第7話 後悔するクラスメイト
どうしてこんなことになったの……かな。
わたしは薄暗い理科実験室の中で、一人震えながら昨日を振り返っていた。
時刻は昼休みが終わったあと、授業が始まってすぐの時だ。
突然窓の外――グラウンドがある方角から悲鳴が聞こえてきた。
当然のようにわたしたちは、何が起きたのか確認するが、そこにあったのは理解しがたい光景だった。
まるでゲームやアニメに出てくるような異形な存在が、生徒たちを次々と襲っていたのである。
最初は何かのイベント? と思ったが、実際に生徒が殺されるのを見て、これは現実に起きている惨殺だということを理解した。
すると今度は廊下側からも叫び声がこだまする。
授業をしていた先生が、「自分が見てくるから教室に待機するように」と言い教室を出た。
だがその直後に、先生が突然血を流して倒れたのである。
見れば首があらぬ方向へ曲がっており、顔の半分が陥没していた。
もちろんその光景を見ていたわたしたちは愕然とし、さらに先生を倒した犯人の姿を見て絶句する。
それは真っ赤な肌をした鬼のような存在。手には血に塗れた金棒を持っていて、明らかに言葉の通じる相手ではないことが分かった。
そんな赤い鬼が、金棒を振り回し扉を破壊して教室の中へと入ってきたので、もうクラスメイトたちはパニック状態だ。
必死にもう一つの出入り口から逃げようとするが、そこにも同じような鬼が立ち塞がった。
逃げ道は最早、窓の外くらいになるが、ここは三階でおいそれと飛び出すわけにはいかない。
それに下を見れば、そこにも人間ではない者たちが闊歩していた。押しても引いても地獄とはまさにこのことである。
するとそこへ、
「お、おい! 俺はこの学校の理事長の孫だ! いいか? 金ならやるし、俺だけでも見逃してくれ」
いきなり何を……と思ったが、発言した人物を見て納得してしまった。
――王坂くん。
この学校で誰も逆らえない、逆らうことを許さない生徒である。
事実今まで逆らった人物は、退学に追い込まれ学校から消えていった。下級生でも上級生でも関係ない。
彼の機嫌を損なったら、この学校では生きていけないのだ。
まさに暴君そのものといえるだろう。
そんな彼だからこその発言に、誰もが特に驚きはなかったはず。
しかし鬼たちは聞く耳を持たないのか、ジリジリと王坂くんとの距離を詰めていく。
すると何を思ったのか、王坂くんがいつも取り巻きとして傍にいる石田くんを自分の盾にしたのだ。
当然石田くんは怯えて腰が引けているが、
「いいか? 俺を裏切ったら殺すからな?」
と脅しをかけられて、下がるに下がれない状況になっていた。
だが鬼たちには、彼らの関係など知りもしない。おもむろに金棒を振り被り、王坂くんたちに向けて振り下ろした。
同時に王坂くんが石田くんの背中を押して、自分は一歩後ろへと距離を取る。
――グシャァァァァァッ!
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
周囲に飛び散る生温かい血と肉片。
そして頭部のない人型の塊が、鬼の前でフラフラとしていた。
それが石田くんの変わり果てた姿だと認識できたのは数秒後。
全員が顔を真っ青にして叫び出す。
だが王坂くんだけは違った。鬼が石田くんを殺した隙を狙って、自分一人で教室から出て行ったのである。
彼のそんな姿を見て、クラスメイトたちも我先にと鬼の脇を通り抜けようとするが、鬼もすぐにまた攻撃を開始し、次々と惨劇が行われていく。
に、逃げなきゃ……!
そういうわたしも、こんなところで死にたくはないのは一緒だ。
でも足が竦んで動けそうもない。机や椅子が金棒で吹き飛び、同時に人間がいとも簡単に玩具のように壊されていく。
わたしは咄嗟に窓際のカーテンを掴み立ち上がろうとしたが、飛んできた首なし死体にぶつかって倒れ込んでしまう。
その瞬間、カーテンがブチッとレールから外れ、わたしはカーテンに身体を覆われてしまう。
もう終わりだと思い、身を小さくして固まっていた。
けたたましい悲鳴や破壊音が響き渡り、次は自分の番だと覚悟をしていたが、しばらくして音が止み、大きな足音が教室の外へと向かうのと耳にする。
そうして足音が聞こえなくなってから、恐る恐るカーテンの隙間から外を確認した。
そこには思わず吐き気を催してしまうほどの惨状が広がっていたものの、鬼の姿は消えていたのである。
どうやらカーテンに覆われていたわたしの存在を鬼たちは見つけることができなかったらしい。
しかしまだあちらこちらで悲鳴や、獣の咆哮のような身が竦む音が聞こえている。
私は恐ろしくなって、一歩もそこを動けずにジッとしていた。
……何時間経ったのだろうか。外は夕暮れ時が近づいていた。
すっかり物音一つしなくなった頃、わたしはようやく立ち上がった。
すでに血のニオイには慣れてしまっていたが、教室内はもう誰かも分からないほど砕けた人間の遺体が転がっている。
わたしはできるだけ下を見ないように教室の外を確認した。
廊下にも生徒たちが無惨な姿で横たわっている。この学校のいる生徒たちがすべて殺されたのではと錯覚するほどの数の死体が、そこかしこに散っていた。
カーテンを被りながら、ゆっくりと歩を進める。
目指す先は決まっていた。廊下の突き当たりにある非常用階段だ。
そこから一気に下へ降りて脱出したい。
音を立てずに静かに歩いていくと、その先の脇道からこちらに向かってくる足音が聞こえた。
わたしは慌てて近くの扉を開き、その中へと潜り込む。
そこは理科実験室で、普段から窓にはカーテンが閉められていて暗い上、外も徐々に暗くなりつつあることからも、ほとんど真っ暗な状態だった。
怖い……怖いが、外の方がもっと怖い。
だからわたしは部屋の隅の方へ走り、物陰に身を潜ませた。
すぐ傍には脱出口があるが、もう無理だ。怖くてここから一歩も動きたくない。
すると今度は銃声らしき音と、またも獣のような咆哮が聞こえてくる。
わたしはもう訳が分からなくなって、耳を塞いで蹲った。
これは夢だ、悪夢だ。
そう言い聞かせて瞼をギュッと閉じて震えている。
そうして止むことのない音と恐怖や不安のせいで、ずっと眠れずにここで一夜を過ごしたのだった。
そして現在、スマホの時間を見ると午後三時半。もうすぐまた学校で夕方を迎えることになる。
本当にどうしてこんなことになったの……かな。
あんな恐ろしい怪物が、次々と校内に出現するなんて異常としか言えない。
しかも突然だ。何の前触れもなく現れた。
そんな現象があるだろうか。それにあの怪物たちが現実に存在していることも意味が分からない。
これってもしかして…………天罰、なのかな?
そう口にするくらいには心当たりがある。
わたしが席を置くクラスには、有名人が二人いた。
一人は言わずもがな、理事長の孫である王坂藍人くんである。
そしてもう一人は――坊地日呂くん。何故彼が有名なのかというと、少し前まで件の王坂くんのターゲットだったからだ。
いわゆる――イジメという最低の行いの。
坊地くんは、どちらかというと物静かな男の子といった印象だ。しかし他人を拒絶しているわけじゃなく、一年の頃も同じクラスで、他の男子と放課後に一緒に遊びに行くくらいにはコミュニケーションを取っていた。
成績も良く、気も利くということで、教師だけでなく男女関係なく生徒にも評判は良かったのである。
わたしもクラス委員長の仕事を手伝ってくれたりして、すごく頼りがいのある男の子で、普通に会話もする間柄だったのだ。
しかしそんな坊地くんが、二年になった頃、同じクラスになった王坂くんに目をつけられてしまった。
坊地くんだって、王坂くんのことは聞いていたはずだ。平和に学生生活を送りたければ、彼に従っていた方が良いことを。
だが坊地くんは歯向かい、敵として認識されしまった。
それから坊地くんの扱いが教師、生徒ともにガラリと一変したのである。
わたしだったら耐えられないほどの苦痛を毎日強いられ、全生徒からも爪弾きにされてしまったのだ。
孤立無援となった彼は、それでも決して王坂くんに屈しようとはしなかった。
わたしは不思議だった。どうしてそこまで自分を強く保てるのか。
当然わたしだって王坂くんに従うのは嫌だ。もっと自由に、みんなが笑えるようなクラスにしたい。一年の時のように。
でも歯向かえばきっと人生が終わってしまう。そんな恐怖と不安に押し潰されてしまい、結局は王坂くんの言いなりなるだろう。
けれど坊地くんは、どれだけイジメられても、殴られても、バカにされても、絶対に王坂くんのやり方を認めなかった。
他のクラスメイトたちは「正気じゃない」や「さっさと謝ればいいのに」などと言っていたが、わたしは……。
凄い……。
心の底からそう思った。
真っ直ぐ、自分の信じる道を突き進んでいる彼の姿は、間違いなく人として正しい。
そう、間違っているのはわたしたちだ。
正しくありたいなら、坊地くんに手を差し伸べるべき。
でもそんなこと、誰もが怖くてできない。
わたしも何度か坊地くんが心配になって声をかけたが、その都度拒絶されてしまう。
当然だろう。心配してるといっても、しょせんは表面的だ。
王坂くんの陰に怯えて、安全圏から声をかけているだけに過ぎないのだから。
そんな声が、坊地くんに届くはずもないのだ。
そして昨日。怪物たちが現れた時、教室には一人だけ……坊地くんだけがいなかった。
まず間違いなく、王坂くんたちにどこかへ呼び出され殴られたりしていたんだろう。
その現場だって、前に見たことがあるから分かる。
わたしは不意に、少し年の離れた姉のことを思い出す。
彼女は現在、地方の大学で学んでいるはずだ。ここみたいに怪物に襲われてなければいいが。
幼い頃から、わたしはずっと姉を目標に生きてきた。
賢く、気高く、とても綺麗なお姉ちゃん。
男の子にも負けないその強さが羨ましく、いつもお姉ちゃんの傍にいて守ってもらっていた気がする。
そしてお姉ちゃんが地元を離れ、地方へ行く時にわたしに言った言葉があった。
『ねえ、恋音。どんな辛いことや痛いことがあっても、自分が正しいって思ったことだけは貫きなさい。絶対に後悔しないようにね』
いつも正しく。わたしを導いてくれていた灯台のような姉。
…………ごめんね、お姉ちゃん。わたし……全然正しくないや。
せっかく与えてくれた言葉をまったく守れていない。
それにわたしはお姉ちゃんでもある。五歳の妹がいるのだ。
あの子も今頃は幼稚園にいるだろう。……会いたい。会って抱きしめたい。
どうかあの子も無事であるように願う。
ただ一つだけ。ホッとしていることもある。
坊地くんが教室にいなかったことだ。
外にいた彼。もしかしたら怪物たちの目を盗んで逃げ伸びている可能性が高い。
頭も良いし運動神経だってある。だからこそ彼ならば、という期待感はあった。
「……坊地くんを見捨てた報い、なのかもしれないよね」
一年の時、困った時とか手を貸してくれたのに、それを仇で返したようなものだ。最低の人間がするようなことである。
でもやはり死ぬのは……怖い。
こうして一人で考え込んでいると、どうしても昔のことばかり思い出す。
あの時、こうしていれば良かったなどといった反省や後悔のことばかり。
もちろん楽しい思い出もたくさんあるけれど、後ろめたいことばかり脳裏に浮かぶ。
「もしまた坊地くんに会うことができたら…………謝りたいな」
きっと不可能だろうけど。
廊下には引っ切り無しに聞こえてくる足音。
外に出れば怪物に襲われ、結果は火を見るよりも明らかだ。
いつかここにも怪物は現れて、そしていつかは見つかって……。
「もう一度……お姉ちゃんにも会いたかったな……」
そう小さく呟いたその時だった。
突如廊下から銃声が轟き、反射的に身が竦む。
同時に「ギガァァァァァッ!?」という甲高い断末魔のような声が鼓膜を振るわせる。
そしてバタバタバタと、大勢いの足音が廊下から鳴り響く。
直後に扉がガラガラと開き、
「――クリア。おい、誰かいないか?」
人間の男性の声が聞こえた。
わたしは「え?」と声に出し、包まっていたカーテンの中から顔を出す。
すると懐中電灯がわたしの顔に当たる。
「生存者発見! 保護に移ります!」
物々しい恰好をした男性が、次々と中へ入ってきて、わたしのもとへ駆けつけてくる。
「もう大丈夫だ。さあ、早くここから脱出するよ」
ほとんど諦めていた。
神様はきっと、一人の少年を見捨てた自分を救ってはくれないだろう、と。
でも……でも……。
「うわぁぁぁぁぁんっ!」
助かった安堵から、わたしは涙が流れるのを止められなかった。
こうしてわたしは、地獄の中から救われたのである。
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