第72話 虎門VS黒木
「……久々に聞いた名だな。まさかお前のような若い女にまで知れ渡っていようとは」
無表情のまま野太い声で黒木が言う。
「当時、テレビであなたの活躍を目にしてたわ。無類の強さを振るう霊長類最強の男。たった一つの敗北もないまま引退した伝説のチャンピオン」
「……古い記憶だ」
「そんなあなたが何故流堂に従っているのか疑問なのだけれどね」
「…………」
どうやら答えるつもりはないようだ。
ガキだった俺は、突然引退していく黒木に困惑したものだった。人気だったチャンピオンを殺したことで、完全に悪役のような立場に追いやられていた彼だったが、俺は結構好きな選手だったのである。
何物にも屈しない、その強さは見ていてスカッとするものだった。
確かに結果的に人が死んだ事実は褒められたものではないが、あくまでも試合での出来事なのだから俺にはどうでもよかった。
親父だって黒木のファンで、一緒に彼が戦う姿を応援していたものだ。
そんな人が、別に病や怪我などを負っていないのにもかかわらず引退したことが残念でならなかった。
「いいか女! 黒木さんはな! 表の世界を制覇しただけじゃなく、裏の世界まで制覇した人なんだからな!」
裏……?
高須の言葉に思わず眉をひそめるが……。
「高須……余計なことを言うな」
「ひっ!? く、黒木さんっ、すみませんっ!」
睨まれて情けなく頭を垂れる高須。
「そのような話はどうでもいい。まあ……時間稼ぎになるなら別に構わんがな」
「! ……私を倒してさっさと流堂を追いかけたいのではなくて?」
「フン、彼はそれほど柔ではないさ。その気になったら俺でも勝てんしな」
「……とても流堂があなたと戦って勝てるとは思えないのだけれど」
「俺はどこまでいってもただ力が強いだけの人間だ。しかし彼は違う。あの悍ましいほどの力に選ばれた次の新しい人種なのだからな」
気になることを口にしてきた。
「次の……新しい人種ですって?」
「……知らぬのか? 崩原もまたそうだと流堂さんには聞いていたがな」
……! そういうことか。コイツはこう言いたいのだ。スキルを持っている人間は、最早一般人などではなく、時代に選ばれた人種だと。
確かに衝撃を自由に操ったり、人をゾンビ化し使役する能力を持つ人間は特別であろう。
「その言い方だと、私たちのような人間はもう古く、いずれ淘汰されるかのように聞こえるわね」
「直にそうなるだろうな。事実、現在世界中で多くの人間が死に始めている。いや、殺されている。モンスターという名の災害にな」
災害、言い得て妙だ。まさしくその通りだろう。
「生き残れるのは力を持つ者だけ。ダンジョンやモンスターに劣らぬ人間こそが、地球の次の支配者になっていくだろう」
「……それがスキルという力を持った者たちだと?」
「何だ。やはり聞いていたんじゃないか。その通りだ。流堂さんや崩原は、世界が選んだ新人類だと俺は考える」
「ずいぶん突飛なことを考えるのね。たとえそうだったとしても、そう簡単にあなたは認められるのかしら? 淘汰される側の人間だと言われて」
俺だったら絶対に認められない。神が決めた定めがあったとしても、そんな理不尽さに屈するなんて嫌だ。たとえ俺にスキルがなかったとしても、最後まで抗っていくだろう。
「俺もまた淘汰してきた人間だ。故に淘汰されることもまた……覚悟はある」
「……それはあなたが殺したチャンピオンや、あなたに挑戦してきた者たちのことかしら?」
「強大な力を持つというのは、結局他を弾くということだ。弱者は強者と共存することなどできない。生き残りたいなら強者になるしかないのだ」
まあその考えは別に否定しない。事実、こんな世界になってからは、その真理がより顕著に浮き出てきているように思える。
力を持つ者たちに好き勝手にされる世界。秩序が崩壊したこの世では、強さこそが正義という古臭いルールが前面に出てきてしまっているのだ。
まさに乱世とも呼ぶべき時代だろう。
「……変わったわね、あなた。少なくとも十年前に見ていたあなたは、見た目は怖くともファンや子供たちに優しい人だったのに」
彼は貧しい外国の子供たちに、ファイトマネーを寄付するような人物でもあった。
貧困に喘ぐ村々を回り、ボランティア活動までするような。
弱者の味方。その言葉がとても似合う存在だったはず。
そんな彼が、今のような言葉を吐くなど想像できなかった。
「時代は人を変えていく。出来事は一瞬で、その一瞬で人の価値観は変化するのだ。そして俺もまた……変わった人間の一人だということさ」
自嘲気味にフッと笑みを浮かべた黒木が、すぐに表情を引き締めたと思ったら、俺に向かって突っ込んでくる。
――速いっ!?
一足飛びで、数メートルの距離を潰してくるほどの脚力。引退して何年も経っているはずなのに、馬鹿げた身体能力は健在らしい。一瞬で俺の懐に立ち、その長くて太い腕を突き出してくる。
しかし身体能力だけを見れば、俺が下回るわけがない。
何といっても、こちらにはチートアイテムの恩恵があるのだから。
どうやら俺を掴もうと伸ばしてきた腕を、俺はしっかり見極めてかい潜り、逆に懐に忍び込む刀を一閃する。
これで決まったかと思いきや、下方から膝が飛んできた。
咄嗟に身を引いて、その勢いのままにサマーソルトキックの要領で、黒木の顎を蹴り飛ばそうとする。
だがこれも黒木は驚くべき反射速度を用い紙一重にかわす。
そして一定の距離を保ったところで、両者は足を止め睨み合う。
その一連の動きを見ていた高須たちは、信じられないという面持ちで俺を凝視している。
「……さすがは音に聞く袴姿の刀使いだな。伊達にモンスターどもとやり合ってるわけじゃなさそうだ」
「そちらもね。攻撃速度が尋常ではないわ」
単純な速度なら俺の方が速いはず。しかし恐らくは彼の先読みが、彼の攻撃速度を上げているのだろう。
俺は一つ一つ考えて攻撃を放っているが、彼のソレは無意識……本能がそうさせているような気がする。
考えない分、反射神経全開で戦う彼の速度は異常そのものだ。
それは持って生まれた資質もあるが、今まで培ってきた試合で研ぎ澄まされてきた努力の結晶なのだろう。
こればかりは俺が叶うはずもない。元々恵まれた戦闘センスを有している黒木と比べて、こちらはファンタジーアイテムで補っているだけなのだから。
「く、黒木さん! 俺らも手伝いますよ!」
「そ、そうです! 俺たちも一緒に戦えば、そんな女なんか!」
高須と天川が参戦の意を示してくるが……。
「いや、逆に足手纏いになる。お前らはそこで待機していろ」
「で、でも!」
「お前らはまだ人を殺したこともないだろう? ……できるのか?」
「「っ……!」」
どうやら高須たちは、まだ新参者なのか手を汚したことはないらしい。
けど……あー残念だ。もし加勢してくるようなら盾にでも取って有利に事を運べたものを。
「……行くぞ、女」
わざわざ宣告してから突撃してくる。
俺は刀を抜いて身構え、カウンター狙いを定めた。
向かってきた黒木に横薙ぎに刃を振るう――が、虚しく空を切る。
物凄いスピードでこちらに向かってきたというのに、刀の切っ先が届くギリギリのところで突如そのスピードをゼロにしたのだ。
並みの筋力でできることではない。普通なら筋肉が断裂してもおかしくない動きだ。
くっ、にしてもコイツ、見極めが鋭過ぎる!
さすがはプロの格闘家だ。相手の拳や蹴りを見極め続けてきた洞察力は本物だ。
ゼロにしたスピードを、すぐにマックスへと上げて突き進んでくる。
俺は刀を振るったあとなので、このままだと無防備に掴まれてしまう。
だが――バキィィィッ!
刹那、黒木は防御態勢をしたまま後方へと吹き飛んだ。
「……今のでも防御するのね、さすがだわ」
確かに刀を一閃し隙だらけに見えたろうが、俺はその勢いをつかって左手に持った鞘を逆手で振るったのである。
いわゆる二段抜刀というやつだ。前にどこぞの漫画で見た戦法だが、何度か使ってみて便利だと思ったので練習しておいた。
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