エピローグ 二つの月

 グランプ侯爵との和解が成立してから約半年が過ぎて三月。俺達は学生寮のホールに集まり、二期生の卒業を祝う立食パーティーを開催していた。

「みんなの卒業を祝って乾杯!」

「「「かんぱーいっ!」」」

 俺の音頭に皆が飲み物の入ったガラス製のグラスを掲げる。


 そう言えば、この前グランプ侯爵家のメイドさんにグラスを持って貰った時、顔が真っ青になってたけど……と、俺は生徒達に視線を向ける。

 みんな気にした風もなく、乾杯と言ってガラスのコップを打ち合わせている。

 うちの生徒もガラス製の価値は判ってるはずなのに、いつの間にかすっかり物怖じしなくなってる。頼もしい……と言って良いのかな。

 よそで高価なモノを割ったりしなきゃ良いけど。


「リオン様! 今までありがとうございました!」

 皆が席を移動し始めた頃、リアナ達卒業生が俺の元に集まってきた。

「リアナ、それにみんなも、卒業おめでとう。今までよく頑張ったな」

「えへっ、リオン様のお陰です。これからも頑張るので、よろしくお願いしますね」

「ああ。今度は新しく入ってくる生徒達を導いてやってくれ」

 二期生の中でも優秀だったリアナは来年から新米教師に、他の二期生は一期生と同じようにグランシェス家の所属とし、領内の各町村に派遣することが決まっている。


「それにしても、あっという間の一年だったな。リアナが入学したのも、ついこの間だったのに」

「ですね。もう少し長く生徒でいたかったです」

「実は来年からは期間を伸ばすんだ。読み書きとか計算とか、基本的なことを教える予科と、各種知識を教える本科に別けて、それぞれを最低一年にする予定だからな」

「え、なにそれズルイですよ!?」

「……そう言われても。みんなの授業風景を見て思いついたからなぁ」

 でも、授業を受ける期間が延びたのを聞いて残念がるのか。それだけ学校での生活を楽しんで貰えたってことかな。そうだとしたらなんか嬉しいな。

「まぁ空いてる時間なら、生徒側に参加しても良いよ」

「ホントですか? ありがとうございます!」

 そんな感じで二期生達との会話を楽しんだ。



 みんなとの話を終えた俺はテーブルを移動。ケーキなどのお菓子が並べられているコーナーにやって来た。

 サトウキビの栽培が上手くいってるので、砂糖は量産体制が整いつつある。なので近々、この街にカフェを作る計画が進行している。

 冗談抜きで、この街だけ文明レベルが数百年ほどずれてきた気がする。


「あっ、リオンお兄ちゃんだ」

「その声はソフィアか。それと……ミリィ? なんか珍しい組み合わせだな」

「そうですか?」

「そんなこと無いよね~」

 二人は隣のテーブルで、並んでケーキを食べていた。だから珍しいと思ったんだけど、二人は顔を見合わせてそんなことを言った。

 なんでも、最近は良く一緒に行動してるんだってさ。まあよく考えたら、ソフィアにとってミリィは義理のお母さんになるからな。仲が良いのは良いことだ。


「ねぇねぇ、リオンお兄ちゃん。ソフィアね、リオンお兄ちゃんにお願いがあるの」

「よし、なんでも――は、あれだけど。大抵のことは聞いてあげよう」

 危ない危ない。最近はソフィアも油断ならないからな。何でもとかいったら、いつぞやのクレアねぇみたいに、初めてを貰って欲しいとか言いかねない。

「なんでもは聞いてくれないの?」

「なんでもは聞かないぞ。聞けることだけだ」

「むぅ……」

 だから、何で不満そうなんだよ。なんでも聞くって言ってたら、一体なにをお願いするつもりだったんですかねぇ。


「……で、お願いって何なんだ?」

「うん。あのね。ソフィアはもっとリオンお兄ちゃんの役に立てるように頑張りたいの。だから、ソフィアはもう少し学校に通いたいんだぁ」

「あぁ……そっか、ソフィアも今年で卒業だもんな。別に良いよ。ソフィアが学校に残りたいなら、今後も好きなだけ授業を受ければ良いよ」

「ホント!?」

「ああ。来年からは習う科目も増やして、選択授業も導入するから、好きな科目を受ければ良いよ」

「やったぁっ! リオンお兄ちゃん、大好きっ!」

「おっとっ。こら、いきなり抱きつくのは危ないぞ」

「えへへ、ごめんね?」

 うぅん、なんかあざとい。この斜め上目遣いとか、絶対アリスの監修が入ってると思うんだよな。可愛いから許すけど。

 アリスはホント変な事ばっかり教えて……って言いたいけど、ソフィアがこんな風に明るくなったのは、間違いなくアリスのおかげだ。

 一応、アリスに任せて正解だったんだろう、たぶん。


「リオンお兄ちゃん、なにを考えてるの?」

「いや、なんでも無いよ。それより、二人はどのケーキが美味しかった?」

「ソフィアはショートケーキが一番好きかなぁ」

「私はチーズケーキですね」

「なるほど。じゃあ俺もその辺から食べてみるかな」


 そんな感じで、俺もケーキを食べ始める。そうして三人で雑談を交わしていると、おもむろに俺を呼ぶクレアねぇの声が聞こえてきた。

 振り返って声の出所を探すと、クレアねぇとミシェルとティナの三人が一つのテーブルに集まっていた。

 俺はソフィアとミリィに席を外すと伝えて、クレアねぇ達の席へと移動する。


「三人一緒ってことは、領地の経営方針でも話し合ってたのか?」

「……弟くん、あたしが仕事しかしてないと思ってない?」

「じゃあ、なんの話なんだよ?」

「ミシェルが最近教師として忙しいでしょ。だからティナにあたしの補佐をやって欲しいって話をしてたのよ」

「へぇ、そうなんだ」

 それは仕事の話だろ――って思ったけど口には出さない。

 だって、ミシェルを教師に引っ張り込んだのは俺だからな。下手なことを言ってやぶ蛇になったら困る。


「リオン様、私がクレア様の補佐になってもよろしいですか?」

「私からもお願いします。ぜひ妹を、クレア様の専属にしてください」

 何で俺に聞くんだ――って思ったけど、一期生と二期生は全員、俺に仕えてるって言う形を取ってたな、そういえば。

「ティナが構わないなら問題ないよ。クレアねぇを支えてやってくれ」

「はいっ! がんばりますっ!」

 嬉しそうだなぁ。姉と同じ役目に就く訳だし、やっぱりそう言うのって嬉しかったりするのかな?

 何にしても、ティナがクレアねぇの補佐をしてくれるなら安心だ。ミシェルの妹で信頼出来るって言うのもあるし、一期生の中では群を抜いて成績が良かったからな。


「そういやクレアねぇ。うちの領地で新しく試したい考えがいくつかあるんだ。打ち合わせをしたいから、今度時間を作ってくれないか?」

「話なら今でも大丈夫よ?」

「いや、せっかくのパーティーだし、ゆっくりと羽を伸ばせよ」

「あら、弟くんは、あたしはいつでも仕事をしてると思ってたんじゃないの?」

「思ってるからこそ、だよ。少しは休んでくれ」

「心配してくれてありがと。でも平気よ。領地の仕事をしてて、すっごく充実してると思えるの。だから、なにかあるのなら教えて」

「うぅん、そこまで言うなら」

 ――と、俺は話を始めようとしたんだけど、クレアねぇはちょっと待ってと遮った。


「ミシェル、ティナ。貴方達はパーティーを楽しんできなさい」

「いえ、私も最近は教師役が忙しいとは言え、クレア様の補佐を辞めたつもりはありません。今後についてのお話なら同席します」

「そうです。私も今日からクレア様の補佐なんだから参加させてください」

 ミシェルとティナはそう言ってこの場に残ろうとする。だけどクレアねぇは首を横に振って、プラチナブロンドの髪を揺らした。

「気持ちは嬉しいけどね。ミシェルは生徒達の卒業を祝ってあげなきゃダメでしょ?」

「ですが……いえ、判りました。そう言うことであれば、私は席を外します」

 ミシェルはクスリと笑って、他の席へと移動していった。それを見送ったクレアねぇは、今度はティナに視線を向ける。


「ティナも。このパーティーの主役の一人なんだから楽しんでらっしゃい。私の補佐は、明日からで良いわ」

「ですが……」

「大丈夫よ。正式にあたしの補佐になったら、休む暇も無いくらい働いて貰うから」

「うっ、わ、判りました。それじゃ今日はパーティーを楽しんできます」

 ぺこりと頭を下げて、ティナもみんなのところへ戻っていった。


「……で、本音は?」

「たまには弟くんと二人っきりも良いかなぁって」

「だと思った」

 なんて、クレアねぇの態度で気付いた訳じゃない。ミシェルが意味深な表情で立ち去っていったのを見て、もしかしてと思ったのだ。

「嫌だった?」

「まさか、そんなはずないだろ」

「ふふっ、良かった」

 クレアねぇは翡翠の様な瞳を細めて、ふわりと微笑みを浮かべる。十三歳になって、また少し大人っぽくなった。

 いつか、クレアねぇを姉じゃなくて、一人の女の子としてみる日が来るのかな?

 ……って、いやいやいやいや。なにをナチュラルに想像してるんだ俺は。気を付けないと、少しずつ毒されてる気がするぞ。


「それで、弟くんの話って言うのは?」

「無いよ。最近はずっと忙しかったからな。二人で話す口実だよ」

「そう、なの?」

「考えてみたら、最近は仕事の話ばっかりだったからな。たまには姉弟水入らずの時間があっても良いかなって思ってさ」

「……ありがとう、弟くん。弟くんのそう言う優しいところが好きよ。それじゃお仕事の話はまた今度にしましょ」

 穏やかに微笑まれて、俺はちょっと焦った。クレアねぇが可愛かったからって言うのもあるけど、俺の嘘が完全にバレてたからだ。


 と言うわけで、用事が無いって言うのは嘘だ。

 学校を予科と本科に別ける計画や、福祉制度の導入、それに街に冒険者ギルドを設立する等々、色々と話したいことは一杯ある。

 ただ、クレアねぇの言葉を聞いて、たまにはのんびりして良いかなって思ってそう言ったんだけど……バレバレだったらしい。

 こういう相手の心理を読むような状況だと、俺はもうクレアねぇに勝てないかもなぁ。


「なぁクレアねぇ。いま……幸せか?」

「弟くんのお陰でね。凄く充実してるわ」

「そっか……」

 クレアねぇと出会って、色々なことがあって、護ってあげたいと思うようになってからもうすぐ七年。ようやくクレアねぇを幸せにすることが出来たのかな?


「それでね。弟くんやみんなと一緒に、グランシェス領をもっともっと、今よりずっと豊かにするのが、今の私の夢よ」

「……え? 今の夢?」

「そうよ、今の夢。弟くんのお陰で自由を手に入れて、ようやくスタートラインに立てたんだもの。これからも夢を叶える為に頑張るわ」

 ……そっか。そうだよな。自由を手に入れて終わりじゃないんだよな。自由に生きて幸せになる。その目的を達成するのはまだまだ先ってことだ。

「よし、それじゃどんな風にすれば、グランシェス領が豊かになるか考えようか」

 結局、二人でグランシェス領の今後について話し合った。



 それから暫くして、俺はホールの外にあるテラスへと顔を出した。そうして周囲を見回した俺は、柵に身を預けて空を見上げるアリスを見つけた。


「こんなところでなにをやってるんだ?」

「あ、リオン。生徒達に旅の話をせがまれ続けて、少し逃げてきたんだよぉ」

「あぁ、アリスは生徒から大人気だからな」

 慕われてるという意味でなら、ミリィやミシェルも負けていないんだけどな。アリスはあっちこっちを旅した経験があるので、その手の話をせがまれることが多いらしい。


「それにしても、アリスが先生かぁ」

 前世では中学校にすら通えなかった紗弥がって考えると感慨深い。

「来年からは、他のみんなに任せるけどね」

「あぁ卒業生達が先生に回るからか。別に、アリスが先生を続けても良いんだぞ?」

「先生も楽しいけどね。私はリオンと一緒にいる方が好きだから。あ、間違った。リオンが好きだから」

「何故言い直した」

 先生をするより、俺が好きって比較対象がおかしいし。

「リオンがいつまで経っても口説かれてくれないからじゃない」

「十二歳の子供を口説こうとするな」

「この世界じゃ、十二歳はもう成人だよ?」

「それでも、子供扱いされる年齢には変わりないだろ」

「むぅ……」

 拗ねるように口をとがらす。そんなアリスを見て俺は少しだけ笑って、アリスの隣りに並ぶ。そうして、さっきまでアリスが見上げていた空を見上げる。

 そこには、蒼い満月が浮かんでいた。


「前の世界の月も綺麗だったけど、こっちの世界の月も綺麗だな」

「むうぅ、露骨に話を逸らしたなぁ~?」

「逸らしてないだろ。アリスは――紗弥は日本育ちだから……判るだろ」

「なにを言って……え?」

 日本にはアイラブユーを月が綺麗ですねと訳したという逸話がある。それを思いだしたんだろう。アリスはぽかんとした表情を浮かべる。


「え、え? 今のって、その、もしかして?」

「はい、このお話はこれでお終いな」

「ええええええっ!? ここまで来てそれはないよ!」

「続きは二、三年経ってからで」

「しかも長いよっ!?」

 珍しく取り乱すアリスを見てにやりと笑う。いつも散々してやられてるからな。たまにはこんな日があっても良いだろ。


「むぅ……二、三年かぁ」

「一緒に居ればあっという間だろ?」

「まぁそうかもね。みんなと一緒に何かをするのは楽しいし。……ねぇ、リオン。少し寄り掛かっても良い?」

「良いけど……」

 どうしてという暇も無く、アリスが寄り添ってきた。出会った頃は大人と子供といった身長差だったけど、今ではほとんど同じ高さになった。

 それがアリスに近づけたような気がして少し嬉しい。


「さっきね。生徒から逃げてきたって言ったけど、ホントはみんなにせがまれるのが嫌だったんじゃないの。ただ、生徒のみんなが羨ましくなっちゃって」

「そっか……」

 紗弥は病気のせいで小学校までしか通えなかったからな。こっちの世界に生まれ変わってからも、制服に一度袖を通しただけで、生徒としては学校に通ってない。


 ……そう、だな。

 もう少し学校の体制が整ったら、アリスが学校に通えるように手配しよう。紗弥は制服を着て学校に通うことに憧れてたから、きっと喜んでくれるだろう。

 そんな風に考えながら、俺はアリスと二人で蒼い月を見上げていた。

 

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