滅びてしまえばいい」
それが、あのとき侵蝕されていたわたしの想い。
「この世界を美しいままに終わらせる」
それが、この世界で怪物になるひとびとの願い。
似て非なる願いと想いを抱いていても、終末を望んだのは一緒。けれど凝華の怪物に待つのは勝利と敗北とに関わらず、死しかない。
「やっぱり気が重いなあ……」
早朝から沈んでしまった気持ちをむりやり振り払いながら着替えて、キッチンへと足を運ぶ。まだ本当は起きるには早すぎるけれど、朝ごはんを作っていたら気持ちが切り替わるかもしれない。それを期待して、わたしはスープを作り始めた。
フラーウム:眠りから意識が浮上すると、喉がとても渇いていた。おそらく見た夢のせいで寝汗を多くかいたのだろう。
あそこで赤いなにかを飲んでいた者がおそらく数日後に対面する敵となる。そこからは逃れられない『死』を感じた。……自分たちではなく、あの者の。
この世界において怪物となった者は負ければ死ぬ。だが、あちらが勝った場合でも世界を巻き込んで死んでいく。かつて自分たちがエクリプスに堕ちたときとはわけが違うのだ。
ごくりと喉が鳴って、その渇きが強調される。あいにく昨夜は水を入れたコップを置かずに寝てしまっていた。仕方ないのでそのままベッドから出て下に降りることにした。
キッチンに近づくと、スープの香りがした。どうやらアリアナが調理をしているようだ。中に入り
「だいぶ早起きしたな。その調子ではよく寝られていないだろう。……なにか、夢を見たか?」
と声を掛けてからコップに水を入れると一気に飲み干した。
アリアナ:ラウに声をかけられて肩が跳ねる。彼の部屋の扉が開いたことに気付かないほどぼんやりしていたようだった。幸いスープはゆっくり弱火で煮ていたので、ふきこぼれたりはしていなかった。
「あっ……おはよう。ラウも早いね」
続いて問いかけられた内容で、彼も同じ夢を見たのだと悟る。
「ラウも、見たんだね。二人、いて。片方が赤い薬を飲んでた。きっとあの人が」
次の相手だ、というのは何となく憚られて押し黙る。
一息に水を飲み干すラウの様子で、彼もきっと心地よい眠りではなかったとわかったから。代わりに
「寝直す?スープとパンは用意できているから、後は食べるときに卵を焼けば出来上がりだし。手伝ってもらうことはないかなら大丈夫だよ。私は寝ちゃうと寝過ごしそうだから起きているつもりだけど」
本当は眠れる気がしないからだけど。
フラーウム:「寝直したほうがいいのはそちらのほうだろう。ちゃんと起こしてやるからもう少し寝てこい」
そう返してコップにまた水を汲むと椅子に座る。
「前から思ってたがアリアナは余計な気を回しすぎだ。俺より自分のことを優先しておけ」
ふと窓のほうを見やると、霧の中で僅かに太陽が顔を出しはじめていた。
アリアナ:調理する火を止めて、エプロンを外す。ラウの優しさに甘えたくなった。つけこもうとしているとも思った。でも、命がけの戦いの予感に、震えないわけではないのだ。
「ねえラウ、お願い」
彼の瞳を見つめて。
「胸、貸して」
フラーウム:「……落ち着いたら、ちゃんと一眠りしろよ」
アリアナの揺らぐ瞳を見ながら返して立ち上がるとその手を引いてこちらに引き寄せ、そのまま背中に手を回す。戦のときには大剣をふるう彼女も、自分の懐に入れてしまうと小さく感じる。
アリアナ:引き寄せられて、彼の腕の中にいる。それがどこか信じられない気持ちのまま、彼の胸に顔を埋める。伝わってくる鼓動が少し早い気がした。
温もりと彼の香りに包まれて、小さく息をつく。
「あったかい」
目を閉じて、しばしそのふわふわしたような気持ちのよさを堪能する。
「ラウは細身だけれど、やっぱり私より大きいね」
彼の背に手を回し、服をそっと掴む。
「ラウじゃなきゃ、だめなんだよ。ラウが包んでくれるから戦えるし、前に進めるって思う。でも時々それじゃ足りなくなるの。時々はこうしてそばにいて、いい?」
自分の呼吸がゆっくり落ち着いていくのが分かった。
フラーウム:「アリアナがそう望むのなら」
と返して、ふと以前にも同じ言葉を口にしたことを思い出す。
あのときエクリプスに侵食されていた彼女の望みは『世界を滅ぼしたい』というものだった。
そのときは自分も心底色々なものがどうでもよくなっていたから、それを受け入れた。普段のアリアナからかけ離れたそれであるということに気付けなかったのは、自分もやはり同じように侵食されていたからだったのだろう。だから、他の星の騎士たちに倒されて自分たちを取り戻したとき、正直なところもうこれで戦わなくてすむのだと思った。
だがアリアナはそうではなかったようで、誓約生徒会の者に勧誘を受けたときに再度戦うことを選んだ。もういいだろう、と咎めはしたのだがそれでも彼女は頑として譲らなかった。
『わたしはもう一度世界を平和にするために戦いたい。そして一緒にそうしたいと願うのはフラーウム、あなたなの』
だからそんな言葉に根負けしてもう一度言ったのだ、
『アリアナがそう望むのなら』と。
それらのことを思い出して内心で苦笑しながら、
「ただ、時々だからな。毎回はごめん被る」
と念のため、そう付け加えた。
アリアナ:「わたしは毎日だってラウにこうしてもらいたいくらいなんだけれど、ラウが嫌なことはしたくないな」
もう一度だけ胸に顔を埋めて、そっと離れる。
「ありがとう、わがままを聞いてくれて。……すこし、眠るね」
本当はいっしょに眠りたいくらい、傍にいたいけれど。
フラーウム:アリアナが離れていったが、その温もりはわずかに残る。
「ああ、寝ておけ。何時に起こせばいい?」
喉の渇きが癒されたのと一緒に頭も冴えてしまったので、その間は本を読もうと考えつつ尋ねた。
アリアナ:「んー、ご飯はできてるし、6時半でお願い。1時間くらいでも寝たらきっと楽になるかな。いつもありがとう」
頬が赤くなっているのは自覚しているけれど、とびっきりの笑顔で。
「ラウも無理しないでね」
わたしはたくさんラウ分を充填したから大丈夫、とはさすがに言えないが。
「ラウは優しいね。わたし、ラウのパートナーで本当に良かった」
そう言って、自室に戻る。
(大胆なことお願いしちゃったなあ)
と思いつつ、ベッドに潜り込んだ。
ラウの温もりが体に残っている。心までポカポカしているけれど、これは眠れないかもしれないと思った
フラーウム:「わかった。眠れなくとも目は閉じておけよ」
と言ってアリアナを見送る。
完全に姿が見えなくなってから「優しい、ね……」とひとりごちた。
アリアナに対する感情の置きどころは正直なところいまだによくわかっていない。いちばん解りやすいものとしてはやはり『危なっかしくて目が離せない』なのだが。
そしてあの輝きを二度までも侵食させてはならないとは思う。ならば、自分にできるのはやはりその望みをできうる限り叶えてやることなのだろう。
「なかなかに重い荷物だな」
と苦笑して、時計をちらりと見てから置いてあった本を読み始めた。
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