第26話 猿翁

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 森での攻防。身に纏った防具は籠手こてのみであったが、これが思いのほか役に立った。

 黒鉄の籠手は小夜の外殻に似て堅固であり、打撃で挑むのは太刀で斬り付けるよりも気安い。その上に騒速は意を汲んで動きハルの拙さを埋め合わせる。防具と援護の獲得が動きに余地を与え、戦いから血生臭みが消えたことが気持ちを軽くした。

 恐怖心がまるでない。なので相手の懐に飛び込むことに躊躇がない。今は黒鉄の上を滑っていく刃を見送るほどに余裕がある。気持ちにゆとりが生まれれば、こうも境地が変わるのか、凶器が打ち鳴らす金属音も心地よい音色に聞こえてくるのだから不思議なものだ。 

 受ける、いなす、躱す。ハルは、敵に触れた瞬間に「凍れ!」と念じて氷柱を築いた。生み出した冷気が戦場を支配していく。

 上出来にハルは満足していた。勿論、相当な無茶をしている自覚があるし、不殺生で敵の全てを封じるというのは途方もない作業であった。それでも二人は次々と猿鬼を狩り氷柱に封じていく。敵の数は残すところ十数匹となっていた。 

 これで最後だと、軽く息を吐き騒速と視線を合わせ詰めの作業に取りかかった。そうしてハルが戦いの後始末を考え始めたその矢先である。

 ――頭上から強烈な覇気が降った。

 気迫に射貫かれ反射的に見上げて探す。

 薄雲が浮かぶ青空の中、一直線に走る赤錆色の稜線。その巨大な岩盤を見渡す。戦場で背負った断崖は一枚岩の壁面だった。

 ハルは首が折れんばかりに見上げた。目を凝らす、すると、見ている赤岩の上空に白い虎のような獣に跨がる人型が出現する。虎が戦場を見下げて奇声を張り上げると猿鬼達が一斉に人型の方を向き跪き首を垂れた。 

 人型の妖怪の登場によりハルの初陣は呆気なく終息した。

 静まりかえる戦場。青の氷柱が墓標の如く乱立する。

 よくもやったものだと、我ながら感心する。ハルは息を整えながら人型を見上げ次に備えた。

 ――老人、のように見えるが、あれは敵なのか、それとも味方なのか。

 際立つ猿面、横風になびく白髪と外套、能装束のような錦の着物に身を包む出で立ちは、明らかに地面にひれ伏す猿鬼とは一線を画す。

 隠された素顔は見えず、また、雄々しき気概意外には意図を読ませない。

 只者でないことを肌で感じ取る。それ程に猿面の発する気勢は桁外れであった。

 猿面がこちらを見てニヤリと笑った。面であるにもかかわらず、確かにいま表情が変わった。

 ハルは息を呑んだ。強ばる頬、猿面から受ける圧力により全く気を抜くことが出来ない。

「威勢がよいの」

 たった一声。老人の感嘆の声がハルに重圧を掛けた。身構える身体は手に汗を握った。

白眉はくび殿、お久しぶりでございます」

 朗々とした声で藤十郎が呼びかけた。

「田原藤十郎、それに小夜月さよづき。お主らであったか」

 返す老人の言葉も温厚であった。襲ってきた者達を一声で押さえ込んだ猿面の老人。猿鬼らが傅くように平伏する様子と放つ威厳から猿面は上位種、それもかなり格上の者と推察できた。

 どうやら老人と藤十郎は旧知の仲のようだが、それならば何故? と疑問を抱く。どうして自分はこのような大群に襲われたのだろうか。

「猿どもがあまりに騒ぐゆえ出向いてきたのだが、これは如何したものかの?」

 白眉が面白そうにいってハルを見た。

「森を西へ進んでいたところ、猿鬼どもの襲撃を受けました」

「襲撃のう、こやつらも馬鹿ではない。常であれば、竜の守人と黒百足に刃向かうような愚を犯すことなどあり得ぬのだがのう」

 白眉が眉をハの字に下げ長い顎髭をしごいた。

「訳はこちらが聞きたいところです」

 藤十郎が淡々と返した。一呼吸する間を置いてから、白眉が名の由来であろう白い眉の下から覗くようにハルらを見てきた。

「あれは破邪の剣、騒速か」

「はい」

「小夜月にも兆しが見えるな」

「そう見えますか」

「しかしのう、藤十郎よ、よもや化け物に神器を持たせて異界に乗り込んでくるとはの。それは如何なものかと思うぞ」

「乗り込むとは大仰な、此度の一件は私の謀ではありません。それに化け物? さてその見立てはどうでしょう、あれは只人ですが」

「今更ぞ。お前、天さえも利用する気か?」

「そのような大それたことは。私はただ、天意の上に載せられているのだと思っています」

「……天意、か」 

 猿面の翁は、チラリとハルを見てから藤十郎に視線を戻した。

 言葉数の少ない二人のやり取りに首を傾げる。会話の余白にある両者の思惑をハルは計りかねていた。

 白眉は騒速のことを知っていた。ハルが耳にしていた雨の陰陽師の話は、えてして仰々しい英雄譚ばかり。その雨の陰陽師が用いた神器のことは異界でもよく知られているのだろう。小夜については兆しが見えるといったが、その事については同意が出来た。呪いが解けかけていることをハルも感じていた。最後に彼女の名前についてだが、小夜月とは小夜のことで違いない。だが……。

 小夜月というのはいったい何を意味するのだろうか。

「名は体を成す、と申しますでしょう」

 傍らで寄り添うように立つ騒速がそっと教えた。

「……体を成すか」

 ハルが彼女から読み取った名前は「小夜」それならば付け加えられている「月」の一字は、もしかすると……。

「ハル様、小夜月の由来は更待月ふけまちづきから。万葉和歌には、待ち人の来訪がないことを、相手の身に何かよからぬ事が起こったからではないかと案じているものがあります」

 いって騒速は月の和歌を詠った。

「また和歌か、でもその歌、少し一方的な感じがするね」

 情緒は分からない訳ではないけれど、ハルはぼやくように返事をした。恋人が尋ねてこないことを何かのせいにするという歌心が、酷く自分よがりの心持ちであるように感じられていた。

 何かが腕を伝うようにモゾモゾと動いた。気が付いたハルは受けるように彼女を持ち上げる。その時、掌の中に収まった小夜を見て瞬間的に思考が核心を突いた。

 ――やはり、そうか。

 繋がりを得たからこそ分かることがある。小夜の名に加えられた「月」の一字は恐らく彼女を縛る呪いを意味しているのではないだろうか。

「いつの間に、それに随分とハル様に懐いておられる様子」

 騒速がハルの手の中を覗き込んだ。

「こんな僕の何処を気に入ってくれたのか。でも彼女には随分と助けられたんだ」

 学校のグランドでの出来事、猿鬼に追い詰められたときに救われたことなどを様々と思い返しながら重ねた掌をそっと胸元に近づけて行く。

「キュキュ」

 小夜がハルの胸の中で鳴いた。

「ハル様は彼女を助けたいと思っておられるのですね」

「そうだね。でも、ダメなんだ。もう少しだとは思うのだけれど決め手がないんだ」

「決め手ですか……」

 溜め息を聞く。騒速の濁された語尾にドキリとした。見ると彼女は冷ややかな目でこちらを見ていた。その碧眼の中に見えたものは呆れというものだろうか。彼女も自分と稀代の陰陽師を重ねて見ているのだろうか。

「雨様ならば、容易く成し遂げられたかも知れないね」

 心ともなく言い訳がましい台詞を吐いていた。窺うように騒速をみると彼女は、そっと瞳を閉じて眉宇に浅く皺を刻んだ。

「ハル様は、本当に彼女を助けたいと思っておられるのですか?」

 ハルは虚を突かれたようになり閉口してしまった。騒速の声色には苛立ちが見て取れた。

「も、もちろんだよ。僕は――」

「私には、今のハル様からは、あの時に見せていた本気というものを感じ取ることが出来ませんが」

「あの時?」

「ハル様は、仙里殿の中に封じられていた揚羽の解放を行いました。あの時の必死の思いを、今は少しも感じることが出来ません」

「揚羽?」

「揚羽は黒鬼の長、月桂の娘のこと。先代雨音女の娘といった方が通りは良いでしょうか」

「……黒鬼が雨音女? それにあの黒の呪いで封じられていたのが娘だって」

 ハルの驚く顔を、騒速の落胆する顔が迎えた。

「いいですか、ハル様、求めてこそ些細な手掛かりに気付けるというもの。気付けないとは求めていないということです。格好だけでは進むべき道など見えませぬ。端から探す気のない者に手立てを見いだすことなど出来ましょうか。やる気がないのならば今すぐお止めなされ」

「やる気が無いなんて……」

「ハル様、あなた様は少々受け身に過ぎます。受動的に流されながら何かを成し得ようとは都合が良すぎ。それは至極愚かなことです」

 ハルの胸に騒速の言葉が刺さる。主体性がないということは少し前に藤十郎にも言われたことだった。

「愚か者である。そんなことは誰に言われるまでもなく自身が一番良く知っていることだ。でも、仕方ないじゃないか」

「仕方ない?」

「だってそうだろう。皆が僕には力があるというけれど、力ってなんだよ。分からないよ。それに、救う為には殺すしかないのだといわれても、はいそうですかって簡単に言えるわけないじゃないか」

「殺傷を嫌う。なるほどそれが今の覇気のなさと、この光景が造られた理由ですか」

 いって騒速が乱立する氷柱の群れを見回した。

「騒速、僕は今回も巻き込まれてしまった。あ、いや、異界まで来て、こんな身体になってまで何を言っているのだと思うかも知れないけど、正直なところ主体性を持てと言われても無理だよ。雨の三宝だの竜門だのと言われても、それが自分に関わりのあることだとは思えない。雨だの何だのって言われても関係ない。知らない。何故なら僕は、雨になるべき道とやらを自らの意志で選んでいないのだから」 

「やれやれ、どこまでも卑屈なやつだな」

 素っ気ない口調の声、いつの間にか藤十郎が側に立っていた。

「藤十郎さん」

「お前にやる気があろうとなかろうと、それは俺の知ったことではない。だが最後まで付き合ってもらうぞ」

 藤十郎は、冷ややかな視線の奥に強い意志を見せた。

「竜門の守人、田原藤十郎ですね」

「神器、騒速か」

 藤十郎が目を細めた。その後、疎ましそうに「腐れ縁だな」と吐き捨てる。

「お久しぶりですね。小夜も相変わらずですか。嘆かわしいことです」

「言っておくが、此度の一件、俺が仕組んだわけではないぞ」

「それは承知しております。それでも、全くの部外者というものでもありますまい」

「そう言われてもな。俺は無関係だと思ってるのだがな。八百年前のことも、今のことも」

「貴方ほどの者ならばもう、この因果に気付いているのでしょう。だからこそハル様をこの異界に連れてきたのではないのですか?」

 騒速の目が見透かすように藤十郎を貫く。応えて藤十郎は鼻を鳴らした。

「騒速、そいつは雨なのか?」

「雨? いいえ、ハル様はハル様です」

「……まあいいだろう」 

 藤十郎の皮肉を騒速は伏し目で受け流した。

「その様なことよりも情況を教えて頂けませんか。猿翁は何と」

「猿鬼の群れに土蜘蛛をけしかけた奴がいる。どうやら俺達は濡れ衣を着せられたようだ」

「それでこのように猿鬼からの襲撃を受けたと」

「そうだ」

「その土蜘蛛を嗾けた下手人について心当たりは当然」

「事象を手繰れば動機が見えてくる。騒速よ、お前の目算は正解だ。この事態の中心には奴がいる。狙いは小夜で間違いないだろう」

「そうですか。やはり瀧落ですか。やれやれですわ。八百年前ならまだしも、ハル様を巻き込むなど許しがたきことです」

「許せぬとを言う割に、お前達は、まるで手助けをしようとしない。雲華はいったいどういう了見で動いているのだ。こいつを雨へと導くのではないのか?」

「ハル様にはハル様の道があります。私達は所詮は道具。主に必要と言われれば喜んで伴をします。不要と言われるのならば眠るまでのこと。道具に意志は要らない」

「殊勝なことだな」

 ハルは騒速と藤十郎のやりとりをジッと見ていた。八百年前の出来事とはおそらく黒鬼の長が討たれた戦のことを言っているのだろう。その戦に藤十郎と小夜が関わっていた。藤十郎の口ぶりはその事を窺わせるものである。

「藤十郎さん、そのタキオチという人物が、今回の事件を起こしている犯人なのですか?」

「察しが良いな、褒めてやろう。だがな、ことはそう簡単ではない。そうだろう? 騒速」 

 藤十郎の顔と騒速の顔を交互に見る。

「ハル様、先程も申しましたが、私達はハル様に雨になることを望んではおりません」

「あ、ああ、うん」

「ハル様の道はハル様が決めれば良いのです。だだ」

 騒速が含みを持たせる。何か事情が、と、ハルは意を伺った。

「失意の中で嘆きながら生きた不憫な女がおります。その者の心だけは、どうか救って頂きたいのです。その昔、雨音女になり損なった悲しい女がおりました。その者の心をどうか」

「雨音女になりそこなった女……」

「その話を、お聞かせいたします。なので――」

「騒速よ、その話ならば長くなるだろう。猿翁が城へ招いてくれるようだ。そこでゆっくりと話せばいいだろう」

「猿翁が? 僕達を城へ」

「俺達に頼みがあるそうだ」

 戦いから一転して賓客となる。ハルは、首を傾げた。騒速も、あの猿翁が、と訝しんだ。

「俺の目的にも関わる。蒼樹ハルのその身体についても利はある。どうか?」 

 藤十郎の提案に騒速は軽く頷いて見せた。その後、意を確認するようにハルに窺った。

「わかったよ」

 ハルは同意した。このまま子細が分からぬまま振り回されるのはゴメンだ。進むべき道を見極めるためにも話は聞かねばならない。決意して猿翁を見ると、猿面がニコリと微笑んだ。

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