第106話 防衛本能

「悪いな、まーちゃん。お兄ちゃんたちは今から用事があるんだ。だからバイバイだ」


「おにいちゃん……いーちゃんも?」


「そうだ。一緒に行かないといけない場所もあってな。ごめんな」


「…………またトリしゃんにもあわせてくえう?」




 実は今、ソルには隠れてもらっている。いればまひなに食いつかれてしまうからだ。




「ああ、今度な」




 俺がまひなの頭を撫でると、渋々といった感じでまひなが俺たちから手を離し、十時の足にしがみついた。




「坊地くん……」


「ほら、さっさと車に乗れよ」


「…………」




 何か言いたそうだが、肩を落として踵を返し車の方へと向かう。


 これでいい。何の因果か分からんが、妙な縁があってもその都度断ち切っていけばいいだけのことだ。




 だがその時、十時の足がピタリと止まった。そしてグルッと勢いよく身体を回転させ、




「やっぱりこのままじゃ嫌だ!」




 なんてことを言いながら、また俺の前まで早足でやってきた。




「坊地くん!」


「お、おう」




 虚を突かれた俺は、十時の得も言われぬ気迫に、思わず生返事をしてしまった。




「坊地くんがわたしのことを嫌いなのは分かってる! それは当然で、わたしの自業自得だもん! だから……分かってる!」


「……!」


「でも! でも……わたしはこのままじゃ嫌なの! 迷惑だと思う! 本当に自分勝手だと思う! でも……ほんの少しだけでもいいから、これからのわたしを見てもらえないかな?」


「十時、お前……」




 正直驚いた。コイツがそんなことを提案してくるような奴だとは思ってもいなかったからだ。 


 教室にいた時も、いつも王坂の影に怯えていた。再会した時も、罪の意識で押し潰されそうなくらいに弱々しい奴だったのだ。




 だからこんな前向きな発言をするとは思わなかった。




「わたしは変わりたい。あの頃みたいな弱い自分のままじゃ嫌なの。周りに流されて、正しいと思っていることができない自分なんて……そんな生き方はもうしたくない。後悔をしたくないの!」




 その時、俺に信念を告げた親父と十時が重なり合った。




「坊地くんがわたしを認めたくないのも分かる。実際にあの時から何もしてこなかったわたしだもん。だからわたしは決めたの。いつか、あなたに認めてもらえるような女の子になるって!」


「…………どうしてそこまで? 俺はただのクラスメイトだったってだけの話だ」


「ううん。ただの……じゃないよ」


「?」


「わたしの知る限り、誰よりも強くあろうとしてる男の子だよ」


「!? …………」




 教室にいた時のコイツじゃない。再会した時のコイツでもない。


 その時は常に目が泳ぎ、自分に自信がなく、俺に罪悪感しか覚えていない取るに足らないような人物だった。




 だが今、コイツの瞳には覚悟が宿っている。少なくとも、怯えていた時のコイツじゃ見せられない姿であることは確かだ。


 俺と十時がそうしてしばらく視線を交わしていると、




「ボーチ、少しいいだろうか?」




 と、ヨーフェルが会話に割って入ってきた。


 彼女に「何だ?」と聞く。




「イオルが世話になったのだ。このまま何もせずに去るのは礼儀に欠けている気がしてな。それにこの子も、仲良くなった子と突然別れるのも忍びないだろうし」




 ……はぁ。変に空気を読みやがって……。




「……十時、少しだけだ」


「ふぇ?」


「少しだけなら付き合ってやってもいい」


「!? うん! じゃあわたしの家に案内するね! お姉ちゃんもそれでいいよね!」


「……仕方ないわね」




 どこか釈然としない様子の十時の姉だが、了承してみせた。


 小さい車なので、全員は乗れないからと、俺は《ジェットブック》を出す。




 当然十時がそれが何か聞いてくるので、




「これで空を飛べるんだよ」




 と憮然とした態度で答えてやった。どうせ俺たちが空からやってきたのは分かってるだろうから、これで説明がつくはずだ。




 しかしそこで「わたしも乗ってみたい」と言うので、「定員オーバーだ」と告げてやると、残念そうにまひなと一緒に車の中へと戻っていった。




 そして車が走り出すと俺たちも《ジェットブック》に乗って後を追っていく。




「……勝手なことをして済まないな、ボーチ」




 飛行中にヨーフェルが申し訳なさそうに言ってきた。




「そう思うなら今後は控えてもらいたいものだな」


「済まない。しかし……どうも恩人が悲しむのを見ていられなくてな。あの者との間に何があったかは知らないが、本当に勝手なことをした」


「……まあ、今のお前は俺の協力者だ。その協力者が恩人に礼をしたいというなら、それに付き合うのも吝かじゃないさ」


「……ありがとう。イオルも喜んでくれてる」


「あ、ありがと……」




 まだ人見知りが発動しているものの、礼を言ってきたイオルに「気にするな」とだけ返しておいた。






     ※






 車の中で、わたしは上機嫌だった。




 ほんの少し前までは死を覚悟していたというのに現金なものだが、坊地くんに少しでも自分の想いを伝えることができて良かったって思っている。




 まだ彼には信頼もされないし、許されてもいないだろうが、それでもわたしにとっては大きな一歩を踏み出せたはずだ。




「……ずいぶん嬉しそうね、恋音」


「うん! だって勇気を……出せたから」


「……そう」




 何やらお姉ちゃんの声音が沈んでいるというか、暗い感じがして気になった。




「そういえばお姉ちゃん、何であんなこと言ったの?」


「……あんなことって?」


「前にわたしが坊地くんのことを話した時、次に会った時はお話できるように応援してくれるって言ってたじゃない。それなのに……」




 そう、わたしが坊地くんと話がしたいと言った時、お姉ちゃんは擁護するどころか、困らせるから止めろと注意したのだ。




 いや、それは別に普通のことだし、正しい対応ではあるが、わたしの気持ちを知っている立場としては、できれば応援してほしかったのだ。


 せめて一言くらい、「妹がこう言っているから」というような文句を添えてほしかった。




「…………」


「お姉ちゃん?」




 急に押し黙ったお姉ちゃんを心配して声をかけた。


 するとお姉ちゃんがその重い口を開く。




「……彼とはあまり親しくしない方が良いと思うわ」


「……え?」




 ……今の、聞き間違い……かな?




「えと……お姉ちゃん? 何言ってるの?」


「だから彼とは距離を開けておいた方が良いって言ったのよ」




 聞き間違いじゃなかった。




「な、何で? 何でそういうこと言うの!? 前はあんなに応援してくれてたのに!」


「ごめんね。けど……彼は危険よ」


「危険って……そんなことないよ! まひなだって助けてくれたんだよ? それに今回だって!」


「ええ、そうね。でも……彼は人を殺したって言ったわ」




 その言葉に思わず言葉が詰まってしまった。


 そうだ。確かに坊地くんは、人を――王坂くんを殺したと自ら口にしたのだ。




 わたしもその時は衝撃的だったが、彼と再会し話せることだけに意識が向けられ、あまり重く受け止めていなかった。




「で、でも……已むに已まれぬ事情があって……それに坊地くんは、王坂くんにずっとイジメられてたし」


「それは知っているわ。学校中の敵に仕立てられていたのよね? そしてあなたも彼の敵側にいた」


「っ……そう、だよ」


「坊地くんが過ごしていた日常は酷いものだったでしょうね。もし逆の立場だとしたら、私は生きていられたかどうか分からないわ」




 その通りだ。わたしならきっと……耐えられない。




「でも彼はそんなイジメの主犯に復讐をした。命を奪ったのよ」


「……そうだけど……」


「あなたの言いたいことも分かるわ。王坂くんって子には当然の報いなのかもしれない。聞けば彼のせいで自殺をした人もいたのでしょう?」


「……うん」


「だから私が聞いても情状酌量の余地はないわよ」


「だったら!」


「けれど彼は平気な顔をして人を殺したと言えるような子でもあるのよ」


「!?」


「見たでしょう。彼が自分が殺したと言った時の表情。一切の後悔なんてない、さも当然のような顔をしていたわ。ううん、それがダメなことなんて第三者の私には言えないわ。仮に私だったら、イジめられていた私に、王坂くんを殺せる力があったら殺していたかもしれないしね」




 わたしは……どうだろう。イジメられていたとして、王坂くんを殺せる力があったら彼を殺すだろうか……? ……分からない。




 人を殺したいと思ったことなどないし、そこまでの激情にかられるような環境に置かれたこともないから。




「どんな理由があっても、彼は一線を踏み越えた人なの。それに警察だって苦労するモンスターを簡単に倒す力もあって。……私たちとはもう住む世界が違うのよ」




 そうか。この姉はきっと坊地くんを怖いって感じたのだろう。




 わたしは実際に彼と会い、過去の彼も今の彼も知っている。彼が実はどんなに心根の優しい人なのかも実感していた。だからこそ、たとえ人を殺したとしても、彼の根元は変わっていないと思えるのだ。




 それはまひなが懐いていることからも分かる。そしてそんなまひなを見る、少し困ったような、それでいて優し気な瞳を持つ坊地くんを知っているから。


 けれどお姉ちゃんは、わたしの話でしか坊地くんのことを知らない。




 人を殺したことがある。目の前で凶悪なモンスターを瞬殺した。素っ気ない態度。


 それらを吟味した結果、お姉ちゃんは坊地くんの実態が掴めなくて恐ろしくなったのだろう。




 きっとそれはわたしたちを守るため。長女として、妹の平和を勝ち取るための防衛本能。


 とても嬉しい。ありがたいことだ。こんな姉を持てて、わたしたち妹は幸せである。




 けれど、だからこそわたしが知っている坊地くんを誤解してほしくない。ううん、今は分からなくてもいい。これから彼のことを知ってほしいのだ。




「……お姉ちゃん、不安なのは分かるよ」


「! ……どういうことかしら?」


「大丈夫。……坊地くんは、とても優しい人だから。ね、まひな?」


「おにいちゃんのこと? うん! と~ってもやさしうて、つおいの! まーちゃんね、おにいちゃんのことだ~いしゅき!」


「まひな………………はぁ、あなたたちは純粋過ぎるわよ、まったく」


「ごめんね。でも本当に坊地くんは危ない人じゃないから」


「分かったわよ。けどそれはこれから私自身が見極めるわ」


「うん、それでいいよ。きっとお姉ちゃんもすぐに良い人だって分かると思うし」




 お姉ちゃんにも彼のことを分かってほしい。そしてわたしもまた、まだまだ知らない坊地くんのことを知りたい。


 特にあの空飛ぶ本とか、モンスターを簡単に倒した力とか気になる。




 一体いつからあんなことができるようになっていたのか。




 わたしは恐らく頭上にいるであろう少年のことを思い、窓の向こう側の景色を眺めつつ、早く家に着かないかなと逸る気持ちを抑えていた。








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