《第2章》ティア x ウィリアム(2)
???:「いい匂いにひかれてきたのはいいけれど、これはお邪魔だったかな」
突然どこからともなく現れたのは、軍服を来た品の良い青年だった。その肩からかけられた桜色のサッシュと金色の飾緒から、一見して身分の高い人物だということがわかる。後ろには黒の軍服を着た警官がひとり、つき従っていた。
???:「そのスコーン、とても美味しそうだね。手作り?それとも、この近くのベーカリーで買ったのかな?」
???:「...陛下」
その反応を軽く諌めるように、おつきの警官が青年に低く声をかける。
ウィリアム:唐突にかけられた声に驚いて、その声の主の方を振り向くと、秀麗でいかにも身分の高い人物が微笑みを浮かべて立っていた。供と思しき人物がひとり。目立たぬように街歩きをしていると伺えた。
誰だろうかと首を傾げつつ
「こんにちは。これは僕が焼いたものです。まだあるのでよかったらそちらの方とご一緒に、いかがで……」
いかがですか? と言うつもりが警官の発した「陛下」の語に驚いて語尾が消えた。思わず立ち上がり
「皇帝、陛下であらせられる?」
桜の帝都の民でもなければ、彼の臣でもないとはいえ、礼を欠く気はなかったので深々と一礼し、改めて「おほめ頂いて恐縮です」と告げた。
不意に「膝を折るべき相手ではない。それは我らの女王にのみすべきだ」と何かが自分に告げた気がした。
「不敬にあたるかもしれませんが、よろしければお茶とともに差し上げます。僕……私と連れは霧の都から参りましたので、こちらの作法に疎いものですから、失礼を申し上げましたらどうぞご容赦ください」
最後はわずかに警官にも視線を向けつつ答えた。そこで、気付く。この二人に見覚えはなかったか、と。鮮烈な何かが刻まれていないか、と。
ティア:あらわれた二人を見た瞬間、ぞわりとする感触を覚えつつもウィリアムに続いて深く礼をする。話の内容を思い出すことはできないけれど、それらの声色は覚えていて、いま目の前にいるのは昨夜見た夢にいた二人だという確信があった。あれはやはりただの夢ではなかったのだ。
桜の君:「君たちは霧の帝都から来たんだね。僕の、桜の帝都にようこそ」
青年はウィリアムの問いかけに肯定の頷きを返すとそう答え、軽く軍帽に手をかけ彼らに会釈をした。
「そうか。確かにスコーンはあちらの方が本場だからね。僕はスコーンが好物なんだけど、もしよかったら、1つ2つ分けてくれたらありがたい。霧の街からわざわざ来てくれたんだ。僕が邪魔をするのも無粋だろう。すぐに退散するよ」
穏やかに青年は言葉を返す。黒服の警官は黙って後ろに控えていた。
ウィリアム: 危急を知らせる鐘の音のような何かが頭の中で鳴っていた。それは間違いなくこの主従から感じる。それでもウィリアムは努めて冷静であろうとした。そっと見やったティアの表情の硬さが雄弁だったからだ。彼女が慎重に行動するようさりげなく頷いて見せ、それから桜の皇帝に答えた。
「訪問者の我々が御前を下がるのが道理かもしれませんが、承知いたしました。拙い品ですが、2種類を二つずつ差し上げます。ドライフルーツ入りと、ニンジン入りです」
盛り皿の上のスコーンを、包んできたクロスに手早く包みなおして差し出す。 念のため、後ろに控えて警戒を怠らない警官に
「あなたにお渡しした方がよろしいでしょうか」と尋ねた。
警官:「いえ、お気遣いなく」
警官は顔をあげ、感情のない声で彼に返答をした。その警官の目がティアの方に向いたその時、一瞬だけ警官の顔に何か驚いたような表情が浮かんだ気もするが、気のせいかもしれない。
「お連れの方も、霧の帝都からいらしたのですか?」警官が尋ねる。
ティア:そう尋ねてきた警官の表情が一瞬だけ変わっていた気がするが普通に
「はい。霧の帝都から。……その、先祖代々というわけではないですが」
と返した。
なんとなく本来の住民ではないことを伝えないといけないような気がしたのだが、また言葉が足りなかったように思う。
警官:「そうですか。では…」
警官はウィリアムが差し出したスコーンの包みを受け取ると、すぐに青年の後ろに何事もなかったように下がった。
ウィリアム:ふたりの会話を聞いて、補足すべきか迷って。
「彼女の一族が住まう里が帝都から離れた場所にあるのですが、都に出て来てくれたから、逢えました」
聞きたいことはそう言うことではないかもしれない。それでも警官にはまっすぐそう言って。
桜の君:「では僕はこれで。…ああ、そうだ、君たち。この世界は美しい。そうは思わないかい?」
突然の突風。桜の君と呼ばれし若き皇帝と黒き従者を桜吹雪が包む。
ウィリアム:「この世界はとても美しいと思います。そして生き抜く意志は何よりも美しいとも思います」
と告げたが、その言葉と前後しての、突然の桜吹雪に驚かされる。
僕の声は風の音でかき消されずに帝に届いただろうか、何故かそんなことを思いつつ身を低くしてティアを庇う。
桜の君:突風は始まった時と同じく、唐突にやんだ。そしてその場にもはやふたりの姿はなく、ただ大量の桜の花びらだけが宙を舞っていた。
ウィリアム:風が止んだときには、二人は消えていた。桜吹雪にさらわれたような幕切れに半ば呆然として辺りを見回すが、人影はない。
腕に庇ったティアの温もりだけがそこにある。ふっと息を吐いて彼女から離れる。全身に力が入っていたらしく、からだがあちこち軋んだ気がした。
ティアに「大丈夫かい?」と尋ねてから
「僕たちが夢に見た二人だったよね」と確認する。
「とても、とても良くない予感がする」
ティア:桜吹雪の舞うなか、突然ウィリアムに庇われるように身体を包まれて固まってしまった。大きな吹雪の音だったけれど、ウィリアムの言葉はあの二人に届いただろうか。
やがて音が途切れたので閉じていた目を開けると、目の前には誰もおらず、ウィリアムの温もりも離れていた。
こちらを気遣う言葉をかけてくれたウィリアムに
「大丈夫。あなたのほうこそ、どこか痛めてはいない?」と返す。それから
「ええ、夢のふたりだった。なぜ、このタイミングで顔を合わせてしまったのかしら……」
答えは既に出ているような気がするけれど。
ウィリアム:「ありがとう、僕は大丈夫。ちょっと驚いたけれどね」
彼女の問いに
「ああ……数日後には時計塔を登ることになりそうだね」溜息をつく。
「さて、と。サンドイッチとスコーンはたくさん作ったから、実はまだ残っているよ。気力と体力を養っておこう」
ベンチに戻り彼女を誘う。
ティア:「ありがたくいただくわ。……緊張が解けたら、またお腹がすいてきた気がする」
ティアもベンチに座り、ウィリアムから再度取り分けてもらった食べ物を受け取ると口にし始める。
「……何度経験しても、あの戦いは慣れないものね」
数日後に目指す場所を思い返し、瞼を閉じた。
ウィリアム:ティアのカップに茶を注ぐ。木漏れ日を映して輝く琥珀色。
「そうだね。僕も剣を取って戦えれば良かったけれど……せめて君を守る力になろう」
カップを空にして
「君と僕の花は琥珀色の桜。少しこの木々から命の力を分けてもらうとしようか」
そう言って頭上の枝を見上げた。
ティア:「ウィリアムが護ってくれていること……ありがたく、思っているわ」
と素直な気持ちを口にしてティアも見せて枝を見上げる。さきほどよりも花弁たちのさざめきはだいぶ落ち着いている。
「……ある意味あちら側の場所だけど、分けてもらってしまっていいのかしら」
ウィリアム:「そうだね。でも敵地から、かすめ取るのも一興じゃないかい?」
悪戯っぽく笑って残ったスコーンを口に放り込んだ。
ティア:「じゃあ、そうしましょうか」
ウィリアムの言い方がなんだかおかしくて、少しだけ笑ってしまう。
サンドイッチを食べ終わって開いたままの手のひらに桜の花びらがすうっと舞い降りてきた。
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