第34話
俺は今、何をした?俺は今、どうなってる?今一体、何が起きた?
微かに覚える浮遊感、夢と現実の境でまどろんでいるような感覚。魂だけになり、ふわりと浮いているかのような感覚。
そんな感覚に包まれながら、陽は意識を取り戻した。身体の感覚が朧気で、上手く目を開けられずにいた。彼が身体を動かそうにも、まるで麻痺してしまっているかのように動かす事が出来なかった。
彼の意識が明確になるにつれて、先程までの出来事が脳裏に走馬灯のように次々と蘇る。
「ッ!!……そうだ、俺はあの時、頭が真白になって……!」
無慈悲にも振り下ろされた槍、飛び散る赤い血、落とされた首。そして、首の断面から伸びていたコード。
「俺はあの時、訳が分からなくて。でも、とても腹が立って……クソッ!なんで身体が動かないんだ!?」
瞼を閉じ、暗い闇の中から必死に抜け出そうとする。そして彼は、やっとの思いで目を開く事に成功した。
「嘘だろ……」
だが、彼が目を開けた先に広がっていたのは、現実の風景では無かった。
白く白く、果てが見えない程に白が続く世界がそこにはあった。そしてその白い世界の事を、彼は以前から知っていた。
「まただ、これはあの時と同じ、夢?」
陽は確かめるように自分の身体に視線を落とす。動かせなかった身体はいつの間にか動くようになっていた。
地に足が付いている感覚はあった。しかし、雲の上にでも立っているかと錯覚するほどに、いくら手足を動かしても空を切るだけで、前に進む事は出来ていなかった。
「夢じゃないと、前にそう言ったはずよ?」
「!?」
前方から突如として聞こえた声に驚き、陽はすぐさま顔を上げた。前を見た彼の目には、見た事も無い誰かが立っていた。
「こうして話すのは2度目ね?
彼の名を呼んだ、落ち着いた、優しげな声。陽はその声に聞き覚えがあった。それは彼がステラ達に出会う前に見た夢の中で、彼に語り掛けていた声だった。
あの時、声の主は白い霧のようなものに包まれ、輪郭さえも不明瞭で正体が全く分からなかったが、今回は違った。
「女の人?」
声の主は、若いの女性の姿をしていた。ぼさぼさの黒い髪を肩先辺りまで伸ばし、シワだらけのワイシャツとスラックスの上から白衣を羽織っている。
整った顔には大きい黒縁眼鏡がかけられており、その奥の目には濃い隈があり、陽は彼女がやつれているような印象を受けた。
彼女からは慈愛に満ちた視線が陽へと向けられており、白い空間の中に、病的な顔で微笑むその姿は、陽の目からするととても不気味に見えていた。
「……あなたは一体誰なんですか?」
女性が言った2度目という言葉、そして陽自身が現在進行形で体験している非日常。夢ではないと突き付けられた言葉の信憑性が増してゆき、彼はどこか現実感すらも覚え始める。
目の前で頬笑みを絶やさない女性に向けて、彼は質問を投げかける。ステラ達のように現実離れをしていない容姿や服装を見て、陽の警戒心が少し下がる。
彼女は絶対に、自分が置かれている今の状況について、重要な何かを知っている。彼の中にはそんな確信が生まれていた。
「私は、
そのように名乗った彼女は、自らについて語り始めた。
「普段私の意識は、
「ま、待ってください。竜鎧って何ですか?」
渚がすらすらと紡ぐ言葉の中に、聞き覚えの無い単語があり、陽は慌ててその事に関して尋ねる。
「竜鎧については君もよく知っているはずよ?ずっとあなたの傍にいる竜の姿をした鎧の事よ」
竜の姿をした鎧。その名前、その特徴から、考えるまでも無く陽は、指している対象を理解する。
「竜鎧……あれは一体何なんですか?」
「竜鎧は、ナノマシン技術を用いて作られた、次世代の戦闘機。装着するとあらゆる環境下でも活動する事が可能であり、破損が生じた場合でも、太陽光や人体の老廃物から自己修復もこなせる。そしてそのパイロットに陽君、あなたが選ばれたの」
「俺が、選ばれた?」
陽には、早口で述べられる竜鎧の細かな説明よりも気になった点があった。渚が言っていたように、彼が竜鎧のパイロットとして選ばれたという点だ。
彼は、ごく普通の大学生であり、ナノマシンと言うような大それた技術に触れる機会も無かった。そして、パイロットに選ばれるような事をした覚えも一切存在しなかった。
「そう。竜鎧に乗り、人類の未来を救う事こそが、あなたに課せられた使命なの」
陽は息を呑む。人類の未来だの使命だのといった事は、彼にとってはスケールが大きすぎて、全く話に付いて行けていなかった。
「どうして、俺が?俺が選ばれた理由が、何もわかりません……」
「それは……」
これまで、途切れる事の無かった渚の言葉が、ここに来て初めて詰まりを見せた。重なり合っていた視線は逸れ、表情も暗いものになる。何かを言おうとするような素振りを見せてはいるが、躊躇いがあるのか口を開いては閉じてを繰り返している。
「それは、あなたが……」
「俺が、なんですか?早く言ってくださいよ」
歯切れの悪い返答に陽は苛立ちを覚える。彼の言葉に、渚は逸らしていた視線を戻した。
そして、悲しげな目で陽を見ながら、彼が竜鎧のパイロットに選ばれた理由を語った。
「あなたが、その人生で、世界に何も影響を与えなかったからよ」
「……え?」
渚の言った事の意味を掴めず、陽の口からは情けない声が漏れ出た。
「どういう、意味ですか?」
「そのままの意味よ。あなたの人生は、誰にも、何にも、大きな影響を与える事は無く、たとえその存在が歴史の海から消えようとも、未来が変わる事は無い。そう判断されたから」
告げられた言葉に陽の動きが止まった。渚が彼に投げかけた言葉は、彼の人生を正面から否定する言葉に他ならなかった。
陽が強烈に感じる不快感をよそに、渚は再び目を伏せ、話を続けてゆく。
「素留 陽。1998年7月14日、会社員である素留
語られたのは、陽の歩んだ人生についてだった。そして当然だが、それは彼がよく知る内容であった。
「何を、言って……」
「そして大学を卒業した2021年3月、当時借りていたアパートの一室で死亡しているのを、退去の為の連絡が付かない事を不審に思った大家が発見した。死因は首つり自殺による
「は?」
「これが、あなたの歩んだ人生よ」
陽には、語られていた内容が、途中までは真実であることが分かっていた。だが、彼が未だに経験していない筈の部分が、渚の話の中には存在していた。
大学を卒業した後、自殺をする。その一説が、彼の脳内へと木霊していた。
「どうして、俺がまだ経験していない未来の話を知っているんですか?」
陽は乾燥しきった口を動かし、震えた声で尋ねる。
「それは、私達があなたの生きていた時代よりも未来の人間だからよ。あなたに関するデータを見て、パイロットに出来ると判断されたのよ」
流すように自分が未来人だと語る渚に、陽は頭が痛くなる。
次々と押し寄せる情報の波に、陽の思考は溺れているように回転と停止を繰り返す。
彼は正直な所、自殺を行う動機に心当たりが無いわけでは無いと思っていた。何をするにも無気力で、このまま生きていても意味があるのかと、ふとした瞬間に考え込む事もあった。
そしてその考えと、渚の語った寸分違わぬ彼の人生模様から、この話は事実であると結論付けた。
出会って間もなく、全く信用もしていない人物の話を信じてしまう程に、陽の思考は混乱してしまっていた。
「あなたの生きていた時代からそう遠くない未来、ある理由から人類は絶滅の危機に瀕する事になるの。その際に人類は完全に個々人を管理し、それぞれに役割を持たせた。世界を回すうえで無駄な人員が出ないように、減り続けていた人類の数を維持するために」
陽の混乱をよそに、渚は話を続ける。
「そしてその中で竜鎧計画が産まれた。私は計画の責任者に選ばれ、計画は順調に進んでいたの。けれど最終段階になった時に、問題が発生した」
「パイロット……」
「その通り、生き残った人類は皆重要な役割を持っていた。竜鎧のパイロットに割ける人員は存在しなかった。それで、過去から人員を調達する事にしたの」
「……俺の他に、候補者は居たんですか?過去から存在が消えても何も問題のない人間は」
嫌な言い方をした。陽は頭の中でそう考えるが、言葉は既に口から出された後だった。彼の言葉を聞いた渚は、暗い顔を更に濃くし、彼の問いに返事をした。
「候補者は何人か居たわ。若くて、竜鎧に乗った際の衝撃に、使う力に耐えられる人物は」
「責任者はあなただったんですよね?ならどうして、その中から俺を選んだんですか?」
「それは……あなたの事が、とても哀れに思えたから……」
「……ッ!!」
「残された文字だけのデータを見た時に、そう思ったの。最初に話した時の事を、覚えているかしら?私は、あなたの幸せを願っている、と」
「覚えて……いや、今思い出しました」
「私は、あなたが竜鎧に乗り、人類の英雄となる事で新しい形で幸せを掴める。そう思ったの」
そんな渚の話を、陽は俯きながら聞いていた。そして彼は拳を握りしめ、振り絞るように声を上げた。
「…でない!そんなの、頼んでない!」
「陽、君……」
「俺がいつ救ってくれとあなたに頼みましたか!?それに、英雄が救いになるなんて考え、俺には無い!」
渚のエゴに塗れた思考で、自分が巻き込まれた事を知り、陽は激怒する。
「ここに来てから、ずっと辛い思いしかしていません。こんな事なら、あなたから教えられた未来の通りに、自殺していた方が楽だったかもしれない!」
陽は大声で叫び、肩で息をする。2人の間には言葉は無くなり、場には陽から聞こえる洗い息遣いだけが残っていた。
「もう、あなたを元の場所に戻す方法は無いの……それに……」
「それに?」
「あなたが目覚めた時に気が付いた。人類はもう、絶滅した」
顔を伏せた渚の口から衝撃の事実が告げられる。
「え……」
陽に訪れる何度目かも分からない困惑。彼は言葉にならないといった表情で固まる。その脳裏には、ステラ達が浮かぶ。
彼女たちは、人類では無いのか?そんな考えが浮かんだが、次の瞬間に身体が引き上げられるような感覚に陥り、その考えは霧散する。
「ごめんなさい、もう時間みたい」
陽の意識は薄れ始め、渚の声が遠くに聞こえる。彼は白い世界から、闇の中へと落ちてゆく。
「私はあなたの幸せを願っているわ。それだけは変わらない」
完全に意識が途絶える前に、彼の耳は優し気な声色で囁かれた言葉を聞いた。
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