《第2章》ティア x ウィリアム(1)

ティア:知らない誰かと誰かがどこか穏やかでない雰囲気の話をしている夢をみたそんな朝。ティアはいつものように準備をして職場である図書博物館の分室へ向かった。

 職員用入口を通っていくとウィリアムがいたので「おはようございます」と声を掛ける。そうすると彼はにっこり微笑んできた。



ウィリアム:「おはよう、ティア。突然のことで申し訳ないんだけれど、今日は午後の休みを申請しておいてくれないかい? ちょっと行きたいところがあるんだ」



ティア:そう唐突に返してきた彼に多少面食らったが、そういえば最近はあまり積極的に休暇を取っていなかったなと考え、頷いて肯定した。



ウィリアム:「待ち合わせは前に教えた貸本屋さんでいいかい?」



ティア:「わかりました。それではお昼の鐘が鳴ったらそちらに向かうようにします。それでは」



ウィリアム:「うん、よろしく」



ティア:笑顔を絶やさぬままウィリアムは去っていくティアを見送っている。とりあえず今日最初の任務は休暇の申請からということになりそうだ。

 そして今日も修繕作業の続きをしていると、外から昼の鐘が聞こえてきた。所定の位置に道具と修繕中の本を戻して、昼食を取る職員たちに紛れて分室をあとにする。


 ウィリアムの教えてくれた貸本屋は老夫婦が経営していて、分室で新しく複製が作られて不要になったものが下ろされた書物や、市井の人々が個人的に綴った小説などが製本されたものがある。いわゆる価値が少し落ちたものや、まだ分室に納められるほどではないものを多く扱うそこは商店街からも外れたところにひっそり建っているため、人目を気にしなくていい待ち合わせにはもってこいの場所でもあった。



老婦人:「あら、いらっしゃい」


ティア:「こんにちは」


 ティアが店内に入ると、上品な印象の老婦人がにっこりと声を掛けてくれた。


老婦人:「あちらの棚に、この間借りていってくれた作品の新作が入っていますよ」


ティア:「え、本当ですか」


老婦人:「ええ。よければ借りていってくださいね」


ティア:「ありがとうございます」



ティア:ティアは礼を言って、そそくさと該当の棚へ行く。同じシリーズの本のなかに、見た事のない表紙があった。若干浮き足だった気持ちでいたところに、いつもの笑顔で声を掛けてくる人物があった。もちろん、ウィリアムだ。



ウィリアム:ウィリアムはティアに柔らかな笑顔と声音をもって近づいた。

「やあ、お待たせ。休暇は取れたね?」

 彼女が頷くと、手にした荷物を指さし

「これをゆっくり楽しむのに、もってこいの場所があるなと思ったんだ。往復の代金は出すから付き合ってほしい」

 そういって彼女がついてくるのを確認すると歩きだした。歩幅は彼女のそれに合わせているが、どことなく浮き立ったものを感じる。やがて着いたのは飛行船の乗り場だった。


「じゃ、行こうか。桜の帝都で降りしきる花を見ながら昼食と洒落こもう」

 柔らかな笑顔で彼は言った。


 飛行船はするすると上昇して、いつの間にか天地が逆転した。普段霧の時計塔を経て円形広場へと赴くふたりにとって、逆に新鮮な光景がそこには広がっていた。船内に広がるどよめきの主たちとは別の感慨を持ちながら、彼らは桜の帝都の船着き場に降り立った。

 何とも言い難い表情のティアを連れて、ウィリアムは先を歩く。地図を片手に、目指していた先は桜の花が降りしきる公園だった。

「どうせお茶を飲むなら、誰の目も気にせずに羽根を伸ばすのもいいだろう? この公園の奥なら、人もあまり来ないらしいし、ゆっくりできる」



ティア:飛行船で桜の帝都にやってきたのは久しぶりだった。まだ霧の帝都の中央に出てきたばかりの頃、従兄が信用できる知人と引き合わせるという名目で連れてきてくれたのだ。そのときとは季節が異なっていたが、同じように桜が咲いていた。ウィリアムについて歩いていくと、よりたくさんの桜が咲き乱れている。

 公園に辿りついた。ウィリアムの言葉に頷いて

「ええ、そうね。……連れてきてくれて、ありがとう」と礼を返す。

 彼はまたにっこりと微笑んで地図を見ながら再度先に歩いていく。


 どんどん奥へ進んでいくとやがて柔らかな光が射し込みながらもひと気のない、落ち着いた空間に出た。まるで特等席のようだ。


「静かでいい場所ね。……フードを取っても、いいかしら」

ティアは机のうえで荷物の中身をひろげはじめているウィリアムに尋ねた。



ウィリアム: 荷物を広げる手を一瞬だけ止めて彼女をみやり、微笑んでみせた。
「いいと思うよ。君が望むように寛いでいいに決まってるさ」

彼女の耳や瞳がありふれたものではないことは知っている。それを自分の前でさらけ出してくれることをウィリアムは幸せだと思った。

「今日のスコーンは自信作なんだ。サンドイッチもなかなかの出来栄えだよ」

 茶を注いで彼女に差し出す。スコーンとサンドイッチを盛りつけた箱を開け放つといかにも空腹を刺激する香りが漂った.

「力作を振る舞うなら美しい場所がいいと思って、ここまで来てもらったんだ」
 自身も茶器を手にしてベンチに腰掛けると、皿を手渡しながら少し躊躇いがちに切り出す。


ティア:いいと思うと云う言葉に甘えて、ティアはフードを脱いで長い耳を解放する。とたんに桜の花びらが地上へと舞い降りて行く音が大きくなったが、むしろ心地よく感じた。

 ウィリアムの自信作と言うスコーンの匂いは、空腹をいっそう刺激した。サンドイッチもとても美味しそうで、確かにここで食べるとより美味しくいただくことができるだろうと納得する。差し出された茶器を受け取ってベンチに座ると、ウィリアムもそれに続いていた。


ウィリアム:「食べ物を前にいうのは何だけれど、昨日違和感のある夢を見た。あれは……天啓だったんだろうかとも思う。ティアは、何か夢をみたりしたかい?」



ティア:「夢……わたしも、見たわ。知らないふたりが、言葉を交わしていて……その内容はよく覚えていないけれど、なにか……赤いものを渡されたほうは、それをすぐに飲んでいて……それが不思議と印象に残っているわ」

と返して、紅茶を口に含んだ。



ウィリアム:ティアの言葉に唸る。

「僕も全く同じ夢を見た。ミストナイトゆえの何かを見たのかなと思ってはいたけれど……どうやらそのようだね」

 ふと彼女の視線に気づいて

「いや、今はそのことはおいといて、食事にしよう」

 少しぎこちなく笑って2種類のスコーンを更に取り分け渡した。



ティア:礼を言って受け取った皿から二種類のスコーンの匂いが混ざりあって鼻腔に届いて、どちらから食べても美味しいのだろうということが伝わってくる。

 まずドライフルーツが入っているらしき方をいただいてみる。

「いただきます」

 外はサクサク、中はふんわりな生地にベリー系のフルーツがとても良く合う。
「美味しい」

 ティアは素直な感想を口にした。もう片方はわずかにオレンジ色がかっていて、においからたぶんあの野菜だと解ったのたが、食べてみるとほんのり甘い味がして、にんじんが混ざっていることを気づかせない。

「すごい……」

 こういう野菜のとり方があるのに感心してしまう。



ウィリアム: 彼女の感想に目を細める。自分も口に運んで、焼き立てでなくても美味しいな、と満足した。

「ティアが喜んでくれるならまたいつでも焼くよ。リクエストもしてくれ」


 サンドイッチも差し出して

「アボカドのサンドイッチもどうぞ。熟したのが手に入ったから、美味いと思う」

 サンドイッチは海老とアボカドの食感、ホースラディッシュの混ざったソースのアクセントが我ながら絶妙だと気を良くした。

 食べながら、ひらひらと舞う花弁に目を止める。


「霧の都も花の都もそれぞれいいものだね」

 テーブルに落ちた花弁をつまみあげながら茶を口に含んだ。



ティア:差し出されたサンドイッチもまた絶妙なバランスの味わいだった。料理を作るということに対しての積み重ねがそのまま形になっているのだろう。

 あまり食に拘りのないティアがその恩恵に預かるのはいささか申し訳ない気もするのだが、美味しいものは美味しいのでそのままいただいてしまう。

 こうして落ち着いた時間を過ごす間にも花弁の舞うさざめきは止まない。けれどそれが気に障らないのは、美味しい食事とすぐ近くで笑顔を見せてくれるウィリアムのおかげなのだろうと思う。


「そうね。あちらも、こちらも……それぞれ、違った良さがある」

そう返したとき、ひときわ大きな風が吹いた。

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