第27話 襲撃された公民館

 丈一郎さんは夜になっても帰っては来なかった。

 電話がないので連絡は取れないが、相当に忙しいということだけは分かる。


 それにしてもほとんどタダ働きに近いというのに、よくもまあ他人を助けるために奮闘できるなと感心してしまう。

 平和な日本なら、給料を対価として頑張ることはできるだろう。


 人間、見返りがあるから一生懸命になれる。

 しかし今の世の中で、給金は見返りにすらならない。それよりも食料の方が価値が高いから。

 金なんて幾らあったとしても食えないし、文字通り宝の持ち腐れだ。


 なのに丈一郎さんは寝る間も惜しんで、見返りすら求めずに他人の治療に当たっている。

 ああいう人こそ、本来人間のあるべき姿なのだろう。


 とても俺じゃ真似できない。金をもらえるならともかく、対価も無しに他人を助けるなんて反吐が出そうだ。

 せめて助ける理由があれば分かるが、無償で誰かを助けたいなんて、今の俺は……もう思わなくなった。


「にしても公民館がダンジョン化ねぇ」


 ベッドの上に仰向けになりながら、ふとそんな言葉を口にした。


「つくづく十時も運が無い奴だ」


 いや、一度は地獄から救われた身だ。運は良い方なのだろう。

 あの時は十時に会ったが、ダンジョン化した時にはすでに公民館を離れている可能性だってある。


「ま、俺が気にするようなことでもねえか」


 ただ少し気になるのは、あの小さな子供――十時の妹だ。確かまだ五歳。

 できるなら無垢な子供は助かって欲しいと願う。まだ何色にも染まっていない綺麗な存在なのだ。


 もしかしたら彼女は、俺が通っていた学校の生徒や教師のようなクズにはならないかもしれない。

 そう、人として優れた丈一郎さんのような人格者になる可能性だってある。

 だからもし生き残れるなら残ってほしいとは思う。


「もう深夜二時か。そろそろ寝るかな」


 そう思い、《変身薬》を飲んで瞼を閉じようとしたその時、車が走って来る音が聞こえた。

 そして福沢家の敷地内へと車が入ってきたようだ。


「……帰ってきたのか?」


 俺は少し気になり身体を起こし、窓の外から見える門の方へ視線を向けた。

 やはり佐々木さんが運転する車がそこにある。


 せっかく起きているのだから、挨拶がてら話でも聞こうと思い部屋を出た。

 するとちょうど丈一郎さんと鉢合わせをする。


「おや、もしかして起こしてしまったかい? すまないね」

「いえ、まだ寝ていませんでしたから」

「はっは、気を遣わせて申し訳ない」 


 本当に寝ていなかったのだが、俺が気遣った発言をしたと誤解されたようだ。

 丈一郎さんを見ると、かなり疲弊し切っているように見える。

 恐らく今の今までずっと戦場で腕を振るっていたのだろう。無理もない。


「大変だったようですね。良ければこちらへどうぞ」

「え?」


 俺は彼を部屋へと招き入れ、テーブルに着かせた。

 そしてカップとポットを用意し、美しい橙色に輝く液体をカップへと注ぎ込む。


「どうぞ、《オーロラティー》と呼ばれる紅茶です。疲れが吹っ飛びますよ」


 もちろんこれも今、《ボックス》から出したファンタジーアイテムの一つ。いや、ファンタジー料理か?


「せっかくだから頂こうか。…………ふはぁ~」


 蕩けるような恍惚の表情を浮かべる丈一郎さん。まるで冷え切った身体で、あったかい風呂に浸かった時のような癒しを受けた顔をしている。


「ん? おお……これは」

「ね? 疲れもついでに眠気も吹っ飛んだでしょ?」

「こ、これもまさか君が作った?」

「ええ、効能は疲労回復と眠気防止です。長時間働く人のために作った薬の一種ですね」

「……いや、まいった。本当に君は凄い」

「いえ、凄いのは鳥本一族の力です。俺はただ、与えられたレシピに従って調合を施しているだけで」

「しかしその調合も普通の人間には叶わないのだろう?」

「まあ……そうですね」


 普通の人間というか、俺だけしか不可能だけど。


「私にも君のような力があれば良いのだがね」

「そうなっていたら、きっとあなたは国の良いモルモットとして生を送らされていた可能性が高いですよ」

「っ……はぁ、完全に否定できないのが悔しいよ」


 これだけの稀有な力だ。必ず解明して量産しようと企むはず。多少無茶な実験でも、その者の意思を無視して行われるだろう。そこに人間としての幸せなど一切ない。あるのはモルモットとしての役割と悲惨な結果だけだ。


「そんなに激戦区と化していましたか、病院は?」

「ああ。各地で次々とダンジョン化が起こり、その被害者は後を絶たない。毎日病院には患者が担ぎ込まれてくる。その中で今日は特に酷かった」

「確か避難所に指定されている公民館がダンジョン化したんでしたよね? 被害はやはり甚大でしたか」

「うむ。強大なモンスターに襲撃され、ほとんどの者が手遅れだった。それでも一縷の望みをかけて手術を施すのが医者の務めだ」


 きっと丈一郎さんも次々と執刀し、けれど失われた命がたくさんあったのだろう。


「ただうちの病院はまだマシな方だろう。全国的に停止したライフライン……水道やガスだって備えはあるし、電気も自家発電機や蓄電池、それに太陽光発電システムも取り付けてあるからね」


 それは凄い。まさに盤石の布陣のような準備だ。


「ここらは昔、震災に見舞われたことがあったからね。その時の教訓として、病院の設備だけは完璧にしておこうということになったのだ」


 そういえば確かに昔、ここらで大きな地震があったって聞いたことがある。信じられないくらいの被害者と、多くの悲劇を生んだ。


「しかし備えたライフラインが保てない病院だって出てきているはずだ。……酷いものだよ」


 水や電気が使えない病院を思うと、確かに悲惨な地獄と化しているような気がする。


「そういえば公民館はそのあとどうなったか聞いていますか?」

「そうだなぁ……聞いた話でしかないが、いまだに建物内に取り残されている人もいるようだ」

「取り残されてる人が?」

「ああ。それにダンジョン化する前、公民館ではある問題が起きていたらしくてね」

「問題?」

「何でも大勢の若者たちが、公民館を襲撃したっていうんだ」

「襲撃ですって?」

「とはいっても別に人を傷つける目的じゃなく、狙いは食料や水だったそうだよ」


 ……なるほど。それなら納得できる。


 今の世で、食料や水は宝そのものだ。弱者から奪い取ろうとしてもおかしくはない。


「まったく……嘆かわしいことだよ。こういう時代だからこそ、人と人が手を取り合っていかなければならないというのに」


 それは医師として正義感溢れる丈一郎さんだからこその見解だろう。

 人間はそんなに賢くも綺麗でもない。その中身はどす黒く、とても醜いものだ。


「その若者たちの襲撃の最中にダンジョン化が起きたらしくてね」

「そうだったんですか。襲撃をした若者にとっては因果応報って感じですね」

「はは、仏様ならそう仰るかもしれない。事実、多くの若者たちが命を失ったようだし。こちらも手は尽くしたがね」


 自業自得だし、それはしょうがないような気がする。奪おうとする者は、奪われることも覚悟するべきだ。


「ただ運ばれてきた若者によると、若者たちを指揮していた少年がいて、その少年はいまだ公民館に取り残されているらしいよ。元々公民館に身を寄せていた者たちと一緒に」

「そいつ、一人残されてるとなると叩き出されてるんじゃないですかね」


 だって襲撃をしてきた奴なんだ。俺だったらそいつを囮にでもして、公民館から脱出する。もしくは邪魔だとして殺すことも視野に入れるだろう。


「どうだろうね。警察が動いて何とかしてくれることを祈るしかないかもなぁ」

「警察はまだ動いてなかったんですか?」

「警察だって万能じゃないし、被害地は公民館だけじゃない。あちこちで公民館のような事件が起きているから手が回らないのだろう」


 警察だって人に限りがある。自衛隊だってそうだろう。今も、もっと大規模なダンジョンで奮闘しているはずだ。

 警察にとって優先すべき場所というのも存在するだろうし、公民館へいつ手が回されるか分かったものじゃない。


「……そういえばあの子の訴えはキツかったなぁ」

「ん? 何か言いましたか?」


 それは無意識での言葉だったのか、丈一郎さんが小声で何かを言ったのだが聞き取れなかった。


「あ、いやすまない。実はね、比較的軽傷の子が運ばれてきたんだが、その子が私に言ったんだ。『妹がまだ公民館に取り残されている』ってね」

「……なるほど」

「しかもまだ五歳らしい」


 ……え? 妹……五歳?


 ある予感が脳裏を過り、無視すれば良いのに聞いてしまった。


「そ、その訴えてきた子は、まだ若いんですか?」

「ああ、高校生だって言ってたよ。名前は確か――十時と言ったかな」


 !? まさかと思ったが、予想が的中してしまった。


「……? 鳥本くん?」

「! ……何でしょうか?」

「いや、何だか固まっていたから。もしかして知り合いだったかい?」

「いえ、ただ不憫だなと思いまして」

「そうだね。五歳の子供が、地獄の中へ放り込まれているのだから気が気じゃないだろう。できるなら助け出してあげたいが」


 それから丈一郎さんは、紅茶の礼を俺に言うと、風呂場で身体を洗ったあと、着替えをしてまた病院へと戻っていった。

 ここには着替えを取りに戻ってきただけのようだ。


 そして俺は一人、ベッドの上で寝っ転がり染み一つない天井を見上げていた。




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