第19話 咎人
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手に鋼色の太刀を出現させて走る。考えていたのは、藤十郎の思惑と死闘の行く末だった。
森の外に飛び出すと風景が急転する。強くなった日の光が辺りを白ませた。日差しを遮る手、徐々に慣れていく目が景色を捉え始める。一段と開けたその場所は岩肌剥き出しに荒涼とする丘陵だった。
聳える断崖の壁を見て口を結ぶ。文字通りの袋のネズミ。これで逃げ場が無くなった。
ここで、殺しをするのか。ハルの鼓動は加速した。臨む背水の陣はまさに死地だった。
ハルらは砂埃が舞う丘陵に立ち向こう側に森を眺めた。思い描いた阿鼻叫喚の地獄図は、自分達の死の光景ではない。百足と武人による殺戮が始まろうとしている。当然、押し寄せる敵を一堂に迎えれば乱戦となる。渦中において、わが身だけ無血のままでいられるはずもない。
何故こうも苦しまなければならぬのか、ハルは殺しを強要する成り行きを恨む。
自ら作り出した太刀に目を落とし銀の刀身を見つめた。ふわりと高揚する気分。血みどろの戦いを目前に、恍惚として鈍色を眺める。ハルは、己の中に潜む狂気に気付かされ身を竦めた。
一斉に森が鳴いた。見渡す限りの森一面に数多の星が出現する。
その星の瞬きは全て殺意を抱く化け物の
これから始まる陰惨な殺しを思うと息が詰まりそうになる。迫る重圧に耐えかねて後退った。
見据える先に散らばる光は、それぞれが狂気の権化であり襲撃者であるが、同時にそれらの全てが命でもある。――果たして出来るのだろうか。
異界の化け物といえども群れを形成している以上は種を存続させる営みがあるはずである。
脳裏に浮かぶ生の光景。化け物にも親がいて子がいるのではないのか。だとすれば、そこには種を育もうとする情といったものも存在するのではないのか。ハルは、命を無為に刈り取っていくことに畏れを抱いていた。
木々の茂みから一匹、二匹と赤毛が浮き上がる。ある者は地に、ある者は枝の上に、各々が煩雑に位置を取ってこちらの様子を窺っていた。次々と姿を現す猿鬼。群れはやがて緑の森を赤い綿毛の森と化した。
ハルは迷うまま太刀を構えた。覚悟を持てない手が震えている。
「酔狂者め、あの様なことをしてどうなるというのだ」
傍らから声を掛けられ、ハルはビクッと肩を震わせた。藤十郎の方へ向き直ると、彼は血に濡れたハルの手に視線を落として呆れるように眉をひそめた。
「分かっています。あれは気休めにもならない自己満足の行為です」
戦いのあと、ハルは歯を食いしばり嗚咽を堪えながら遺骸を掻き集め、猿鬼の体を修復していた。蘇生は叶わぬと分かっていたが、それでもせめて屍だけは安らかな状態にしてあげたかった。木漏れ日の下に寝かせてきた亡骸は、既に群れの中に還っているだろう。
その行為は、せめてもの償いだった。当然、善行などと奢ってはいない。既に己の罪を認めている。無益な戦いに身を投じる前に、きちんと己の足下を確かめたかったのだ。いまも血に染められた手は、だからこその証し。
「下らぬな。以後も度々ああして屍に施すつもりか? 相手はお前の命を狙ってくるのだぞ」
「たとえそうだとしても、命は命です。やっぱり僕は、殺しは嫌だ」
「そんな余裕があるとは思えぬのだがな。勘違いをするなよ、その身は不死身ということではないのだぞ」
「分かっています。底が尽きれば消えるのでしょう。だからこそ、いま僕に出来ることがあればしておきたかったのです」
ハルは強い目で藤十郎を見つめた。
「そうか」藤十郎が短く応じる。その態度は、感心するでもなく、馬鹿にするでもない。ハルは、好きにせよと突き放されたように感じていた。
拳を握ると血は生々しく、手にはまだ少しヌメリがあった。
――この時ハルは、黒鬼事件の折の戦いを思い起こした。
あの時は、罪悪感などまるで持ち得なかった。
血を流すことのない化け物に対して、命を奪うことを意識することが出来なかった。黒い霧となって消えていく敵を見て、化け物とは元来そういうものなのだろうと勝手に思い込んでいた。――だが、どうやら違ったようだ。
殺しという言葉がピッタリと型にはまる。この異界では化け物も人と同じように血を流す。
赤く染まった拳をゆっくり広げようとすると、血糊で張り付いた指が抵抗した。
ハルは、広げた手に意識を集中させた。
ここは異界、意のままに物体を具現化する力を今のハルは実感している。
己に内包する力を見つめて探す。ハルは、あちらの世界で紫の炎を顕現させたことがあった。
力の具現化については既に紫陽に教わっていた。火でも水でも石でもいい、念じれば力として具現化することが出来ると彼女は教えてくれた。
自分が持ち得ている力とは何か。何をどれくらい行うことが出来るのか。
これまでに出来たことは、火の発現、治癒、そして先程行った修復。同じ要領で今度は凍らせることを試みる。
――凍れ。
念じると瞬く間に血糊が凍らされていく。
赤が白霜に包まれると、手の中で形成された薄桃色の氷の粒が舞う雪のように風に乗り彼方へと消え去っていった。
誰も殺さず、誰も死なさず。
ハルは己の中に潜む狂気を鞘に押し込めた。
この殺戮の顛末は全て己に責がある。ハルは咎人であることを自認していた。
生存の為に殺しを強要する状況下で、箍が外れそうになっている自身を見つめて決意を固めた。――それでもまだ、僕の心は鞘を維持している。
頑とした意思を持ち、ハルは血を消し去った後の掌を見た。そうして一歩を踏み出して、目先に陣取る藤十郎と小夜の前に出た。
「ようやく覚悟を決めたか、蒼樹ハル」
藤十郎の声はどこか愉しげだった。
「藤十郎さん、殺戮は愉しいですか?」
ハルは正面に敵を見据えながら後方に問うた。
「さて、どうだろうな」
「違いますよね。あなたは無益な殺生を好まない」
「お人好しだとでも言いたいのか?」
「違います。理由を持たない殺しは行わないのだと理解しています」
「何が言いたいのだ?」
「これは、……この戦いは僕の戦いです。あなた方には敵を殺す理由はない。敵にもあなた方を害する理由はない。だから手出ししないで下さい。小夜、君もだ」
「キュキュッ!」
「敵が区別してくるとは思えぬのだがな」
「ここから離れて下さい。僕から離れることで、敵のその意志を計ることが出来るでしょう」
「ほほう、して、実際に敵がこちらに向かってきたならどうする? お前が俺達を守るというのか? 随分と大きなことを言うようになったな」
「敵があなた方に牙を剥いたならその時は、殺せばいい」
「ほう」
「殺しにおいて能動と受動は均衡する。殺そうとするものは、殺されることも許容している。僕に咎と罰があるように、敵にも責はある。覚悟もあるでしょう」
「これ程の数を前にしても気張るではないか。良いだろう、お前の気概は買ってやる」
「キュキュッ! キュキュッ!」
「小夜、お前も変わったな。随分とおしゃべりになった」
「キュキュッ! キュキュッ!」
「あいつが、出来ると言うのだから案ずるな、俺達は少し離れたところから見せてもらうこととしよう。竜門を開く資格のある者の戦いというものをな」
「……キュ、キュン」
小夜の不承不承の声を聞き、ハルは振り向いた。
心配そうにこちらを見つめる小夜と目を合わせる。
ハルは「大丈夫」と告げて笑顔を作った。
「もはや引くことは叶わぬと知れ、蒼樹ハル。手ずから地獄の蓋を開けたのならば見せてみよ。修羅の森、血の池で足掻く姿を。どうにもならぬと泣いて頼むのなら、その時は助けてやってもよいぞ」
「助けは要らない」
「なに?」
「出来なければ死ぬまでです」
「お前、この期に及んでまだそのようなことを。これは殺し合いなのだぞ。――まさかお前、死ぬ気か? お前、自分さえ死ねば俺達が救われるとでも」
「違いますよ、死ぬ気なんてありません」
「はあ? ならばお前は何を……」
ハルは藤十郎の疑問には答えなかった。それはこれから行うとしていることに対してまだ自信が持てなかったから。それと、自分のキャパシティに対して確信が持てていなかったから。それでも、やってみせるとハルは意気込んだ。
前に出たハルは、群れの内の一頭を指さし挑発して手招きした。
指名された化け物は、ハルの強気な態度に肩を怒らせて前に出た。
「ごめんよ」
ハルは、知性のある相手に敬意を抱きながら呟き、切っ先を相手に向けた。
相手も、腕に自信を見せて大鉈を構えた。
息を呑み静まる戦場で互いが間合いを詰める。呼吸を読み合う。
ハルが下段へと構えを下げ迎撃の姿勢を取ると、その動きにピタリと合わせて猿が跳躍した。
――激突。
両者が静から動へ移行すると、猿鬼の群れから奇声とも受け取れる
猿らは足で地を鳴らし、得物を打ち付け威勢を示した。
この相手を倒せば直ぐに群れ全体が動くだろう。ハルは予測する。
猶予はない。試すことが出来るタイミングはおそらく一度しかない。
ハルは流れを読む。思惑が外れれば、無駄に命を散らせることになる。
自分にどれ程のことが出来るのか。死の汀に踏み込んでいながら未だ迷う。それでも、余裕があるとは言えないまでも不安は感じていない。結果は、ほぼ見切っている。
困難はあるだろう、だが出来る。なにせこちらは、ダメージを受けても直ちに回復させる事が出来る身体で挑んでいるのだから。
この戦いは、全ての敵を打ち負かせることが先か、ハルの妖気の枯渇が先かという不安要素を含んでいるが、それでも、死なない相手は殺せない。
「ならば、やってみせる!」
敵の刃がこちらに届くよりも早く懐に飛び込んだ。その場で歯を食いしばり太刀を振るった。斬り込んだ白刃が敵の横腹に滑り込んで脊髄に当たる。一呼吸の間を置いて傷が血飛沫を上げた。肌を濡らす敵の血。生温い命を感じながら太刀を抜き去る。その後、動きを止めた敵に向かってハルは命じた。
「――凍れ、……凍れーー!」
手応えが返る。切り立つ氷柱。ハルは、半死のまま氷漬けにした敵を背に軍勢を睨み付けた。
猿の群れが荒波のようにうねった。怒号を放つ殺意が固まりとなって動き出す。
「待っていろ。いま、全てをねじ伏せてやる」
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