3

 年明けになると、ぽつぽつと原稿がメールで届き始めた。みな俺のテンプレートにほぼ従って書いてくれている、の、だが……


 同じWordでも、OSやバージョンが違うと微妙にレイアウトが崩れたりするのだ。図版がどこかに飛んで行ってしまったりする。しかし、そんなのはまだ序の口だった。


 中にはテンプレートをガン無視した原稿や、一太郎形式のファイルをそのまま送ってくるような人たちもいるのである。意外に一太郎ユーザーの教員は多い。特に国語など、縦書き文書の作成が必要な分野の先生はそうだ。やはり国産の一太郎の方が縦書き文書を美しく作成できるらしい。


 しかし……


 俺がWordでコンバータ使ってファイルを読み込んだら、レイアウトがかなり悲惨なことになっている……


 しょうがないので、とりあえず一太郎ビューワーを使ってオリジナルに近い状態のファイルを閲覧しつつ、それに沿う形でWordでレイアウトをやり直す。やれやれだ。


 さらに。


 ちゃんとテンプレート通りに書いてある原稿でも、図版をよく見ると、版権ものだったりすることが結構ある。図版だけじゃない。文章もどこかからパクってきたような、限りなく怪しげなものもあったりする。そういうのを発見したときはまずWeb検索にかけてみて、クロと判断したら執筆者に直接確認を行う。必要なら権利者に許諾を取る。この知的財産権に関するあれこれが、俺の神経をかなりすり減らすことになった。


 ---


 組版が終わった原稿は、片っ端から初校(最初の校正)を作って執筆者に送る。基本はPDFにしてメールで送るのだが、向こうの環境でフォントが微妙に化けたりすることがあるので、画像PDFにしてから送るのである。


 初校が終わったら二校。ほぼこれで校了(校正の完了)するが、中には初校返却の時点で文章をかなり変えたいという注文をつけてくる人もいたりする。そうなると、三校が必要になることもある。


 そして、一番の問題なのが手書き原稿だ。これもだんだん届き始めていた。とりあえず俺は、期末試験を終えてクラスの成績を出した後で一気に片付けることにした。春休みになってしまえばかなり時間は自由になる。俺は連日タイピングに明け暮れた。


 俺は執筆者ごとにチャートを作り、誰が今どのフェーズかを一覧できるようにして、進展があったらその都度フェーズを更新するようにした。チャートがどんどん進んでいくのを見るのは快感だった。


 ところが。


 〆切を大幅に過ぎているのに、手書きの執筆者二名から、いくら待っても原稿が送られてこないのだ。既に退職されて何年も経っているが、かつて「伝説の校長」と言われた宮下先生と、OBで元市長の一ノ瀬さんである。二人とも緑高関係者としては重鎮中の重鎮だ。

 この二人にはこれまでも何度か電話で督促したのだが、そのたびにのらりくらりとかわされてしまっていた。


 最悪、記念誌の完成と発送は年度をまたいでも仕方が無い。だが、我が校の今年度の予算執行期限は3月10日。五十周年記念事業の予算は今年度のみ。従ってこの日までにページ数を確定し、印刷所に発注しなければならないのだ。


 そして、本日3月8日。


 もう絶対に無理だ。この二人の分はボツにしよう……と思っていた、その矢先のことだった。


 俺の元に二つの分厚い速達が届いた。一つは宮下先生から、もう一つは一ノ瀬さんから。中を開けて、俺は卒倒しそうになった。


 どちらも、その中身は400字詰め原稿用紙の束だった。

 宮下先生の原稿はおよそ200枚。そして、一ノ瀬さんのは300枚。


 ……。


 ふざけんなぁ――!!!


 これだけの量をあと二日で、どうやって打ち込めっていうんだよ!絶対不可能だろ……

 そりゃ〆切を大幅に過ぎるわけだ……こんな超大作書いてたんだったらさ……


 とりあえず、この二つの原稿のページ数をざっくり見積もると、合計80ページくらいになる。まあ、当初の予定の4ページまで書いた人がほとんどいなかったので、これだけページ数が増えてもさほど費用に影響はないが……


 どう考えても無理だ。二日間ずっと完徹でタイプして、ようやく間に合うかどうか。しかもそれは俺の疲労を考慮に入れていない。いずれにしても、校正に回している時間は無い。

 この二つを載せなければ俺の立場はかなり悪くなるかもしれんが、それでも無理なものは無理なのだ。


 そうさ。見なかったことにすればいい。どうせ大したことは書いてないだろうし。

 それでも一応確認のために中身を読んでみるか、と思ったのが間違いだった。


 ……。


 ちくしょう。面白いじゃねえかよ!


 宮下先生の原稿は、緑高の卒業生なら誰しもが読みたい内容だ。学校の歴史を踏まえ、今なお学校に伝わるエピソードの真相などを、軽妙に面白おかしく書いてくれている。さすが「伝説の校長」だけのことはある。


 そして、一ノ瀬さんの原稿は……彼が市長を目指すきっかけとなった高校時代の出来事が、小説仕立てで克明に描かれている。とても読ませる文章。そうだ、思い出した……この人、文芸部の初代部長だった人じゃないか……


 ダメだ。


 俺にはこの原稿二つとも、ボツにすることはできない……


 執筆者の熱意が伝わってくる、まさに魂がこめられたような内容だ。是が非でも世に出したい。しかし……状況は俺にそれを許さなかった。


 OCR(光学文字読み取りシステム)で読み込むか? いや、それができれば最初から苦労はない。日本語の手書き長文を満足な精度で読み込める製品は皆無と言っていいし、あったとしても高価なのは間違いない。


 結局、人間が打ち込むしかない。だが……こんなこと頼める人間は俺の周りにはいないし、いたとしても、そもそも一人や二人で何とかなる量でもない。


 ちくしょう……どうしたらいいんだ……


「うおおおおおお!」


 絶望感がピークに達した俺は咆哮し、目の前の机を力任せに両手でぶっ叩く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る