第62話 救いを求める女たち

 過去を想い馳せながら、俺はチャケと一緒に日本酒を飲み交わしていた。

 流堂にハメられてから、俺の人生はガラリと変わったような気がする。


 いや、それを言うなら巴が死んでしまってからか……。

 アイツが死んでから、俺の見ている景色は灰色に染まり味気がなくなった。


 何をするにもイライラして、ケンカを売られては売り返して……そんな日常。

 その中で流堂は、事あるごとに俺に突っかかってきて、殺し合いに近いケンカだって何度もした。


 アイツが俺を憎んでいることは分かっている。当然だ。大好きな女を取られた上に、殺されてしまったのだから。

 約束を……破ってしまったのだ。


「にしてもチャケ、お前も義理堅い奴だよな」

「は? 何がでしょうか?」


 思えばコイツとも古い付き合いだ。

 出会いは中学の時、コイツがゲームセンターで不良どもに絡まれていたところを助けてからである。


 その時は、今みたいにガタイもよくなく、悪く言えばもやしみたいな奴だった。

 そして何の因果か、その時のことでチャケ――茶頭家成は俺を慕い、これまでずっと良き友人としてつるんできたのである。


「他の連中にも言ったけどよぉ、今回のケンカは文字通り命がけになる。……お前は外れていいんだぞ」

「才斗さん……そんな水臭いこと言わないでくださいよ! 俺は……あんたに憧れて……だから……!」

「あの時の恩返しってんなら、もう十分返してもらってんよ。お前くらいだ。俺が少刑に入ってもなお、まだ離れていかなかった奴はよぉ」

「それは! だってそれはアイツの! 流堂を……庇ったからでしょう?」

「庇った……か。そいつは違う。これは……贖いなんだよ」


 そう、確かに俺は流堂にハメられた。流堂は巴の仇を討ち、その罪を俺に擦り付けたのだ。きっとあの電話から、俺を陥れることまで計画に入れていたんだろう。

 それはすべて、アイツの俺に対する恨みからきたもの。


 そして俺もまた、アイツのことを否定することができなかった。

 俺は巴を守れなかった罪を、何かの形にして背負いたかったのだ。


 だからこそ、流堂の計画をちょうどいいって思ってしまった。

 せめて少しでも罰を受けたいと、巴を失った時から願っていたから。


「俺はやっぱ納得できません! 才斗さんは何も悪くねえ! 巴姉さんは! 巴姉さんはそんなこと望んでなかった!」

「……だろうな」


 アイツがこんなこと望んでるわけがねえ。俺と流堂がいがみ合っているこんな状況を。

 そして身勝手に罪を背負った俺のこともだ。


「それでも俺はあの時……それが正しいことだって思っちまったんだ」


 加えて、これで少しでも流堂の気が済めばとも……。


「アイツは……流堂は才斗さんが知ってる流堂じゃ……もうありませんよ」


 若干身体を震わせながらチャケが言う。まるで何かに怯えているかのように。


「……なあチャケ、やっぱ今回お前は身を引け」

「才斗さん!?」

「彼女もできたんだろ? だったら……死ぬわけにはいかねえじゃねえか」

「っ…………いいや! 俺はそれでも、あんたの傍にいるって誓った! あの時からずっと!」


 本当に律儀な男だ。もうコイツくらいだろう。俺が全面的に信頼できる奴は。

 しかしだからこそ失いたくねえって思っちまう。もう……大事な奴を失うのは懲り懲りなんだ。


「才斗さん、俺は別に義理立てようとか、そんなことを思ってんじゃねえです」

「チャケ……」

「俺はただ、あんたが好きだから! あんたの背中に惚れたから一緒にいるんだ!」

「……はは、お前はマジでバカだなぁ」

「はい、こんなバカじゃねえと、才斗さんの隣には立てませんから!」


 俺にはまだ信じられる奴がいる。それがこの世で生きていく上でどれだけ救いになっているか。


 流堂よぉ、お前はどうなんだ? あの時からずっと……まだ孤独なんじゃねえのか?


 かつて親友と呼んでいた存在。同じ女を愛し、同じ絶望を味わった。

 そして二度と修復できないくらいに絆は断ち裂かれた。


 今はただ、怒りと憎しみ、憐れみと痛みで繋がっているだけの敵同士。

 それが明日、どういう形にしろ決着がつく。


 願わくば、施設で過ごしていた時と同じような関係に戻れたらと思うが、さすがにもうそれは望めない。その選択の時はすでに過ぎ去ってしまった。

 だったらどちらかが破滅するまで戦うしかないのだ。


 俺はまだ死ぬわけにはいかねえ。チャケたちの面倒だってみなきゃいけねえんだ。


 だから明日は――。


「俺が勝つぞ、流堂」


 きっと巴も、アイツを止めてやることを望んでいるから――。



     ※



 ――【シフルール】。


 流堂率いる者たちが拠点としているラブホテルの地下フロアにある一室。

 そこは通称〝牢〟と呼ばれており、流堂の手下たちが攫ってきた女たちが投獄されていた。


 牢といっても、元々は普通の部屋なので、物々しい雰囲気になっているわけではない。

 ただ部屋には鍵が掛けられ、女たちは外へ出られないため、室内は陰鬱とした空気が漂っている。


 それだけではない。ここに閉じ込められている者たちは、いずれ流堂の命令で慰み者になる予定の者たちばかり。


 故に全員が恐怖に支配されていて、いつ自分が呼び出しを受けるのかと戦々恐々としながら待機しているのだ。

 ここから一度外に出れば、二度と同じ場所に戻ってくることはない。


 流堂の相手をするのは当然だが、その際に覚せい剤を使われるのだ。しかも流堂が飽きたら、次は彼の手下たちに回され、気が済むまで身体を弄ばれる。


 終わる頃には、ほとんどの者の自我が崩壊しているのだ。中にはそのまま自殺してしまう者もいる。

生きていたとしても、もう用済みだと言わんばかりに、どこかの部屋へと監禁され放置されるという地獄だ。


 そう、彼女たちにとって、ここは閻魔大王の裁判を待つ地獄の入口に過ぎないのである。

 そんな中だから、いろいろな重圧に押し潰されて、嘔吐してしまったり泣きじゃくる者も出てくる。


 今日もまた、一人のスレンダーな女性が部屋の隅で嗚咽していた。

 そこへ他の女性が、そっと近づいて「大丈夫?」と心配そうに尋ねたのである。


 その言葉と、女性の穏やかで優し気な雰囲気を受け、泣いていたスレンダー女性はさらに涙を流す。

 スレンダー女性を優しく胸に抱きしめている女性の名は――田中小百合。


 彼女こそ、先日モンスターの攻撃にやられ、顔が爛れてしまったものの、鳥本の薬によって再び美しい素顔を取り戻せた人物だった。

 しかし流堂の手下たちに家を襲撃され、夫と子供を殺されてしまうという悲劇に見舞われてしまったのである。


 当初は嘆き、他の女性たちのように嘔吐したり悲痛に身を委ねたりしていたが、次々とやってくる女性たちを見ていると、一番年長の自分が彼女たちを支えなければという使命感を持ち、自分の感情を押し殺して、こうやって皆を励ます側へと回ったのだ。


「ぐす……す、すみません……でした」

「いいえ。気にしなくてもいいわよ。……もう大丈夫?」

「…………はい」


 大丈夫なわけがないのを知っていても、やはりその言葉を投げかけることしかできないのだろう。

 それは小百合の辛そうな表情を見てもよく分かる。


「あなた、お名前は?」

「……上田美優……です」

「そう、私は田中小百合よ」


 この上田美優は、つい最近連れて来られた。最初は気丈としていたが、ここ数日でやはり不安と恐怖からこうなってしまったのだ。


 こういう時、とにかく会話をすることを心掛けているのか、小百合はいろいろと彼女に質問をしていく。

 上田美優は、まだ大学生であったが、世界が変貌してから、一人暮らししているアパートに引きこもっていたらしい。


 しかし食料不足に陥り、何とか手に入れようと外出した時、男数人に囲まれてしまったのだという。

 だがその時、一人の男性が自分を助けてくれて、一緒に食料まで探してくれたらしい。


「……もしかしてお付き合いしているのかしら?」


 小百合の言葉に、ポッと恥ずかしそうに美優が頬を染める。

 どうやらそれをきっかけに、男性とは親しい間柄になったらしい。


 こんな世界でも、その人がいるだけで幸せで、毎日が本当に楽しかったと口にする。

 だがそんな幸せも、ある日、流堂によって崩壊してしまった。


 恋人と一緒に流堂の手下たちに拉致され、自分はここに連れて来られてしまったのだという。


「……その恋人さんは?」


 フルフルと頭を振るだけ。消息不明とのことだ。


「そう。無事だといいわね」


 小百合はそう言いながらも、やはり複雑そうな表情を浮かべる。

 何せ問答無用で人殺しをするような連中だ。彼女の恋人を生かしておく必要はない。


 恐らくは……。

 それももしかしたら美優も分かっているのかもしれない。だからこそ絶望に苛まれているのだ。


「…………あの人に会いたい……っ」


 魂の奥底からの言葉。それが美優の口から零れ落ちた。


「だったらまずは生きることよ」


 小百合が、彼女の手を握って真っ直ぐ顔を見ながらそう言う。


「この世は理不尽なことばかりよ。どうしようもならないことだって多いわ。でもね、生きていれば必ず良いことだってあるの」


 それはきっと、自分が実際に体験しているからだろう。

 どうしようもなかった顔の負傷。それを摩訶不思議な力で治してもらったのだから。


「こんなことをするような人たちには、いつか罰が下るわ」

「……そう、なのかな……」

「私たちはとても無力だし、誰かを待つことしかできない。でもね、簡単に諦めたら、それこそ自分を好きでいてくれる人に申し訳がないでしょう?」


 それが小百合にとっては、死んだ子供たちや夫なのだろう。


「だから私は、ここの人たちが後悔する顔を見るまでは死にたくないわ」

「田中さん……」

「小百合でいいわ。美優ちゃん、私と一緒に希望を手に入れましょう」

「……うん」

「みんなもそうよ! まだ諦める時じゃないわ! きっと……こんなことは長く続かない。私たちをこんなところに閉じ込めている人たちには、絶対に天罰が下るわ! だからそう信じて、今は耐えましょう!」


 小百合の力強い言葉が、部屋中の女性たちの心に触れる。

 ただそれでもやはり信じられない者たちもいた。無理もない。彼女の言葉は、まったくといっていいほど根拠が乏しいのだから。


 それでも小百合の言葉は、少なからず明日を生きる活力にはなったはずだ。

 するとその時、外から女性の悲鳴が聞こえてきた。


 他の部屋にいる女性がまた一人、流堂へ献上されていく。

 同時に小百合たちがいる部屋には緊張と、そして安堵が広がった。


 少なくとも、今夜は自分たちが選ばれることがなかったからだ。他の女性が犠牲になったという複雑な気持ちはあるものの、まだ生き永らえたという想いもまたあるのだろう。


「…………神様、見ているならどうか私たちをお救いください……」


 小百合は両手を組み、祈るように声を発した。




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