第11話 誘いの黒蝶

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『――かごめかごめ 、籠の中の鳥は いついつ出やる、夜明けの晩に 、鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ』

 どこからともなく童歌が聞こえてきた。高音に澄んだその声は、この場所には居ないはずの幼子のもの。 

 耳を澄ませば聞こえてくる、幼子達の合唱とその歌声にシンクロしている少女の緩やかな心拍の音。

 ――トクン、トクン。

 静々と囁くように鳴る鼓動、繊弱せんじゃくを思わせる白い肌を見てハルは呟く。

「笙子と……確か、笙子って呼ばれてたよな」 

 アーティスティックな美の趣を体現する少女。その無機的な有様は、まるで造形物のようだ。

 目の当たりにする鋭利な美に本能は畏れた。表情はすこぶる穏やかだが、微笑みを浮かべながら眠る肢体は時を止めたかのように生を停滞させている。ハルは、生きているとも死んでいるともいえる人形の美に見惚れながら同時に忌避感を抱く。目に捉えている不調和の整合は気分を酷く悲しいものにさせた。

 忽然と緋花が姿を消し、代わりに行き方知れずの笙子が出現した。

 そこに何らかの呪術の痕跡は見て取れる。だが正体までは分からない。――まるで相半ばする愛憎のような……、これは誰の想いなのか。

 黒の里に咲く妖の花、緋花は黒を朱に染め弱体化してきた毒であり穢れであるという。笛は緋花のことを呪いだと言い、その呪いを「カゴメ」と呼んでいた。

 緋花がこの黒の姫を救いたいと願ったのは本心だろう。笛に責められ消沈する様子に嘘は見えなかった。緋花は、どうやら子細を聞かされていなかったようだ。それでも何か思い当たることがあったのだろう。だから、落胆した。もしかすると、彼女は、自身がカゴメと呼ばれる呪いであったことも自覚していなかったのではないか。

 ――緋花は、訳も知らされずに操られていたということか。

 黒の里から姿を消した長老と姫。黒の姫は緋花としてハルの前に現れた。緋花を操り遣わせたのは、黒の長……。今、黒鬼衆に何が起こっているのだろうか。

 笛は二刀を正当後継者に還せと言っていた。今回も雨一族が動いているのか。

 ゾワリと肌が粟立つ、また自分の知らないところで、何かが蠢いている。この事態は、何処の何者の思惑による仕業なのか。

 再び腕に抱く黒髪の少女を見る。

「この子が黒の姫、そして、黒の姫の名前が、笙子」

 この事態の核心にあるのは何だ?

 ハルは人形の肌に温もりを感じながら少女の眠りの理由を考えた。はたして彼女は何者なのか、彼女の存在理由とは何だ? 何故、自分の元を訪れたのだろうか。

「オトメの血筋、定めの巫女、か」

 藤十郎が、傍らに近付いて意味深に話す。

「藤十郎さん、この子のことについて何か知っているのですか?」

 ハルは尋ねた。だが藤十郎は目も合わさずに無視した。難しい顔つきで笙子を見ながら固く口を結んだ。

 既に殺気は失せていた。黙して佇むこの男は今、何を考えているのだろうか。

 ハルは顔色を窺いながら、心に山と湧いた疑問を持て余していた。

 殊に先程、藤十郎が発した言葉の意味が気になっていた。彼が溢すように口ずさんだ「天の配剤」という言葉には覚えがあった。

 天の配剤とはすなわち、天がその意を以て物事に適材を配置するということ。耳に残っているその文言は、僅か数週間前にも聞いた言葉だった。

 先に起こった黒鬼に掛けられた呪いに関する事件。結果としてハルは「束ねる者」といわれ、雨の陰陽師と呼ばれる事になる。その、きっかけとなる出来事がこのグラウンドの中で起こっていた。この場所で、ハルは狼の娘(真神まがみ)と出会い右方と左方の因果に引き寄せられた。この地は、図らずも事件に因縁を持つ者が一堂に会した配剤の地でもあった。

 不意に何かが手を擽った。ハルの目が地に這う十センチほどの黒いムカデを捉えた。その者が誰であるかはもう分かっている。

「小夜?」

「――まったく。どういう具合か分からぬが、そいつはお前のことをいたく気に入ったようだ」

 呆れ顔でムカデを眺め、藤十郎が溜め息をつく。

「藤十郎さん、天の配剤ってどういうことですか。それに、定めの巫女って、乙女って」

 率直にハルは尋ねた。だが返答はない。先程も、藤十郎は応じることを拒むようにハルを無視したのだが、今もまた関心が無いというふうに沈黙を返した。

 この武人も何かか事情を抱えているのだろう、ハルは察したが、それでも引き下がれなかった。この訳知りの男から事情を聞かなければいけない。

 新たに何かが起こるという予感がハルの心を揺らしていた。この焦燥感は好奇心によるものではい。期待でもない。それは不吉を予知するような感覚だった。

 雨の陰陽師と呼ばれても、未だ肯定などできない。それでも、自分にしか出来ないことがあるのかもしれない。関わる者の悲劇はもう見たくない。ハルを突き動かしたのは願いのようなもの。ザワつく胸が求める様は、切望の姿勢と言い換えても良い。

「聞いてどうするのだ。戦うことを厭い、早々に無抵抗を決め込む。己が命を簡単に捨て去ってしまうようなお前が、無力を盾に言い訳をするお前が、巡り合わせの何たるかを尋ねてくるとは笑止千万だな」

「それでも! ……それでも」

「蒼樹ハルよ、では尋ねるがお前は何者だ?」

「それは……」

「ただの人か? 雨か? はたまた化け物か?」

「僕が、化け物?」

「違うのか? 神器を与えられた者は、既に人間を超越する力を持っている。それに」

「それに?」

「どうやら無自覚であるようだから言ってやろう。お前は並外れた妖力を秘めている。なればこそ、俺は小夜を救う為のにえにお前を選んだ」

「小夜を救う為の贄……。神器と妖力。それは、僕が雨と――」

「お前は雨では無い」

 初めてのことだった。雨の陰陽師であることを真正面から否定されたのは。既に定番となっていた会話の流れが狂い間が抜ける。

 自分が雨であるのか違うのか。そのことについては、これまでも仙里に幾度も問われていた。もっとも仙里は雨の陰陽師の存在を認めていなかったので、その問いかけはいつもハルのやる気を試す為でしかなかったのだが。

「僕が、雨の陰陽師ではないと」

「おかしな奴だ。安堵しているのか、だが期待には添えぬぞ」

「え?」

「俺が言いたいのは、お前がまだ真に雨になりきれていない、ということだ」

「は? なりきれて? それは?」

「お前はまだ竜門を開いてはいない。天啓は受けたが、正式に天意を授けられてはいない」

「リュウモン? あの……えっと……それは?」

「その様なことも聞いていないのか」呆れて言うと、藤十郎はハルの胸元に視線を落とし話しかけた「雲華よ、これはちと放任に過ぎるのでは無いのか?」

「あの……藤十郎さん? 雲華ならいま家に。あなたは誰に話しかけているのですか? それに放任とか、その様なことって? 藤十郎さん、あなたはよく物を知る者のようですが、いったい何者なのですか?」

 藤十郎は整った眉をぴくりと動かした。次いで痩身の肩を落とし嘆息をついた。

「俺は……いや、俺のことはいい。それよりもお前、本当に雨か? やる気があるのか? ないのか?」

 ハルは、やる気を問われれば、なんだか申し訳ない気持ちになるのですが、と、丁寧に前置きして「僕にその気は更々ないです」と、キッパリ答えた。

 どこか気まずい空気が流れた。

 ハルの返答を受けた藤十郎は、一つ間を置いてから、やれやれと溢して語り始めた。

「話せば長くなる。あの泣き虫小僧のことから話さねばならぬからな」

「泣き虫?」

「先代だ、雨の陰陽師と呼ばれた男のことだ」

 意外だった。雨の印象が少し変わった。先代が泣き虫小僧呼ばわりされていることが少し可笑しかった。

「いいか聞け、あいつも元々雨ではなかった」

「それはそうでしょう。雨とは諡号しごう、死んだ後にみんながそう呼んだと」

「急くな。それに、人が話しているときに余計な合いの手など挟むな」

「はい、すみません」

 ハルが肩をすぼめると藤十郎は頷く。

「まずは雨が雨たる所以を話す。五行を操る、それが陰陽師であるが、その最高峰とて雨とは呼ばれぬのだ。雨は別格、いや別物といっていい。雨とは天から恩寵を授かった者をいうのだからな」

「……恩寵」

「そうだ。雨に竜の三体あり。これを雨の三宝という。一つに千里眼せんりがん、二つ目に脇侍わきじ、そして三つ目が免状。それぞれ、雲華の水鏡、乙女、そして天神地祇てんじんちぎ免状と呼ばれている」

 馴染みのある言葉と、そうではない初耳の言葉。免状とは資格を記すものだろうか。ハルの耳は、藤十郎の言葉を頭の中で反芻しながら同時に話される内容を追っていった。

「――天啓を受けた者は、脇侍たり得る者を見つけ契る。これが導きというものだ。やがてその者は千里眼を得て右と左を整えることになる。こうして資格を得た者は、全てが揃いし後に、鍵を用いて竜門を開き免状を受け取る」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 藤十郎の言葉が真実ならば、この話は既に詰んでいる。竜門を開く鍵というものがどういう代物なのかは分からないが、二つ目の乙女についてはもうどうにもならないからだ。

「なんだ?」

「藤十郎さん、乙女って、それって雨音女のこというのでしょう?」

「そうだが、それがどうかしたのか?」

「……雨音女はもういません。彼女はもう」

「そうか」

 いって藤十郎は笙子を見た。

「まさか、彼女が? そんな、では、なんで、なんで妹は殺されなければならなかったんだ。こんなのって……」

「早合点するな。この娘は乙女ではない」

「でも、でもさっき藤十郎さんは、彼女のことを乙女の血筋だと」

「よく聞き逃さなかったものだな。そうだな、この娘は確かに雨に縁ある者だ。しかしこの娘は――」

 食い入るように聞く。この話の先にはきっと重要な何かがある。緋花のことも、笙子のことも、きっと藤十郎が話そうとしていることに関係しているはずだ。

 ハルは更に身を乗り出した。――ところが、肝心なところでハルの耳は藤十郎の声を、全ての音を失ってしまう。目の前が真っ暗になったと思いきや喉元に激痛が走った。

 痛みには覚えがある。ハルは直ぐに何かに首を貫かれたことを悟った。

 全身から力が抜けていく。ハルは体勢を崩し地に伏した。

 残された力で僅かに目を開けると、藤十郎の背に気迫が見えた。小夜は臨戦態勢で牙を剥いていた。

「これほどまでに因果を集めたがるとは、この地は余程であるな。それと……新たに踏む込む者よ、お前、何者だ?」

 ハルの耳が藤十郎の声を取り戻した。

「名乗るほどの者ではありませんよ。だが強いて言うなら、そこの似非者を誅する者とでも申しましょうか」

 夜の凪ぎとでも例えようか。男の声は冷淡で感情の波を何一つ現さない。

 足音も立てず、こちらに近付いてくる。袍をまとい烏帽子を被った怪しげな男が、ハルの頭上に立ち笑みをこぼす。男の眼には心が見えなかった。

「話は聞かせて頂きました。祟り神を連れる物の怪よ、ものはついでに手間を省いて差し上げました」

「なんだと?」

「あとは好きにすれば良いといっているのです。こいつを狩るなど造作も無いことですが、鮮血を欲するあなた方の為に、即死を避けて差し上げました。これは言わば慈悲というもの」

「我らに施すと」

「施しなどと驕りはございません。慈善は私の性分。ただそれだけのこと」

 静かに語ると、男は笛の方へと歩み寄った。笛は気力萎えたまま呆然としていた。

「右方の者など所詮はこんなものか、使えぬな」

 男は無表情のまま言葉を吐き捨てた。次に笛の手から太刀を取り上げると、切っ先から柄までを眺める。吐き出した嘆息には嫌味が込められていた。

「これも、なまくらであったか。それでもまぁ相応。紛い物であれば致し方なしというところか」

 興味なさげにいって男は太刀を放り投げた。そんな男の様子を藤十郎と小夜が油断なく見つめる。ハルは動けぬままその光景を見せられていた。

 再び、男が近付いて来た。

 立ち止まりジッと笙子を見つめた。この時、初めて感情を見せる。男は、細面に暗い影を纏わせながらニヤリと気味の悪い笑みを顕した。眼は愉悦を浮かべながら小刻みに震えていた。

「この者が伝書に謳われる黒の血筋か。これは優美、聞きしに勝る。それにしても鬼屋敷笛、ガラクタと思っていたが、これは思いも寄らぬ拾いものだった。よもやこのようにして鍵を見つけ出すとは。当たりだ、やはり黒を探すには同じ黒を使うというのが上策ということか」

 クツクツと笑い悦に入る。男はそのまま手を伸ばしハルの腕から笙子を奪った。

 咄嗟にハルは声なき声を発して手を伸ばした。

「おお、これは健気なことですね」

 男が嘲笑う。

 ――また、悲劇を繰り返すのか。

 ハルは、死を身近に感じながら己を責め悔恨の念を募らせた。

 あの時、小夜のために命を差し出すことを決めた。それで皆を救うことが出来ると考えた。しかしそれは藤十郎に言われたとおり無力を言い訳にしたに過ぎなかった。自分は今、無駄死にしようとしている。成すべきを成さずに逃げ、挙げ句に緋花を失い。笙子も奪われようとしている。――それでいいのか!

「ほほう、私が直に呪を込めた矢を受けまだ動きますか、流石は

 身体を震わせながらやっとのことで立ち上がるハルを、男は呆れ声で小馬鹿にした。

 ハルは歯を食いしばった。身体は重く運ぶ足をもたつかせてしまう無様。その上に武器も持たない。手立ては無かった。淡い期待を向けて藤十郎を見れば、いきり立ち今にも飛び出そうとしている小夜を制止していた。

 ――くそっ、孤軍か。

 ハルは必死に手を伸ばし前へ進んだ。だが、笙子には届かなかった。

 奪った男が、軽々と笙子を抱いたまま宙を滑るように動く。そうして秒という時も置かずハルの真横に立った。

「頑張りましたね、しかしながら、終いと致しましょう」

 悠々と振る舞いながらハルに向けて語る。次に男は藤十郎らの方へ目を向けた。「さて、最後にあなた方に送りましょう。ここまでサービスするつもりはなかったのだけれど、これも積善。ささ、こちらにいらっしゃい。お見せ致しましょう、これが正真正銘の血祭りです」

 ハルの首から矢が引き抜かれるとその場に血の雨が降った。

 膝から力が抜けた。一気に気力も萎えた。

 地面に横たえる身体。土と血の臭いを嗅いだ後に意識が段々と遠のいていく。伸ばした手の先に男の背を見送ってハルの瞼は閉じた。

 ハルが最後に見たもの。それは夕焼けの日に寺で見かけた美しい黒蝶だった。

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