エピソード 3ー2 種族間に広がる溝
イヌミミ族と人間の喧嘩が勃発した日の夜。俺はイヌミミ族と人間の騒動について話し合うために、クレアねぇの執務室を訪れていた。
「……ごめん、クレアねぇ。俺がもう少し上手く事態を収められたら良かったんだけど」
俺はこの状況の切っ掛けとなった事件を思い出す。
数刻前、トレバーがイヌミミ族の女性をナンパしてボコられた直後、イヌミミ族の男性が人間の女性に言い寄り、人間の男と喧嘩になるというトラブルが発生した。
結論から言ってしまえば、それは価値観の違いによる行き違い。イヌミミ族の男性に悪意はなく、人間の女性に自分の力――つまりは魅力を見せようとしていただけ。
人間の男性と喧嘩に発展したのも、力比べのつもりだったそうだ。
だけど、人間から見れば、気に入った女性を力尽くで手に入れようとする野蛮人にしか見えなくて……現場にいた人間達は怒り狂っていた。
その場に駆けつけた俺は、価値観が違うために起きた不幸な行き違いだと説明。それを周知させ、双方に矛を収めさせた。
だけど、皆が納得しているかと言えば……そんなことはないだろう。
「弟くんの責任じゃないわ。むしろ弟くんが止めなきゃ、確実に大事になってたはずよ」
「それは、まぁ……な」
止めなきゃ大事になっていたというのはその通りだと思ってる。だけど、もう少し上手い止め方はあったと思うのだ。
「弟くん、後悔する気持ちは分かるけど、重要なのはこれからどうするか、よ」
「これからどうするか……か。そういやさっき、ティナやリアナに指示を飛ばしてたよな?」
事件が起きてすぐ、クレアねぇが二人に対して、人間やイヌミミ族の意識調査をおこなうように指示していたのだ。あれから数刻しか経っていないけど、二人は仕事が早い、そろそろ第一報が届いている頃だろう。
そう思って尋ねると、クレアねぇは少し視線を彷徨わせた。
「クレアねぇ?」
「……えっと、報告書は届いているわ」
「そっか。なら、その内容を教えてくれ」
「……分かったわ」
クレアねぇはそう呟いて、テーブルの上に積まれていた紙の束から、一枚の書類を抜き取った。なにやら、紙の端に可愛らしいイラストのある報告書だ。
「なにその可愛いの」
「あぁこれ? ティナの落書きね」
「そうなのか……」
ちょっとデフォルメされた可愛らしいイラストは、この世界の感覚としては非常に珍しい。むしろ前世の日本でよく見たようなタイプのイラストだった。
……なんと言うか、シスターズのみんなはホントに多彩だな。
「それじゃ、読むわよ?」
「あっと、頼む」
「えっと……なになに。ソフィアちゃんが、精のつく料理をいくつか開発してくれました」
「……精のつく料理?」
何故に精のつく料理? 精をつけて、この逆境を頑張って乗り越えてね! とか、そういう意味なんだろうか? いや、ソフィアが頑張ったのに、文句を言うつもりはないけどさ。
「続いて、アリスさんが焦らしプレイをしてくださるそうです。なので、リオン様が欲求不満に陥ったところでクレア様が……ごめん、書類を間違ったわ」
クレアねぇはなんでもないように言い放ち、別の書類を――って、
「ちょっと待てぃっ!」
思わず全力で待ったをかける。
「……どうかしたの?」
「どうかしたの? じゃねぇよ! なんだよ今のは!?」
「え、弟くんに襲ってもらうための計画書だけど」
「計画書だけど、じゃなくっ! ほかに言うことがあるだろ?」
「そうよね。計画がターゲットにばれたらダメよね。失敗したわ……」
「そうでもなくてっ! なんて恐ろしい計画を立ててるんだよ!」
「なんでって……弟くんがいつまで経っても手を出してくれないからだけど?」
「素で返された、だと……」
たしかにクレアねぇは婚約者になったけど、それはどうなんだと突っ込みたい。いや、突っ込むというのは性的な意味じゃなく……って、なんか懐かしいな。
婚約した以上、クレアねぇに手を出すことに昔のような忌避感はない。ないんだけど……
「全力で抵抗しよう。絶対にクレアねぇには手を出さない」
「え、なにかどうなってそういう結論に至ったのかしら? そこはお姉ちゃんの誘惑に負けるところだと思うのだけど」
「だが断る」
「ぐぬぬ……良いわ。そっちがその気なら、あたしも本気で誘惑するからね?」
「エッチなお姉さんぶってる“生娘ねぇ”がどこまで頑張れるか、楽しみにしておくよ」
「~~~っ。余裕ぶって、今に見ておきなさいよっ!」
ちなみに、俺は別に余裕ぶってる訳でも、クレアねぇに魅力を感じてない訳でもない。
むしろ、子供の頃はちょっとエッチなお姉ちゃんぶってたのに、大人になっても手を出してもらえなくて慌てる。そんなクレアねぇが可愛いくてしかたがない。
だから、クレアねぇが本気を出せば、俺はそのうち誘惑に負けるだろう。
でも、俺にも色々と事情がある。
それに、そうやって頑張るクレアねぇが可愛くて仕方がないから、俺は可能な限り抵抗を続ける。俺の理性を破壊できるまで頑張ってくれ――と、俺は心の中でエールを送った。
「……はぁ。弟くんがイジワルだわ。子供の頃は素直だったのに、どうしてこんなに歪んじゃったのかしら?」
「間違いなくクレアねぇのせいだからな? それより、報告の続きをしてくれよ?」
「え、嫌よ。これ以上手の内をさらしたら、弟くんを誘惑できなくなるじゃない」
「……クレアねぇ。俺を気遣ってくれてるのは分かるけど、大丈夫だ」
あんなぶっ飛んだ内容なのに、途中まで書類の間違いに気づかないなんてありえない。だからきっと、報告書には俺に教えたくないようなことが書かれているのだろう。
それは図星だったようで、クレアねぇの目が見開かれる。
「……弟くんには敵わないわね」
「俺もクレアねぇには敵わないって思ってるけどな」
前世の記憶や経験を上乗せしている俺と、同等以上の知識や判断力を持つ女の子。間違いなく、この世界でトップクラスの才女だと思う。
「おだててもなにも出ないわよ?」
「でも、報告書は読んでくれるんだろ?」
「……まぁね。それじゃ、読むわよ」
そんな前置きを一つ。クレアねぇはティナとリアナの報告書を読み上げていく。それは、イヌミミ族や人間が、現状についてどう思っているのかと言うこと。
まず、イヌミミ族の意見。
彼らは現状に対して、それほど大きな不満を抱いていない。ミューレの街に来る前は森に隠れ住み、奴隷商人の影に怯える日々と比べれば、この街は天国みたいなものだからだ。
だけど、不満がゼロかと言えばそんなことはない。彼らの遺伝子には、人間に迫害され、追放された事実が刻み込まれている。
今回の騒動で、やはり人間とは分かり合えないのだと主張する者も現れそうだ。
次に、人間の意見。
イヌミミ族に比べて、人間の方はかなり不満が多い。イヌミミ族を受け入れてあげたという意識があり、自分達に不利益が生じたことを不満に思っているようだ。
特に今回の騒動では、イヌミミ族との価値観の違いを思い知らされた。
自分と同じような生き物でありながら、自分とはまったく違う価値観を持つ生き物が、自分達の生活地域に入り込んでいる。それが不満の原因になっているとのことだ。
「報告は以上よ。今はまだ大丈夫だけど、いずれ致命的な溝が出来るのは目に見えてる。そうならないよう、イヌミミ族と人間を引き離すのなら、今しかないと思うわ」
厳しい意見に俺は身体をこわばらせた。いつでも俺の後押しをしてくれる。クレアねぇの口から、そんな言葉が出てくるとは思っていなかったから。
「クレアねぇは……人間とイヌミミ族の共存を賛成してくれてたんじゃないのか?」
「賛成してたわよ。だけど、ね。今は状況が変わってしまったでしょ?」
「そこまで両者のあいだに溝が出来たって言うのか?」
「ええ。イヌミミ族の身体能力は、人間にとって脅威だわ」
「たしかに強いとは思うけど、ソフィアはアオイより強いんだぞ?」
「……ソフィアちゃんは、なんと言うか……例外だと思うのだけど」
「ま、まぁな」
個人戦でソフィアに勝てる人間はいない。金髪碧眼のビスクドールのように可愛らしい見た目なのに、大陸最強と言っても過言じゃないのだから……もはや意味が分からない。
「弟くんの言いたいことも分かるわよ。イヌミミ族は身体能力が高いけど、卓越した技術を持ってる訳じゃないわ。だから、技量や武器でその差を補うことは出来るはずよ」
「そうだろ。だから」
「――だけど、技量がないのは村人達も同じよ。その差を補うには武器を持つしかないわ」
「そうだな……」
言われてみればその通りだ。
例えばエルザ。彼女なら、そこらのイヌミミ族には負けないだろう。だけどそれは、エルザが騎士であり、愛用の剣を持っているからだ。素手で勝つことは出来ないだろう。
つまり、人間がイヌミミ族に対抗するには、武器が必要になると言うこと。そして、争いで武器を持ちだしたら……それはもう喧嘩じゃない。殺し合いだ。
「イヌミミ族の力が驚異だって言うのは分かったけど、価値観の違いはお互い理解したはずだ。心配する必要はなくないか?」
「それは弟くんがイヌミミ族を信頼しているからそう思うのよ。思い出して。弟くんがまだ離れに閉じ込められていた頃、ブレイク兄さんにアリスを取られそうになったでしょ?」
「それ、は……」
忘れもしない。ブレイク兄さんが自分の権力にものを言わせ、アリスを手込めにしようとした。それを防ぐことが出来たのは、本当に幸運だった。
「あの頃の俺と同じように、街の人間が不安に思ってるって言うのか?」
「ええ。特に喧嘩を目の当たりにした人達はそう思ってるでしょうね」
「でも、イヌミミ族はブレイク兄さんじゃない」
「だとしても、自分達の常識が通じないという意味では同じよ。このままじゃ、人間にとっても、イヌミミ族にとっても望まない結果になりかねないわ」
それはつまり、喧嘩が発展して誰かが死ぬような事態になりかねないと言うこと。そしてそれは、絶対にないとは言い切れない。人間同士ですら、喧嘩が発展して――と言う事件は、いくらでもあるのだから。
「つまり、事件が起きる前に隔離するべきだって言うのか?」
「そうね。隔離するのなら、今しかないと思ってるわ。ちなみに、ティナやリアナ同意見よ」
「そう、か……」
たしかにクレアねぇの言い分は間違ってない。今ならまだ、ご近所に住む無関係な別種族という関係に戻せると思う。けど、誰かが死んでからじゃ手遅れだ。
だけど……と思い出すのは、ミューレ学園で過ごすシロちゃんの姿。
イヌミミ族のシロちゃんは、人間のマヤちゃんと仲良くおしゃべりをしていた。そして、そういう関係を築いているのは、二人だけじゃないだろう。
以前の状態に戻すと言うことは、そう言った人達を引き裂くと言うことでもある。
だから――
「俺はやっぱり、人間とイヌミミ族を隔離しない方が良いと思う」
「弟くん……そんなに、足湯イヌミミメイドカフェを作りたいの?」
「んなっ!? べ、べべべ別にそれがメインの理由じゃないぞ!?」
「メインの理由じゃなくても、サブの理由には入ってる訳ね?」
「それはまぁ……当然入ってるよ」
「……当然なのね」
何故か呆れられたけど、当然である。
そもそも、俺がイヌミミ族を移民させたのは、彼らの境遇に同情したからじゃない。労働力が欲しかったから。つまりは、自分達にとって有益だと思ったからだ。
自分にとって有益。その中に足湯イヌミミメイドカフェがあるのは当然である。
「イヌミミ族と人間を共に働かせてよく分かったんだ。彼らを受け入れることは、ミューレの街の発展に繋がる。諦めるべきじゃないと思う」
「利益が生まれてるというのはその通りだと思うけど、そう言った意見はほとんど上がってないわよ? 結局、今までの平穏を望んでるってことじゃないかしら」
「いや、こういうのは負の意見の方が圧倒的に目立つからな」
「負の意見が目立つって……どういうこと?」
「言葉どおり、反対意見の方が、声が大きくなるってこと」
例えば、日本ではこんな話があった。
コンビニに学生や会社員がゾロゾロと買いに来て、自分達が買い物を出来ないからじゃまだと近所の人々が訴え、学校や会社がそのコンビニでの買い物を禁止。
結果、コンビニは経営不振に陥って撤退、近所の人々は買い物が出来なくなったのだ。
コンビニにしてみれば、収入が減るのは分かりきっているし、会社員や学生は当然ながら、コンビニを重宝していた。そして近所の人々にも、それを理解していた人は大勢いるだろう。
だから、そのままの方が良いと考えていた人の方が、潜在的にはずっと多かった。だけど、それを口にしては、自分達さえ良ければ良いのかと返されてしまうので口にはしない。
そういった理論で、必然的に負の意見が大きくなってしまう場合がある。
「つまり、実際には賛成意見もあるから、問題は気にしなくて良いって言うの?」
「いや、そうは言わないよ」
ひとくくりにプラスマイナスで考えれば、かなりのプラスだと思っている。
だけど、問題を抱えているのは事実。そして、それらの意見を無視すれば、確実に人間とイヌミミ族の関係は破綻する。放っておくことは出来ない。
「大切なのは、メリットを失わずに、デメリットを排除することだと思う」
さっきのコンビニの件で言えば、学生や会社員を排除するのではなく、マナーの向上を図るとか、時間をずらして混み合わないようにするなどすれば良かったのだ。
もちろん、口で言うほど簡単じゃないけど。
「メリットを失わず、デメリットを排除、ねぇ。それが出来ればたしかに解決するとは思うけど、弟くんは一体、どんな方法を考えているの?」
「いや、なにも考えてない」
「え?」
「だから、そんな方法は知らないんだってば。と言うか、知ってたら最初からしてるよ」
コンビニの件ですら、失敗例がいくつもある。ましてや難民問題ともなれば、地球でも解決していなかった問題だ。それを都合良くなんとかするなんて出来るはずがない。
「だったら、やっぱり隔離するべきじゃないの?」
「そうかもしれない。だけど、それでも、俺はイヌミミ族と人間が共存する未来を掴みたいんだ。協力……して、くれないか?」
グランシェス家の当主は俺だけど、俺一人でここまでこれた訳じゃない。だから、クレアねぇを初めとしたみんなが反対したら、俺の意見を押し通す訳にはいかない。
だから――
「そうね。それじゃこれからどうするか一緒に考えましょう」
クレアねぇの返答はあっさり過ぎて、一瞬なにを言われたのか分からなかった。
「……え? なにを言ってるんだ?」
「だから、イヌミミ族を隔離しないのでしょ? なら、どうやって両者の溝を埋めるか、これ以上悪化しないかを考える必要があるじゃない」
「そ、そうだけど……賛成、してくれるのか?」
「あら? 賛成しないなんて一度だって言ってないわよ? わたしはただ、隔離するのなら、今しかないと言っただけよ」
「クレアねぇ……」
たぶんだけど、俺が自分から決意するように仕向けてくれたのだろう。本当に、クレアねぇは頼りになる。もともとも高かったクレアねぇの評価がうなぎ登りだ。
「ふふっ、惚れ直したでしょ? その衝動に任せて、襲ってくれても良いのよ?」
「襲いません」
「……しょんぼりだわ」
まったく。せっかく評価が上がってるのに、そんなことを言っちゃうクレアねぇは相変わらずだと思う。だけど――
「いつもありがとう、クレアねぇ」
俺のために頑張ってくれてるのが嬉しくて、俺は心からのお礼を口にした。そのとたん、クレアねぇは弾かれたように俺の顔を見る。
「クレアねぇのことは本当に頼りにしてる。だから、クレアねぇが協力してくれるって言ってくれて、凄く嬉しいよ。イヌミミ族と人間が共存できるように、頑張ろうな」
「……ええ。もちろんよ、弟くん」
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