がうんがうんがうん


「またふるぅ―いゲームだね」


 気が付くと、アイザワが玄関からこちらを見ていた。

 彼の背後の風景は真昼間の明るさだったが、それがゲームを始めて何度目の昼なのかはよく覚えていなかった。とにかくずっと、ゲームにかじりついていた。


「他は捨てたんだけどな、実家から本体ごと送られてきていたこれだけが残ってた」

「懐かしい、僕もやりたいな」

「まあ、待て、もう少しだ」


 ゲーム画面の中で、私は社長だった。

 裸一貫で始めた社長業は今や大財閥と呼べるまでに発展し、事業は多岐にわたっていた。電車で全国を旅して物件を買いあさり、販路や資産を築く、そういうゲームだ。

 モノが必要だった。

 たくさんのモノをまた所有するということが。

 再び、短期間でそれを体験できる行為で咄嗟に思い付いたのがこれだった。疑似的にとはいえ私は所有物を増やすことができる。

 物件を一つ買うごとに、一つ増資をするごとに、資産が増えるたびに、少しずつ体に気力が戻って来るようだった。


 私を乗せたカラフルな電車が甲府の駅に滑り込んだ。ファンファーレが鳴る。


「到着だ」

「どこ、へえ、山梨」

「ああ、手当たり次第に物件を買い占めてる。甲信越はほとんど傘下だ」

「山梨に物件が? 畑しかないよ」

「いや、ほうとう屋と信玄ゆかりの観光施設もある」

「じゃあ畑の方がマシだね……」


 アイザワは悲し気に首を振った。郷里が山梨なのだ。


「ずっとコレやってるわけ」

「そうだけど……どうしてずっとやっているとわかる」

「伸びきったヒゲ、充血した目、この間僕が来た時と同じ服、同じ布団の位置、すえた匂い、開けっ放しのトイレ、僕が置いて行った差入れはそのまま」


 ガサガサとビニール袋からアイザワが何かを取り出す。


「食い物か」

「食い物だけど」

「腹が減った、くれ」


 口にしてから初めて自分の状態に気が付き、驚いた。


「……いま俺、確かに」

「なに」

「腹が減った……! ああ、減ったぞ! 臥せってから初めてだ」

「お、そりゃあいいね、じゃあ」


 手に持ったカップ麺の容器を突きだす。


 『ほうとう』と大きく筆文字で書かれたラベル。


 アイザワは悲し気に首を振った。


「……実家から送ってきたんだ」


 私は構わずその封を開けた。この際食べられればなんでもいいのだ。

 束の間、ゲームから離れキッチンへと動く。長く寝たままでその後座ったままだった脚はもつれたが、まだ辛うじて立って歩くことはできるようだった。


 キッチンで、立ち尽くした。


 モノが無い。


 私自身が捨てたのだが、悉く無い。


「なんだこれは」

 

 思わずつぶやいた。


「鍋も、やかんも、ポットも……」

「ないね。これじゃあどのみち食えなかったわけだ」


 湯を沸かせない。

 湯を沸かせなければカップ麺は食べられない。

 膝から崩れ落ちようとする私をそっと支え、アイザワは気遣わしげに玄関へと向かう。


「……何か買って来るよ、何が良い」

「なんでもいい、なんでも、食べられれば」

「わかった」

「目の前の道を右側に進むと大通りに出る。左に曲がると道沿いにコンビニがある。歩いてすぐだ、十分もかからない。すぐ着くはずだ。腹に入ればなんでもいい」

「了解。なるべく急ぐよ」


 しかしその後アイザワはおよそ小一時間、帰って来ることはなかった。


 私は空腹と苛立ちで何もない部屋の中を久しぶりにどたどたと歩き回ったほどで、こんなことなら自分が買いに行った方が早かったかと何度も何度も後悔した。

 一度ならず靴を履いてアパートの下まで降りていったがアイザワが現れる気配はない。その度すごすごと何もない部屋へ戻るのだった。


 そんな状態でなぜ自分から買い物へ行かなかったのかと言えば、見慣れたはずのアパートの前の路地が、久しぶりのせいかなんだか薄気味悪く見えて仕方ないからだった。

 まだ日も暮れていないのに目の前の路地はおろかそこから通じる大通りにも車の姿は見えず、並ぶ家々からも人の気配はない。


 奇妙だった。


 まるで自分が臥せっている間に世界がすっかり変わってしまったかのようで、長くは外にいられなかった。


「ごめんごめん、コンビニがなかった」


 そう言ってアイザワが戻ってきた時には、怒りはどこかへと失せ、不安と空腹で彼にすがりつかんばかりの勢いだった。


「ああ待ってた、待ってたよう。お前どこへ、こんな、時間、遠く、どこに……腹が減って」

「わかったわかった、ほら」



 しどろもどろの私の前に差し出されたのは、食料ではなく呑気な銀色を光らせる一つのやかんだった。



「や、これにはわけがあるんだ、ちょっと聞いてくれ、落ち着こう、な、その前にお湯を沸かそう、ねえ」


 私の目から殺気を読み取ったのだろう、アイザワは急いでやかんに水を入れ、備え付けのコンロで火にかけた。


 私の手からカップ麺を取り上げ(その時気が付いたが、私は彼が部屋を出て行ってからずっとカップ麺を握りしめていたのだった)、甲斐甲斐しく、かやくだの、スープだの、と世話を焼いてくれ、お湯が沸くのを待ち、湯を注ぎ、三分待ち、温かいインスタントのほうとうをアイザワが差し出すまで、私は辛抱強く彼の言い訳を待った。


 彼は彼で、私がほうとうをすっかり食い切るまで言いわけを話すのを辛抱強く拒否し続けた。


 箸がなかったので部屋の隅に転がっていたペンを二つ使って食った。

 ほうとうはこんな空腹のときに食べても、うまくもまずくもなかった。

 しかしすっかり喰い終わり、腹は満たされた。

 腹が満たされれば多少なりとも私も落ち着き、布団の上にどっかりと腰を掛けて彼の言い訳を聞く体勢を作った。彼ものほほんと相変わらずどこから持ってきたのかするめをかじり、片手にはワンカップ酒を持ち、話しはじめた。


「なかったんだ」

「なに?」

「コンビニが、なくなってたんだよ」

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