エピソード 1ー1 アイデンティティークライシス

 アリスブランドの洋服。それは最高級の糸で編み上げた生地を使って、この世界には存在しない服飾技術で作り上げた、異世界デザインの洋服。

 ソフィアが身に纏うワンピースは、日本でも高級品に分類されるような代物で、この世界の洋服と比べると数世紀は余裕で進んでいる。

 そんなワンピースを身につけたソフィアが、ウェルズの洋服店は大陸一なんだってと目を輝かせている訳だけど……はてさて、どうしたモノか。


「リオンお兄ちゃん、ダメ?」

「そ、それはその……」

「ダメ、なの? リオンお兄ちゃん、困ってる?」

 寂しげな上目遣い。くぅ、そんな目をされて断れる訳無いだろっ!

「ソ、ソフィアが見たいなら良いよ」

「やったぁ! それじゃリオンお兄ちゃん、一緒に服を見よ!」

「う、うん」

 えぇい、どうにでもなれ! と店へと向かう。ちなみにアリスとクレアねぇは店の外で待ってるとか言いやがった。こんちくしょう。


「こんにちはぁ~」

 なにも知らないソフィアは、可愛らしい声を上げて店内へと入っていく。ゆるふわの金髪を揺らす姿は可愛いけど、状況的に無邪気な悪魔のように思えた。

「いらっしゃいませ、ウェルズの洋服店へようこそおいで下さいました。当店は王室にも出入りする、この大陸で一番の――」

 俺達を見た店員さんがフリーズした。だけどソフィアはそれに気付かず、満面の笑みで店員さんに近づいていく。


「お洋服を見せて下さい~」

「………………」

「店員さん?」

「はっ、失礼しました! お洋服をお見せして下さるんですね!?」

 店員が客の服を見てどうする。なんて感じで心の中で突っ込むけど、もちろん店員さんには聞こえてない。完全に笑顔を引きつらせている。


「ソフィアに見合う服を見繕って欲しいんです」

「お、お嬢様に、似合う服、ですか?」

「はいっ、王都のファッションは大陸一だって噂を聞いてきたんです!」

「そそっそうですね。当店はこの大陸一と、じ、自負しており――っ、おりました!」

 過去形!?

 いや、その気持ちは良く判るって言うか、潔いと思うけど。

 だ、大丈夫かなぁ……この店に喧嘩を売りに来たとか思われないかな? ソフィアを連れて帰った方が良い気がする。

 と思ってたら、店主を呼んできますと、店員さんは店の奥へと駆け込んでいった。


「……店員さんどうかしたのかな?」

「さぁ……アイデンティティークライシスでも起こしたんじゃないか?」

「……あいでんてぃてぃーくらいしす?」

「ソフィアは気にしなくて良いよ」

 あんまり説明しない方が良さそうだったので、前世の難しい言葉で煙に巻いておく。ちなみに、自己喪失というか、存在意義を見失ったような状態的な意味だ。

 しかし、ソフィアは相手の感情が読めるはずなんだけどなぁ。まあ店員さんが動揺しまくってるのが判っても、その理由に心当たりがなければ一緒か。


「ウェルズ様っ! 出てきて下さいウェルズ様!」

「なんだ騒々しい」

 店の奥から、さっきの店員と、中年くらいの男の会話が聞こえてくる。店の名前と同じだし、ウェルズと呼ばれているのが、この店のオーナーなんだろう。


「――お前は一人で店番も出来んのか?」

「いえ、それが――」

 と、店員が店主に説明をする声が段々と近づいてくる。

「うちの商品が足下にも及ばぬような服を身につけたお客様だと? なにを馬鹿な。うちより優れた服など、この世に存在するはずがなかろう」

 そう言いながら姿を現したのは、恰幅の良い中年男性だった。


「お待たせいたしましたお客様。店員が失礼をいたしまし――とわぁっ!? ……お、お嬢様のお洋服を、ご所望と言う事です、が――っ!?」

 ウェルズという店主は俺の洋服を見て硬直。だが店員よりは根性があったのか、蒼白になりながらもソフィアへと視線を向けて――天を仰いだ。


 僅かな沈黙。


「……申し訳ありませんお客様。ウェルズの洋服店は、今日この時をもって店をたたむことになりました」

 ウェルズはそこで一度言葉を切ると、「今までうちによく仕えてくれた」と店員さんに向かって寂しげに呟いている――って、

「ちょ、ちょっと待った! 店を閉めるのはまだ早いからっ!」

 俺は慌てて止めに入った。悪気が無いとは言え、いや、悪気がないからこそ、俺達の行動で王国一の洋服店が潰れたら寝覚めが悪すぎる。


「お客様。申し訳ありませんが、我々が作る服は生地や縫い合わせの一つとっても、お客様が着る服の足下にも及びません。お客様が望むような服をご提供出来ないのです」

「そう、なの……?」

 ソフィアが確認するように俺を見る。

 うぅむ。これ以上誤魔化すのは無理か。しょうがない。今後の為にもちゃんと教えておくべきだろうと頷いた。

「ソフィアにお店のことを教えてくれた友達は、実際にこのお店の服を見たことは無かったんだと思うよ」

「そう、だったんだ」

 店員さん達の態度が不自然な理由を理解したんだろう。ソフィアは申し訳なさげに項垂れる。


「ごめんなさい。ウェルズさんのお店は凄いって聞いてたから」

「いえ、我々の力不足が原因なので、お客様が気にすることではありません」

「でも……ねぇリオンお兄ちゃん」

 なんとか出来ないかなと言いたげな視線。俺はそうだなぁと考えた。


 もちろん、このままこの店がたたまれるのは本意じゃない。だからフォローを入れるのは当然だし、最初からそのつもりはあった。

 けど……自分達が作る洋服にプライドを持ちながらも、自分達の商品よりも良いモノを認める潔さもある。この世界ではトップクラスの服飾店って話だし、これは良い巡り合わせなんじゃないかな――と、俺は素早く頭の中で算段を立てた。


「ウェルズさんはグランシェス領を知ってますか?」

「確か……最近色々と開発している伯爵様の領地ですね。まさか――っ」

「ええ、この服はグランシェス領で作った服です」

「そう、ですか。噂は聞いていましたが、よもやここまでの製品だとは思いませんでした。……潮時、ですな」

 ウェルズさんは深々と息を吐いた。


「諦めるんですか? グランシェス領で作る洋服の生産量は少なく、価格も今はまだ法外です。今から技術を高めれば、十分巻き返せると思いますよ?」

「いいえ。その服の素晴らしさは見れば判ります。ですがその技術に追いつくには、早くとも五年……いえ、十年かかっても追いつけるかどうか」

「技術を提供すると言っても、ですか?」

「それは……その服を作る技術という意味ですか?」

「服飾の技術、生地の製法、そして素材について。あらゆる技術を、です」

「貴方は一体……」

 ウェルズさんの瞳に警戒の色が宿る。


「俺はリオン・グランシェス。この洋服を開発させた人間ですよ」

「……貴方が、あのグランシェス領の伯爵様だと言うのですか?」

「証明出来るモノは特にないですけどね。でも、信じる信じないはともかく、俺の話を聞いて損は無いと思いますよ」

「話、ですか?」

「ええ、実は―――」

 俺は前置きを一つ。学校を経営していて、そこで各種技術を教えていること、今年からは全国から入学希望者を募ることを説明した。


「……学校で技術の伝授、ですか?」

「ええ。グランシェス領の職人さんに弟子入りって方法もありますけどね。出来れば生徒としてきてくれた方が嬉しいです」

「失礼ですが……その、にわかには信じられない話ですな」

「でしょうね。ですから、後ほど、ご自分でグランシェス領に問い合わせて下さい。それで事実だと判るはずです」

「……確かに。では事実だと仮定してお聞きしますが、学校に通うのに必要な費用はいかほどなんでしょうか?」

 入学金、か。グランシェス領の人間はうちで雇うのが前提だったから、お金を取る事はなかった。なので金額は特に設定してなかったんだけど……

 こんなこともあろうかと、先日クレアねぇと話し合って決めてある。


「一般に入学する場合は、入学時にこれだけ貰ってます」

 と、俺は右手の指を三本立てた。

「……金貨三十枚、ですか?」

 ウェルズさんの少し恐る恐ると言った問いかけに、俺は無言で首を横に振った。

「……なるほど、金貨三百枚ですか。確かにそれだけの服を作る技術を学べるとなれば、それくらいはするでしょうな……」

 重苦しい口調。だけどその表情に諦めた様子はない。多分だけど、金貨三百枚でも出すつもりなんだろう。だから、俺はもう一度首を横に振った。

「金貨三枚ですよ」

「…………………………は?」

「一年の食費と家賃と授業料。それに制服代を含めた金額です。ちなみに、授業の合間や、卒業後の労働と引き替えに減額することも可能です」

 一応、奨学金制度を作って、卒業後に二年の労働で返済出来るように設定してある。商人とかお金持ち向けじゃなくて、農民向けのプランだけどな。


「……金貨三枚で、そのほかには一切費用を必要しないと、そう言うことですか?」

「二年通うなら追加で金貨が必要になりますけどね。一年でそれ以上取ることは絶対にありません」

「……正直、それで利益が出るとは思えないのですが」

「うぅん。まぁそうですね」

 希少価値が下がったとは言え、制服と同質の服はいまだ金貨数枚は下らない。

 その制服が金貨三枚に含まれている時点で、本来は赤字と言える。そしてそれを除いたとしても、食費に寮の家賃。学校の備品や管理費等々、ほとんど儲けは出ないだろう。


「利益が見込めないのなら、何が目的でそんな事をするのですか?」

「……それ、言わなきゃダメですかね?」

「あまりにも話がうますぎて、にわかには信じられません。ですから、どうか納得出来る理由をお聞かせ下さいませんか?」

 美味い話しすぎて疑わしいってことか。それは盲点だった。……うぅん、あんまり人に話したくないんだけど、乗りかかった船だしな、仕方ない。


「俺が技術提供をするのは、出来るだけ多くの人に幸せになって欲しいからですよ」

「人の為、と?」

「いいえ。それが自分の為だからです」

 仲の良いみんなと幸せな人生を送る。その為には良い環境が必要になる。だけど自分達の環境だけを良くしても、周りの人から反感を買ってしまう。

 お金が使い切れないほどあっても、使ってる設備が最高でも、周りが敵だらけなんて事になったら目も当てられない。

 なので、うちに集まりすぎたお金は、片っ端から各地の支援に充てている。自分達が幸せに暮らすお金を確保した後は、幸せに暮らす環境の為にお金を使う。

 言い方は悪いけど、ぶっちゃければ、ただそれだけのことだ。


「他人には理解されないかも知れませんけどね」

「……いいえ。我々も自分達の作った服で、皆が笑顔になるのを生き甲斐にこの仕事を続けています。ですから、リオン様の気持ちは良く判ります」

 ……うぅむ。そこまで高尚な理由じゃないんだけどな。そんな風に言われるとちょっと恥ずかしい。けど、わざわざ否定する話でもないか。


「ともかく、納得出来たってことで良いですか?」

「ええ。ですからどうか、うちの娘を貴方の学校に入学させて下さい」

「喜んで。……っと、もちろん入学金とかは当日で構いませんから。書類だけグランシェス領のクレアリディル宛てに送って下さい」

 とまあそんな感じで、新しい生徒を一人確保した。と言っても、名前を聞いただけ。正式な手続きは、当日に現地で行う予定だけどな。


「あ、そうだ。うちの学校は服飾以外にも色んな技術を教えるつもりなんです。だから、もしうちの学校に通いそうな人がいたら宣伝しておいてくれませんか?」

「そう言うことでしたらお任せ下さい。我々の人脈の限りを尽くして宣伝しておきます」

「よろしくお願いします」

 ――と、気軽に宣伝をお願いした俺は、五人くらい来れば良いなぁと暢気に考えていた。なので、まさかあんな結果になるとは……この時の俺は想像もしていなかった。

 

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