お返しの暴走
謎
「あれ、平良じゃないか」
その声に振り向くと、僕の高校の物理教師の安井正明先生だった。今年度の物理の授業でお世話になった、まだ二十代の若い先生だ。
「安井先生」
「おう。お前もバレンタインデーのお返しを買いに来たのか?」
そう言って先生はニヤリとする。
僕らがいるのは、いわゆる「デパ地下」というところだ。ホワイトデー直前の日曜日。セール真っただ中で、色とりどりのお菓子が山のようにディスプレイされている。
「まあ、そんなところですね。先生もですか?」
「まあな」安井先生はそっけなく応える。
この人の彼女は、同じ高校の総合科で教えている南野
「お前、彼女いたんだな」
「え、ええ……まあ」
そう。一応僕にも彼女……と言えるかどうかはまだ微妙なところだが……少なくともクリスマスを一緒に過ごした女の子はいる。クラスメイトの瀬川
瀬川さんとは今に至るまでずっとゲームの中では同じ
それでも某ショッピングサイトを通じて、彼女から某高級ブランドのチョコレートが送られてきたのにはさすがにビビった。なので、今日はホワイトデーにそのお返しをしようと、アイテムを見繕いに来たのだ。
「へぇ。クラスメイト? 俺の知ってる子?」
安井先生は興味津々、といった様子で僕の顔を覗き込む。
まあ、来年はこの人にはお世話になることはないし、喋っちゃってもいいか。
「誰にも言わないで下さいよ」
「おう」
「瀬川さんです」
「……え」先生の目が真ん丸になる。「瀬川!? あのめっちゃ美人な子? マジかよ……やるなあ、平良。なんかいつもボーっとしてる割には」
「……最後の一言は余計だと思いますが」
「ああ、すまん。そうかぁ……それなら、気合入れて選ばんとな」
そう言ってニコニコしていた安井先生が、急に真顔になる。
「そうだ……お前のクラスの子にはまだ聞いてなかったな。お前、瀬川に連絡取れる?」
「え?」
「いや、実は……ちょっとしたミステリーに巻き込まれててな……少し彼女に聞きたいことがあるんだ」
「……はぁ」
---
瀬川さんが待ち合わせのカフェに現れたのは、連絡してから1時間後だった。
「あ、こっちこっち」
僕が手を振ると、すぐに彼女は気づいたようだった。どうもゲーセンで編これのアーケード版をやっていたところに僕が連絡したせいで、ちょっとご機嫌ナナメなようだ。
「何よもう……いきなり呼び出すなんて……あれ、安井先生」
「悪ぃ。俺が彼に言って君を呼び出してもらったんだ」
「え?」
「とりあえず、座って」
「はい……」
彼女は僕の隣にちょこんと座る。
「実はさ、これなんだよ……」
そう言って、安井先生は右手に持っていたコーヒーカップを置き、代わってジャケットのポケットからスマホを取り出すと、少し操作してから画面を僕らに向ける。
そこには、何か文字が書かれた紙を写した、と思われる写メがあった。
「なんですか? これ」僕が首をひねる。
「メッセージカード。バレンタインデーにチョコと一緒に届いたんだ」
そう言って先生は画面をスワイプすると、見覚えのあるチョコの写真が表示される。
「あ、これ、僕が彼女からもらった奴と一緒ですよ。そうだよね?」
僕が瀬川さんに振り向くと、彼女も微笑んで僕をちらりと見ながらうなずく。
「そうか。これ、有名だもんな……だけどな、問題は、この写真に写っているこのチョコとメッセージカードを送ってきた人間が、誰だかわからない、ってことなんだよ」
そう言って安井先生が眉根を寄せる。
「え、メッセージカードに書いてないんですか?」
「見てみなよ」
先生が画面をピンチアウトして画像を拡大する。そこにはこう書かれていた。
大好きなキミへ
いつも一緒にいてくれてありがとう
これからもよろしくね
C より
「え、これ、普通に彼女から、じゃないんですか?」僕がそういうと、先生は大きくため息をついてみせる。
「俺だってそう思ったよ。だから、都羽にチョコとカードを見せて、ありがとう、って言ったんだよ……そしたらさぁ……あいつの目がみるみる吊り上がってさぁ……その後はあまり思い出したくない……」
……。
「まあ、あいつからは別にチョコレートもらってるから、おかしいなあ、とは思ったんだんだよな。『南野都羽』のどこにも "C" の字はないしな。てなわけで、俺は是が非にもこれらの送り主の "C" を探さなければならない、ってことなんだ。だけど、同僚の先生方に聞いても知らない、って言うし、俺の担任のクラスの女子に聞いても、誰も知らないって言うし、去年の理系クラスの女子は二人だけだったけど、どちらも身に覚えがない、って言うし……だけど確かに、苗字も名前も頭文字が "C" の女の人って、いないんだよな……」
安井先生は頭を抱えながら、続ける。
「でもさ、はっきり言って、学校関係者以外は俺も全く考えられない。夜のお店とかも行ったことないしな。だけど……『ほんとはそういうところに行ってるんでしょ?』なんて彼女に疑られてさぁ……ほんと、参ってんだよ……」
「そうなんですか……」瀬川さんが同情するようにうつむく。
「だからさ、クラスで君の知り合いの女子で、こういうもの送ってきそうな子、いたら教えてほしいんだが」
「いませんね」即答だった。
「……へ?」
「だって、うちのクラスの女子、みんな彼氏いますよ」
それは彼女自身のことも含めて、なのだろうか。しかしそれを聞く勇気は僕にはなかった。そんな僕の様子に気付きもせず、瀬川さんは続ける。
「安井先生のこと好き、って言ってた子も……いなかったと思うなぁ……」
「う……そうはっきり言われると……それはそれで、なんかちょっと傷つくなぁ……」先生の顔が悲しげに歪む。
「あ……すみません。でも、いいじゃないですか。先生にはあんなかわいい彼女がいるんだから」
「だからそのかわいい彼女との関係がだな、いま非常に微妙な感じに……」
先生がそう言いかけた時だった。
着信音。
「!」
瀬川さんのスマホだった。その画面を見て彼女が言う。
「あ、お母さんだ。すみません」
そう言って彼女はスマホを耳に当てる。
「もしもし、お母さん?」
『あんた! 何やってんらてー!』隣の僕にも聞こえるほどの大声だった。『もうとっくにお兄ちゃん
……どこの言葉なんだろう。明らかに北陸ではなさそうだけど……あ、そう言えば、瀬川さんのお母さん、新潟の人なんだっけ……
「ああっ! ごめん! すぐ帰るわ! それじゃ!」
電話を切った瀬川さんは、ペコリと頭を下げる。
「すみません! 私、すぐ帰らないと」
「あ、ああ……いいよ。こちらこそ、いきなり呼び出してごめんな」
安井先生が笑いかけると、彼女は、すみません、ともう一度頭を下げて、いそいそと席を立つ。その様子をしばらく目で追っていた先生は、彼女の姿が消えると同時に、再び大きくため息をつく。
「そうか…… "C" はお前のクラスの女子でもない、ってことか……いったい誰なんだ……」
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