第40話 猿とハル

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 戦場を見下ろす冷ややかな目。薄笑いを浮かべる男の名は偲化。竜族に生まれながら短慮に走り化け物の身に墜ちた愚かな男。

「――相手は竜族、出来るのか、僕に」

 あの日見た陰陽師とは似て非なる印象を受け取っていた。藤十郎は残滓と言い放ったが、受ける威圧は並のものではなく、敵の気は明らかに強者を匂わせる。

 弱気の虫が首を擡げた。身に纏う猿翁の御衣に破格の防御力があることは疑うまでもないし、騒速の力も格別であるが、それでどこまで立ち回れるのか。

「ハル様、ご心配をめされますな、私はもう以前の私ではありませぬ。あなた様から得られた力は、前を遥かに凌駕しております」

「え? 騒速、それは?」

「それは、その……」

 騒速は、語調にはんなりと恥じらいを見せて口ごもった。

「騒速、何かあったの?」

『……その、御名、有り難く』

 騒速は渋々話した。

 そうだったのか、ハルは騒速の言葉を聞いて諒解を得る。彼女の新しい名前については、あの夜、猿翁の宮城にて思い至ってはいたのだが、騒動に急き立てられた情況下のせいで未だ当人に伝える事が出来ないでいた。それでも、心が通じている彼女は内々に「綺羅」という名を受け取ってくれていたのだ。

「それならそうと言ってくれればいいのに」

「ハル様、それはいくら何でも、私の口からは……」

「え? そういうものなの?」

 素直に返すと、彼女は拗ねたようになり口を結んでしまった。その後、何度も騒速と名を呼ぶが、彼女はますます態度を硬くするばかり。仕方なしに、ハルは照れくささを堪え新しい名を呼んだ。

「んじゃ、改めて、よろしくねっ、、――――ぬわぁぁ!」

 手にする大刀から全身へ電撃が走った。

「ほとほと呆れてしまいますね。この様な情緒も何もない時に、しかもぞんざいに。こういうことは、何を置いてもまずは形が大事と相場が決まっております。なのに、本当に、あなた様のその唐変木ぶりときたら……。そのようなことですから仙里殿にも振り向いてもらえぬのです。まったく」

 しばしの間、電撃に震えながら小言を聞かされた。自分は、そこまで気が利かない人間ではないと思いながら。……しかし、女心というものはよく分からない。相手の欲しいものを希望どおりに用意して、欲しいと言われたときに渡そうとしたのに何故このように叱られねばならぬのだろうか。

「おい、小僧」

 藤十郎がハルを呼ぶ。すっかりと緊張感を失わせてしまっていたことに慌てた。ああ、そうだった、と、取り囲む情況を再確認する。

 対峙する土蜘蛛たち、その後ろに偲化、自分と騒速と、後から追いついてきた藤十郎と小夜。ハルは心を落ち着かせ場を見渡した。どうやら場に呑まれていたらしい。

「キュッキュッ?」

「あ、ああ、小夜、もう大丈夫だよ」

「この期に及んで、人目も憚らずたわむれ合うとは破廉恥な奴」

「は、破廉恥って!」

「遊んでいる場合では無いと言っている。見ろ」

 藤十郎に促されて視線の先を見る。

「あれは!」

「土蜘蛛の上位種、おそらくはあの者どもが奉り仕える者だ」

 姿を見せていたのは、平安時代を思わせる古式ゆかしき衣を纏った人物。その顔には、模様は違えど、大蜘蛛が付けているのと同じような布きれが下がっていた。華やいだ色彩、長髪、しなやかにくねる姿勢から女であることが分かる。

「……酷い、なんてことを」

 切れ切れの衣、身に受ける複数の矢は数本が折れている。

 襟首を掴まれ、吊し上げられている女が質であることは明白だった。

 今にも千切れ落ちそうなくらいに項垂れる首。だらりと下げられた腕は指先から赤い汁を垂らす。時より震える肩に生存をみるが、それもいつまで保てることか。

「時間はないようだぞ」

 どうするつもりか、と試すような響きが心に重しを乗せた。ハルは、藤十郎の冷めた目の奥に哀感の色を見て彼らの歴史を思った。――言われるまでもない。ここが決着の時なのだろう。

 ハルは偲化を睨み付けた。目を合わせた偲化が不気味に口角を上げる。

 出涸でがらしの竜ごときに怖じ気づいている場合では無いと心を決める。首尾良く偲化を倒したとしても先には未だ瀧落がいる。小夜を狙う瀧落こそが根源である。真打ちの瀧落ちこと冨夜を必ず引きずり出す。

「キュッ! キュキュキュッ!」

 小夜が不安を訴える。

「大丈夫だよ、小夜」

 何も心配ないと笑顔で応える。騒速に待機を命じて刀を鞘に収めた。

「小僧、何をするつもりだ?」

「猿鬼を助けるために、まず蜘蛛を救います。そしてこの道が小夜を救う道にも繋がっていると思っています」

 ハルは再び大蜘蛛と向かい合った。

「丸腰でねじ伏せようとは大した自信だが、気持ちだけではどうにもならんぞ。お前は未熟」

「それはもう十分に分かっています」

「正気か? おい、騒速、お前からも言ってやれ、勇気と無謀は違うものだと――」

「藤十郎さん、黒の太刀はもう騒速ではありません。彼女の名は綺羅」

「竜門の守人、田原藤十郎よ、全ては我が主の思うままに」

「お前……、そうか名を受けたのか」

「藤十郎さん、手出しは無用です。何とかやってみます」

 ハルは前に踏み出した。その動きに合わせて大蜘蛛が飛び出す。巨体が起こした風により戦場の砂が巻き上がると、土埃で霞む視界を切り裂くように鋏角が走った。

 キン! と、鐘の音のような澄んだ金属音が鳴る。音を聞いてハルは自信を深めた。一撃は重かったがどうということもない。どうやらこの異界では物理の法則をねじ曲げられるようだ。

 ――やれる。

 間髪を置かずに蜘蛛の追撃がきた。二撃めは躱し、三撃めは受け流した。

 舞う砂塵の中、攻防は続く。無数に鳴らされる鐘の音と地面を穿つ衝撃音。

 ハルは一切の攻撃を封じて受け身に立つ。相手が懲りるまで付き合うつもりだった。

 小競り合いの中、機を読んだ大蜘蛛が大振りの一撃を繰り出した。ハルはその攻撃を合わせた両腕で受け止めるべく構えた。歯を食いしばる。

 黒鉄の籠手がガンッと鈍い音を立てる。受けた衝撃のまま後方へと飛ばされると、俄に視界が開けた。砂塵を抜けた青空の中、ハルはクルリと体勢を整え、そのままゆったりとした仕草で地面に着地した。

「何のつもりか」

 大蜘蛛が訝しんで問うてきた。

「やはり、人の言葉が分かるのですね」

「どういうつもりかと聞いている」

「先にも言いましたが、僕は無益を好みません。道を空けて下さいませんか」

「出来ぬ」

「事情は察しています。後ろで囚われているのは、あなた方にとって大切な者なのでしょう。彼女を助けます。だから――」

「無理だ」

「なぜ?」

「猿面の男よ、お前が何者かは知らぬ。おおかた、この申の国で起こった騒動を鎮めるために王が遣わせた討伐の者だろう。しかし、我らにも事情がある。譲れぬ」

「――猿面?」

 ハルは自分の頬を撫で首を傾げた。

「王の御衣を纏う者よ、お前がさるのおう、白眉に連なる者だとしても、お前に我らを救う意図があるとしても引けぬのだ。奴は狡猾、奴はこの異界の条理さえ利用する」

「奴? それは?」

 チラリと偲化の方へ視線を送る。

「あれではない。あれはかつて雨に封じられた者。あれは封から漏れ出た思念にすぎぬ」

「――雨?」

「雨とは、雨の陰陽師のこと。その昔、この先の『竜の墓場』で百足を封じた人間だ」

「竜の墓場? それに……偲化を、この先で?」

「さあ、御託はもういいだろう、覚悟せよ。うぬに恨みはないがこれも事情」

「ちょ、ちょっと待って下さい」

 もう少し話を聞きたいと思った。あと少しで手が届く。大蜘蛛が狡猾といって恐れる者が冨夜であることはもう間違いない。話の流れからすると、冨夜が偲化を操っていることも確定していいだろう。ラインは繋がった。――だが、欲しいのはそんな情報ではない。

「目を逸らしてはいけませぬ!」

 綺羅が危険を知らせた。ハッとして上を向くと既に間近まで鋏角が迫っていた。咄嗟に手を上げるがもう間に合わない。受けるダメージをどう取り繕えば良いのか、渾身の一撃を受けて果たして無事に済むのか。ハルは戦いの最中に隙を作ってしまったことを悔やみながら大蜘蛛の狂気を迎えた。

「小夜!」

 目を閉じかけたハルの身体を影が覆う。ハルは難から逃れた。蜘蛛との間に割って入った小夜に救われていた。

「白龍の娘、何故に邪魔をする」

「キュッ! キュキュウ」

「守人もお前も、目的は墓場であろう、この遺恨とは無縁の部外者である。故に、ここまで手出しをしてこなかったと承知していたが違うのか」

「キュキュキュ!」

「良いだろう、立ちはだかるならば打ち倒すまで」

 巨大化した大百足と大蜘蛛が対峙する。

「待て! 小夜、ここは下がって」

 黒の外骨格を撫で小夜の前に出る。小夜が上空から首を折るようにしてハルの顔を覗き込んできた。視線を合わせて一つ頷く。呆れた様子で百足は体を縮めた。

「蜘蛛の長よ」

「――なに?」

「合っていますよね? あなたは長、そして囚われているあの女性はあなたの大切な者なのでしょう。その布の面からみて伴侶、といったところでしょうか」

 全て出任せだった。 

「うぬぬ……。猿面の者、お前は何者か。猿の筋とは少し違う。人間の匂いがするがそれとも違う。唯ならぬ妖気を持つお前は誰か」

「僕は……」言いかけてハルは自分の顔を触る。いつもどおりの自分の顔がそこにあった。しかし……。「そうだ、この際です、僕が何者なのか名乗りましょう」

 それはただの思いつきであった。

「キュキュ?」

「……ハル様?」

「僕の名は『猿太郎』ですっ!」

「………………」

 場違いな緊迫感。静まる戦場。見れば小夜はガクリと項垂れ、藤十郎がククと笑って腹を押さえる。綺羅は無言だった。

「猿太郎か、あい分かった。私は棕櫚シュロ、蜘蛛を治める者。猿に恨みはないが、訳はもう知っての通りであろう。尋常に参ろう」

「そうは参りません!」

「なに!?」

「蜘蛛の長、シュロ殿、引きなさい。悪いようにはしない」

「戯れるな!」

「僕はふざけていません。これを」

 綺羅、と名を呼び、ハルは黒塗りの大刀を掲げた。

「その刀がどうしたというのか」

「先の雷撃をあなたも見ていたでしょう」

「も、もしかして、雨の神器か……、それではお前が」

「そうです。い、いや違います。僕は雨様ではありません。これは申の国に身を寄せておられる雨様から借り受けたもの」

「借り受けただと? 馬鹿な、神器にそのような融通がきくものか」

「雨様はこの異界にて竜門を開き、天神地祇の免状を得た。今生の雨様におかれましては、この件で一気に一千何百年かを精算する意向。きっとあなたの大切な者を取り返して見せます。そしてこの猿太郎、今ここに、雨様から助力を得た証しをお見せ致しましょう。雨様の神器殿、どうか拙めにお力をお貸し下さいませ!」

 高々と声を張り上げ、ハルは黒の鞘から刀を抜き放った。

 空を覆うように黒雲が湧く。

 雷鳴とともに稲光が走ると光が大地を穿つ。

 衝撃波、爆風。その中心に錦の衣を纏った綺羅が降臨する。

 フワリと揺れる金色の髪。綺羅は伏し目のまま敵を睨み付けた。暫し無言のまま場の静まりを待つ。愚か者めが、と言って不敵に笑う。そうして衆目を集めると、彼女は、徐に歩み寄りハルに向かって怒気を向けた。

「――え?」

 ハルは徐に胸ぐらを掴まれて唖然とする。ちょっと待って、と瞬きで合図を送るが綺羅はすっかりと役に入り込んでいた。間もなく彼女は、微塵も躊躇せずハルに向けて雷撃を放った。

 堪らず地面に片膝を着いた。見上げると冷酷な眼が見下していた。

「我の主は一人、唯、蒼樹ハル様のみ! 痴れ者が我を道具として扱うなどあり得ぬ。主命とあらば助力は惜しまぬ。だが、調子に乗るな!」

 言うなり綺羅はハルを蹴り倒し踏みつけた。

 芝居を打つぞ、と意は伝えたが、これはいくらなんでもやり過ぎではないか。

「瀧落よ! 降伏せよ、降れば雨様も温情を下されよう。どうかぁ!」

 綺羅は気力を見せた。見回すとどうやら思惑は成功しているようだ。行き渡る綺羅の気が場を支配しているのが分かった。あとは……、

 これは賭けだった。

 もしも敵が誤解してくれるなら……、ハルは、結果オーライと気持ちを切り替える。痺れの残る手で頬を撫でた。

「雨ってのは、しょせんは諡号だろ、バカバカしい。ガラクタだよ、ただの」

 小声で呟く。

 振り回されることにはもう飽きた。猿翁にどんな思惑があるかは知らないが、この事態に乗るのは悪くない。猿に見えているならいっそ猿を演じようではないか。猿まわしの猿で上等、雨よりは随分と晴れがましいではないか。 

 手始めに舞台から蒼樹ハルを降ろす。その方が幾分か話が分かりやすくなるだろう。これは複数の者の思惑が複雑に絡み合った出来事。自分の見えないところで駒を動かしている者がいる。雨の子の冨夜、黒鬼の長、藤十郎に、尚仁だって一枚噛んでいるかも知れない。もっと言えば天意というものさえも。その全ての思惑を潰す。

 土埃を払い立ち上がり綺羅の前に出る。右手を出すと意を察した綺羅が刀へと姿を戻す。ハルは刀を肩に担いで、どうした? 来ないのか? と手招きした。その後、歯がみを見せた陰陽師が目を怒らせる様を見て、よしよし、と小馬鹿にする。

 敵が挑発に乗ってきたところでハルは文字通りの猿芝居を始めた。

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