第18話 白ひげ先生

 座り慣れた車の後部座席にゆったりと腰を落ち着かせ、今日も成果はなかったかと大きく溜息を吐いた。


「……最近、お疲れのようでございますが」


 いつも運転を頼んでいるドライバー兼使用人である佐々木が、バックミラー越しに私を見て不安そうな声音で話しかけてきた。


「いや、大丈夫だ」

「しかし連日、病院回りにボランティア活動と、精力的に働き過ぎではないかと。顔色もお悪いですし、少しお休みを取られた方がよろしいのでは?」

「それはできん。こんな世の中になって、多くの怪我人や病人が増えてきている。私の力で助けられるのなら助けたい。それに……病院を回っているのも下心あってのことだ」

「……お嬢様の件でございますね」


 そう、我が娘――環奈のことだ。

 あの子はとても不憫な子である。あのような悲劇に見舞われて、自身が望んでいた将来を奪われるなんて理不尽過ぎる。


 あれから三年。多くの医者や専門家に治療に関する意見を聞いてきたが、どれも芳しくないものばかり。

 環奈はよく笑い、家の手伝いも率先して行うような素直で可愛い子だった。


 そして将来性に溢れ、大きな夢まで持っていたのである。 

 それを一瞬にして失った。そのショックなど、同じ経験をした者にしか分からないだろう。


 事件当初は、毎日毎日部屋の中で泣きじゃくり、私たち家族すらも近づけさせてはくれなかった。

 そこで私はせめて人間以外なら心を開いてくれるのではと、ミニチュアダックスフンドを買い与えた。

 それは功を奏し、徐々にペットである風太のお蔭で、少しずつだが私たちとも話してくれるようになったのである。


 そして現在では、外にも出て私の出迎えすらしてくれるようになった。

 笑顔も見せてくれるが、やはり時折物悲しそうな表情をすることがある。いまだ彼女に刻まれた心の傷は深いのだろう。


 無理もない。まだ僅か十二歳なのだ。遊び盛りだし、自分の足で歩いたり走ったりしたいはずである。

 せめて治療の甲斐があるような手法が見つかれば……。


 どうにか走れないまでも歩けるようになってくれれば……。

 そう思い、私は毎日多くの人と会い、その度に腕の良い医者の話や、病に詳しい専門家、そして薬関係の情報などを聞いて回っているのだ。


 確かに毎日忙しい。時には目眩で倒れそうになることもある。

 しかしそのすべては娘の笑顔に通じていると思えば、この程度のことなど苦労とは呼べない。


「……ああ、最後にあそこに寄ってくれないか?」

「まだお仕事なさるおつもりなのですね?」

「頼むよ。最近、あそこに避難した子供の一人が高熱を出しただろ? ただの風邪だとは思うが、今日も確認しておきたい」

「本当に……旦那様は『赤ひげ』でいらっしゃる」

「はは、私はそんな立派なものではないよ。ただ……自分がしたいと思うことをしているだけさ」


 私は人間が好きなのだろう。いや、人間だけじゃなく生きているものすべてが好きだ。

 命とは、そこにあるだけで素晴らしいもので、できればどの命も最高に輝いた人生を送ってほしい。


 だからこそ理不尽な死や障害が憎い。問答無用で人生を絶望たらしめるから。

 私にできることは小さいが、それでも少しだけでもその人の人生を豊かにできれば嬉しい。


「旦那様、例の幼稚園に到着致しました」

「ああ、では少し行ってくる」

「お気をつけて、行ってらっしゃいませ」


 私は佐々木に見送られながら、【ききょう幼稚園】へと足を踏み入れた。

 もう夜なので静かなものだが、ここには多くのお子さんを持つ保護者たちが身を寄せている。


 そのほとんどは家にモンスターが出現して帰れなくなった者たちだ。

 幸いこの幼稚園にはモンスターがいないし、それなりに広いということで避難場所として開放しているのである。


 ただまだ小さい子供たちが多く、熱を出したり怪我をしたりする回数もまた多い。

 だからこうして適度に見回り、子供たちや保護者が無事が確かめているのだ。

 私が玄関を開けると、ちょうど園長さんが近くで作業していたようで、


「あら、先生! こんばんは! 今日も来てくださったんですね!」

「ええ、お邪魔ではないでしょうか?」

「もちろん! みんなー、『白ひげ先生』が来ましたよー!」


 園長先生がそう声を上げると、ドタドタドタと勢いよく小柄な者たちが駆け寄ってきた。


「わーしろひげせんせーだ!」

「こんばんはー!」

「わーいわーい、せんせーがきたぁ!」


 などと子供たちが抱き着いてきた。


「あっはっは、うんうん、みんな元気そうだな」


 ここへ来ると、日々の疲れが吹き飛ぶような気がする。

 やはり子供たちの無邪気な笑顔は何よりの癒しだ。


 まだ環奈が幼児だった時も、この幼稚園で世話になっていた。だからこそ、ここの幼稚園はずっと平和であり続けてほしいと願う。


「そういえば涼介くんはどうですか? あれから熱は下がりました?」


 私はしがみついてきている子供たちの頭を撫でながら園児に聞く。


「あっ、それがですね! もうすっごいんですよ!」

「え? 凄い? 何がですか?」

「実はですね、今日の夕方頃に涼介くんがまた高熱を出して大変だったんです」

「それは……涼介くんは無事なんですか?」

「はい。今は……って噂をすれば」


 部屋の奥からヒョコッと顔を出した少年こそ、件の涼介くんだった。

 彼は私の姿を見ると、元気よく駆け寄ってくる。


「こんばんはー、しろひげせんせー!」

「あ、ああ、こんばんは。……涼介くん、もう身体は大丈夫なのかい?」

「うん! もうげんきー! ごはんもい~っぱいたべたよ!」

「ご飯もいっぱい? ……あの、病み上がりで、そんなに食事を?」

「あーそれがですね、もう本当に完治したというか、治ってすぐに走り回れるようになったんですよ」


 ……それはおかしい。どんな病だって、すぐに治るということは有り得ない。


 しかも夕方に高熱が出たのに、まだ数時間しか経っていない状況で、子供が食事をたくさん取れるわけがないのだ。




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