エピソード 3ー1 価値観の違い

 ――イヌミミ族が人間を襲った。

 足湯メイドカフェ『アリス』のVIPルームでアカネと話し合いをしていた俺達に、シロちゃんがそんな凶報をもたらした。


「イヌミミ族が人間を襲ったって……どういうことなんだ?」

「そ、それが、ボクにもよく分からなくて……」

「分からないって、その話は誰から聞いたんだ?」

「――私です」

 取り乱すシロちゃんの背後から現れたのは、クレアねぇの腹心であり、イヌミミ族が住む街の開発を担当しているティナだった。


「ティナ、一体なにがあったんだ?」

「実は……少々込み入った事情がありまして」

 ティナはそう言ってアカネをちらり。「申し訳ありませんが、お屋敷まで戻って頂けませんか?」と続けた。

 アカネはシスターズの一員ではないけど、ミューレ学園の卒業生で信頼できる仲間。そんなことは、言うまでもなくティナは知っている。

 にも関わらず、いまの意味深な態度。なにか聞かせたくない事情があるのだろう。


「分かった。それじゃ屋敷に戻るよ。アカネ、悪いけどシロちゃんをお願いして良いか?」

 イヌミミ族が人間を襲ったという事実がショックだったのか、シロちゃんは青ざめている。このまま放っていくことは出来ないと、アカネにお願いした。

 半分は、アカネと別行動を取るための口実だけど……当然ながらアカネは気づいているのだろう。それがよさそうやねと引き受けてくれた。



「それで、一体なにがあったんだ?」

 屋敷へと向かう道すがら、俺はティナに尋ねた。

「それが……非常にややこしい事態でして。結果だけを言うなら、とある貴族の息子が、イヌミミ族の女性にぼこぼこにされました」

「ちょ、なんでそんなことに!?」

 想像を遥かに上回る大問題で、俺は思わず驚きの声を上げる。貴族の息子がぼこぼことか、加害者の命を要求されてもおかしくない。ものすごくヤバイ状況だ。

「それで……ぼこぼこにされたのはどこの誰なんだ?」

「それが――」

 ティナから相手の名前を聞かされ……俺はなんか色々と察した。



「……トレバー、お前は一体なにをやってるんだ?」

 ティナと一緒に向かったのは、うちのお屋敷にある、足湯のない応接間。俺はぼろぼろになったトレバーを見てため息をついた。

 そう。イヌミミ族の女性にぼこぼこにされたのはトレバーだったのだ。

「おぉ、師匠。久しぶりだな……いたたっ」

「久しぶり、じゃないだろ。一体なにをやらかしたんだ?」

「いやぁ、師匠がイヌミミ族を招聘したって聞いたからさ。ぜひモフモフさせてもらおうとミューレの街まで飛んできたんだ」

「まさか……無理矢理モフモフして殴られたとか言わないよな?」

「いやいや、俺はそんな野蛮人じゃないぞ? ちゃんとお姉さんを紳士的に食事に誘ったんだ。そしたら、強い男にしか興味がないって言うからさ」

「…………」

 なんとなくオチが読めた気がする。でも、さすがにそんなお馬鹿な結末は……ない、はず。と言うか、ないと思いたい。そんな願いを込めて、俺はトレバーに続きを促す。


「俺もそれなりに護身術とかは習ってるからさ。なら勝負だ――って持ちかけて、ぼこぼこに返り討ちに遭ったんだ」

「ホントにそんなオチなのかよ」

 俺は思わず頭を抱えた。

 今回の一件。トレバーがナンパしたイヌミミ族に良いところを見せようと戦いを挑み、返り討ちに遭ったというだけのこと。だけど……客観的には、トレバーがイヌミミ族に話しかけ、ボコボコに殴られたということになる。

 これは文化の違いが引き起こした問題であり、単なる不幸な行き違い。どちらが悪いという問題じゃない。けど、自分達とは違う考えを持つ者がいて、それらに気を使わなくてはいけない。そう言った状況は軋轢を生む。早急に対処する必要があるだろう。


「……ええっと、師匠? どうして頭を抱えているんだ? 言っておくけど、自分から挑んだ勝負だから、殴られたことは気にしてないぞ?」

「お前がそういう奴なのは分かってる。ただ、そういう問題じゃないんだ」

「そういう問題じゃない?」

「いまは非常に危うい状況なんだ」

 イヌミミ族と人間、それぞれに過去のしがらみが残っており、いままた雇用問題なんかで潜在的な不満を抱えていた。

 今回の一件が、両者の溝を深めるのは確実だろう――と、俺はトレバーに説明した。


「なっ!? マジか。それじゃ、俺のやったことは……」

「可能性としては、人間とイヌミミ族が対立する切っ掛けになるだろうな」

「――すまない師匠っ、そんなつもりはなかったんだ!」

 イヌミミ族の女の子をナンパして手ひどく振られた――くらいの感覚だったんだろう。事態を理解したトレバーは絨毯の上で土下座した。


「まあ……過ぎたことは仕方がないから気にするな」

「いや、恩人でもある師匠に迷惑をかけるなんて大失態だ。本当にすまない。どんな罰でも受ける覚悟は出来ている。気にせず俺に罰を与えてくれ」

「罰と言ってもなぁ……」

 結果だけを見ればトレバーが被害者。そんなトレバーに罰を与えるなんて、人間が不満を抱く切っ掛けにしかならない。

 もちろん、事情を考えればイヌミミ族が悪い訳でもないので、その逆もまたしかりだ。

 そういう意味では、最初の被害者が、理解のあるトレバーだったのは不幸中の幸いだ。

 これがほかの貴族なら大問題だし、一般人だったとしても、即座に人間とイヌミミ族の諍いに発展してもおかしくなかった。対策を取る時間が出来たとみるべきだろう。


 ――だから、トレバーが気にする必要はないと説得を続けていると、コンコンコンと応接間の扉がノックされた。

 誰だと思って首をかしげると、ティナが「ヴィオラさんです」と教えてくれた。トレバーの怪我を見て、白魔術を使えるヴィオラを呼んでおいてくれたようだ。

 ということで、入ってくれと答える。


「失礼いたしますわ」

 俺の返事を聞いて入室してきたヴィオラが、悠然と歩み寄ってくる。俺よりも四つも年下だというのに、相変わらずしっかりとしている。

「お呼びと聞きましたが、なにかご用ですか――あら」

 心優しい聖女様は、俺の眼下でぼろぼろになっているトレバーを見て目を見開いた。


「……うふふ。リオン様も、わたくしと同じ性癖の持ち主だったんですわね」

「なんでだよっ!?」

「違うの……ですか?」

「なんでそんなに残念そうな顔で見てるのか知らないけど違うからな?」

「では、どのようなご用なのですか?」

「……目の前に傷だらけの人がいるのに、ほかに思うところはないのか?」

「ええっと……以前にも申しましたが、わたくしはいじめられて喜ぶ相手はあまり……」

「いや、そうじゃなくてだな……」

 この子はもう、聖女としてはダメなんじゃないか? なんて思ったけど、さすがに口には出さない。悪いのはヴィオラじゃなくてライナス教皇だしな。……たぶん。


「ヴィオラを呼んだのは、トレバーの怪我を治して欲しいからだよ」

「あら、そういうことでしたか。分かりました。では――」

 ヴィオラは凛とした態度を持って、トレバーの傍らに膝をついた。そんなヴィオラを見て、トレバーがどういうことだと俺に視線を向けてきた。


「彼女はザッカニア帝国から来た聖女様だ。白魔術の使い手だから、ある程度は怪我を治してくれるはずだぞ」

「聖女……まだ幼いのに凄いんだな。えっと……」

「ヴィオラですわ。リオン様のおっしゃるように、わたくしは白魔術が使えます。白魔術で治して欲しいですか?」

 口調こそ丁寧だけど、まるで治して欲しければ女王様と呼べとでも言いたげな雰囲気を纏っている。俺は思わず頭を抱えたい衝動に駆られた。


「……副作用とかはないんだよな?」

 事情を知らないトレバーは、別の可能性を考えたらしい。ちょっと不安そうにしている。

「多少の疲労はあるかも知れませんが、後に引くような症状はありません。それについてはご安心ください」

 白魔術に対してあまり詳しくないのだろう。不安そうに尋ねるトレバーに対し、ヴィオラが天使のような微笑みを持って答えた。

 ちなみにアリス情報によると、白魔術は細胞の活性化で治癒を促進する。なので、疲労があるのは、エネルギーの消費が原因とのことだ。


「そっか、なら頼む、俺の怪我を治してくれ」

「聖女であるわたくしにそのような口の利き方……そこは、治してください、ヴィオラ様ではありませんか?」

「ええっと……治してください、ヴィオラ様」

 トレバーは少し戸惑いつつも、あっさりと言い放った。その直後、ヴィオラがなんともいえない表情で俺を見る。

「リオン様。わたくしはやはり、もう少し抵抗なさる方が好みです」

「……知らんがな」

 思わずそんな言葉が口をついた。


 ともあれ、ヴィオラが詠唱を開始した。凛とした声で紡がれる優しい旋律が、応接間を満たしていく。ほどなく、ヴィオラのかざした手のひらで魔術が発動した。

 青白い光りが傷口を優しく照らす――けど、それは日本の物語にあったような回復魔法のイメージとは掛け離れている。劇的な変化ではなく、時間を早く進めたような光景。

 ゆっくりと、トレバーの擦り傷が消え、腫れもほんの少しだけ引いていく。数分を経て、トレバーの怪我は少しだけ和らいだ。


「これが白魔術か……助かったよ。噂には聞いていたけど凄いんだな」

 トレバーは自分の身体を確認して感嘆のため息をつく。

「いえ、なにがあったかは知りませんが、お役に立てて光栄ですわ」

「本当に助かったよ。謝礼はどうすれば良いんだ?」

「フェルミナル教の教えは、人に役立つことですから。そのお気持ちだけで十分ですわ」

 ヴィオラはまさに聖女にふさわしいセリフをのたまい――ちらりと俺を見た。その意味ありげな視線は「貸し一つ、ですわよ」と言わんばかりである。

 気のせいかなぁ……気のせいだと良いなぁ。でもたぶん気のせいじゃないんだろうな……なんて思った俺は、追求を逃れるための話題を探す。そうして思い出したのは、ヴィオラが四月から白魔術の先生をしているということ。


「そう言えば、学校が始まって結構経つけど、見込みのありそうな生徒はいるか?」

「え? そうですね……まだなんともいえませんが、筋の良さそうな方は何人か」

「そっか。聞いてるかも知れないけど、先生を任せられそうな生徒も見繕っておいてくれ」

 いまはヴィオラが白魔術の先生で、オリヴィアが黒魔術の先生。そしてリズが精霊魔術で、アリスが紋様魔術となっている。

 けど、聖女にお姫様にアリスブランドの代表。彼女達にいつまでも先生をして貰うわけには行かない。なので、有望な生徒を、将来の教師として育成してもらう予定なのだ。


「ええ、分かりましたわ。そう言えば、シロちゃんもなかなか才能がありそうですよ」

「おぉ、そうなんだ?」

 なんか最近、よく周りからシロちゃんの名前を聞く気がする。本当に、人間と仲良くするために色々と頑張ってるみたいだな。俺も、シロちゃんの頑張りに答えられるよう努力しよう。

 シロちゃん達が安心して過ごせる居場所を作る。そのためには、人間とイヌミミ族の諍いが起きないようにしないと、だな。


「リオン様、わたくしへの用事は以上ですか?」

「ああ。助かったよ、ありがとう」

「いえ、リオン様のお役に立てたのなら嬉しいです。またなにかあれば呼んでください」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 俺はあらためてお礼を言って、ヴィオラを部屋から送り出した。それから、部屋で待機していたティナへと視線を向ける。


「ティナ、現場の状況はどうなってるんだ?」

「直後は騒然となっていたようですが、今は落ち着きを取り戻しているようです。ただ、噂を止めることまでは不可能だと思います」

「そう、だろうな。アオイと巡回の者達に事情を説明して、みんなに文化の違いについて周知するようにしてくれ。再発防止につとめる必要がある」

 今日は祝日で、人間とイヌミミ族の交流も盛んになっている。第二、第三の事件が起きる前にと指示を出す。だけど――

「はい、かしこまりました」

 ティナが答えるのと同時、扉がせわしなくノックされた。そして俺の返事を聞いて飛び込んできたのはリアナ。


「大変です、リオン様! イヌミミ族の男が、人間の女性に強引に迫って、ほかの人間の男とトラブルになったと報告が!」

 ――どうやら、対応は後手に回ってしまったようだ。

 

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