第39話
陽は竜鎧を伴い、ただひたすらに前へ前へと歩みを進めてゆく。彼の頭上に広がる空には弧を描いた月が浮かび、散りばめられた星々が光り輝いている。
科学の光に打ち消された空を毎日眺めていた彼がその景色を見たとすると、間違いなく感嘆の息を漏らしたことだろう。
だが、そんな絶景が広がる空を見る事も無く、彼は何もない地面をずっと見ながら進んでいた。
彼は考えていた。周りの事が入って来ない程に、思考を巡らせる事に没頭していた。彼は、逃げたいと、忘れたいと、そう願っていたはずだった。
木霊するのは、渚との会話と、グロム達との会話だけ。渦のように頭の中を埋め尽くす。結局彼は、それらを捨て去る事など不可能だったと気付く。
ただひたすらに空虚で無価値だった彼の人生。凪のようなそれは、彼の周りにただ一つの波すらも生まなかった。渚がそれを、彼に告げていた。
そんな人生に波が生まれたのは間違い無くあの時からだった。日常で眠り、非日常で目覚めた時。
良くも悪くも、彼の人生は変化していたのだった。それは紛れも無く、竜鎧や、ステラ達、そして渚との出会いがあったからだ。
巡っていた思考は、その結論に辿り着き、そこで止まった。肌寒く感じる空気と、微かに感じる土の匂い。彼は、決意に満ちた表情で顔を上げる。
歩き続けた彼は、何も無い荒野の中心に立っていた。振り返ろうとも、マーレの街は遥か彼方の闇の中だ。
ただ1つ、彼の他に存在するものがあった。その名前を、彼は口にする。
「竜鎧」
次世代の戦闘機。人類に勝利をもたらすために生み出された兵器。自分がそのパイロットに選ばれた。
そんな情報が彼の脳裏によぎるが、それらは一瞬にして霧散する。そんな事、今の彼にとってはどうでも良い事だったからだ。
見ているのは、竜の姿をしたナノマシンの集合体では無い。その奥に宿る、渚の意識だった。
普段は周りの様子を伺う事しか出来ないと語っていた。だが、裏を返せば、今、この状況を、見ているのではないか。
陽はその事に賭け、竜鎧に語り掛ける。青い瞳の奥に眠る、渚の意識へ。
「こうして改めて考えてると、渚さん、あなたの言っていた事は間違いじゃ無かったと思えます。俺の人生は、無価値に思える」
遠くの星を眺めながら、そう零す。竜鎧の眼にはどこか吹っ切れたような横顔が映っていた。
「誰にも影響を与えず、消えてしまっても世界は変わらない」
受け入れられなかった真実を、自らの口に出し、受け止める。あのまま変わらずに過ごせば、渚の口から語られていた未来が訪れただろう。彼はそう確信していた。
「でも、ここに、この世界に来て、それは変わった」
彼の顔が、竜鎧に向く。視線と視線が交わり、陽の目は青い瞳を捉えて離さない。
「俺を見て、グロム達は変わった。いや、俺が変えてしまったんです」
嘆くようにその考えを告白する。誰にも影響を及ぼさなかった彼が初めて与えたもの。それは自らの行いや、存在に対する疑問。
そしてそれは、彼がそう願ったからではない。素留陽がとった行動によって、グロム達の常識の色は塗り重ねられた。陽にとってそれは、悪い方向へだと、考えていた。
「彼らの価値観は捻じ曲がったんです。俺と言う存在と関わる事で。俺はその責任を取らないといけないんです!」
陽と関わる事が無ければ、グロム達は何の疑問も抱かず、自己の存在について悩まずに済んだのかもしれない。だが、もう事は過ぎ去った後であり、変わってしまった事実は塗り替える事は不可能であった。
「彼らは考えを変えてまで、俺を助けてくれた、歩み寄って来てくれた。なら、それに報いなければいけない!俺も彼らのように変わらないといけない!」
ならばと、彼に出来る事は何か考えた時に、彼自身も変わる事の他に、方法は浮かばなかった。
「グロム達だけじゃない。ローウェンさんの死に対してもだ」
強く握りしめられた拳が、彼の掌に爪痕を作る。そんな彼を、竜鎧は身じろぎすら全くしないで静かに見つめ、話を聞いている。
「そのために俺は、知らなくちゃいけないんです、自分に何が出来るかを……!」
大それた目的など存在しない。だが、何をするにしても、彼は己と向き合う必要があった。人類の希望と成り得るように、与えられた力に。
「だから、渚さん。あなたの力を、竜鎧の力を、俺に貸してください!」
陽は竜鎧に、その奥にいる渚に、手を伸ばした。
そんな陽の行動に、竜鎧のとった行動はただ一つだった。
彼の身体を、光の粒子が包み込む。瞬く間に彼の姿は、黒き竜を鎧として纏った姿に変わった。
彼はすべての意識を翼に集中。翼からは轟音と共に光が放たれ、彼の身体は空を舞う。
彼は見極めるため、その力を全力で振るう。頭に浮かんだものを、そのまま身体から放出する。彼の周りでは、ありとあらゆる天災が巻き起こる。
燃え滾る巨大な炎、全てを押し流す無数の波、先が見えなくなるほどの暴風と雨、更には落雷や吹雪など。彼ら以外何も存在しなかった更地の荒野には、一瞬にして天変地異がもたらされた。
その中心に佇む陽は、鎧が生み出す、地形を変えるほどの凄まじい力を見て思った。この力の限界は、こんなものでは無い、と。
まだ先に行けると、鎧がそう告げているかのように力は増す。すべての事象が混ざり合い、打ち消し合う。まるで途方も無い宇宙の果てを覗いているかのような、不思議な感覚が陽を襲う。
「宇宙……」
彼は上を向き、その先に広がる星空を見た。
「行けるのか?あそこに」
手を伸ばす。未知なる空へ。恐怖など、彼の中には存在しなくなっていた。
「行くぞ!」
竜鎧を纏えば、どんな環境下でも活動が可能。ならば彼はそれを試す以外に考えは無かった。どこまでやれるのか、限界を知るために。
彼は大きく翼を広げた。深く息を吸い込むと、彼の身体は空に向けて一直線に打ち出される。そして、まるで流星のように空を掛ける。
先へ、先へ。高度の上昇に伴って、彼の感情も高まってゆく。雲を突き抜け、手を伸ばす。脳裏に蘇って来るのは、日常の風景。
彼はそんな記憶に思いを馳せる。
――思えば、これまでの俺の人生はとても空虚なものだった。
何か目標があるわけでもなく、押し寄せる波になんとなくで流されるだけの人生。
きっとこれから先もそうなのだろう。波間で揺れる水泡のように、何の意味もなく水底に帰していく。
結局それを自分1人で変える事は出来なくて、諦めたように消えてゆくのだろう。
──だが、そんな俺を、誰かの手が救い上げてくれたのならば、何かが変わるのだろうか。
変えられなかった人生を変える事が出来て、潮風のように大海原を駆け抜けられただろうか。
更に感情が高まるにつれて、彼の意識は白く染まり始める。竜鎧を纏った彼の身体は、遂には大気圏をも突き抜けようとしていた。だが、次第に、その勢いは弱まり始めていた。
そんな中で、彼の意識は、完全に白に飲み込まれていった。
陽の意識と、竜鎧の奥底に眠る渚の意識。2人の意識は深層で溶け合い、2人は再び出会う事になる。
3度目になる、白い世界。以前よりもさらに鮮明になったその場所で、陽の前には渚が現れる。彼女は、今にも泣き出しそうな表情で、彼を見つめていた。
「渚さん、俺は……」
渚の顔を正面から捉え、真剣な表情で語り始める。
「俺は、あなたに感謝しています」
「……!!それは、どうして?」
陽の言葉に驚きを隠せない様子の渚は、彼が口にした言葉の真意を恐る恐る訪ねた。
「あなたは、俺にチャンスをくれたんだと、そう思ったんです。何物にもなれなかった俺が、何かになるためのチャンスを」
「けれど、人類はもう……私はただ、あなたを巻き込んでしまっただけで……」
「もう、終わってしまった事を嘆いても仕方がありません。それに、仮に巻き込まれただけだったとしても、チャンスを与えてくれたのには変わりは無い。俺は今そう思ってる」
渚の目からは、大粒の涙が流れ落ちていた。
「なりたい自分がどんなものなのかは……まだよくわからないけど、それもここなら!この『異世界』なら、俺は変れると、そう思ったんだ!そう思えたのは、あなたのおかげです、渚さん」
自分と同じ価値観を持った人間が存在していない世界。そんな場所で変わるという事は、今まで自分が培ってきたすべてが無駄になってしまうかもしれないという事。
彼はそれを重々承知したうえで、自らの決意を口にした。同時に、必ず変わるという、自身に対しての戒めでもあった。
「ありがとう、陽君。ありがとう!」
渚は心からの感謝を告げ、膝から崩れ落ちた。止まらない涙をぬぐい続けるている。だが、その表情は決して悲しいものでは無く、陽の目からは、笑っているように見えていた。
「……渚さん、最後に一つ、教えて欲しい事があります」
「グスッ……なにかしら?私に答えられる事なら、何でも聞いて?」
「この世界は一体何なんですか?ステラ達は?クラム達三日月達は?あなたはそれを、知っているんですか?」
「それは……あなたが今、目を開ければ、理解出来るはずよ」
渚は陽の問いに対して明確な答えを示さなかった。
「それって……!」
「それじゃあね、陽君。あなたの言葉で、私は救われた」
別れの言葉と、感謝の言葉。笑顔でそう言った彼女は、陽に近寄り、彼の手を握りしめ、胸に抱いた。
「きっとこれから先の未来でも、あなたは大きな壁にぶつかることになる」
たじろいだ彼をよそに、渚は言葉を続ける。彼は渚が語った言葉を真剣に聞く。何を言われているのか、彼は理解していたからだ。
「でも心配しないで、いつも私がついているから。 私は、あなたの幸せをずっと傍で願っているから!」
幸せを願う。今の陽には、渚のその思いをしっかりと感じる事が出来ていた。彼の心は、温かい気持ちで包まれる。
そして彼の身体は白い世界から引き上げられてゆく。瞼を開けた先には、暗い闇が広がっているのだろうが、彼は恐れる事も無く目を開ける。持った疑問を、解くために。
「あぁ、そうか」
目を開き、眼下に広がる景色に声を漏らす。ここは、陽とは違った人たちが住み、彼の持つ常識は当てはまらない『異世界』。だが、その姿は、彼のよく知っている形をしていた。
宇宙から差す太陽の光に当てられた、先程まで立っていた、緑の大地。見渡す限りの、青い海。雲間から見えるそれらの景色は、彼にその結論を導き出させた。
「ここは、未来の地球か」
よく知っているようで、全く知らない場所。人類が絶滅し、侵略者と機械が闊歩する場所。そんな場所に、彼はただ一人の人類として、降り立って行った。
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