第177話 自分にできること

「……わぁ、ノアリアさんもミスがありませんよ。凄いです!」


「うふふ、弟に負けていられませんもの」




 気品のある笑い方をするノアリアさんを見て、異世界では余程の身分だったことを思わされる。




 貴族……もしかして王族なのかもしれない。……本当に君付けでいいのかな?




 若干不安にもなる。何せノアリアさんの傍付きであるダエスタさんには、「決して失礼のないようにな」と釘まで刺されているのだから。




 ただこのダエスタさん、凄く面倒見が良くて、何かとわたしに気を遣ってくれている。


 環境が変わったことで心配してくれたのか、ちゃんと眠れているか、悩み事などないか、怪我をしたらすぐに言うようになど、声をかけてくれるのだ。




 当然まひなに対しても同様に。




 何故そんなふうに接してくれるのか疑問に思っていると、ダエスタさんの親友であるキリエさんが教えてくれた。




 何でもダエスタさんにはかつて妹がいたという。しかし幼い頃に病気で亡くなってしまった。ちょうど今のまひなくらいの年齢だったらしい。




 もし生きていたら、わたしと同年代になっていたとのこと。だからそんな妹と重ね合わせて、わたしたちに気を配っているのだろう、と。




 わたしももう一人のお姉ちゃんができたみたいで嬉しいし、まひなも彼女を慕っている。この島に来て、見知らぬ人たちとちゃんとコミュニケーション取れるか不安だったが、みんな良い人で本当に良かった。




「むぅ……さすがはニケ様とノアリア様じゃな。飲み込みが早いわい」




 同じテキストでも、度々ミスが目立つのはラジエだ。二人を見ながら渋い顔を見せている。




「そんなことはありませんよ、ラジエさん!」


「コイネ殿……」


「だってラジエさんも、まだ日本語を学び始めてそう経ってないのに、少しずつ喋れるようにもなったし、書き取りだって大分できるようになってるじゃないですか。これって凄いことですよ!」




 少なくともわたしが英語を学び始めて、ここまでスムーズに結果を出せたかといえばNOと言わざるを得ない。




 それだけ言語を学びというのは難しい。当然だ。それまでと違ったノウハウが必要になってくるし、覚えることだってたくさんあるから。


 しかしこの三人は非常に優秀で、恐らく天才と呼ぶに等しい才を持っているのだと思う。




 教師になることを夢見ているお姉ちゃんだって、ニケくんたちの学力には舌を巻いていた。




「おじいちゃ、がんばう!」


「おお、まひなや、このジイを応援してくれるのか? ありがとうのう」




 ラジエさんが穏やかな表情で、まひなの頭を撫でている。その光景は、祖父が孫を可愛がっている姿に他ならない。ニケくんたちも、微笑ましそうに見つめている。




「しかし日本語は覚えることが豊富で大変なのだな。平仮名、カタカナ、漢字、これほど文字のバリエーションがある言語など初めてだ」




 ニケくんの言う通り、日本語って世界でも文字数が多い言語だと思う。


 英語だってアルファベットの26文字で構成されているし、その他の言語も英語とそれほど大きく変わらないはず。




 よく知らないが、もしかしたら日本語よりも多くの文字を扱う言語もあるかもしれないが、初めて学ぶ他国の言語が日本語というのはハードルが高いと思う。




「そうですね。でも早く習得して、いろいろな本を読んでみたいです」


「その時は面白い本をわたしが教えちゃいますね、ノアリアさん!」


「ええ、その時はお願いしますね、コイネさん」




 わたしも読書は好きなので、これまでたくさんの本を読破してきた。是非彼女たちに読んで欲しい本はすでにリストアップしている。




 坊地くんに頼めば、すぐに用意できるとのことなので、その時が来ればお願いしようと思う。




「そういえばあれからしばらくボーチは姿を見せぬな」




 ニケくんが少し寂しそうに言った。何でも坊地くんには大きな恩があるとのこと。


 特にニケくんは、坊地くんに感謝しており、坊地くんのような強い男になりたいらしい。




「坊地くんから融通された物資を持ったヨーフェルさんたちは、たまにやって来るんだけどね」




 そう。お姉ちゃんの言う通り、イオルくんを連れたヨーフェルさんが、定期的に顔を見せてくれる。まひなもイオルくんが来てくれる度にはしゃぐ。


 二人を見ていると、本当に仲が良くて少し羨ましいとも思う。




 わたしも坊地くんと、もっと気軽に話せるような間柄になりたいって思うから。




 けれどまだその道のりは遠いと感じる。坊地くんを一度裏切ったわたしが、こうして仕事を任せられるくらいにまでなった。これだけでも十分と満足するべきなのだろうが、人間というのはやはり欲深いもので、もっともっとと願ってしまう。




 いつか坊地くんと笑い合える日がやってくることを信じて、今は頑張るしかない。




「そういえばそのヨーフェルさんに聞いたのだけど、ちょっと日本で大変なことが起きてるらしいわ」


「へ? 大変なことって何、お姉ちゃん?」




 初耳だ。というかすでに日本は大変な目に逢っているが、これ以上何が起きているというのだろうか。




「何でもね、異世界化がどんどん進んでいっているみたいで、特に酷いのが海沿いの地域で、砂漠化したりジャングル化したり、渓谷や湖が出現したり、そこにあった文明が一気に滅んでいるらしいのよ」


「それは……確かに大変だね」




 加えて、ニケくんたちのような異世界人も、この地球のあちこちに飛ばされてきているという。


 そしてその中には、人間に対し友好的ではない種族も存在する。




 もし争いにでもなったら……。




「それに、まだ小規模だけど、地球人と異世界人とで戦争があったそうよ」




 お姉ちゃんの言葉で、それまで和んでいた空気が一気に張り詰める。




「戦か……やはり異なる人種同士、分かり合うことはできぬのか……?」


「ニケくん……」




 彼はとても九歳とは思えないほどの考えを持っている。そして何よりも、人と人が争うことを嫌っているのだ。




「地球人の方からすれば、我々は突如現れた侵略者のように思われても仕方ありませんね。故に衝突は予見されたことでした」


「うむ。ノアリア様の仰るように、我々はこの世界では余所者。しかしこうしてこの地に飛ばされた以上は、この地で生きる術を得るしかない。たとえ邪魔者とされようが、こちらもそう簡単に命を投げ出すわけにはいきませんからのう」




 ラジエさんも本当は争いたくないのは分かっている。しかし難しい。それはわたしも理解できる。


 だって地球人同士でも、肌の色が違う、国が違う、考えが違う、その価値観の違いで簡単に戦争を起こすのだ。




 同じ空の下に住んでいるにも関わらずにそれだ。その相手が異世界からやってきた人種なら、なおさら受け入れるのは困難であろう。




 しかも言葉も通じず、意思疎通が図れない状況だ。さらには世界がこんな状況になって、ただでさえ問題を抱えているのに、この上他の世界からやってきた人種問題など、穏便に対応している暇などないのだろう。




 もしかしたら二つの世界が交流し、互いの世界の発展に努める未来があったかもしれない。


 しかし立て続けに起きたトラブルのせいで、そのような未来を構築する時間も労力も無いのだ。




 だから手っ取り早く、新たにやってきた問題を排除する。


 異世界人たちをこの世界から取り除き、次にダンジョン化やモンスターたちの対処を行う。




「これからこの世界がどのようになっていくのか分からないけれど、私たちはこうしてまだ生きている。だから生きるために努力すべきだわ」




 お姉ちゃんの言葉に、全員が頷きを見せる。そしてお姉ちゃんはニッコリと笑みを浮かべて続けた。




「そのためにも知識は必要よ。さあ、生き抜くために学びましょう」




 そうだ。わたしたちにできることは限られている。


 今はとにかくここでできることを精一杯するしかない。




 坊地くん、わたしたちも頑張るから。だからまた元気な顔を見せてね。


 わたしは彼に想いを馳せ、再び勉強を再開したのであった。










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