エピソード 2ー3 完全敗北

 アリスと別れた後は、農業区画へと赴いた。

 アリスチートのお陰で用水路や田畑は一区画が既に完成。今は雇い入れた作業員達が細かい仕上げに掛かっている。まだ一区画だけど、次の季節には種蒔きも出来るんじゃないかな。


「あれ、弟くん。どうしたの?」

 近くで作業の監督をしていたクレアねぇが俺に気付いてやって来た。

 クレアねぇはここ数ヶ月、俺とアリスから色々学んでいるので、作業の指示を出せるくらいに成長してる。すっかり領主代理が板についてきたみたいだ。


「お疲れ、クレアねぇ。進捗具合はどんな感じかなって思って」

「アリスが頑張ってくれたお陰で順調よ。少し周囲を案内しましょうか?」

「そうだな。お願いするよ」

「それじゃ、完成してるところから回るわね」

 ホントはそこまでして貰わなくても良いんだけどな。クレアねぇはホント頑張ってくれてるから、息抜きがてらに散歩も良いだろう。

 とまぁそんな感じで、楽しげなクレアねぇの横に並んで歩く。


 そうして少し歩くと水車が見えてきた。

 川から用水路に水が引かれ、水田や畑がずっと奥まで広がっている。そしてその水路と田畑の間には大きな池があり、そこではニジマスっぽい魚が養殖される予定だ。


「言われたとおりに池は作ってあるけど……魚の養殖だったかしら? そんなのは本当に可能なの?」

「知識はあるけど、実践するのは初めてだからな。最初から成功するかは判らないけど、試行錯誤でなんとかなると思う」

「でも、養殖ってことは魚の餌とかも必要なのよね?」

「それも大丈夫だ。クレアねぇに色々と取り寄せて貰っただろ?」

「あのリストに、魚の餌が入ってたってこと?」

「そうそう。色々試す予定だけど、一番期待してるのは蚕かな。アリスが旅をしてた時に見つけたらしくてさ」

 ちなみに、蚕は自然では生きられない。なのでこの世界には居ないと思って諦めていたんだけど……アリスが隣国で旅をしていた時に、飼育されているのを見つけたらしい。


「それが餌になるってこと?」

「うん。蚕の繭はシルクの材料となるんだけど、繭を取る時に蚕は死んじゃうから、ちょうど魚の餌に向いてるんだよ」

 そして近くの森にクワの木が多く生息していたので、それが蚕の餌になる。更に養殖した魚の糞や餌の残りが水田に流れ込むと肥料の代わりになる。

 その上、クワの実はジャムにも出来るし、木質が高く美しいので、工芸品をつくるのにもむいているので、何かとお得な組み合わせなのだ。


 ちなみに今更ではあるけど、ここは地球じゃないので、さっき上げたニジマスや蚕やクワなどは、地球のモノと完全に一致してる訳じゃないんだけどな。限りなく似ていて、いま言ったような相互関係が成り立つのは確認している。


「シルクって言うのはなに?」

「んっと、糸の種類だな。その糸で作ったシルク生地は光沢や手触りが凄く良いんだ」

「へぇ……そんなに違うモノなの?」

「今着てる服の生地とは比べものにならないな。今度アリスが服を作ってくれるから楽しみにしててくれ」

「あの子、本当になんでも出来るのね」

「それに関しては俺も驚きだよ」

 正直、生地の織り方まで知ってるとは思わなかった。この辺は色々と試行錯誤が必要だと思ってたので嬉しい誤算だったりする。


「何にしても楽しみね。もしかして、異世界のデザインなのかしら?」

「そうなるな。今作ってるのは制服だけど、それ以外のデザインも……って、え? ちょ、ちょっと待ってくれ。今なんて言った?」

「弟くんが可愛い?」

「そんな事は言ってなかっただろ!? じゃなくて、異世界って言わなかったか?」

「あぁそれね。アリスから聞いてるわよ。二人は前世の兄妹で、その頃の記憶があるんだってね」

「……………驚いた。アリスはそんな事まで打ち明けたんだな」

 奴隷から解放されたのを切っ掛けにハイエルフだと打ち明けたことは知ってたけど、異世界転生を打ち明けたとは聞いてない。

 さてはアリスの奴、驚かせようと思って黙ってたな。


「あたしとしては、弟くんが打ち明けてくれなかった事実の方がショックなんだけど」

「それは……ごめん。打ち明けても信じて貰えないと思ってた。と言うか、俺とアリスに前世の記憶があるって信じてくれてるのか?」

「むしろ納得だったわね。あぁそれで弟くんは色々なことを知ってるのかぁって」

「……そんなものか?」

「そりゃね。小さい頃は、ずっと疑問に思ってたモノ。弟くんは隠したがってたみたいだから、出来るだけ聞かないようにはしてたけどね」

「そう、だったのか? 確かに俺は少しだけ色んな知識を持ってるけど、前世の記憶云々と言うほど凄くないだろ?」


 クレアねぇはおもむろにプラチナブロンドの髪を掻き上げた。緩やかなウェーブの掛かった髪が風に揺られてふわりと舞うが、その表情は呆れているように見える。

「弟くんはもう少し、自分の非常識さを自覚した方が良いわよ」

 と言うか呆れられてた。

 まあ最近はあんまり自重してない気がするし、そう言われても仕方ないかもな。


「とにかく、今まで黙っててごめんな」

「うん、許してあげる。その代わり一つだけ確認させて欲しいんだけど、リオンの意識は、裕弥という男の子の生まれ変わりなのよね?」

「ん、そうだなぁ……意識的には俺は裕弥かな。裕弥として生まれ育った俺が、今はリオンとしての体を得て生活しているというイメージだ」

「ふむふむ、なるほどね」

 クレアねぇは口元に指を添え、なにやら考え込んでいる。その態度は何か良からぬコトを考えている時の態度だ。

 俺は即座に回れ右をして逃亡――する前に腕を捕まれてしまった。


「弟くん、あたしと結婚しましょう」

「ほら――っ、やっぱり良からぬことを考えてたっ!」

「良からぬことじゃないわ、素敵なことよ!」

「どの辺がだよ!? 何度も言うけど、俺達は姉弟なんだぞ!?」

「なにを言ってるのよ。弟くんは‘裕弥’なんでしょ? つまり、弟くんの心は、あたしと赤の他人じゃない。だから、姉弟だからって心配する必要はないわ」

「いやいやいや、感覚的にはそうだけど、肉体的には血が繋がってるからな!?」

 それは何ら間違っていない正論のはずだ。

 なのにクレアねぇは翡翠の様な瞳を細め、蔑むように俺を見た。


「弟くんサイテー」

「なんでだよ?」

「だって女の子を、心じゃなくて体で判断するって意味でしょ?」

「その言い方は卑怯だろ!?」

 確かに今の俺は、心よりも体を優先して考えた。それだけを聞けば、大半の人が俺を批難するだろう。だけど、詳しく事情を話せば大半の人は意見を翻すはずだ。


「ん~じゃあ弟くんは、自分がリオンだから、あたしとは姉弟だって言い張るのね?」

「事実だろ?」

「なら、アリスと結ばれてもなんの問題も無いじゃない」

「――なっ、なにを……」

「だ か ら。弟くんにとって大事なのは、精神的に姉弟かどうかより、肉体的に血が繋がってるかどうかなんでしょ? なら、アリスはなんの問題も無いじゃない」

「そ、それは今関係ないだろ!?」

「あら、あるわよ。だって弟くん、アリスに想いを告げられたのに、それを理由に保留にして貰ってるんでしょ? あたしとアリス、どっちかは問題ないはずよ」

 な、なんでそれを――って、アリスから聞いたのか。と言うかアリスの奴、なんて事まで話してるんだ。いや、問題はそこじゃない。


「どっちかがアウトなら、どっちかがセーフって問題じゃないだろ? と言うか、アリスとの話を聞いてるなら判るだろ? 俺が、その……」

「アリスが好きだってこと?」

「そうだよ。前世の妹だからって迷ってるけど、俺がアリスを好きなのは事実だから」

 クレアねぇとは付き合えないと言外に伝える。

「あら、あたしは別に寵姫とかでも構わないわよ?」

「いやいや、あのな? この世界なら普通かも知れないけど、俺の世界でそう言うのは一般的じゃないんだよ」

 それ以前、キャロラインさんとミリィの関係を間近で見てて、良くそんな発想が出てくると感心する。だけど、クレアねぇはそれよりも、もっと恐ろしい爆弾を投下した。


「平気よ。この話はそもそも、あたしじゃなくてアリスが言い出したんだから」

「はぁぁぁぁっ!? 嘘だろ!?」

「嘘じゃないわよ? なんて言ってたかしら? たしか……そうそう。‘前世でも今世でも義理でも、とにかく姉妹とくっつけば、後はずるずる行っちゃうと思うのよね’って」

「搦め手ってこれかあああああああああああああぁぁぁあぁっ!」

 怖ぇえよ。

 ソフィアやミリィの時といい、あいつはなんて恐ろしいことを考えるんだよ。


「あのな、アリスがなんて言ったか知らないけど、俺はハーレムなんて作らないからな」

「どうして? あたし達が良いって言ってるのよ?」

 俺だって男として生まれた以上、複数の女性と関係を持ちたいという願望はある。

 そして本音を言えば、クレアねぇやソフィアだって、愛情の種類を考えずに言えばアリスと同じくらい大切に思ってる。

 だけど――

「誰かと付き合うって言うのは、その相手と添い遂げる覚悟を抱く事だって思うんだ」


 例えば、誰かと付き合うとする。

 そして思い出を重ねていって数年後。その相手より優れた相手が現れて、付き合って欲しいと言われたら……今までの数年を無かったことにして乗り換えるだろうか?


 この答えは人それぞれ、そして相手にもよるだろう。だから、乗り換えるという選択だって、決して間違ってはいないと思う。

 だけど。少なくとも、誰かを選んだその瞬間は、一生その相手と添い遂げるくらいの覚悟が必要だと思うのだ。


「ええっと……ようするに、リオンは全員を愛する覚悟がないヘタレって意味?」

「なんでそうなるんだよっ。たった一人だけを選ぶ覚悟って話だろ!?」

「だって弟くん。あたし達は、みんな一緒が良いって言ってるのよ?」

「……まぁそうだな。それで?」

「それなのに一人だけしか愛せないって言うのは、弟くんにとって都合の良い部分でしか、女の子を愛せないって意味よね?」

「だーかーらー、その言い方は卑怯だろ!?」


 私のお金だけが目当てだったのね、最低! とか言う展開なら確かに最低だけど、私達の中であの子だけが目当てだったのね、最低! とか、もはや意味が判らない。

 なんかあれだ、まともに取り合っちゃダメな気がする。


「とにかくっ、ダメなモノはダメなのっ!」

「それはつまり、あたしの想いは受け止めてくれないってこと?」

「ぐっ、その聞き方は――」

「卑怯なんかじゃないわよ。あたしは弟くんが好き。でも弟くんが一人しか選ばないのなら、あたしはきっと選ばれないから」

「それは……」

 そう言えば、前に告白された時は返事すら出来なかったんだっけか。……いつまでも先延ばしにする訳にはいかないな。


「正直に言うよ。クレアねぇは可愛いと思う。もし姉じゃなければ……そんな風に思ったのだって一度や二度じゃない。だから姉だからなんて言い訳はしないよ」

 アリスが前世の妹であるのを吹っ切った訳じゃない。

 だけど、アリスと付き合うかどうかを迷ってるのは、アリスが前世の妹だから。クレアねぇと比べてるわけじゃない。

 だから――

「ごめん。クレアねぇとは付き合えない。俺が一番惹かれてるのはアリスだから」

 俺はクレアねぇに向かって深く頭を下げた。


 どれくらいそうしていただろう。その間にクレアねぇがどんな表情を浮かべていたのかは判らない。だけど暫くして、クレアねぇに頭を上げてと声を掛けられた。

 そうして見上げたクレアねぇは、何処か寂しげに微笑んでいた。


「そうじゃないかなって思ってたわ。だから、そんなに申し訳なさそうな顔をしないで」

「クレアねぇ……ごめん」

「だから、気にしなくて平気よ。あたしは別に、弟くんを諦めたりしないから」

「そう、か。本当にごめん。……………って、うん? ちょっと待って、今諦めないって言わなかったか?」

「え、当たり前でしょ? あたしは弟くんの側にいる事が目的なのよ? あたしにも惹かれてるけど、アリスの方が好きだって言われてどうして諦める必要があるの?」

 それを聞いた瞬間、俺は恐らく微妙な表情を浮かべていたと思う。

 だけど――


「それに、弟くんはまだ十一歳でしょ。アリスと付き合ってから考えてくれたって良いんだし、時間はゆっくりあるわ。答えは焦って出さなくて良いと思わない?」

 何処か上ずった口調で捲し立てる、クレアねぇの指先が震えている。それに気付いてしまったから、俺はそれ以上拒否できなくなってしまった。


「……クレアねぇ」

「――っ」

 ただ名前を呼んだだけなのに、クレアねぇはビクリと身をすくめる。俺はため息を一つ、クレアねぇの頭を軽く撫でつけた。

「……判ったよ、クレアねぇ。今は考えられないけど……もう少し大きくなって色々と余裕が出来た時に、クレアねぇの気持ちが変わってなかったら……もう一度考えてみる」

「――ホント!?」

「う、うん。でも考えるだけだからな? 保証はしないからな?」

「ええ、それで十分よ! ありがとう弟くん!」

 クレアねぇが感極まった感じで飛びついてくる。それを慌てて抱き留めつつ、なんか段々泥沼にはまってる様に思えるのは気のせいなのかなぁ……なんて思った。

 

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