お返しの暴走

「あれ、平良じゃないか」


 その声に振り向くと、僕の高校の物理教師の安井正明先生だった。今年度の物理の授業でお世話になった、まだ二十代の若い先生だ。


「安井先生」


「おう。お前もバレンタインデーのお返しを買いに来たのか?」


 そう言って先生はニヤリとする。


 僕らがいるのは、いわゆる「デパ地下」というところだ。ホワイトデー直前の日曜日。セール真っただ中で、色とりどりのお菓子が山のようにディスプレイされている。


「まあ、そんなところですね。先生もですか?」


「まあな」安井先生はそっけなく応える。


 この人の彼女は、同じ高校の総合科で教えている南野都羽とわ先生だ。彼女は今年度から正式採用されたが、昨年度も臨時教員として働いていた。僕は普通科なので教わることはないんだが、南野先生はアイドル並みの容姿を備えていて男子生徒から凄まじい人気がある。しかし、去年の春あたりから安井先生と一緒に街中でデートしている姿を何度も目撃されており、おかげで彼は総合科の男子からかなり恨まれているらしい。


「お前、彼女いたんだな」


「え、ええ……まあ」


 そう。一応僕にも彼女……と言えるかどうかはまだ微妙なところだが……少なくともクリスマスを一緒に過ごした女の子はいる。クラスメイトの瀬川美玖みくさんだ。と言っても、一緒にクリスマスを過ごしたのはオンライン擬人化戦闘機ゲーム「編隊これくしょん」(略称「編これ」)の中の話、だが。


 瀬川さんとは今に至るまでずっとゲームの中では同じ飛行隊スコードロン僚機ウィングメイトであり、クリスマスの後もなんとなく連絡を取り合う仲になった。ただ、ゲームの中では彼女は"カニンガム112"というハンドルの男子キャラなので、あまり色っぽい会話はできない。とは言えゲームの外でも状況は似たようなものなのだが。


 それでも某ショッピングサイトを通じて、彼女から某高級ブランドのチョコレートが送られてきたのにはさすがにビビった。なので、今日はホワイトデーにそのお返しをしようと、アイテムを見繕いに来たのだ。


「へぇ。クラスメイト? 俺の知ってる子?」


 安井先生は興味津々、といった様子で僕の顔を覗き込む。

 まあ、来年はこの人にはお世話になることはないし、喋っちゃってもいいか。


「誰にも言わないで下さいよ」


「おう」


「瀬川さんです」


「……え」先生の目が真ん丸になる。「瀬川!? あのめっちゃ美人な子? マジかよ……やるなあ、平良。なんかいつもボーっとしてる割には」


「……最後の一言は余計だと思いますが」


「ああ、すまん。そうかぁ……それなら、気合入れて選ばんとな」


 そう言ってニコニコしていた安井先生が、急に真顔になる。


「そうだ……お前のクラスの子にはまだ聞いてなかったな。お前、瀬川に連絡取れる?」


「え?」


「いや、実は……ちょっとしたミステリーに巻き込まれててな……少し彼女に聞きたいことがあるんだ」


「……はぁ」


---


 瀬川さんが待ち合わせのカフェに現れたのは、連絡してから1時間後だった。


「あ、こっちこっち」


 僕が手を振ると、すぐに彼女は気づいたようだった。どうもゲーセンで編これのアーケード版をやっていたところに僕が連絡したせいで、ちょっとご機嫌ナナメなようだ。


「何よもう……いきなり呼び出すなんて……あれ、安井先生」


「悪ぃ。俺が彼に言って君を呼び出してもらったんだ」


「え?」


「とりあえず、座って」


「はい……」


 彼女は僕の隣にちょこんと座る。


「実はさ、これなんだよ……」


 そう言って、安井先生は右手に持っていたコーヒーカップを置き、代わってジャケットのポケットからスマホを取り出すと、少し操作してから画面を僕らに向ける。


 そこには、何か文字が書かれた紙を写した、と思われる写メがあった。


「なんですか? これ」僕が首をひねる。


「メッセージカード。バレンタインデーにチョコと一緒に届いたんだ」


 そう言って先生は画面をスワイプすると、見覚えのあるチョコの写真が表示される。


「あ、これ、僕が彼女からもらった奴と一緒ですよ。そうだよね?」


 僕が瀬川さんに振り向くと、彼女も微笑んで僕をちらりと見ながらうなずく。


「そうか。これ、有名だもんな……だけどな、問題は、この写真に写っているこのチョコとメッセージカードを送ってきた人間が、誰だかわからない、ってことなんだよ」


 そう言って安井先生が眉根を寄せる。


「え、メッセージカードに書いてないんですか?」


「見てみなよ」


 先生が画面をピンチアウトして画像を拡大する。そこにはこう書かれていた。


 大好きなキミへ

 いつも一緒にいてくれてありがとう

 これからもよろしくね

     C より


「え、これ、普通に彼女から、じゃないんですか?」僕がそういうと、先生は大きくため息をついてみせる。


「俺だってそう思ったよ。だから、都羽にチョコとカードを見せて、ありがとう、って言ったんだよ……そしたらさぁ……あいつの目がみるみる吊り上がってさぁ……その後はあまり思い出したくない……」


 ……。


「まあ、あいつからは別にチョコレートもらってるから、おかしいなあ、とは思ったんだんだよな。『南野都羽』のどこにも "C" の字はないしな。てなわけで、俺は是が非にもこれらの送り主の "C" を探さなければならない、ってことなんだ。だけど、同僚の先生方に聞いても知らない、って言うし、俺の担任のクラスの女子に聞いても、誰も知らないって言うし、去年の理系クラスの女子は二人だけだったけど、どちらも身に覚えがない、って言うし……だけど確かに、苗字も名前も頭文字が "C" の女の人って、いないんだよな……」


 安井先生は頭を抱えながら、続ける。


「でもさ、はっきり言って、学校関係者以外は俺も全く考えられない。夜のお店とかも行ったことないしな。だけど……『ほんとはそういうところに行ってるんでしょ?』なんて彼女に疑られてさぁ……ほんと、参ってんだよ……」


「そうなんですか……」瀬川さんが同情するようにうつむく。


「だからさ、クラスで君の知り合いの女子で、こういうもの送ってきそうな子、いたら教えてほしいんだが」


「いませんね」即答だった。


「……へ?」


「だって、うちのクラスの女子、みんな彼氏いますよ」


 それは彼女自身のことも含めて、なのだろうか。しかしそれを聞く勇気は僕にはなかった。そんな僕の様子に気付きもせず、瀬川さんは続ける。


「安井先生のこと好き、って言ってた子も……いなかったと思うなぁ……」


「う……そうはっきり言われると……それはそれで、なんかちょっと傷つくなぁ……」先生の顔が悲しげに歪む。


「あ……すみません。でも、いいじゃないですか。先生にはあんなかわいい彼女がいるんだから」


「だからそのかわいい彼女との関係がだな、いま非常に微妙な感じに……」


 先生がそう言いかけた時だった。


 着信音。


「!」


 瀬川さんのスマホだった。その画面を見て彼女が言う。


「あ、お母さんだ。すみません」


 そう言って彼女はスマホを耳に当てる。


「もしもし、お母さん?」


『あんた! 何やってんらてー!』隣の僕にも聞こえるほどの大声だった。『もうとっくにお兄ちゃん帰省しかえって来てんらよ! みんなあんたを待ってんらっけ、早く帰って来なせや!』


 ……どこの言葉なんだろう。明らかに北陸ではなさそうだけど……あ、そう言えば、瀬川さんのお母さん、新潟の人なんだっけ……


「ああっ! ごめん! すぐ帰るわ! それじゃ!」


 電話を切った瀬川さんは、ペコリと頭を下げる。


「すみません! 私、すぐ帰らないと」


「あ、ああ……いいよ。こちらこそ、いきなり呼び出してごめんな」


 安井先生が笑いかけると、彼女は、すみません、ともう一度頭を下げて、いそいそと席を立つ。その様子をしばらく目で追っていた先生は、彼女の姿が消えると同時に、再び大きくため息をつく。


「そうか…… "C" はお前のクラスの女子でもない、ってことか……いったい誰なんだ……」


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