第35話
「ッ!」
奥底に沈んでいた意識が浮上すると共に、陽は勢いよく目を開けた。
「ここはどこだ?」
急いで上体を起こして周りを見渡す。
そこはマーレの街に来てから使用していた部屋でもなく、そして当然、彼が住み慣れたアパートの一室でもない。
物が少ない質素な部屋だった。部屋の中心に彼が横たわっていたベッドと、そのすぐ隣に小さなテーブルがあるのみで、その他に家具などは置かれていなかった。
天井近くには鉄格子付きの窓が開いており、出入口の扉は見るからに重厚であり、その中心付近には部屋の様子を見るための小窓が取り付けられていた。
独房。陽が現在いる部屋に対して抱いた感想はそれだった。外に面しているであろう鉄格子付きの窓からは、日の光が入り込み、現在時刻が夜では無い事を告げていた。
「包帯……」
誰かが彼の傷を手当てしたようだ。彼の身体には、丁寧に包帯が巻かれ、無数にあった打撲や切り傷を綺麗に隠していた。
「ハァ……」
陽はそんな事どうでも良いといった様子でため息を吐いた。彼は先程まで見ていた夢のような現実について考えていた。
「何も影響を与えなかった。消えても未来は変わらない。か……」
彼が無情にも突き付けられてしまった現実。嘘だと切り捨ててしまう事も彼には出来た。
だが、どこか納得してしまっており、自分の生き方ならそうなるのも理解出来る。彼はそんなふうに考えていた。
そして彼の意識が現実に引き上げられる直前、渚が語っていた言葉に思考を持っていかれる。人類はもう、絶滅しているという事。
彼は人類を救うために過去から呼び出されたはずだった。呼び出した渚本人がそう語っていた。
だが、彼が救うべき人類は何処にもいないという。そして、元の日常に戻ることも出来ない。仮に戻れたとしても、その先に待つのは自ら下す死のみ。
彼は近い未来、自分がどう行動するかを知ったとしても、それを変えるほどの熱意は無かった。彼は抜け殻のように起こした身体を再びベッドに投げ出した。
「ハァ……これから俺は、どうすれば?」
陽は自分に問いかけるように独り言を呟いた。だが、彼の内から答えが返ってくる事は無く、発した言葉は天井に吸い込まれて消えてゆく。
彼が新たに知ったのは、哀れだからという理由で竜鎧のパイロットとして自分が選ばれた事と、自分の人生が無意味だった事だけ。
渚の語っていた事柄から、彼女が陽をこの場所に呼び込んだという事はほぼ間違いないだろう。だが、彼女が掲げていた目的は消滅し、ただそれに巻き込まれた陽だけが残る形となった。
陽は寝返りを打ちながら思考を回す。そして、忘れていた重要な事を思い出した。ステラ達についてだ。
「そうだ!あの後、どうなったんだ?」
必死にクラム語り掛けるも、最後にはあっけなく首を落とされた。そして彼は、ステラ達の事を侵略者と呼んでいた。スイッチが入ったかのように、陽の脳裏に記憶が蘇ってゆく。
記憶が途切れる直前、何かを叫んでいた。拳を握り締めていた。そして、怒りに支配されていた。彼は記憶を辿り、それらの事を再確認する。
だが、思い出そうとしてもその後の景色は浮かぶ事は無く、彼は諦めて身体の力を抜いた。
「クラムは……いや、三日月達は、機械なんだ。人間じゃ、無いんだ……」
首から伸び出たコードから、陽はそう結論付けた。そして、自分に言い聞かせるように呟くが、脳裏にフラッシュバックするのはクラムの恨みが込められた視線と、飛び散った赤い血。
陽は喉の奥から込み上げる不快感を無理矢理に押し留める。口に手を当て、鼻で大きく息を吸い呼吸を整える。
彼らをただの機械だとは考えられない。それが陽の抱いた感想だった。彼は塔の外で戦った兵士達には、どこか機械的な印象を感じていた。
だが、クラムに関しては自分達と何も変わらないような、飄々とした態度もプログラムされたものでは無く、クラムの性格故に存在する個性の一部であるかのように思えていた。
結論として陽は、そんな彼を簡単に殺したグロム達に不快感を覚えていた。陽は額に手を当てて、歯噛みする。
そんな時だった。陽の耳に、出入口の重厚な扉が開けられる音が届いた。彼は顔だけを動かし、出入口の方向を見た。
「……!ヨウ、起きていたんだな」
「ステラ、さん」
扉の奥から現れたのは、普段着に着替えたステラの姿だった。彼女は陽が目覚めていたことに、陽が気付かない程一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに真剣な顔に戻り部屋の中へと入ってゆく。
「怪我の具合はどう?痛みは無いか?」
ステラは微笑みながら陽に近付く。だが、身体を起こした陽はそんなステラの質問には答えず、ステラを鋭い目つきで睨み、力の籠った声でこう言った。
「クラムを、殺しましたね?」
「……ッ!あぁ、それは紛れもない事実だよ、すまない。情報を聞き出せるチャンスを逃したんだ、君が怒るのも理解出来る。だが、グロム達の気がはやり過ぎていた。私も彼らを止めたかったが、間に合わなかった」
ステラは謝罪をするが、その内容に陽は反応した。
「俺が何故怒っているかを全く理解出来ていませんね……!俺は情報を聞き出せなかった事に腹を立てているんじゃない、あんた等が簡単に人を殺した事が信じられないんだ!」
「……!」
「クラムには心があった、痛みだって、きっとある!俺はクラムが殺された時、あんた等の目が黒く塗りつぶされているように見えたよ。人を殺してはいけない。そんな事も、理解できないのか!」
今にもステラに掴みかかろうとするほどの剣幕で、陽は声を荒げた。陽の怒りを向けられたステラは、目を丸くして驚いていた。
「私が、昔から感じている疑問……」
「……?」
ステラが小さく呟いた言葉を、陽は聞き取る事が出来なかった。ステラは、そのまま黙り込んでしまった。
埒が明かないと感じた陽は、彼女に質問する。
「……あの後、どうなった?グロムがクラムを殺した、その後の事」
陽が聞いたのは、彼の記憶が途切れた後の事だった。
「……その事で、君に伝えておかなければならない事がある。それは」
「それは?」
陽の質問に、ステラは少しだけ考えるしぐさをした後に話し出した。
「あの後、君は我を忘れてグロムに向かって殴りかかったんだ。鎧を纏ってね」
そこまでは、陽も予想をしていた事だった。だが、次にステラの口から出た言葉に、陽は驚愕する。
「そして君の攻撃をローウェンが庇ったんだ。死んだよ、彼は」
陽は息を呑む。ぞわりとした感覚と共に冷や汗が全身から吹き出す。
「そ、んな」
怒りに燃えていた彼の表情は、一瞬にして絶望の表情へと変わり果てていた。
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