第32話 十時恋音の決意
屋上でひとしきり泣いた日の夕暮れ、わたしはそろそろ病室へ戻ろうと思い、松葉杖を手にした時だ。
「――恋音!」
突如わたしを呼ぶ声がして振り向くと、そこには久しぶりに見る姉――愛梨の姿があった。
「お姉……ちゃん?」
地方の大学へ進学し、勉学が忙しくあまり実家に帰ってこないお姉ちゃんが、わたしに向かって駆け寄ってきた。
そのままギュッと抱きしめられると、
「良かったぁ……無事で良かったわ! ここに運ばれたって聞いて……本当に心配したんだから!」
「お姉ちゃん……お姉ちゃん……ひぐっ……ふえぇぇぇぇんっ!」
わたしは久しぶりの姉の温もりに身を委ねる。お姉ちゃんも優しく抱きながら頭を撫でてくれていた。
ホッとする。大好きなお姉ちゃんが傍にいる。それだけで心細さが吹き飛ぶようだ。
ただ同時に申し訳なく思い、
「ごめん……なさいっ……ごめんなさいっ、お姉ぢゃぁぁんっ!」
いきなり謝るわたしに、当然のように理由を尋ねてきた。
「まひなが……まひながぁぁっ!」
ダンジョン化した公民館にまひなが取り残されていることを知らせた。
するとお姉ちゃんが顔色を真っ青にして「そんな……!」と涙目になる。
「すぐに警察を!」
わたしだって何もしなかったわけじゃない。病院の先生を通じて、警察に動いてもらうように頼み込んだのだ。しかし今は、警察も手一杯で公民館に人員を割けない状態だと伝えられた。
「だったら私一人でも救出に向かうわ!」
「ダメだよ! あんな……あんな場所に一人で向かっても……ダメ……だよぉ」
教室や公民館で見た怪物たち。あんなモノたちに、人間が一人で勝てるわけがない。
たとえ銃を持っていたとしても、だ。アレは理解を超えた存在である。
ここは現実で、RPGのような魔法やスキルなんて存在しない。弱者であるわたしたちが何の策もなく戦える相手じゃないのだ。
「でも! でも……っ」
お姉ちゃんも助けに行きたいのだろう。しかしわたしの言っている意味も分かっている。一人で行けば、必ず返り討ちに遭うと。
そうなればわたしを一人ぼっちにしてしまうことも、お姉ちゃんが躊躇している理由だろう。
「ごめんなさい……私が……まひなを人質に取られたから……!」
――王坂藍人。まさかあそこで再会し、あんな暴虐を起こすとは思わなかった。
あの人のせいで、すべては狂ってしまったのだ。
どうしてあんな酷いことが平気でできるのか分からない。
……でもそんな酷い人に従ってたのはわたしも同じで、本当に自分が情けなくなってくる。
するとその時、だ。
「――――おねえちゃぁぁぁんっ!」
一瞬幻聴かと思った。
でも――。
「おねえちゃぁぁんっ!」
その声に縋るような気持ちで顔を向けると、そこには――愛しい妹の姿があった。
満面の笑みで両手を振っている。そしてこちらに向かって走ってきた。
まひなに会いたくて、とうとう幻聴のみならず幻覚まで見えてしまったのか……。
そう思われたが、お姉ちゃんもまた「ま……まひな?」と口にしている。
つまり、わたしが見ているのは幻でも夢でもない、紛れもない現実だった。
「まひなぁぁぁぁぁっ!」
わたしはお姉ちゃんの腕から離れ、少しでもまひなのもとへと、骨折している右足を引きずりながら前へと進む。
そして膝をつき、飛び込んできたまひなを、その身体で受け止めた。
このニオイ、温もり、そして……。
「おねえちゃぁぁぁん!」
間違うことのない可愛らしい声音。
そのすべてがまひなそのものだった。
「まひな! まひななんだよね?」
「うん! まーちゃんだよ!」
「まひなぁぁぁっ!」
力強く抱きしめる。そこへお姉ちゃんもやってきて、わたしたち二人を何も言わずにそっと抱いてきた。
「あいりおねえちゃん?」
「……ええ、無事で良かったわ、まひな」
「えへへ~、おかえりなさい、あいりおねえちゃん!」
「ただいま、まひな。でもどうしてここに? 一人……じゃないわよね?」
そうだ。一人で公民館から脱出できるわけがない。よしんばできても、ここまで来られるわけがないのだ。わたしがここにいることなんて知らないはずだし、道だって分からないのに。
「あのね、あのね! おにいちゃんがたすけてくれたの!」
「おにいちゃん?」
当然お姉ちゃんも気になったようで聞き返した。
「うん! あそこにね…………あれぇ?」
まひなが振り返って指を差すが、そこには誰もいない。
「おにいーちゃぁぁん! ……あれ? どこいったのー?」
まひなもその人物を呼ぶが、やはり反応は返ってこない。
「ま、まひな? そのおにいちゃんってどんな人?」
今度は私が尋ねた。
「えっとねー、トリしゃんのおにいちゃん!」
「鳥……?」
鳥とお兄ちゃんと聞いて思い浮かぶのは、わたしの中ではたった一人しかいかなった。
わたしはハッとすると、すぐに松葉杖を使って屋上の出口の方へ向かう。
「ちょ、ちょっと恋音、どうしたのよ!?」
慌ててまひなと一緒にわたしを追いかけてくるお姉ちゃん。
わたしは出口でキョロキョロと周囲を見回すが……。
「…………いない」
「まったく、いきなりどうかしたの? もしかしてそのお兄ちゃんって人に心当たりでも?」
「……うん、多分。ううん、絶対」
間違いなく彼だ。でも何で……?
もし彼なら、どうしてまひなを助けてくれたんだろう。
そんな義理だってないはずだ。それにただ助けたわけじゃない。あんな場所に行くなんて自殺行為に等しい。
命を天秤にかけるなんて、そんなことしてくれるわけがない。
だってわたしは……彼を裏切ったんだから。
「おにいちゃん……いない? またトリしゃんとあそびたかったのに……」
また……やはり坊地くんで間違いないみたいだ。
「坊地くん……」
「ぼうち? それがまひなを助けてくれた人の名前なの?」
「……うん。ねえお姉ちゃん……実はね――」
わたしは自分が彼に対してしてしまったこと。そして彼と公民館で再会したこと。
また彼が間違いなくまひなを救い出してくれたことを伝えた。
お姉ちゃんは途中から険しい眼差しをしていたが、話し終わったあとは「そっかぁ」と溜息交じりに口にしたのである。
「そんなことがあったのね」
「……わたしは坊地くんに最低なことをした。なのに……どうして助けてくれたのかな?」
「さあ? それはその彼にしか分からないわよ。でも……忘れちゃいけないことはあるわ」
「それって……」
「まひなの命の恩人だってこと」
「!? ……そうだね」
「そしていつか、また再会した時に、ちゃんとお礼を言うことよ」
その通りだ。それが人として当たり前の行為。
クラスメイトとして、人として何もしなかったわたしが、唯一できることだ。
もう二度と会わないことが償いだと思った。だってそれを彼が望んでいるから。
でもやっぱりそれじゃいけないと思う。このまま何も無かったことなんてできない。
だから――。
わたしは茜色に染まる空を見上げながら想う。
坊地くん……わたし、諦めないから。許してほしいなんて思わない。だけどあなたのために、わたしができることをするから。だから……また会った時は――。
それが、わたしが出した答えだった。
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