第26話 福沢家の者たち

「――父さん、いきなり来てどうしたんだ?」


 現在、俺たちはある一軒家の前まで来ていた。

 俺と環奈はまだ車の中に待機中で、丈一郎さんと佐々木さんだけ外に出ている。


 そして丈一郎さんの目の前には、一人の男性が立っていた。

 彼が福沢家の長男――明人さんだ。


 すらっとした身長に爽やかな顔立ちが特徴のイケメンカテゴリーに属する人物である。


「悪いな。少し用事があったもので来たんだ」

「明後日にはそっちに行く予定だっただろ? その時じゃダメだったのか?」

「別にそんなことはないんだが……忙しかったか?」

「いいや、ちょっと寝不足なだけかな。昨日大きな手術があってね」

「ん? なら患者の傍についていなくてもいいのか?」

「僕は副執刀医だったから。ところで用事って何かな? 明後日でも良いなら、少しでも寝たいんだけど」

「ふむ。ならこのまま帰るとするか。お前にサプライズを用意しておいたのに残念だ」

「え? サプライズだって? 何さそれ?」

「ん? 気になるのか?」

「いや、そんな言い方したら誰だって気になるって」


 丈一郎さんも人が悪い。というか結構ドッキリ好きなのだろう。

 まあ今回の場合、ただのドッキリじゃ済まないが。


「なら見せてやろう。いいか、腰を抜かすんじゃないぞ?」

「ちょ、ちょっと怖いなその言い方……ていうか父さん、物凄く機嫌が良いし顔色も良いし……本当に何があったのさ」

「それもこのサプライズで分かるさ。……佐々木」

「畏まりました、旦那様」


 丁寧に一礼をすると、佐々木さんが車のドアをゆっくりと開いた。

 そして中から出てきた人物を見て、明人さんは言葉を失って見入ってしまっていた。


「えへへ、こんにちは、お兄ちゃん!」

「…………」

「あ、あれ? お、お兄ちゃん?」

「……! え? あ? ええ? ……か、環奈……なのか?」

「うん! そだよ!」

「いや、でも……嘘……だろ? 歩いて……る?」

「ちゃんと自分の足でね! ほらほら!」


 そう言いながら環奈がクルクルと身体を回して見せる。


「こ、これは……夢……?」

「いいや、紛れもなく現実さ。明人……環奈は元の身体に戻ったんだよ」

「か、環奈ぁぁぁぁっ!」

「ひゃっ!?」


 突然大声を上げながら環奈のもとへ駆け寄り、彼女を明人さんは抱きしめた。


「本当に!? 本当に治ったんだな!」

「……うん。心配かけてごめんね。もう……大丈夫だよ」


 環奈もまた、ギュッと抱きしめ返した。


「良かったぁ……良かったぁぁぁ……っ!」


 男泣きとはこのことか、少し前の丈一郎さんのように涙を流して環奈の復活を喜んでいる。


「で、でもどうして!? 一週間前はまだ車椅子生活だったのに……いきなりこんな……!」

「それについては環奈を治してくれた人がいたんだよ」


 丈一郎さんの言葉とともに、俺は反対側のドアからそっと外へと出た。


「初めまして、俺は鳥本健太郎と申します。『再生師』として旅しています」

「再生……?」

「そのことについてはあとで私が詳しく教えてやろう。ただその前に、もう一人ここに呼ばなければならない子がいるだろう」

「……! 稲穂か」

「そうだ。済まないが佐々木、稲穂を迎えに行ってやってくれないか?」

「畏まりました。稲穂お嬢様の自宅は近所ですので、すぐにお迎えに上がります」


 そうして佐々木さんは車へと乗りこんで走り去って行った。

 俺たちはそのまま明人さんの自宅へ入り、リビングへと案内される。


 そこには明人さんの妻である菜々緒さんと、その三歳の息子――健人がいた。

 俺以外は当然面識はあるので、とりあえず二人には軽く自己紹介をしておき、リビングにあるテーブルに着かせてもらう。


「父さん、一体その方がどうやって環奈を? いまだに信じられないんだけど」

「言っただろ。もう少し待て。どうせ稲穂にも説明してやる必要があるんだ。二度手間になってしまう」


 正論だが、それでも医者として、兄として気になるのか、俺をチラチラと見てウズウズしている様子が窺える。


「けど本当にあの環奈が……」


 今、環奈は健人くんを抱き上げたりして遊んでいる。ソルも一緒になって。

 その光景を涙ぐみながら明人さんと菜々緒さんが見ていた。


「本当に良かったです……環奈ちゃん、元気になれて」


 菜々緒さんもまた、最初に環奈と会った時に抱きしめていた。彼女もまた心配していたのだろう。

 そしてしばらくするとピンポーンとインターホンが鳴った。


 菜々緒さんが向かい、少しして一緒にリビングへと入ってきた人物がいた。

 そこには美奈子さんを若くしたような女性がいて、


「ちょっといきなり呼びつけるってどういうことよ、父さん! こっちは夜勤で疲れてるってのに!」


 不満を撒き散らしながら、丈一郎さんを見て詰め寄っていく。

 しかし丈一郎さんがニヤニヤと笑っているのでイラっとしたのか、


「何笑ってるのよ! 兄さんも何か言って――」

「稲穂。あっちを見てごらん」

「え? 何よ兄さ……っ!?」


 明人さんが指を差した方向に顔を向けた稲穂さんもまた、少し前の明人さんと同様に固まった。

 まるで信じられないものを見ているかのように、数秒ほど凍り付いている。


「…………か、環奈……?」


 絞り出すような稲穂さんの声に対し、環奈がニッコリと笑顔を浮かべながら言う。


「お姉ちゃん、治ったよ」

「環奈っ!」


 これまた明人さんと同様に、環奈のもとへ駆け寄り抱きしめ、すぐに顔やら腕やら、そして足などを触っていく。


「環奈なのよね? え? どうして? あんた足は? 立ってるの? 何で?」

「ちょ、お姉ちゃん、くすぐったいよぉ!」

「あんた……本当に……本当に治ったの?」

「うん、心配かけてごめんなさい。もう……大丈夫だよ」

「~~~っ!? ……か、環奈ぁぁぁぁっ!?」


 またも強く抱きつき、盛大に嗚咽し始める稲穂。

 そんな彼女たちを、俺たちは微笑ましく眺めている。


 そしてひとしきり泣いたあと、涙を拭いた稲穂さんがおもむろに丈一郎さんに顔を向けた。


「父さん、どういうことか説明してくれるわよね?」

「そうだ父さん。その方のことを早く説明してくれ」

「え? あらやだ、お客さんがいたの? ちょ、ちょっと洗面所借りるわね!」


 そこでようやく俺の存在に気づいたらしい稲穂さんが、泣きじゃくってメイクが外れた顔が気になったのか、慌てて洗面所へと向かっていった。

 彼女が戻ってくるのを待ち、数分後にリビングへとやってきたので、いよいよ丈一郎さんの説明が入る。


「まずは改めて紹介しようか。彼は鳥本健太郎くんだ。日本を旅している『再生師』さ」

「えと……『再生師』って何? 聞いたことないんだけど」


 当然の疑問を稲穂さんが発した。


「その名の通り生物のあらゆる部分を再生することができる力を持つ人物さ」


 予め、丈一郎さんには、俺の力を身内には伝えても良いと許可している。


「再生医療……ってことかい? いや、それでもたった数日で環奈を治すなんて不可能だよ。父さんも知ってるだろ。環奈の障害は、現代医学では不治の病だった」

「そうね。一週間くらい前に会った時も、下半身の麻痺は一つも良くなる兆しすらなかったわ」

「稲穂の言う通りだ。そんな障害を、再生できる医療があったとしても、たった数日でここまで回復させるなんて有り得ない」


 さすがは医療に携わる者たちの見解だ。まったくもってその通り。


「うむ。私ももちろんお前たちと同じ考えだった。しかし……まずは私の話を聞いてくれ」


 そうして丈一郎さんが、【ききょう幼稚園】で俺と出会った経緯や涼介くんのことを皆に伝えた。


「バカな……! そんな奇跡みたいな薬がこの世に存在するなんて……!?」


 当然のように明人さんは、俺の力を初めて話した時の丈一郎さんのような反応を見せた。

 稲穂さんは言葉を発してはいないが、どこか怪しい者を見るような感じで俺を見ている。彼女の反応も至極当然のものだろう。


「だが実際にその薬は存在し、事実……環奈はこうして再生したんだよ」


 いくら怪しくても、信じたくなくても、実際に復活した環奈がいる以上は、何か神がかり的なものが作用したことだけは納得せざるを得ないだろう。

 誰もが沈黙し、ジッと俺を見つめたままだ。


 俺は目を閉じ、そろそろ何か口にするべきかと思ったその時、


「――――普通じゃなくてもいい」


 突如、環奈が喋り始めたので、皆が彼女に注目する。



「私が治ったことは普通じゃなくていい。異常でも構わないもん。だって……治ったから。鳥本さんが治してくれたから! 私はそれだけで大満足だよ! とっても嬉しいことだもん!」


 向日葵のような一片の曇りのない笑顔。 

 そんな彼女の表情を見て、フッと場の緊張が緩みむ。


「……そうよね」

「稲穂?」

「ねえ兄さん、あの子の言った通りよ」

「え?」

「私たちには理解しがたい力が働いたとしても。現実にこの子が……また笑ってくれる。私は……ううん、私たち家族はそれでいいんじゃない?」

「…………そう……だな。うん、お前の言う通りだよ。環奈……今、幸せかい?」

「うん! 幸せだよ!」


 その偽りのない気持ちを受け止め、明人さんは「そっか」と優しく微笑み、俺に向かって頭を下げてきた。


「鳥本さん、妹を治してくださり、本当にありがとうございました」


 次いで、稲穂さんも同じように腰を折ってきた。


「いえ、丈一郎さんの説明にもあったように、こちらもただ商売を目的として薬を売ったに過ぎませんので」

「それでも、あなたがいたから今の環奈がいることに変わらない。だから……ありがとうございます」


 物分かりが良いのか、空気を読むことに長けているのか、それから明人さんたちは、俺の力について詳しく追及してくることはなかった。


 そして夜まで世話になったあと、久しぶりに外出できて満足気な環奈たちと一緒に、福沢家へと戻ったのである。

 ただ家の門へと近づいたその時、その前に一台の車が停止していた。


 どうやら福沢家へ尋ねてきた客のようだが……。

 するとこちらの存在に気づいたのか、車から一人の男性が慌てて降りてきた。


「あれは……有沢くん?」


 俺が「お知り合いですか?」と尋ねると、「ああ」と言って丈一郎さんが続ける。


「彼は一緒の病院で働いている医師だよ。今日は非番だったはずだが……。どうやら私に用事らしい。君たちは先に家の中へ入っていてくれ。佐々木、あとは頼む」


 丈一郎さんが車から降りると、佐々木さんがそのまま敷地内へと車を移していく。


「何かあったのかな、病院で」


 環奈が何気ない様子で口にするが、確かに有沢という人物がどこか焦っている様子だった。

 もしかしたら丈一郎さんを頼らなければならないような急患でも入ったのかもしれない。


 俺と環奈は真っ直ぐ家の中へと入り、出迎えてくれた美奈子さんに挨拶をしていた。

 するとそこへ丈一郎さんが険しい顔つきで入ってくる。


「悪いな美奈子、すぐに病院へ向かう」

「どうかされたんですか?」

「大量の患者が運び込まれたようでね。私の手も借りたいらしい」

「モンスター事案、ですか?」


 俺がそう尋ねると、丈一郎さんが「うむ」と頷く。


「どうやら病院の近くにある公民館がダンジョン化したらしい」


 ……何?


 丈一郎さんが勤務している病院の居場所は知っている。そこの近くの公民館となると……。


 あの公民館……だよな?


 思い浮かべるのは、十時と遭遇した公民館だ。


「あそこの公民館は避難所になっていたはず。まさかダンジョン化してしまうとは……美奈子、あとは任せたぞ」

「はい、あなた。お気を付けて」

「お父さん、頑張ってね!」


 丈一郎さんは、挨拶をそこそこにして再度家から出て行った。



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