第238話 教祖の迷い

「……ただ、実のところ、私は加賀屋さんの行為にそこまで否定的ではありません」


「は? ……マジですか?」




 思わず呆けてしまった。そんな俺に苦笑を向けながら小百合さんが続ける。




「私は確かにこの『乙女新生教』の教祖です。ですが私は元々ただの主婦。人の上に立つような人物でもありません。私はただ、悲劇に見舞われた女性たちの居場所を作りたかっただけですから」


「小百合さん…………そうやってずっと自分を偽ってきたんですね」




 何となく気づいていた。確かに教団のトップとして立っている時、彼女はまるで壊れたかのような態度を見せていた。しかしそれはあくまでも信者たちの望む教祖としての姿なだけであって、小百合さんが心から望んだ自分ではないのだ。




 だからこそここぞという時に残酷になり切れない。覚悟はあるのだろうが、教祖としてよりも人としての考えに揺らいでしまう。




 この人にはまだ温かい心が残っている。男は憎いだろう。怖いだろう。殺したいだろう。しかしそれはあくまでも自分たちに害を為そうとしてくる連中に限られている。他の信者たちのように、すべての男に対してという考えは持っていないだろう。そういうフリはしているが。




 そうでなくては、俺という存在も決して認めていないはず。いくら過去に怪我を治した相手だとしても、だ。




 彼女は徹底的に非情にはなれない普通の人間だ。だから今の状況は、ハッキリ言って彼女にとって辛いものかもしれない。




「逃げ出したらどうですか?」


「逃げる……ですか?」


「小百合さんは頑張ってきたと思いますよ。あんな酷いことがあったのに、自分の感情を押し殺し、他人のために尽力してきた。そろそろ重過ぎる荷物を下ろしてもいいと思いますよ」


「それは…………できません。私を求める声がある限りは、身勝手に逃げ出すなんてできません」




 本当に不器用な人だ。いつか本当に壊れてしまいかねないほど繊細だというのに。




「そんな何もかもを背負って生き続けることを、弥一さんや子供さんが望むと思いますか?」


「っ…………申し訳ありません。呼び止めたのに……一人にしてくれませんか」




 身体を震わせながら絞り出すような声音で言ってきた。




 俺は「失礼しました」と口にすると、静かに部屋から出て行く。


 扉の向こうでは釈迦原たちが待機していた。




「遅かったわね。……! まさか教祖様にいかがわしいことしてないでしょうね!」


「しないよ。一体俺をどんなふうに見てるのやら」


「フンッ、卑猥な男としてよ!」


「もう、ケイちゃん! 鳥本様はそんなことしないから!」




 何だかいつものそんなやり取りを見ているとホッとする。先程までの陰鬱な空気が一掃されるから。


 そういえばと思い、あることを二人に尋ねてみた。




「小百合さんから聞いたんだけど、今教団内でいろいろ派閥があるらしいね?」


「……ああ、そのことね。確かにあるわ。しかも恐ろしいことに、アンタを教団のトップにするっていう悍ましい連中がね。最悪よね、凛羽?」


「ふぇ? あ、えと……私はその……鳥本様が教祖様でも……いいかな」


「はあ!? 凛羽ってば正気ぃ!? こんな奴が教祖になってみなさいよ! 女なんて全員コイツの性奴隷間違いなしじゃない!」


「せ、せせせせ性奴隷!?」




 ちょ、声大きいから。周りに聞こえたら絶対に俺に殺意向いちゃうから。




「釈迦原さん、すべての男が女性を卑猥な目で見てるだけじゃないよ」


「ああそうね! ホモもいるもんね!」


「いやまあ……それもあるけどさ」


「けど男なんて性欲中心の生活でしょ!」




 いやそんな、某芸人が○○中心の生活をしてるみたいに言われてもなぁ。




「とにかく男の中にもマシな奴はいると思うぞ。まあ、釈迦原さんの言うような下劣な奴も多いとは思うけどね」


「ほら見なさい! 凛羽、必要以上にコイツに近づいたらダメだからね! そのまま食べられちゃうから!」


「そ、そんなぁ、わ、私なんて美味しくないっていうか……襲われるほど魅力なんてないよぉ」


「はぁ……アンタねぇ、どんだけ自信ないのよ。いつも言ってるけど凛羽は可愛いんだから自覚しなさい! 鳥本、アンタもそう思うでしょ?」




 あ、そこで俺に話を振るんだな。




「そうだなぁ、釈迦原さんの言った通り、沙庭さんは魅力的な女の子だと思うよ」


「んふぇ!?」


「モデルみたいに身長も高いし細身でスタイルも良い。顔だって小さくて大人っぽいし、美人さんの枠には入ってるんじゃないかな」




 恐らく余程特殊な男じゃなかったら、彼女と付き合いたいと思うだろう。




「それに性格だって優しいしね。家事だってできるって聞いたし、月並みではあるけれど、きっと良いお嫁さんになれると思うかな」


「お、およ、およよ、お嫁…………っ!?」




 ぼふんっという音とともに湯気が顔から噴き出た錯覚を感じさせるかのように、瞬間的に顔を真っ赤にする沙庭。そのまま「きゅ~」と目を回して倒れそうになった彼女を、慌てて釈迦原が支える。




「ちょっと、誰が口説きなさいって言ったのよバカ!」


「別に口説いてないって。ていうか意見を聞いたのは君でしょうに」


「もっとソフトな言い方ってもんがあるでしょ! この子ってば、男に褒められるなんて耐性がないんだから!」




 いやいや、そんなこと知らんし。それに俺は自分の考えというよりは、客観的に見て、誰もがそう思うであろうことを口にしただけ。




「ああもう、しっかりしなさい凛羽!」


「ふぇぅぅ……おしょれ多いお言葉でしゅぅぅ……」




 どうやら褒められ慣れていないのは確かなようだ。まあ元々男が苦手と言っていたから、こんなふうに真正面から男に高評価を受けたことがないのかもしれない。






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