第272話 後始末
そこは高層マンションの屋上。誰もいない広々とした場所に、一人の女性が双眼鏡を覗いていた。
その視線の先にあるのは、『乙女新生教』の拠点である教会である。
「……ちっ、報告を受けてまさかと思って見にきたが、本当に生き残ってるなんて……!」
彼女の名前は――加賀屋誠子。元『乙女新生教』の幹部で男狩りを任務とした《狩猟派》のリーダーを務めていた女性だ。
教祖である小百合とは意見の食い違いが現れ、自分を慕う信者たちと一緒に教団を抜けたのである。
その際に鳥本を引き抜こうとしたが、断られたために鳥本は必ず今後厄介な存在になるとして殺そうとした。しかし結局それも無理になったのだ。
「まとめて始末するつもりだったってのに。クソッ、どれだけ役に立たないんだ『宝仙組』は!」
不満をぶつけるかのように、目の前にある金網を蹴りつける。
「……教団はともかくとして、あの男だけはどうにかしないと。敵に奪われると厄介過ぎる。いっそ拉致して、万能薬の製法を吐かせるか?」
あの場で鳥本を強引に拉致できれば良かったが、さすがに危険過ぎた。だが今ならタイミングさえ見計らえば可能だと考えたのだ。
「いや、奴を懐に入れたとして、それが引き金で内部分裂が起きる危険性もある」
実際にそれが原因で教団は真っ二つに割れてしまった。
鳥本という存在は劇薬だ。奇跡をもたらす代わりに、猛毒をも飲み込むことになる。
「……やはりこのまま始末しておくか。バレないように狙撃でもすれば簡単だろう。それにせっかくだ、教団も壊滅させないと」
そうと決まればすぐに動こうと思ったのか、入口の方へ歩いていこうとして加賀屋は立ち止まった。
何故なら目の前に、見知らぬ人物が立っていたからだ。
「……誰?」
加賀屋は警戒しつつ尋ねる。身構えながら、ゆっくりと右手を腰に携帯している銃へと伸ばす。
「お初にお目にかかるでござる。拙者、カザと申す」
「カザ……?」
そこで加賀屋はカザという存在を観察して奇妙な違和感を覚えてしまう。
何故ならカザの頭部には見慣れない角のようなものが生えているし、よく見れば腕が六本もあるように見える。
「モンスター? いや、喋ってるし違うか。あの頭部は……兜でもつけてる? それにあの腕の数は……?」
今、加賀屋の思考は定まっていない。どう見ても異質な見た目をしているカザを見て、人間ではないと判断するしかないが、それでも人語を話していることから、その判断の信憑性が薄くなっているのだ。
「……私に何か用?」
「うむ。少々願い事があって参った次第でござる」
「ずいぶんと古臭い喋り方をするんだな。……願い事というのは?」
「おお、聞いてくださるでござるか。いや、何……簡単なことでござるよ」
少し間を開けたのち、カザが口を開く。
「――――――ここで死んで頂きたいのでござる」
その直後、殺気を感じた加賀屋は銃を構えカザに向けて発砲した。
だが銃弾は、カザの目前で火花を散らして弾けた。
「!? ……くっ」
今度は一発ではなく、続けて何発も撃つ……が、その度、同じようにカザには届かない。
「な、何が……!?」
加賀屋には見えていないが、実際にはカザが凄まじい速度で刀を抜いて弾丸を斬り裂いているだけなのである。
カチカチカチ……と、すべての弾を撃ち尽くした加賀屋は、自然と荒くなる呼吸で肩を上下させていた。それは目の前の存在に対し、強烈な精神疲労を感じているからに他ならない。
「気が済んだでござるかな?」
「っ……私は……私はこんなところで死ぬつもりはないわっ!」
今度は所持していたサバイバルナイフを抜いてカザへと駆け寄る。これまで多くのモンスターや男たちを屠ってきた自信があるのだろう。だから不気味な相手に対しても強気で向かっていく。
しかしこれは完全なる悪手。理解のできない相手と対峙した時は、まず逃げることが生存率を上げる方法なのである。だがなまじ今まで勝ち続けてきた彼女のプライドがそうさせなかった。
「うおぉぉぉぉぉぉっ!」
カザに向けて突き出されるナイフ。だがカザの顔面に届く前にピタリと止まってしまう。
「――なっ!?」
驚くのも無理はない。何せカザがたった二本の指で刃を挟み込み停止させていたのだから。
「すまぬが、お主では拙者を倒せぬでござるよ」
「は、離せっ!」
そこで初めて相手がバケモノだということに気づいたのか、加賀屋の表情に怯えが現れる。
「では――斬り捨て御免」
まさに一瞬。加賀屋の目前に立っていたカザが、瞬時にして彼女の背後へと移動した。
――チン。
カザが抜いていた刀を鞘に収めると、棒立ちしたままの加賀屋の首に赤い筋が入り始める。
――ゴトリ。
静かに加賀屋の頭部が胴体から離れ地面に落ちた。
物言わぬ骸となった加賀屋を背にし、カザは冷たい声音で言う。
「我が主の命を狙った罪、裁かせてもらったでござるよ」
そしてその場からカザは風のように消えたのであった。
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