エピソード 1ー2 ソフィア・スフィール
ソフィアの部屋の前。
俺は手を伸ばしては引っ込めるという謎の儀式を繰り返していた。いや、扉をノックをしようと思うんだけど、いざとなると踏ん切りがつかないのだ。
そんな訳で、奇行を繰り返すこと十数回。俺はようやく覚悟を決めてソフィアの部屋をノックしたのだけど……返事がない。
……か、帰ろうかな?
いや、ここまで来てそれはないな。もし本当にソフィアが俺を待ってるなら、ちゃんと会って話をしないと――と、俺はもう一度だけノックをして、無断でドアノブをまわす。
「……おじゃましまーす」
俺は小声で断りつつ部屋の中に入るが、カーテンが閉められているのか薄暗い。目をこらして周囲を見回すと、ベッドの上でソフィアが膝を抱えていた。
「ソフィア、久しぶりだな」
「…………なにしに来たの?」
返ってきたのは抑揚のない声。
これが本当にソフィアなのか? キラキラしてた紅い瞳からハイライトが消えてるし、なんかヤンデレみたいになってるんだけど。
引きこもってるとは聞いてたけど、ここまで酷かったのか……
「ソフィア……その、大丈夫か? ソフィアがずっと部屋にいるって聞いて、心配になって様子を見に来たんだ」
「嘘、リオンお兄ちゃんがソフィアの心配するはずないもん」
「嘘じゃない……と言うか、心を読めば判るだろ?」
俺はあの時、反射的にソフィアの行動を否定してしまった。だけどそれは、ソフィアに人殺しをして欲しくなかったから。ソフィア自身を拒絶した訳じゃない。
普通なら誤解を解くのは大変だけど、ソフィアは心を読めるから大丈夫――と思ったんだけど、ソフィアは膝を抱えたまま金色の髪を左右に揺らした。
「ええっと……もしかして、心が読めなくなったのか?」
「……うん」
「そう、か……」
家族に裏切られ、俺にまで拒絶されたと思ってるんだもんな。まだ七歳の女の子だし、心を読むのが怖くなって当然か。
俺があの時、ソフィアの行動を受け入れていれば……
ソフィアの取った行動が正しいかは判らない。けど、少なくとも俺はソフィアに救われた。それは事実だから、あの時に受け入れるべきだった。
だから今度こそ――と思ったんだけど、先に口を開いたのはソフィアだった。
「リオンお兄ちゃん。あの時、お父さんやお母さんを殺しちゃダメだって言ったよね」
「あれは……その、ごめん。ソフィアは俺の為に頑張ってくれたんだよな。それなのに、頭ごなしに否定して悪かった」
「うぅん。それは良いの。だって、リオンお兄ちゃんが言ったことが正しかったから」
不意にソフィアの瞳から、大粒の涙が一粒こぼれ落ちた。
「……ソフィア?」
「ソフィアね。お父さんとお母さんが嫌いだった。いっつもソフィアに本音を隠してて、心の中ではソフィアを疎ましく思ってたから」
それは……たぶん誤解だ。
少なくとも、カルロスはソフィアを心配してた。恩恵を恐れる気持ちがあったとしても、ソフィア自身を嫌っていた訳じゃないと思う。
だけど、今はそれを言うのは逆効果だろう。そう思ってソフィアの言葉に耳を傾ける。
「だからね。二人がリオンお兄ちゃんになにをしたか知って許せなかった。許せないから、殺してやるって思った」
「それは……でも、俺の苦しみを知ったからなんだろ? 俺の為に怒ってくれたんだから、ソフィアは悪くなんかないぞ」
俺の為だから構わないと、心から思ってる訳じゃない。けど、それでソフィアの抱く罪の意識が少しでも軽くなるのならと、そんな風に言う。
だけど、ソフィアは首を横に振った。
「ソフィアを化け物だって恐れるお父さんとお母さんなんて、殺したって平気だって思ってた。でも……違ったの! こんなに哀しくなるなんて、思ってもいなかった!」
――そう、か。ソフィアは……後悔してたのか。
「バカだよね。こんなんじゃ、リオンお兄ちゃんに嫌われて当然だよ」
「なに言ってるんだ、俺がソフィアを嫌うはずないだろ」
「……嘘だよ」
「嘘じゃないぞ」
「だったら、今までどうして会いに来てくれなかったの?」
「それは……」
俺は答えられなかった。
会いに来なかったのは、どんな顔をして会えば良いか判らなかったから。
けど、そんなのはソフィアに判るはずがない。誤解されて当然だから、ソフィアを不安にさせてるかもとは予想していた。
だけど、ソフィアは心が読めるから、会えば判って貰えるって思って、言い訳も対策も考えてなかったのだ。
「ねぇ、どうして? ソフィアが、リオンお兄ちゃんの家族を殺した人達の娘だから?」
「ちがっ、そんなはずないだろ!」
そりゃカルロスの所業を知った時は、本当に無関係なのかなって疑心暗鬼になった事はある。けど、カルロスの娘だからって、ソフィアを嫌うなんて絶対に有り得ない。
「ねぇ、ソフィアを嫌わないで。ソフィアはリオンお兄ちゃんと一緒に居たいの。だって、ソフィアにはもう、リオンお兄ちゃんしか居ないから」
「――っ」
俺しか居ないって……これは依存、だよな? 俺を頼ってくれるのは嬉しいけど、俺しか居ないって依存するのは……
「ねぇ、どうしたら一緒にいさせてくれる? リオンお兄ちゃんが側にいてくれるなら、ソフィアはなんだってするよ」
「……女の子がそんなことを軽々しく言っちゃダメだ」
「ソフィアは本気だよ。リオンお兄ちゃんが見捨てないでくれるなら、ソフィアはなんだってする。お兄ちゃんが望むなら、今すぐお母さんを殺してみせる」
なんでもするってそっちかよ! どう考えてもダメな方だ。いや、えっちぃ方面ならセーフかと言うと、そっちはそっちでやばいんだけど。
「あのなソフィア。お父さんを殺して後悔してるんだろ? なのに、お母さんを殺すとか言っちゃダメだろ」
「判ってる。また後悔すると思う。だけど、だけどね。リオンお兄ちゃんに嫌われる方がもっと嫌なのっ! ねぇお願いだから、ソフィアを嫌わないで……ぐすっ」
まずいなぁ……支離滅裂というか、かなり錯乱してる気がする。
どうする? どうすればソフィアを救える?
依存するなと突き放すのは論外だと思う。でも、本当に全てをここで受け入れて、依存を加速させて良いのか?
……判らない。俺はカウンセラーじゃないから、どっちが正しいかなんて判らない。
だけど、一つだけ判ってることもある。それは、ただ泣いてるソフィアを放ってはおけないってこと。
だから俺は、泣いているソフィアを抱き寄せた。
「……リオン、お兄ちゃん?」
「大丈夫、大丈夫だから。俺はソフィアを絶対に嫌ったりなんてしない。会いに来なかったのは、どんな顔をして会えば良いか判らなかったからだよ」
「……ホント?」
「ホントのホントだ」
「ホントのホントのホント?」
「ホントのホントのホントのホントだ。ソフィアを嫌いになんて絶対にならない」
「ぐすっ、リオンお兄ちゃん、リオンお兄ちゃんっ。うわあああああああああああああああああああああああああああああっ」
「あぁよしよし、もう泣かなくて大丈夫だから」
俺はソフィアが泣き止むまでずっと、その小さな背中を撫で続けた。
そんな訳で、ソフィアの依存は加速。泣きじゃくるソフィアは決して俺から離れようとはしなかった。だけど程なく、ソフィアは泣き疲れたのか眠ってしまった。
なので、ソフィアが起きた時に心配しなくて良いようにメイドさんに伝言を頼み、俺自身はクレアねぇの部屋へと向かった。
ソフィアにどんな風に接するべきか、相談したかったからだ。
「クレアねぇ、いま少し良いか?」
「弟くん? 着替えてる途中だけど入って良いわよ」
俺はクレアねぇの返事を確認して部屋の中に。クレアねぇは下着的なキャミソールにスカートと言う姿で着替えている最中だった。
「――ちょっ、なんで着替えてるんだよ!? ちゃんとノックしただろ!?」
「え、着替え中だけど入っていいわよって言ったじゃない」
「……え? あぁ、そう言えばそう言ってたような…………って、おかしいだろ!? 着替え中だけど入って良いってなんだよ!?」
「着替えてる途中だけど、弟くんなら別に入ってきても良いよって意味よ? 別におかしくないでしょ?」
「えぇえええぇぇぇ……」
おかしく、ないか? おかしい、よな? え? 俺が意識しすぎなだけ?
確かに俺はまだ十歳でクレアねぇは十一歳。この世界の子供は成長が早いのを考慮しても、日本で言うところの中学生くらい。
キャミソール越しに見えるシルエットも、まだふくらみ始めといった程度だ。姉弟って事を考えれば、目の前で着替えるくらい別におかしくは……
「いやいや、騙されないからな? なんの為にノックしたと思ってるんだよ?」
「そう思うなら、視線を逸らして欲しいんだけど。いくら弟くんが相手でも、じっと見られると恥ずかしいのよ?」
「……ごめんなさい」
俺は慌てて背中を向ける。そうして暫く大人しくしていると、がさごそと着替えていたクレアねぇが声を掛けてきた。
「弟くんに頼まれてた調査の報告が上がってきたんだけど聞く?」
「聞かせてくれ」
「少し悪い報告と、凄く悪い報告、どっちから聞きたい?」
「……どっちも悪いのかよ。なら凄く悪い報告からだ」
「グランシェス家の警備を担当してた騎士十六名、全員の死亡が確認されたわ」
「そう、か……」
彼らは文字通り最期まで戦ってくれたのだろう。顔も知らない者達だけど、彼らが戦ってくれなければ今の俺はなかった。
俺は瞳を閉じ、彼らの冥福を祈った
「……遺族にお見舞い金を送らないとな」
「お見舞い金?」
「収入がなくなったら、遺族が生活できなくなるだろ? 今まではそう言ったケースに対する保証とか無かったのか?」
「ええっと……ごめんなさい、判らないわ。後で相談して手配しておくわね――と、もうこっちを向いて良いわよ?」
「それは……着替え終わったって意味だよな?」
「え、まだ着替え中だけど」
「クレアねぇ…………」
「冗談よ、冗談。弟くんが思い詰めてる感じだったから、ちょ~っと空気を和ませただけじゃない」
「思い詰めてるのに気付いたなら、からかわずに慰めてくれ」
「……後ろから抱きしめてあげれば良いの?」
言われてクレアねぇに抱きしめられる自分を想像する。
……凄く安心出来そうだけど、そのまま甘えてダメ人間になりそうな気がする。
「ごめん、やっぱり訂正。からかうだけで十分だ」
「だと思った。っと、ちゃんと着替え終わったから振り返って大丈夫よ」
俺は念の為に疑りながら振り返るが、さすがにちゃんと着替え終わっていた。
「それで、少し悪い話って言うのは?」
「グランシェス家の使用人の大半は無事に逃げ出せてたわ。だから大急ぎで保護して回ってるんだけど、行方の判らない人がいるのよ」
行方が判らない……って、もしかして使用人の中にスフィール家の内通者でも居たのかな? もしそんな人がいたのなら許せないな。
ちゃんと、しでかしたことの責任を取らさないと。
「その人達の行方はまったく判らないのか?」
「一応調査中よ。ただ、グランシェス家が機能しなくなってから、調査に乗り出すまで結構な時間が経ってたでしょ?」
「あぁ……そういやそうだな」
エルフの里への往復で二週間。向こうに一週間滞在して合計三週間。騒動が終わってから数日はバタバタしてたので、調査開始まで一ヶ月は掛かってる。
しかもグランシェスの屋敷は木造部分が焼け落ちて、現在は人の住めない状態になってるから……って、あれ?
「ま、待ってくれ。行方が知れない人達って、まさか……」
「ええ。生活に困った一部の使用人が身売りとかをしたみたいなのよ。中には奴隷になった人もいるみたいで……探してはいるんだけどね」
うわああああああっ、疑って済みませんでしたああああああっ!
そうか、そうだよな。銀行も生活保護もないこの世界。いきなりなんの保証もなく住んでるところから放り出されたら、普通は路頭に迷ったりするよな。
「クレアねぇ、その人達を全力で保護するように手配してくれ! 人員も可能な限り出して、身請けを買い戻すお金に糸目は付けなくて良いから!」
「え、えぇ、それは構わないけど……自分を幽閉していた側の人達の為にそこまで必死になれるなんて、弟くんはやっぱり優しいのね」
違います、罪悪感に押しつぶされそうなだけですぅ。あと俺が幽閉されてたのと使用人は関係ないし、優しいとか言われたらグサグサ刺さるからマジ勘弁して下さい!
「それじゃ手配はしておくけど、弟くんはなにをしに来たの?」
「あ、そうだった。ソフィアに会ってきたからその報告にきたんだ」
「ソフィアちゃん、どうだった?」
「実は――」
クレアねぇに、さっきのやりとりをあらかた説明した。
「そっかぁ……だいぶ弟くんに依存してるわね」
「やっぱりそう思うか?」
「そりゃね。両親にされた仕打ちを考えれば、心を許してた弟くんに依存するのも無理はないと思うけど……」
「あんまり良くないか?」
「どうかしらねぇ。少なくとも、弟くんに対しては普通に話すようになったんでしょ?」
「そうだな。ちょっと危なっかしい気はするけど、一応普通に話せると思う」
「なら、後は弟くん次第ね。ソフィアちゃんが間違った道に進まないように、しっかり支えてあげれば良いんじゃないかしら」
「それはそうなんだけど……」
俺次第でなんとかなる。言い換えれば、俺が失敗すればソフィアが今より酷くなると言うこと。任せろと言うには責任が重すぎる。
それに、だ。
スフィール家でグランシェス領のあれこれに指示を出すのも限界がある。さっきの使用人の件もあるし、いつまでもここに留まってる訳にはいかない。
「グランシェス領も心配だし、出来るだけ早くなんとかしたいんだ」
「ん~それなら、アリスに相談してみたら?」
「アリスに?」
「そうよ、彼女はハイエルフだったんでしょ? 弟くんが知らないような解決方法も知ってるかも知れないわよ?」
「なるほど……」
ハイエルフとしての知識が役に立つかは判らないけど、アリスには前世の――日本人としての記憶がある。ソフィアの精神状態についても判るかも知れない。
「そうだな。それじゃちょっと相談してみるよ」
「ええ、行ってらっしゃい。あたしは暫く事務処理をしてるから、なにか手伝って欲しいことがあればいつでも頼ってきてね」
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