第7話 夜夜中鼎談
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紫陽は、蒼樹ハルとの奇縁について全てを語らず、含みを残したままその姿を太刀へと戻し仙里の内側に潜ってしまった。
半ば放置されたような格好で場に一人取り残された仙里。
轟く山鳴り、踏む
銀の髪を後ろに撫でつけ、不満を込めて嘆息を吐き出す。仙里は次の場面に備えた。伏した目をそっと持ち上げ、殺伐とした風に吹かれるまま苦笑を浮かべる。
「この迂遠なやり口、子は親に似ると言うがこれは」
意図せず驟雨のしたり顔を思い浮かべてしまって舌打ちする。嗅ぎ取った前兆が仙里の胸の底を
――きな臭い。この感じは……そうか、戦がやってくるのか。
姿勢をそのまま不動に、眼だけを素早く左右に運ぶ。
密やかな監視の目を感じとっていた。肌に受け取る毒気には些か覚えがあった。
新たな舞台の到来。時すでに遅しか。どうやら有無を唱える暇も与えられずに取り込まれてしまったようだ。それにしても、これはいったい何者の企みであろうか。これから何が起ころうとしているのだろうか。
また思惑の外で事態が動いている。仙里は己の巻き込まれ体質を悲嘆したくなった。呆れ顔で天を見上げると方々から夜の虫が鳴き始める。いつしか閑散とする山里に夜のとばりが降りようとしていた。
「これはこれは、久しいな、御霊集め殿」
横手の暗闇から声が掛かる。その声に仙里は覚えがあった。
「終わりならざる者、そして奇縁、か。なるほどな」
呟くように言う。墓の下に眠っているはずの者を見つけてしまったのだが納得していた。これはどうやら一悶着起こりそうだ。
「奇縁? はて、それはどういうことか?」
「なに、気にするな墨衣、独り言だ」
愉快な気分を捨てるように言った。老婆の惚けたフリを見抜けない仙里ではない。
「此度、里を訪れた用向きを聞かせて頂いてもよろしいか」
「なに、気まぐれに立ち寄ったまでだ」
皆まで話してやることもないだろう。老婆は、里を訪れた仙里らの様子をずっと見張っていたに違いない。そればかりか、事の経緯も全て承知しているに違いない。仙里は、老婆との腹の探り合いを愉しむことを決め込んでいた。
「やれやれ、いつもながらにこの娘は」
いって呆れ声の主は、ぬうっと暗闇から姿を現した。
夜の色にも負けぬ漆黒の衣とその黒に反する白髪。
老婆は、一つに結われたまとめ髪の下に皺だらけの冷めた微笑を浮かべていた。目は、恐らくは見えていないのだろう灰色の濁りを見せていたが、視線は話す相手をきちんと正面に捉えている。しゃんと背筋を伸ばした佇まいは十年前と何も変わりが無かった。
その老婆の
心眼を開いている物の怪にとって視力の有無など些末ごとであろうが、それにしても彼女の目には強い力が見える。
――面白い。老いたといえども黒の嫡流である。その威風は流石であるなと改めて感心する。これは油断が出来ぬと仙里は心を躍らせた。
「御霊集め、仙狸の
「名か、まぁ、不本意ではあるがな」
「本意でないとは、うぶな乙女は勿体ないことをいう。その名、今生に出現なされた雨殿に名付けられたと聞いておるが」
「黄櫨よ、雨などおらぬよ。あれはやはり虚ろな語り話だった」
「然れど彼の者は、此度、我らの悲願であった呪いの解放を成し遂げたとも聞いたが」
「遂げたと言うが、さて、それはどうであろうな。結果、六つに分けられていた者の魂は救済されたがしかし、黒一族の因果の解放については私の知るところではないからな」
「ほう」
「すまんな、私には興味がない」
正直な気持ちだった。長く続けてきたがこれはただの腐れ縁にすぎない。黒鬼の呪いに関わってしまったのは通りすがりの事故のようなものであり、それはたまたま巡り合わせた出来事である。八百年前のあの戦に参じたこともただの風任せに過ぎず、結果の禍根にも、雨に纏わる左右の確執にも関心が無かった。
「他人事と申すか」
「そうだな。私の幕はとうに下りている」
「もう無関係だと?」
「はて、何を尋ねるのか、元々から、私とお前達の間には呪いの解除以外に共通するものなどないではないか」
「…………」
「さあもうこれで用はないであろう。私は、お前ら黒鬼衆を小躍りさせるような土産話は持ち得ていない。それに抜け目の無いお前のことだ、太刀がこの里で行った始末についても見ていたであろうし、子細についても知っているのだろう。太刀はこの里で黒を解放した。これで全てが終わった」
老婆の沈黙に不要を見取って仙里は踵を返した。
うんざりだった。永き時を無為に過ごしてきたがそれもこれで終い。この日ここに来たことで一連の出来事について一応のけじめも付けた。もうこれ以上関わり合いを持つつもりはない。
来るならば来い、来ぬならば捨て置く。仙里は黄櫨に向けて無防備な背を晒し時間と機会を与えた。黄櫨の出方を探った……。
ところが敵は黙したままで動かない。どうした、来ぬのか。尚も隙を見せ、老婆を誘うようにゆっくりと歩を進めてみせるが……それでも彼女は何の反応も見せなかった。
黄櫨は本命ではないのか。――それならば、
肩を揉みしだき首をクルリと回す。仙里は前方の暗闇を睨んだ。首謀者はこちらの方か。
「相変わらずコソコソと。出て来い、殺し合いなりなんなり応えてやるぞ」
「おお、怖い怖い」
黒い雑木の影から若い僧侶が姿を現した。ふてぶてしく戯ける様子を見せる男。錦の袈裟を身につけたこの坊主のことを仙里はよく知っている。
これは一筋縄ではいかぬ、か。
この里の結界は未だ解かれてはいない。にもかかわらず、こうして雨一族の総領が単身で乗り込み悠々と立っていること自体が既に変事を伺わせている。
「この際は、お前が何故に、とは聞くまい。雨の末裔よ」
見知った男を下げる視線で眺め嘲笑する。
緩んだ表情で笑みを浮かべる男の名は
「つれないですねぇ。雨の因果に関わる者らが、今宵こうしてこの黒の里で顔を合わせたというのに、一人先に帰ることはないでしょう。夜はこれからですよ、少し話をしませんか、仙狸さん」
「残念だが、戯れ事に付き合うほど私は退屈しておらぬ。さっさと用事を済ませろ」
「せっかちですねぇ。この黒の隠れ里にこうして私が姿を見せている不思議を何とも思わないのですか?」
「黒の一件は既に完結している。私を含め、先代に関わる全ての者の縁は切られた。もう右方も左方もない。お前達はただの陰陽師となり、黒もただの妖に還った。終わったのだよ」
「終わった、かぁ……」
「何だ、まだ『雨』などという黴の生えたような称号に拘るのか?」
「蒼樹ハルが束ねる者となった。これは始まりだと、そうは思わないのですか?」
「笑止。私にはもう関係が無い。興味も無い。関わることも無い」
「それでも、何かを感じてはいるのでしょう。あなたは微塵の隙も見せていない。それに、心中ではこの趣を面白がっているではありませんか」
尚仁が軽い調子で話しながら見透かすように仙里を見てきた。
「なるほど、その毒気は私を試すために意図したものであったか。やはり油断がならんな」
「毒気とはあんまりな言い草ですね。熱い視線とか、ものには言い様があるでしょうに」
「くだらぬな。相変わらずお前はくだらない。ともかくだ、私に話すことなどない。私をここに引き留め何を望むか知らぬが、私は意に沿うような答えなど持っておらぬし、隠していることもない。お前達の期待には応えられぬぞ」
仙里は、下卑た者よ、と一瞥をくれて言った。
「それでも、この因果に関わった者として少しは責任というものがあるでしょう」
「はあ? 笑わせるな。責任だと? そのようなものは」
「無い、とは言えぬのじゃよ、御霊集めの仙里殿」
捨て台詞を遮るようにして後ろから掛けられた声に仙里は目を細めた。
――これは、この二人に填められたということか。
前後を雨の首領と黒の長老に押さえられて知る。どうやら自分は今宵ここに招かれたようである。
「慈雨の太刀は、その愛らしい姿を見せてはくれぬようですねぇ、寂しいなぁ」
尚仁が残念そうに呟く。仙里はその物知りふうの態度と言葉を受け取ってこの一件には驟雨も一枚絡んでいることを確信した。
老婆の微笑を見る。仇なす黒の怨嗟の念、幾ばくのことや、計り知れぬ。方や僧侶は罪と仇をものともせず涼しげな面持ちで佇む。その二人の間に立つ仙里。奇怪な光景を臨み総毛立つ感覚に陥る。この鼎談を画策したのは果たして驟雨か、黒鬼の
「フン、下らぬな」
「まぁまぁ、せっかくのお招き、そう邪険になさらずとも」
策謀ありきを悪びれもせず、いったい何を企んでいるのやら。
だが、まあ良いだろう。
嫌な予感しかしなかったが、差し詰めこれは、黒の一件の続きというものだろうと目星をつけ仙里は歩み寄ることを決めた。
「血筋の者よ、この様な山奥までようおいでになった」
老婆が恭しく首を垂れる。
「殊勝なことだな、黄櫨。お前達にとってそいつらは仇。恨みの根源であろうに」
仙里が揶揄すると老婆はフッと息を吐き捨て不気味に笑った。その意味深な様子を、尚仁は砕けた表情で流した。
「あれから八百年、今となってはこの者らも雨の因果の
「一応、学んではおるよ、黒の婆様」
「学びか。それが、口伝、伝承を学んでおるということならお門違いであるな。教えなどは、先人の押しつけ以外の何物でもなかろう。殊に不浄の血を誇るお前達ならば尚更のことだ」
「俺達を不浄の血縁というのか、面白いな」
尚仁はクツクツと愉快を面に出して笑った。
「余裕を見せるか、肝の据わったことだな。しかしそれもいつまで続くかな」
「いやいや、このとおり余裕なんてありませんよ、お婆様」
尚仁は、諸手を挙げ、参りましたと破顔する。そんなふざけた態度を見ても老婆は能面の如く淡々と眺めるだけで眉一つ動かすことはなかった。
「駆け引きなど無用じゃ。こちらも今更お前を填めようなどとは思っておらぬ。出し惜しみもせぬ。聞かせてやるぞ、知りたいのであろう。雨がどういうものであるのかを。お前達が欲しているものが何処にあるのかを」
「はて? 欲しいものとは何でございましょう」
「ほほう、まだそうして戯れるか、現当主殿は随分と器が大きいのう」
「そりゃどうも」
「ならば興に乗じて尋ねよう。蒼樹ハルは『雨』である。このことの是非は如何に?」
「さて、それはもう決まったことではないのですか。ハルは神獣を従えた。太刀も彼を選んだ。だからもう雨の出現は動かしようのない事実なのでは?」
「真にそう思うておるならば、ここに来ずとも良かったのではないのか。それでもお前はここに来た。しかもこちらの申したとおりを嘘偽りなく単身で」
「それはまぁ、黒の長老にお招き預かれば、って、……仙狸さん、どちらへ」
「やはり私には関わり合いのない話のようだ。ならば去る」
仙里は二人に背を向けて歩き出した。黄櫨と尚仁の会話に堂々巡りをみて辟易としていた。
「雨の遺言、そして、黒様の言いつけを伝える。仙狸、お前にも聞いてもらわねばならぬ」
「ますます私には無縁。お二人でじっくり夜長を語りつくせば良い」
振り向くこともせず仙里は
「お前の主人である蒼樹ハルの命がどうなってもよいのか」
「あやつの生死など私には関係ない。むしろ殺してくれるならばありがたいとさえ思う」
「この里にあった花畑を覚えておるか? 仙狸」
老婆の言葉に運ぶ足が止まる。
「――朱のヒナゲシのことか」
枯れ野を見る。仙里の脳裏には朱色の景色が広がっていた。
「朱は既に解き放たれた。あれは呪い。あれは薬にもなれば毒にもなる劇薬の如きもの」
「それがどうかしたか」
「我らは、その朱を持って蒼樹ハルを試す。お前にはここでその始末を見届けてもらう」
「なに?」
「手出しはさせぬということだ」
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