第12話 閉塞する仙里
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暑気の中に冷風が吹く。
風にそよぐ草叢は碧く、空も青い。ゆっくりと流れる平穏な時間。外の世界とは隔絶されていたが、山村には邪気も悪意も感じられなかった。
監視もなければ拘束もない。仙里は凡そ虜囚になったとは思えないくらいに自由を許されていた。それでも、たとえ害されてはいなくとも、ここの空気は身に纏わり付くようにして彼女をこの閑地に縛り付けていた。
ひとり、村はずれの畦道を散策する。既に脱出は困難と認識しているが、敵の思惑をはらみながら事態が動いていく様を見せつけられれば、悠長にジッとしてなどいられない。売られた喧嘩は買わねばならぬ。だから仙里は動く。動きながら考える。
「……学びという言葉を知らぬのか、あのように同じ事を繰り返すとは。懲りぬというか、間抜けというか。あの馬鹿の性分にはもう、呆れるということも過ぎるようであるな」
傍らの茂みから緑の猫じゃらしを一本引き抜く。
指先で茎をねじると穂がクルクル踊った。
その雑草が遊ぶ様子をジッと眺めるが、直ぐに飽きて溜め息をつく。仙里はそれを二度三度と繰り返した。終いに不満を募らせる。鬱憤を払うように手に持つ青草を宙へと放り投げた。
――うむ、どうしたものか。
足下にある色濃い影をみて時の経過をおもう。この地に足を踏み入れてからもう三回目の太陽が天に昇っていた。
無意識に握る拳。意図せぬ力みに気付いて苦く笑う。仙里は黄櫨に見せられたハルの姿を思い出していた。あの光景は果たして実際のものなのか、それとも作意のある幻であるのか。事態の全容が見えぬ今、子細に囚われ思考停止に陥るなどは愚の骨頂である。その様なことは誰に言われるまでもなく承知している。そもそも、虚け者のことなど、特段気に掛けるものではないというのに。それでも、妙に心がザワついて落ち着かないのはどういうわけか。
――まったく、暇を持て余すと碌なことを考えない。
仙里は遠く稜線を眺めた。――傷は致命傷といっていい。人の身体があれ程の傷を負えば助からない。だが蒼樹ハルは既にただの人ではない。ならば無事だ。それに何より根拠もある。仙里とハルとの契約は未だ破棄されておらず、気脈の繋がりも絶たれてはいない。
だから、おそらく、きっと、蒼樹ハルは死んではいないだろう。
「――フン。馬鹿の心配などしておらぬ」
悪態を野に捨てながら空を見上げた。ふと、ハルが度々空を見上げていたことを思い出すと、何故か胸の奥に苛立たしさがこみ上げてきた。
その苛々を払拭するようにして両腕を振り歩き出す。再び集落の中心を見据えると枯れた花畑が目に入った。
夏の盛りが過ぎたとはいえ、この時期に花が枯れていたのを仙里は見たことがない。もっとも、ここのヒナゲシは妖花であり人界の草花と比べることは出来ないのだが。
「それにしても……」
花畑の中央にある小岩に腰掛け、仙里は一面に広がる萎れくすんだ枯れ草色を眺めた。
あの男の娘は、えらく妖花を憎んでいたようだが、
呪いの花――その名は緋花。人型は生来の姿ではない。黄櫨により何かしらの呪が施されていることは露見している。そもそも妖花が人界に群生することなどありえない。その朱の花が黒の存在を隠すためにあることも聞き及んでいた。だが……作用までは分からない。朱の花が黒の後嗣から妖力を吸い取るとはどういうことか。
忌むべき呪い、カゴメとは何だ?
黒鬼衆の存在を隠すことだけが目的ならば、この里の周囲に張られている結界だけで十分であると思える。その結界も黒が認めた者であれば出入りが自由という具合で決して厳重というわけではなかった。
――黒の者達の、黄櫨の目的は何だ?
どうやら膳立ては彼女の仕業のようだ。今のところ、横山尚仁との結託も認められない。いや、むしろ尚仁は独自に目論をもってこの機に乗じているように思える。
緋花と呼ばれる呪いの花は娘の姿に変化していた。その呪いの娘に敵対する娘は、突如現れた陰陽師ふうの男と繋がりがあるようだった。此度もまた、雨一族が動いているのか、当代の総領が黒の里に、しかも単独で逗留しているのは何らかの思惑から目をそらすための策であるのか。仙里は様々推察する。しかし如何せん見たものだけでは詳細まで分からない。蒼樹ハルと同調出来ていたならば、もう少し事情というものが掴めたのだろうが。
「それにしても、大百足とは、大層な奴が出てきたな」
――漆黒の大百足とは、はて、どこかで……。
どんな訳があって蒼樹ハルの命を狙ったのか、大妖怪を連れた槍の男――漆黒の大妖怪、黒の……いや、
思い出せない。何だろう、あれは何者なのだろうか。一度は相まみえようとした化け物どもが、何故に一転してハルを守ろうとしたのか……。
「うむ、この度の一件もまた、解せないことが多すぎるな」
唐突に姿を現した黒の姫、あの器と呼ばれた稚児も黄櫨と同様に死んではいなかった。
複雑に絡み合う思惑。ワケありのこれは黒鬼衆の宿業によるものか。何にせよ、事態は八百年の昔に、呪いによって囚われた黒鬼の魂魄に何かしらの関連があるのだろう。一連の出来事が黒の解放からの延長にあることは間違いないと考えられる。だが、行き着く先が全く見えてこない。黄櫨は「朱をもって雨を試す」といっていたが、そのことも腑に落ちない。どうもおかしい。蒼樹ハルが真に雨ならば、真神や狛神のように参じて従えば良いだけの話だからである。
黄櫨の目論見はなんだ?
仙里は、ふと、大百足に連れ添う男が漏らした一言を思い出した。
男は「天の配剤」と呟いた。
あの者は何者だ? 随分と、雨の事情に詳しいようだったが。
雨の伝承が再び蒼樹ハルを中心に据えて動き出した。誰と誰が、どこでどう結びついているのか。
「私は、何故ここにこうして囚われているのだろうか」
手出しをさせない為だと黄櫨はいうが、それこそ笑える話だと思う。
人と馴れ合うなど馬鹿げた話である。人を救う気など毛頭持たない。先の黒の一件に関して、蒼樹ハルには多少の恩義を感じているものの、それ以上は無いと言い切れた。
再び枯れ野を見渡す。仙里は胸に息苦しさを覚えながら、虜囚の意味をその枯れた花畑に問うた。
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