第140話 立ちはだかる者たち
ニケから返ってきた言葉は否定だった。
「! ……どうしてかしら?」
「余は…………何も知らなかった」
「…………」
「帝国が無辜の民に何をしてきたのか、そしてその民の怒りに触れ、滅ぼされてしまったこともまったく知らなかった。知ったのはつい最近じゃ」
「仕方ないわ。あなたはまだ子供だもの」
「そのようなことが言い訳になるものか。余は小さくとも帝王の血を引く御子じゃ。ならば知るべきことだったはず。それなのに……余はただただ……母上のことしか考えておらんかった。しかし母上と離れ離れになってから、ここ数年……全然会わせてもらえぬ」
コイツ……まさか自分の母親が亡くなったことを知らされてないのか?
「帝国が行ってきた数々の非道は、門番たちから聞いた。それにドラギアという者からも」
あの男、ここにも来ていたのか。
「帝国が滅ぶなら、余もまたここで滅ぶべき存在なんじゃ。それが……民への償いになるのなら。しかし母上は! 母上だけは救ってほしい! 余のせいで……余が生まれたせいで、母上にはとんだ苦労をかけてしまっている。だから……母上には帝国のしがらみから解放してあげてほしいのじゃ……頼む」
そう言いながら頭を下げてくる。
これが九歳の子供ができることだろうか? 普通だったらこんな場所に閉じ込められて嘆くことしかできないはずだ。
自分を閉じ込めている者への恨みや憎しみだけが増大していき、精神を病んでもおかしくない。
それなのに母を想い、自分よりも母を優先する子供がここにいる。
初めて会った他人に対し真摯に頭を下げているのだ。
恐らく帝王の血が成せる利発さ、なのかもしれない。
「悪いけれど、その頼みだけはどうしても叶えてあげることはできないわ」
「ど、どうしてじゃ!? 余の命なら差し出す! その代わりに母上を救ってほしいと願っているだけじゃ!」
「そうじゃないの。いくらあなたがそのすべてを差し出しても、この世の誰もがあなたのために動いたとしても……できないことはあるのよ」
「……! ま、まさか……」
やはり賢い子だ。俺の言った真意に気づいたようだ。だがそれでも俺はこの子が聞きたくないであろう言葉を発する。
「そうよ。あなたの母親――シュレンさんは亡くなっているのよ」
「っ!? う、う、噓じゃっ! そのようなこと……だって…………だって……」
「現実よ。シュレンさんは四年前に自らその命を絶ったわ」
「そ、そんな……っ」
「これが……彼女が最後に残した手紙よ」
俺はこの作戦を実行する前に、宮殿内にあるラジエに与えられている私室から手紙を拝借しておいた。ラジエからは、私室にある鍵のかかった棚に手紙を保管していると事前に聞いていたのだ。
何かの役に立つかもしれないと、シキに頼んでラジエの私室に侵入させて取ってきてもらったのである。
勝手に拝借させてもらったことについては、あとで謝罪しておくつもりだが。
渡した手紙を、ニケが食い入るように読んでいく。
――ポタ、ポタ、ポタ。
手紙に落ちる数滴の雫。それはニケの目から零れ落ちていた。
「うぐっ……ひっく……母……上ぇぇぇっ」
手紙に書かれた文字が、間違いなく母親のものだということが分かっているのだろう。
そこに書かれた悲痛な母親の叫びを受け、ニケは堪らず涙を流しているのだ。
「すべては帝国が……腐ってしまった帝王とその周りが引き起こしたことよ。それでもあなたはそんな国のために命を捧げるというのかしら?」
両膝をつきながら泣きじゃくっているニケに、俺はさらに続ける。
「そして今、あなたのために帝国に盾突き、あなたを救い出そうとしている者たちがいる。そんな彼らの想いを裏切るの? ここであなたが死ぬことを……シュレンさんは決して望んではいないわよ」
これで俺が言えることは全部だ。
もっとそこらにいる普通の子供なら、こんな言い聞かせる必要もなかっただろうが、変に賢いのが苦労する。しかしこれでも彼が死を望むなら、今度は問答無用で意識を奪っても攫うしかない。
「…………そなた……名を何という?」
「……虎門シイナよ。こっちは《使い魔》のシキ」
「……そうか」
手紙を持ちながらニケは立ち上がり、ゴシゴシと涙を拭ったあと、その顔を俺に見せつける。
……へぇ。
そこにはもう嘆いている彼はいなかった。
真っ直ぐ強い眼差しを放つ、少し大人びた少年の顔がそこにある。
「余を、ここから連れ出してくれるか、トラカドよ」
「それが任務だもの。嫌って言っても連れ出すわ」
俺は《念話》で空にいるイズに、ニケを確保したことを伝えると、向こうもすぐにこちらと合流するために動き出す旨を口にする。
するとそこへ、「マスター!」という声とともにヨーフェルが駆けつけてきた。
どうやらあの矛使いの男を倒したようだ。
「さすがね、ヨーフェル。ナイスタイミングだわ。ニケを頼めるかしら?」
「承知。ニケ殿、私の背中へ」
「う、うむ! よろしく頼む!」
綺麗な女性に耐性がないのか、少し照れ臭そうにヨーフェルの背におぶさるニケ。
そして俺たちは再び駆け上がってきた階段を降りていく。
何事もなく塔から出て、あとはこのままソルたちと合流して離脱するだけだと思った矢先のことだ。
頭上から俺に向かって複数のナイフが向かってきた。
「――シキ!」
「承知!」
俺は影から飛び出てきたシキとともに、飛んでくるナイフを武器で弾いていく。
次いで今度は大きな人影が接近してきて、俺に向けて拳を放ってきた。
――キィン!
逆に刀で拳を斬ってやろうと思ったが……。
――何だコイツの拳は!?
まるで鋼同士が衝突したような音がしたので驚愕した。
「わお、おれっちの攻撃が防がれちまったぜぃ!」
目の前にいたのは猿人の男だった。
そこへシキが猿人を追い払うように鎌を振るうが、猿人はその身軽さを利用して、すぐにその場から離れた。
すると猿人が立った場所に、他二つの人影が降り立つ。
……コイツらは……?
どうやらイズの歌が効かないほどの手練れというのは間違いないが、その佇まいからもただならぬ奴らだということが分かる。
特に一番大柄な獅子を擬人化したような『ガーブル』だ。
シキと同格? ……Aランク以上はあるってことか?
ハッキリとしたことは分からないが、シキが放つ強者の気配と同等のものを感じる。
つまりは、あのドラギアと同種のヤベぇ奴というわけだ。
「うっわ、やっぱ目的はニケ殿下だったってわけだ」
猿人が大げさに肩を竦めながら言った。
「こんな真夜中に……ほんと迷惑だもん」
こっちは羊人……のようだが、何故枕を抱きしめているのかは謎だ。
「お前ら、油断はするなよ? この人数で攻めてくるくらいだ。相当に腕に覚えがあるのは事実だからな」
「だよな~。そこそこ強えはずのガリュインも相手にならなかったみてえだしさ」
猿人が背中に背負っている棒を手に取って、
「だからちょっとワクワクしてんだよねぇ、おれっちってばよぉ」
獣が獲物を見つけた時のような、獰猛な眼光を放ってくる。
コイツもかなりの強さだな。さすがに全員を相手にしてる暇はねえんだが……ソルたちはどうなって……ん?
頭上を見上げれば、ソルが何者かと交戦している光景があった。
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