第48話 神器を携える少女

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「冨夜殿、もうお止しなさい。あなた方の争いは結局のところ不毛」

 絞り出すように出された言葉が潮時を告げる。銀の猫は悲しげに冨夜を見つめた。

 対極的に冨夜は全身に憎悪を漲らせながら肩を振るわせていた。

 冨夜に殺気を感じ取り、茜は懐に手を差し込んだ。鬼面を装着し意気込む。半身に構えたその時、傍らに控えていた破笠が、茜の肩にそっと手を乗せ待ったをかけた。振り返ると、彼は軽く首を振った。まだ手を出すなと破笠の眼が教える。その視線の先で黒髪の娘が動いた。

「悲しい人、あの人とはまるで違う」

 冨夜を一瞥した後に呟くように話すと、黒髪の少女はゆっくりと黄櫨の前まで歩みを進める。

「笛か」

 銀色の猫が優しく視線を降ろした。見上げた笛が、はい、と強い眼で答える。

「私は、全てを知りました。定めも、遺恨も、彼のことも」

 見つめる笛。そうか、と応じる黄櫨の声は静かで温もりを感じさせる声だった。

「して、蒼樹ハルとは如何なる人物であったか」

「彼は『雨の陰陽師』ではありませんでした」

「ほう」

「彼は、雨ではない。まるで別のものです」

「別の、のう……」

「彼は、雨様という者の尺度では測れない。彼は異なる暖かなもの。凍てつく氷雪を融かし春を呼ぶような……凍える因果を優しく紐解く者でした。私には、もう雨は必要ない」 

 笛は、確たる意志をみせて断言した。二人のやり取りを見ていた冨夜の眉がピクリと動く。

「笛よ、ハル殿は何処に?」

「さて、私は置いていかれましたので」

 少しはにかんだ顔が呆れるように微笑む。笛は、蒼樹ハルは、間もなく姿を現すだろうと、神器の言葉を伝えた。 

「そうか、それは楽しみだ」銀の猫は笑んだ。笛は頷きで応じると、徐に投げ捨てられていた太刀を拾い愛おしそうに刀身を眺めた。

「お前にも、お前の父にも苦労をかけた」

「いえ、今は全てが報われたと」

「そう言ってくれるか」

「はい」

 笛は太刀を鞘に収め、錦の袖を翻し冨夜と向き合った。

「茶番はもうよろしいか?」

 冨夜が笛に向かって溜め息をつく。先程までの怒りをどこに収めたのか、冨夜は落ち着きを取り戻し朗々と問いかけた。しばし目を合わせる二人。

「ええ、もうこれで終わりにしましょう。なにもかも」

 それにしても黒の娘の胆力には驚かされる。あの冨夜に対して正面から見返すとは。

 何が彼女を動かしているのか。訳を考えて、ふと思い至る。

 どんなに贔屓目で見ても、彼女は冨夜に敵わない。それでもああして立ち向かえるのには理由がある。茜は笛の後ろにハルの姿をみていた。

 セーラー服の上に錦の衣を羽織る黒鬼衆。少女は歳も自分と然程変わらず、大凡の力量を測っても差を付けられているとは思えない。――あの娘は黒の一族にありながら、きっぱりと雨を否定した。雨の陰陽師を忌避していたハルが、彼女に何かしらの影響を与えたに違いない。彼が彼女を変えた。きっとそうだ。

「黒の娘よ、全て終わる、とは如何なる言い分か。面白いことをいうが、理解に苦しむぞ」

「倒されるのよ、あなたは」

「これは、なんと」

 冨夜は落ち着き払った態度で性懲りも無いと吐き捨てる。

「あなたの目論見は全て外れた。だって揚羽様はまだ無事だもの」

 いって笛は袂を翻す。衣の内側からヒラヒラと黒蝶が舞い出た。あからさまに冨夜の表情が変わった。真に驚いたのであろう、一度見開いた眼が苦々しく歪んだ。

「殺しても死なぬ。父親により太刀としての生を与えられて生き延び、母親の死に際に封じられてもヒラヒラと舞い戻る。此度もまた。しぶといな」

「しぶとい、よくも言えたものだな。あなたこそ執着を捨てきれぬ亡霊ではないか」

「終いだの、倒されるだのと、つくづく呆れた物言いよな、私に妄執なぞ――」

「本当に、無いと言い切れるのかしら? 私達は、翠雨宮の封印を解放する。あなたは見たくないだけではないの?」

「あそこには、何もないぞ、父上の遺言も何も無い。天神地祇免状もこの通りだ」

 冨夜はウンザリした様子で巻物を放り投げた。

「私達は、秘匿されてきた真実を見極め、この狂った伝承を正す」

 ある、必ず、と言って笛は強い光を眼に込めた。

「愉快では無いぞ、父上は、雨の陰陽師はその様なことを望んでいない」

「望んでいないのは、あなたの方でしょう」

「何?」

「それ程の力を有しながら、更に力を求めた。形骸に縋る。愚かね」

「何のことだ」

「瀧落は一人だと、蒼樹ハルは教えた。最初は何を言っているのか分からなかった。でも、今なら分かる。あなたを目の前にして分かった。かつて人であったあなたが、そのような化け物として生きている理由が」

 断言する笛の言葉に冨夜は目を細めた。

「あなたと偲化は二つで一つ。どちらがどちらを喰らったかなど、この際どうでもいい。あなたを倒せば済むこと。私達は歪みの元凶を倒し、雨の寓話に終止符を打つ」

「夢うつつだな。お前達に私を倒せるものか」

「倒すのは、私じゃない。あなたを倒すのは蒼樹ハル」

「いっただろう、もう蒼樹ハルはいない」

「本当にそうかしら?」

「何?」

「あなた、私を見て何も思わないの?」

 笛は神器を手に持ち腕を突き出した。

「それがどうした。使い手がおらぬでは、それはただのなまくら刀」

 冨夜が辟易とした様子で首を振った。次の瞬間、笛が声を張り上げる。

「綺羅殿!」

 雷光一線。辺りが目を開けていられぬ程の光に包まれる。何が起こったのか。

 茜は咄嗟に目を覆った手の後ろから覗き込んだ。

 ――あれは!

 光の後に、雷を纏った黒刀を構える笛の姿があった。

「馬鹿な! お前が何故に神器を扱う」

「猿太郎はいった。蒼樹ハルは猿翁の宮城にいると。あの場にはいないと。聞いていたのよね。さっきそう言っていたもの」

「うぬぬ。舐めるなよ小娘。あそこに、奴はおらぬ。それが分からぬ私と思うな」

「じゃあ聞くわ、彼はどこに?」

「…………」

「こうして神器が力を見せている。そのことをあなたはどう理解するのかしら? そもそも神器は主にしか従わない。それでも私如きに力を貸している。この事実が何を意味するのか。分かるでしょう、蒼樹ハルは生きているわ」

 笛は高らかに宣言した。聞いていた冨夜は、その心の内を無言で語った。訝しげに辺りを見回す。いつしか日は落ちようとしていた。

 夕焼けが朱の花畑を照らす。冨夜は斜陽に背き苦々しく表情を歪めた。

「茜殿」

 破笠が呼ぶ。ああ、と応じて茜は臨戦態勢を整えた。

「どうやら、ハルちゃんは、無事は、確実のようです」

「あの娘の言ったことが真ならば、やるしかありませんね」

「そうね、どこまでやれるか分からないけどね」

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