がうんがうんがうんがうんがうんがうんがうん
三日ぶりにアイザワが尋ねてきた時にはもう、私はすっかりこの町の異変に気が付いてしまっていた。
「やあ、ずいぶん元気そうだ」
アイザワはチャイムを鳴らさずノックもせずに部屋の中へと入って来る。
私の顔色と部屋に少しばかり増えた生活用品を眺めて満足そうにうなずいていた。
「この間よりずっといいね」
「俺も自分でそう思う」
言葉とは裏腹に私は不機嫌だった。居酒屋の変貌を目の当たりにして以来、眉間に皺がよらない時はなかった。
本当のところではアイザワにも警戒していた。
「差入れを持ってきたけど、食うかい」
「お前、それ……食い物か……?」
「……食い物じゃなきゃ食うかいって差し出したりはしないよ」
「どっかで買えたのか?」
「……そりゃあ買えたよ、少しばかり金を持っていたからね」
私はますますアイザワを警戒した。
なにせこの辺りではもう食料を買える場所が見当たらなくなっていたからだった。
彼はどこからやってきて、なぜここへ来るのだろう。
アイザワはそんな私の心の内は知らず、ただ私の剣幕にきょとんとして、私に差入れのスナック菓子を、自分にはスルメと酒を用意して床に腰を落ち着けた。
私は、じっ……とアイザワを見た。
眺めるだに普段のアイザワでしかなかったが、見るより他に彼を探るすべを持たなかった。
「お前、最近よく来てくれるな」
「そりゃあ、病人は見舞うべきだし、友人もまた見舞うべき……病人で友人なら見舞うべきの二乗となるわけだから、これは見舞わないわけにはいかないだろう」
わけのわからん理屈はアイザワのお得意だった。
普段のアイザワのようにしか見えない。しかしこの町の異変に気が付いてしまった私としては、その中でアイザワだけがまともだと信じるわけにもいかない。
「仕事はどうしたんだ」
「べつに、君と同じようなその日暮らしだからね。昨日暮らせてたら今日は暮らせる、今日暮らせれば明日も暮らせる、明日暮らせるようなら明後日は暮らせるだろう……という渡り方で」
「……仕事、行ってないのか」
「行こうと行くまいと暮らすに足るようには生きている」
「そう言えばお前、服がいつも一緒だな」
「でも汚くはないだろう。君はその服、この間とは違うようだけど綺麗ではなさそうだね」
「……この食料は、どこで買ったんだ」
「隣町からここに来る途中でババアが気怠そうに店番している雑貨屋があったから、世間話がてら買っただけだよ、少し安くしてくれた」
駄目だった。アイザワと言う男の性質上、どう話しても怪しいようにも怪しく無いようにも聞こえてしまう。
ふざけやがって、とすぐ胸ぐらをつかめればよかったのだが、その性急さと腕力は私には無いものだった。
「もしかして……何か気が付いたのかな」
今まさに考えていたそのことを射抜かれてしまったものだから、取り繕う暇はなかった。
咄嗟の言い訳も出て来ず、手に掴んだチーズ味のスナック菓子を返事をふさぐべく口に突っ込むことしかできない。
やはり、アイザワは何かを隠しているのだ。
「ああ、やっぱり……気がついてしまったんなら、それは……なんというか」
この男にしては珍しく、くねりくねりと身をよじって、どうやら恥やら気まずさやらを表現したいようだったがそれはかえってアイザワの奇妙さを際立たせるだけだった。
「隠すつもりはなかった……しかしまあ、見舞う気持ちもなかったわけではないし……であれば見舞う気持ちのみを伝えて、本当のところを少し脇に置いてもそれはそれで嘘をついたことにはならないだろうと思った次第で……嘘をつくのは僕は嫌いなんだ、だから」
「もういい、わかった、いいから、その先を教えてくれ……なんでここへ来るのか、何が起きているのか」
「その先ったって……まあとどのつまりなぜ僕が不自然に何度もこの家を見舞ってるかってことなんだけど」
「ああ、うん、なんだ」
「つまりまあねえ……家を追い出されたんだ」
「…………な」
なんだそりゃあ、という言葉を呑み込んだ。
容易に想像できたからだ。普段であれば。
むしろ普段通りのアイザワだったというわけだ。
「家賃を少しばかり滞納していたのは認めるよ。それにしたって大したことはない、ほんの半年ぐらい。それっぽっちの滞りで予告なく家を追い出すっていうのはどういうことだろうね。家財道具すら取りに行く暇もなかった。外出して戻ってきたらもう家に入れなくなっていたんだ。……僕はほら、ミニマリストの先がけ的なライフスタイルでやっていたから荷物は少なかっただろう。財布とデンワさえあれば困ることはなかったんだけどね、雨風しのげないっていうのは、これはちょっと弱った。まだ夜風は冷たい季節だしねえ。そんなところにちょうど大学の頃からのやつらがみんな臥せっているって聞いて、これは見舞ってやらねばならんと考えたわけ。友人で病人なら見舞わなければの二乗、そこへ来て僕は屋根のある所を探していたので見舞わなければの三乗、とくれば、行脚の旅が始まる。折りしも労働先も夜逃げで消えたところで……」
「なに、おい、それは」
「ああそうなんだよ、君んところと一緒だね。ある日突然すっぱり夜逃げして無くなっていた。今どき干物なんてのも需要は少なくなっているんだろうね。朝行ったらもう工場は閉まっていた。同僚となんとか倉庫に忍び入って、残っていたするめや貝ひもを退職金代わりに山分けした。それが今の僕の財産の大部分だ。駅前のコインロッカーに大量にしまってある。一つのところじゃ収まらないから、何個もロッカーを使ってるぐらいなんだぜ。たまに気が向いたら路上で売る。そうして小銭を稼いでいる。君も干物、いるかい」
「いや、俺はいい……」
「とにかくそれが新しい僕の生活さ。各家々を見舞い、雨風しのいで時には泊めてもらいお礼としてかいがいしく世話を焼き、また次の町へ行き、気が向いたら干物を売ることもある。淡々とその繰り返しだ。どうだいまるで修験道か托鉢僧のように慎ましやかで清らかな生活だろう、僕は結構これを気に入っている」
返す言葉はなかった。
というのは何もアイザワの話に呆れっぱなしになっていたからではない。
アイザワの生活の変化はすなわちこの町に起きている異変と重なるのではと気がついてしまったからだった。
「なんだ怒ってるのかい。それならじゃあ、怒りがおさまるまで僕は……」
「そうじゃない。違う、ちょっと聞いてほしいんだが」
「なんだい」
「お前、コインランドリーを見たか」
私の問いに、アイザワは一瞬動きを止めてぐるりと瞳を回したのち、用心深く頷いた。
「……見たと思うよ、これまで生きてきて何度か。なんなら君は驚くかもしれないけど、使ったこともあるんだ」
「違う、そうじゃなくて! 家を追い出されたり工場に夜逃げされたり……そういったあれこれの中で、街中でコインランドリーを見なかったか!」
「だから……あったと思うよ、どこにでもあるんだから、コインランドリーなんて」
「そう、そうなんだよ!」
私は思わず立ち上がり、壁を叩いた。
「どこにでもあるんだよ! コインランドリーが!」
私の剣幕にたじろぐでもなく、変わらぬ様子でアイザワは酒を飲んでいた。
「どこにでもあるだろう、コインランドリーは」
「どこにでもありすぎるんだ、コインランドリーが!」
私は最早息を切らしながら叫んでいた。
「コインランドリーだらけになってるんだよ! この町は!」
アイザワの瞳がもう一回転ぐるりと回る。
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