第61話 追憶

 ――児童養護施設。


 両親が事故で他界し、親戚も引き取り手がなく、俺はそこへ八歳の頃に世話になることになった。

 周りのガキどもより幾らか大人びていた俺は、なかなか施設の環境に馴染めず苦労していたのだ。


 どうせ俺より不幸なヤツなんていない。よくもまあ笑ってられるよな。

 などと悲劇の主人公を気取って、いつも一人でいて、近づいてくるガキどもを拒絶していた。


 そんなクソ生意気な俺に、根気強く手を差し伸べてくれた人がいたのである。


「そろそろ一人も飽きたでしょ? 楽しいこと、この私がい~っぱい教えたげる!」


 第一印象は鬱陶しい奴。


 名前は――葛城巴かつらぎともえ


 施設の中で一番の年長者で、いつも笑顔を絶やさない十四歳の少女だった。

 事あるごとに俺に絡んできては、しつこ過ぎて俺が諦めるまで遊びに誘ってくる。


 最初は拒絶していた俺も、無理矢理連れ回されたりしていく間に、自然と他の連中とも接点を持ち、気づけば打ち解けてしまっていた。

 これを職員たちは、〝巴マジック〟と呼ぶ。


 彼女にかかれば、どんな手のかかるガキでも、自然と周りに溶け込んでしまうのだという。

 実際俺もまたそのマジックにかかってしまった人間だから何も言えない。


 巴の傍は陽だまりのように暖かく、どこか心地好さを感じさせた。

 俺は奴のことを『人たらし』と、僅かな反発を示すように呼んでいたが、巴は別段気にしていない様子だった。


 それどころか、「みんなが仲良くなれるなら何でもいい」と言って、ガキどもの前じゃずっと笑顔を見せていたのだ。


 そしてある日、また新たなガキが入ってきた。


 それが――流堂刃一。


 今とは打って変わって、ガリガリに細く、どうやら虐待を受けていたようで、体中に傷もたくさんあった。

 だからか、人間を信用していない……いや、人間を怖がっていたのである。


 俺以上に厄介なその存在に対しても、巴は根気強く接していた。

 しかし流堂の拒絶っぷりは凄かった。俺なんかとは比較にならないほどで、職員たちでさえ匙を投げかねない状況だったのである。


 さすがに今回ばかりは巴でも無駄かと思っていたが、ある台風が日本列島を襲った日、外が暴風に見舞われている中、流堂が施設からいなくなったのだ。

 その時、巴が一人施設を飛び出して流堂を探しに行った。俺も彼女を一人にできないとついて行き、ようやく流堂を発見する。


 だがその時、流堂は風で倒れてくる木に下敷きになりそうになっていたのだ。

 咄嗟に巴が飛びついて彼を助けた。


 流堂を助けたことで、顔に怪我を負った巴を見て、流堂はこの人は自分を守ってくれる存在なのだと理解したのだろう。彼女に抱き着き泣きじゃくっていた。

 その日からだ。まるで母親に甘えるように、流堂は巴にベッタリになった。


 ちなみに俺のことも、台風の日に探しに来てくれた兄として慕ってくれるようになったのである。さすがに同年代なので、兄呼ばわりは止めてもらったが。

 巴も母ではなく、姉として俺たちに接し、時には甘やかし、時には叱って、俺たちを導いてくれたのである。


 そんな、いつも傍にいて、自分の不幸を救ってくれた女性に、俺は少しずつ惹かれていった。

 そしてそれは流堂もまた同じだったのである。


 互いに、巴への気持ちがあることを知った時から、俺たちは良きライバルとしての関係に変わった。

 どちらが巴を振り向かせるか、何度も何度も勝負を行ったものだ。


 その度にケンカはダメと巴に叱られたが。

 そして同じ日に俺たちは、それぞれ巴に告白した。


 高校一年生の冬――クリスマスの時期に。

 結果からいえば、巴は俺を選んでくれたのである。

 だが振られた流堂も、当然悔し涙を流しはしたが、俺たちを祝福してくれたのだ。


『お前になら巴姉さんを任せられる。必ず幸せにしてやってくれ、約束だぞ』


 そんな流堂の言葉に対し、俺も、


『約束だ。男に二言はねえ!』


 と真正面から応じた。

 流堂は俺にとって弟であり、親友であり、良きライバルだった。


 だからこそ彼が認めてくれたことが素直に嬉しかったのだ。

 巴が彼を選んだとしても、きっと俺も同じように祝福できたと思う。


 それほどまでに、俺たちは互いに認め合っていたのである。

 そしてその絆は、これからもずっと……永遠に続くと思っていた。


 しかし――その事件は起きた。


 俺たちが高校二年生の冬。奇しくもクリスマスを迎えた日の夜。

 巴が――――殺されてしまったのである。









 クリスマスの三日前、俺は恋人一周年の記念として、どんなプレゼントを送れば良いのか、流堂に相談していた。

 自分でも考えてみたが、誰かにプレゼントをするというのが苦手で、巴にもせいぜい誕生日プレゼントを贈った程度だ。その時も、恥ずかしながら誰かに相談していた。


 流堂曰く、せっかくの記念日なのだからサプライズが良いらしい。女というものは、サプライズ好きというのも流堂からの情報だ。正しいかどうか分からないが、俺よりもモテていた流堂の情報だし全面的に信用していたのである。


 ただプレゼント自体は、それほど凝っていなくても良い。要は演出が大事なのだと教えられた。

 だからプレゼントとしては、高校生の俺がバイト三昧で稼いだ金で買った指輪にしたのである。


 あとはどう渡すかを演出するだけ。

 その日は一泊二日の旅行をするために、ちゃんと旅館も予約して準備は整えていた。とはいっても流堂が手配してくれたのだが。


 そして――クリスマス当日。


 すでに自立して一人暮らしを行っている巴には、事前に旅行に出掛けようと言って許可はもらっていた。

 二人で電車に乗って、初めての旅行を楽しむ。


 巴は見るものや食べるものすべてに喜んでくれて、この旅行は大成功だと思った。

 旅館近くにある海が見える入江に向かい、そこで指輪を渡して俺は大声で、


「結婚してくれっ!」


 と言うつもりだったのである。


 まだガキだし、学生だし、法律的にも無理だし、何を言っているのかと周りには言われるかもしれないが、俺の気持ちを素直にぶつけるべきだと流堂に後押しされた。


 今すぐ結婚は無理でも、婚約するというのも有りだ。むしろ常識のある巴はきっと断る。そこでワンランク下げた婚約という形なら、きっと受け入れてくれるだろう、と。

 さすがはモテ男の流堂。そんなサプライズを思いつくなんて俺には到底できなかった。


 実際に俺は夕日に色づく海を背景に、巴にプロポーズをしながら指輪を差し出したのだ。

 流堂の言う通り、今すぐは無理だよと巴は申し訳なさそうに言ったが、これも想定内の出来事。


 次に婚約者としてはどうかと頼むと、これまた流堂の狙い通りに受け入れてくれたのだ。

 これで晴れて俺と巴は婚約することになった。

 まだ結婚は決まっていないが、それでも俺は人生最高の日を迎えたのである。


 ……よ、よし、今日は記念日だし、旅館も取ってるし……や、やるぞ、俺!


 付き合ってまだ巴とはセックスしていなかった。いわゆる清いお付き合いというやつをしていたのだ。

 しかしこの日、俺はいよいよ大人の男になるつもりだった。


 直接口では言わないが、巴も何となく察してくれていたのか、今日の夜にそういうことをするような雰囲気を出しても、嫌とは言わないし、きっと受け入れてくれたのだろう。


 そうして俺と巴が、入江から離れて、旅館へと通じる横断歩道にさしかかったその時だ。

 突如物凄い速度で車が突っ込んできたのである。


 青信号なのに、と身体が一瞬硬直した直後、ドンッと誰かに身体を押し出された。

 目の前を見ると、そこには両手を俺に向けて突き出して巴がいる。


 ――大好き、才斗。


 涙ながらに笑顔を浮かべて、確かに彼女はそう言った。

 だがそんな彼女を、無情にも車は弾き飛ばしてしまったのである。


「巴ぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


 激しく地面を転がっていく巴。

 車はそのまま速度を緩めることもなく、逃げるように走り去っていった。


 俺はすぐさま立ち上がり巴のもとへ駆け寄る。

 彼女によく似合う真っ白いワンピースが真っ赤に染まり、何度彼女の名を呼んでも返事はなかった。


 すぐに事件を見ていた人たちが救急車を呼んでくれて病院へ運ばれたが、ほとんど即死だったようで、手の施しようがなかったと言われた。

 そこへ慌てて駆けつけてきた流堂が事情を聞き、茫然自失の俺の胸倉を掴み壁へと押し込む。


「何でだっ! お前っ! 何で彼女が死ななければならねえっ!」

「…………すまん」

「っ!? ……ふざ……けんな…………ふざけんなぁぁっ! てめえっ、守るって言ったろ! 幸せにするって約束したじゃねえかよぉっ!」

「すまん……すまん……」


 俺には謝ることしかできなかった。

 泣きじゃくりながら俺を責める流堂に申し訳なくて……何より、自分が不甲斐なさ過ぎて……ここから消え去りたいくらいだった。


 後日、施設の皆だけで葬式は行われた。

 皆が涙を流し、巴の早過ぎる訃報に悲しんだ。誰もが俺のせいじゃないと言ってくれた。


 俺を気遣い、悲しませないための言葉だとしても、俺は……責めてほしかった。俺のせいで彼女は死んだのだと……流堂のように。

 そんな流堂は、葬式に姿を見せなかった。巴を轢き殺した犯人も捕まらず、いまだに逃亡を続けているという。


 その日から流堂は荒れまくり、誰よりも優等生で人気者だった彼は崩壊し、悪い噂があちこちから流れるようになったのである。

 勝手に学校も中退し、不良やヤクザとの関わりも見せるようになった。


 俺は自分のせいで流堂がそうなったのだと思い、何とか彼を止めるべく行動したのだ。

 だが流堂は俺を拒絶し、逆に俺や俺の周りの……施設の連中にまで暴力を振るうようになった。


 しかも自分の手はなるべく汚さずに、手下を使っての暴動だ。

 俺だけならいざ知らず、周りの連中を傷つけるのは間違っている奴の行動に、俺も大いに反発して、何度も何度も衝突を繰り返していた。

 そんな中、ある時、珍しくも流堂から直接連絡があった。


 普段なら罠だと思うが、その時は違ったのである。


『巴の仇……取りたくねえか?』


 電話越しに聞いた奴の声は真剣そのものだった。

 あれからずっと流堂は、巴を轢き殺した犯人を捜してたのだという。そしてようやく見つかった。


 今まで、流堂が巴に関して嘘を言ったことはなかった。彼女が関わることだけは、奴は真摯に徹していたからだ。

 それほどまでに流堂は、巴を尊敬し……愛していたのだろう。


『俺は奴を殺す。俺から彼女を奪った悪魔に地獄を見せてやる』


 それだけを言って奴は電話を切った。

 俺はすぐさま奴の手下を捕まえ、強制的に奴が向かった場所を吐かせた。


 その場所へと俺も急いで向かったが、もうそこではすべてが終わっていたのである。

 辿り着いた場所は、雑居ビルの中にあるどこぞの事務所で、そこには複数の人間が倒れていた。


 その中の一人は、無惨にも全身から血を流して倒れている男だが、その傍に血に塗れたナイフを持って佇む流堂が立っている。


「……よぉ、遅えじゃねえかぁ、崩原ぁ」


 ……今はもう名前では呼んでくれない。そして俺もまた同じ。


「流堂……お前……!」

「ククク、ようやくだ……一年かけてようやく探し当てることができた。これで…………彼女も浮かばれる」


 恍惚そうな笑みを浮かべる流堂。まるで悪魔にでも魅入られているかのような逸脱したその表情に、思わずゾクリとするものを感じる。


「そしてもう一つ、てめえにも罪を背負ってもらうぜぇ、崩原ぁ」

「? 一体どういうことだ?」


 その時、ガツンと後頭部に衝撃を受け、俺は意識を失ってしまった。

 気が付いたら、俺は警察病院に搬送されていて、そこで事情聴取されることになった。

 俺はその時、驚くべき言葉を刑事に投げかけられたのである。


「阿久間剛三、45歳。一年前に君の恋人だった葛城巴を轢き殺した犯人だ。その憎しみから犯行に及んだ。そうだね?」


 思わず言葉を失って固まった。別に奴が本当に犯人だったという驚きじゃない。

 何故コイツは……さも俺が奴を殺したようなことを言っているのかという不可思議さだ。


 当然俺は自分がやってないと反論する。


 しかし……。


「あの場にいた者たちが全員、君が阿久間を殺したところを見ているんだよ」


 何……だって?


 あの場にいた全員ということは、他に倒れていた連中はまだ生きていたということ。そしてそいつらは間違いなく、阿久間の事務所の人間だろう。


 その目で流堂が、自分たちのトップを殺したところも見ていたはず。すぐに気絶させられ、殺しの現場を見ていなくとも、あの場に現れたのが流堂だということくらいは理解しているのは間違いない。

 それなのに何故俺だとそいつらが言う? 流堂を庇うように言うんだ?


 ……いや、流堂のことだ。脅してもしたか?


「阿久間は非合法な商売も多く手掛けていて、暴力団との繋がりもあった。それに過去には受刑歴もある。そんな奴に恋人を殺されたのはショックでしかないだろうね。でもね……それでも人殺しは人殺しなんだよ」


 違う。俺は殺してない。

 だが阿久間の仲間らしき者たちは、全員が俺を売っている。


 たとえ流堂に脅されていたとしても、自分たちのトップを殺した奴を守ろうとするか?


 ……そこで不意に俺の意識を奪ったであろう奴のことを思い出す。


 あの場にいた連中が、最初から流堂が用意した手駒だとしたらどうだ?


 気絶したフリをしていて、タイミングよく起き上がり俺を殴った。

 そう考えれば辻褄が合う。それに、だ。


『そしてもう一つ、てめえにも罪を背負ってもらうぜぇ、崩原ぁ』


 あの時、流堂が言った言葉が脳裏を過ぎる。


「……そうか。あれはこういうことかよ、流堂」

「あん? 何か言ったかい?」


 俺の呟きに対し、刑事が小首を傾げて尋ねてきた。

 俺はそんな刑事に対し、真っ直ぐ彼の眼を見てこう答えた。


「――そうだよ。俺が……奴をぶっ殺してやったんだ」


 そうして俺は、無実の罪で五年という刑を受け、少年刑務所へと移送された。



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