第10話 天の配剤

        -10-


 圧倒的な武力を見せつけた少女が悠々と歩みを寄せる。

 笛は手に持つ刃を、地に伏ししだれる緋花の鼻先へ向けた。

「おい化け物、笙子を、黒の姫様を何処に隠した。お前達はいったい何を企んでいる」

 怒りに震える笛の目が緋花を見下げた。責められるがまま地面を見つめ呆然とする緋花。ほんの少し前まで、あれほど希望に満ち溌剌としていたのに、鬼屋敷笛と言葉を交わした途端に別人のように塞ぎ込んでしまった。

 ハルは緋花の顔と笛の顔を交互に見比べ推察した。

 鬼屋敷笛は黒の姫の身を案じ行方を尋ねている。緋花もまた黒の姫の救済を願っていた。

 黒の縁者らは共に黒の姫を救いたいと思っている。なのに何故……二人の目的は同じではないのか。何が二人を分け隔てているのか、黒の里で何が起こったのか。

 笛は嫌悪の目で緋花を見ているが、ハルは緋花に悪意を認めなかった。……穢れ、呪い、ボクイ様とは何者なのか。黒の姫に関わる者達の異なる立場と関係性。そこにはどのような背景がるのだろうか。

「黒の隠れ里が何故にもぬけの殻になっているのか。何故、お前が人の姿をしているのか。言え! 姫様をどこへやった!」

 緋花の胸ぐらを掴んで持ち上げる。笛は無念の情を握りつぶすように歯ぎしりを立てながら低く唸るような声で怒声を吐いた。

「……私は」

 緋花は脱力したまま弱々しく声を発するだけで何も言い返さなかった。

「言え! 毒花」

 萎える彼女の胸元を、笛は更にきつく絞り上げ睨み付けた。

「お、おい!」

 居た堪れなくなりハルは声を挟んだ。すると笛は、割って入る邪魔者の声に不快を顕しゆっくり瞳を流す。侮蔑を伴った目がハルに刺さった。

「――目当てはお前だった。先ずは太刀だ。こんな陳腐な毒花如きいつでも始末できる」

 言い放ち笛は我に返った。緋花を突き放すように地に落とし睨み付ける。向けられる敵意。憎悪を孕む目は、仇敵を見るように怒っていた。

「蒼樹ハル、雨の二刀を、持つべき正当なる者へと還せ」

「持つべき者?」

「そうだ。元来、雨の太刀は雨の陰陽師に準ずる者が持つべきもの。お前のように凡庸な人間が玩具にして良いものではない」 

 笛がじりじりと足を運ぶ。その圧力にハルは後退った。

「ちょっと待って、君の言いたいことは分かった」

 とは答えたものの、後の言葉が続かなかった。返せと言われても、直ちに肯定が出来なかった。そもそも、ハルは雨の陰陽師と呼ばれることを承服していない。縁あって二刀とよしみを築いていたのだが、それは全くの受け身。契約は押しつけられたに等しいことであり、自ら望んで成し得たことではない。それに仮に、二刀を手放そうにもハルの意思ではどうにもならない。何故なら、彼らにはそれぞれに固有の自我があり、今現在、太刀は自らの意志でハルの元にいるからだ。なので笛の要求は易く請け合える話にはならない。

「おい、女、どうやらお前も訳知り者のようだが、それならば知っていよう、雨の太刀は自らの意志に基づいて所有者を決めるということを。先程お前は、この蒼樹ハルのことを似非だといった。しかし、二刀がその所有者を蒼樹ハルと認めたのならば、この男こそが雨の陰陽師ということになるのではないのか? 今更返せといったところで太刀が主を決めた以上はどうにもならぬのではないのか」

 藤十郎が知ったふうに神器の事情を話した。

「上手く使える者あっての武具だ。使われる側の意志など関係ない。それに、こいつは太刀の力を持て余していると聞いている。使えぬ者が振るって何の神器といえるのか」

「正当な者とやらには使えると? 馬鹿な。認められぬ者に神器が扱えるわけがなかろう。それこそ宝の持ち腐れというものだ」

「承知しているさ。だから私はここに来たんだ」

 いって笛は、目的に向かって太刀を構えた。ハルは真っ直ぐに彼女の本気を受け取った。

 感じた。殺すつもりで来る。

 ハルは刃に乗せられた笛の殺気に戦慄を覚えた。藤十郎のときにはまだ話し合いの余地はあったが、笛に対しては待ったなしという具合で為す術がなかった。

「いま、神器はその主を蒼樹ハルと見定めている。それが彼らの意志であるならば説得など無意味なことであると承知はしている。だがもしも、主が死ねばどうなるだろうか」

 泰然と解釈を述べる笛。なるほどそれは道理だとハルは納得してしまった。

 ここでハルは、圧倒的強者を前にジタバタしても仕方ないと肩の力を抜いた。

「そう言えば藤十郎さん」

 ハルは背中の方へ呼びかけた。

「なんだ?」

「僕の血が必要って言ってたけど、それは後ろの子の為なの?」

「……お前」

「何となくだけどさ、そう思ったんだよ。その子、本当の姿は白蛇だよね? でもいまは大百足の姿に歪められている」

「蒼樹ハル……お前は」

「桁外れにして堅牢な術、それは呪いでしょうか? 藤十郎さん、あなたはその子を救いたいのですね。僕の血はその子の呪いを解くために必要なんでしょ?」

 問いかけに藤十郎は押し黙った。そのことを当たりと解釈し、ハルは観念することを決めた。

 自分の命が誰かの役に立つならばそれもまた良いだろう。

 ハルの命は、幾度となく救済という天秤の上に載せられてきた。救いたいと願うほど命は軽くなった。これまでも必死で抗ってきた。それなのに、誰一人救えなかった。家族が炎に包まれたときも、黒の呪いに取り込まれた少女を救おうとしたときも手が届かなかった。その無様な結末をずっと悔やんできた。

 ――これで、誰かを助けることが出来る。厭わない、死など怖くない。

 黒の姫を救うという緋花の願いも、真の雨の陰陽師が現れれば解決するだろう。これで万事が上手くいく。簡単なことだ。替えが効くなら代わればいいのだ。 

「笛さん、彼女らを説得することは僕には出来ない。だから太刀を君に渡すことが出来ない。ならば、君の望み通りにこの命を差し出そう」

 いってハルは一歩前に進み出た。そうして笛の前に大の字を晒す。その様子に笛は訝しんで眉をひそめた。

「作意はないから安心して。ただし約束して欲しいことがある」

「約束?」

「緋花は悪い子じゃない。なにか誤解があるようだけど、そこはちゃんと話し合って解いて欲しい。彼女も君と同じなんだ。緋花も黒のお姫様を救いたいと思って僕を訪ねてきている。だから無碍に扱わないで欲しい。そして出来るなら二人で力を合わせてお姫様を救ってあげて。それと――」

「それと何だ」

「後ろの藤十郎さん達も救ってあげて欲しい。彼らは僕の血を欲している。殺した後は彼らの好きに、僕の血を彼らに」

「……分かった。約束する」

 真剣な面持ちの笛。真摯な目がハルに誓った。一瞬だけ見せた険の取れた素顔にハルは安堵した。笛には笛なりの事情があるのだ。素顔は優しい顔をしているのだ。きっと笛も悪い子ではないのだと。

 殊勝なことだといって一度目を伏せる。気を入れ直した笛の刃がハルを狙った。するとそこで大百足が動いた。のろのろと引き摺るように動く胴体。先程の一撃が効いているのだろう、大百足の動きは鈍く、這う足にも震えが見えた。

「ありがとう、小夜さよ

「お、お前、何故こいつの名を」

 藤十郎が驚きのあまりに目を見開いた。

「ああ、そうか、そうだったね。まだ名前は聞いてなかったんだよね」

 見上げるように大百足の顔を見た。

 とぐろを巻く妖怪。大百足は固い外郭を砦のようにしてハルを守っていた。ハルはその胴体をそっと撫で小夜に優しく話しかけた。

「そうだ、小夜、ちょっと傷を見せてよ」

 ハルに話しかけられた大百足は一瞬だけ小首を傾げ戸惑いを見せた。

「前にね、傷だらけの女の子を治したことがあるんだ。もしかしたら、君にも効果があるかも知れない。ダメ元で試させてくれないかな?」

 言葉が通じたのだろう。大百足は素直に首をハルの目の前に差し出した。

 ハルは、傷を負った大百足の目の上に手を翳し念じた。大百足の傷がみるみる塞がっていく。心なしか黒光りをする外骨格の輝きも増したように思えた。

「良かった。どうやら効果があったようだね。後は、その呪いの解除だ。ありがとう小夜、もう下がって良いよ」

 迷いを見せる大百足の胴体をそっと押すと、渋々といった様子で彼女が囲いを解いた。

「思い残しはないか。辞世があれば遺族に伝えよう」

「僕に家族はいない。でも……」

「でも、なんだ?」

「彼女が欲しかった。出来れば、デートがしたかった」

「――それは……申し訳なかった」

 気が削がれたのだろう。笛は目を泳がせ苦笑を浮かべた。

「礼は言わない。これは道に外れることだから。無慈悲は、承知しているから」

 呟くようにいって笛は前に飛び出した。

 ――さようなら、僕の青春。

 ハルは太刀を迎えるべくそっと両手を広げた。斬撃の痛みとはどういうものなのだろうか。暑い火箸を当てられたようだと何かで読んだ気もするが、実際に経験したことではないので分からない。重さが来るだけなのか、それとも激痛が来るのか。

 死は怖くないが、痛みには怖さがある。ハルは歯を食いしばって目を閉じた。

 程なくして風が動く。……だが、来るはずの衝撃も痛みも受けなかった。

 前からのしかかる重み。ハルは耳の側で呻く声を聞いた。

 目を開けると……そこに緋花の背中が見えた。

「緋花!」

「……あ、雨さま、よかった。ごぶじ、で……」

 寄りかかる少女の肢体が声を残してずり下がる。慌ててハルは緋花を抱いた。

「緋花、なんで……」

「雨さま、どうか、どうか、黒の姫様を、笙子様をお助け下さい。おね、がい」

 噴き出した血、ヌメリのせいでハルは手を滑らせる。

 緋花が丸眼鏡をズルリと落としながら地に崩れていく。

 眼鏡がポトリと地面に落ちたと同時にハルと緋花は地面に腰を落とした。

「緋花! 緋花! しっかりして!」

 緋花の細身を抱いたまま必死に名前を呼ぶ。

 どうしてこの様なことになってしまったのか、これは予期せぬ出来事だったのか。悔恨という名の重石がまた一つ積み上げられようとしていた。

 急ぎ手当てを試みる。ハルは懸命に念じて手を翳した。いま自分が行おうとしていることは神の業に近い。それが無茶なことだと分かっている。それでも彼女を死なせたくない。絶対に死なせない。

 小夜の傷を治癒したときよりも意識を集中させ思いを込める。――治れ、傷を治せと念じた。

 すると、脳裏の中に光る人影が浮かぶ。掴んだ、と思えたのは直感でしかなかった。それでもハルは強く意思を注いだ。その時だった。ハルの気力に触れた緋花の身体が反応を見せる。出血が止まり傷が塞がっていく。

 ――まだだ。戻れ、元の姿に、戻れ。

 尚も完治を目指しハルは手当てを続ける。少女の胸が僅かに膨らむと緩やかに呼吸が戻る。希望が濃さを増していく。緋花の鼓動は次第に力を取り戻していった。

 だが、これで、と安堵した矢先に意図せぬ事態が起きる。

 愛らしい緋花の顔には精気が戻らなかった。いや、それどころか……。

 緋花の朱色の髪色が黒へと変化していく。こころなしか体躯も縮まり人相も少しずつ変わっていった。

 いつしかハルは、緋花とは別の少女を膝の上に抱いていた。

 透明感のある白肌。濡れ髪のような艶を見せる黒の長髪。長い睫も通る鼻筋も唇も、その全てが調和された美をそこに体現させていた。

「笙子!」

 一番先に声を上げたのは笛だった。笛は手に持つ太刀をカタカタと震わせていた。

「……なんで、なんで笙子が」

 剛気を見せていた少女の姿はもうそこにはなかった。笛は動揺していた。狼狽え、混乱するばかりで足下が覚束ない。やがて笛は太刀を支えとしながら地面にへたり込んでしまった。

 黒髪の少女を抱くハルと、ハルの様子を心配そうに眺める大百足、傍らでは笛がワナワナと震え怯える。

 藤十郎はそれら集う者達を、難しい顔をしながら眺めた後に天を仰いで呟いた。

「これが、天の配剤というものか……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る