第二章

エピソード 1ー1 葛藤

 

「私の分まで自由に生きて、幸せになってね」

 俺にとって唯一の家族だった紗弥が最期に残した言葉だ。だから、異世界に転生した俺は、紗弥の分まで幸せになろうとした。

 とは言え、貴族が妾に産ませた子供という理由で様々な制約を受けていたから、随分と苦労をさせられた。だけど、それでも、俺は必死に幸せを求め続けた。


 そんなある日、俺はアリスと出会った。桜色の髪に、虹彩異色症――右が金色で左が青色と、異なる色の瞳を持つハイエルフの少女。

 アリスと様々な困難に立ち向かい、ついには自由を手に入れた。そうしてアリスに告白されて、めでたくハッピーエンド――となるはずだった。


 だけど、アリスは前世の妹――紗弥の生まれ変わりだった。

 かつて唯一の家族だった妹。俺にとって片割れも同然だった紗弥と再会できたのは素直に嬉しい。本当に、本当に嬉しかった。

 だけど……好きになった女の子が、前世で妹だったと言うのは――果たして喜んで良いのだろうか?

 俺はそんな風に悩んでいるのに、アリスはあっけらかんと言い放ったのだ。兄妹だったのは前世の話で、今世では血が繋がってないんだからなにをしても問題はない――と。

「そう、キスをしようと、それ以上の――なにをしようと、ね」

 ま、まて紗夜! 落ち着け! 紗夜、ちょっと自重しろ! 紗夜!?



「――はっ!? ……またあの夢か」

 ベッドから飛び起きた俺は思わずため息をついた。アリスが前世の妹だと判ってから約一ヶ月、ほぼ毎日のように先ほどの夢を見ているからだ。

 原因は分かりきってる。俺がアリスをどう扱って良いか迷っているからだ。

 紗弥は前世の俺にとって唯一の家族で、半身も同然なくらい大切な存在だった。だけどそれはあくまで妹として。恋愛対象としてみたことはない。

 そしてアリスは優しい心の持ち主で、外見も可愛い。ずっと一緒に歩きたいと思った女の子で、ハッキリ言えば惹かれている。


 その二人が別々に存在していればなんの問題もなかったのだけど……どんな因果か、アリスは紗弥としての記憶を持つ転生者だった。

 アリスと付き合うと言うことは、妹の生まれ変わりと付き合うということになる。今世だけで考えればセーフだけど、前世を考えると間違いなくアウト。

 だからどんな風に接すれば良いか判らなくて混乱しているのだ。


「宙ぶらりんなままじゃダメだって判ってるんだけどな……」

 俺は独りごちてベッドから降り立ち、窓の外を眺めた。そこにはスフィール家の中庭が広がっている。

 あの事件から一ヶ月、俺達はいまだにスフィール家の屋敷に留まっていた。

 理由はいくつかあるんだけど、主な理由はスフィール家がしでかした責任についての話し合いをしていたからだ。

 もっとも、その話し合いも昨日でお終い。

 俺達がこの屋敷に留まる必要は無くなってるんだけど……


「あーやめやめ。取り敢えず朝食にしよう」

 暗くなりそうな思考を頭の隅に追いやり、俺はさっさと着替えを済ます。そうして顔を洗う為、水瓶が置いてある部屋へと向かった。


 ちなみに、スフィール家に限らず、この世界には水道が存在しない。いわゆる、バケツでくみ上げる井戸が主流なので非常に手間が掛かるのだ。

 なので貴族の家なんかは、井戸水を汲み置きする水瓶が室内に存在する。毎日二回ほど、係りの者が頑張って水を汲んでいるらしい。

 精霊魔術を使えば、虚空から水が取り出せたりはするけど……どのみち水瓶に貯める必要があるからあまり意味はないな。


 そんな訳でやって来た水瓶のある部屋。俺はアリスと出くわした。

「ア、アリス。……おっ、おはよう!」

「おはようリオン。今日も良い天気だね」

 くぅ、自然な笑顔がまぶしい。俺は好きになった女の子が妹の生まれ変わりだったと悩んでるのに、アリスの方は気にしてるように見えない。

 ……いや、実際に気にしてないのかもな。俺が裕弥だって判ってからキスして来たくらいだし……と言うか、アリスとキス、しちゃったんだよな。

 前世の妹とキス、しちゃったんだよな……

 アリスとキスをしたと考えると胸が温かくなるのに、前世の妹とキスしたと考えると何とも言えない気持ちになる。相手は一緒なのに複雑な気分だ。


「……リオン、どうかした?」

「あ、うぅん。なんでもない。なんでもない」

 いかんいかん。アリスの前で考え込むのは止めよう。せっかくアリスが自然に振る舞ってくれてるのに、こんなんじゃ気まずい空気になってしまう。

 なにかさり気なく話題を振らないと。

「そう言えば、今日は良い天気だな」

「……え、うん、そうだね……」

 あ、あれ。会話に困った時の王道的話題のはずなのに、何故か微妙な空気になってしまった。なんでだ!?


「な、なあ、俺がなにか変な事を言ったか?」

「べ、別にそんなこと無いよ」

「ホントに?」

「う、うん」

 なにこの気まずい雰囲気。良く判らないけど、これはまずい。どうする、どうすれば良い? そうだ、取り敢えず勢いで誤魔化そう!

「と、ところでアリス。俺はこれから朝ご飯を食べる予定なんだ」

「そうなんだ? それじゃ――」

「うん、だから今から行ってくる!」

「え? う、うん、行ってらっしゃい」

「ああ、それじゃまたな!」



 そんな訳で、俺は一人で食堂にやって来てどうするうううううううっ! なんで一方的に宣言して逃げてるんだよ! バカなの? 死ぬの!?

 反省だ、反省、猛省しよう。

 せっかくアリスが普通に接してくれてるのに、最近こんな態度ばっかりだ。確かに前世でも恋愛経験なんてほとんどなかったけど、いくら何でもこれは酷すぎる。


「あれ、弟くん。そんなところでなにをやってるの?」

 食堂の壁に手をついて落ち込んでいると、クレアねぇに声を掛けられた。

「……クレアねぇ、おはよう」

「だ、大丈夫? なんかどんよりして見えるわよ?」

「気にしないでくれ。ちょっと自分の馬鹿さ加減に落ち込んでただけだから」

「弟くんが? 珍しいわね。なにかあったの?」

 クレアねぇは小首をかしげる。あぁ、ダメだ。しっかりしないとクレアねぇにまで心配を掛けてしまうと、俺は気持ちを入れ替えた。


「大したことじゃないから心配しないでくれ。それよりクレアねぇは今から朝食か? もしそうなら一緒にどうかな?」

「もちろん歓迎よ」

 とまあそんな訳で、俺とクレアねぇはメイドに朝食の準備をお願いして、向かい合わせで席に着いた。



「ようやく冬も終わりが見えてきたわね」

「そうだなぁ……」

 ちなみに、この世界の暦はほぼ日本と同じ一日が二十四時間。

 一秒の長さが同じか計る方法がないので詳細は不明で、一ヶ月が三十日。一年は十二ヶ月で合計三百六十日。日本と同じような四季が存在する。


 なので二月の今は冬の真っ最中――なんだけど、この地方は日本で言うとかなり南の気候のようで――ようするに、冬でもそこそこ暖かいのだ。

 流石に夜とかは少し肌寒かったりするけど、真冬は気温一桁が普通の地方で育った俺としては、あんまり冬という気がしない。


「……ふわぁ――と、ごめんなさい」

 クレアねぇはあくびを一つ。慌てて手のひらでそれを隠した。

「随分疲れてるみたいだな」

 心配して尋ねると、恨みがましそうな目で睨まれてしまった。

「……弟くんがあたしに仕事を押しつけるからよ?」

「あはは……でも、そのお陰で婚約を解消できたんだから良いだろ?」

 グランシェス家の当主と長男が亡くなり、俺は伯爵の地位を引き継ぐことになった。

 なので、本来は俺が当主として仕事をこなさなきゃいけないんだけど……俺は自分がまだ十歳と幼いのを理由に、クレアねぇに当主代理を引き受けて貰ったのだ。


 もちろんクレアねぇも十一歳で十分に子供だけど、会計の知識があったミシェルと、異世界の知識がある俺やアリスが補佐をしているので問題はない。


 重要なのは、クレアねぇがグランシェス家に必要な人物になったという建前。それを理由に、グランプ侯爵に婚約解消を申し入れたのだ。

 その結果、当主とその跡継ぎが殺されたという事情もあり、なんとか受け入れて貰うことが出来た。かなり強引な手段だったけど、今後刺激しなければ大丈夫だろう。

 なので、クレアねぇは晴れて自由の身だったりする。……まぁ、グランシェス家の執務に振り回される日々が自由と言えるかは謎だけどな。


「婚約取り消しかぁ……絶対無理だと思ってたから、今でも信じられないわ」

「まだ言ってるのかよ。正式な手続きで解消してからもう一週間も経つんだぞ?」

「そうなんだけど……ねぇ弟くん。あたしはもう、政略結婚をしなくて良いのよね?」

「そうだよ。政略結婚なんて俺がさせない。好きな相手と結婚して良いんだ」

「好きな人……ね」

 クレアねぇは意味深な視線を俺へと向けてくる。けど、俺はあえてそれに気付かないフリをした。その話を続けるのが怖かったからだ。

 今はアリスの一件で俺の価値観が揺らいでる。そんな状態でクレアねぇに言いよられたら、流されてしまいそうな気がするのだ。

 だから、ごめん――と、俺は心の中で謝罪。話を変えるべく別の話題を探す。


「そういやクレアねぇ。昨日の話し合いは上手く纏まったのか?」

「むうううぅ」

「……クレアねぇ?」

「ちゃんと纏まったわよっ。エリーゼさんは幽閉が決定。スフィール家はエリックさんが当主となって、グランシェス家に五年に分割して賠償金を払ってくれることになったわ」

「そかそか、それは良かった」


 グランシェス家襲撃に関わっていたメンバーまでお咎め無しとはいかないけど、スフィール家がしでかした罪は公表しないことにした。

 もし表沙汰にしてしまえばスフィール家はお取り潰しが決定。なにも知らなかったエリックやソフィアにまで責任が及ぶのが判りきっているからだ。


 もちろん、当主が死亡しているので全てを隠すことは出来ない。

 なので表向きには、グランシェス家を襲った過激派がスフィール家も襲撃。当主は殺されてしまったが、仲間を率いて駆けつけた俺が仇を討ったと言う筋書きになっている。


「それと、ソフィアちゃんとの婚約の件。エリックさんに話して、正式に解消しておいたけど……本当に良かったの?」

「ああ。もう政略結婚をする必要はないしな。それに本当なら、数ヶ月前には解消してたはずだだろ」

「それはそうなんだけど……ねぇ弟くん。あれからソフィアちゃんには会った?」

「いや、会ってないよ」

「どうして――」

「お待たせしました。本日の朝食でございます」

 タイミング悪く、メイドが朝食を持ってやって来た。朝食がテーブルの上に並べらられるのを横目に、俺はクレアねぇにその話はまた後でと目配せをする。


 今日の朝食は目玉焼きとベーコン、それにカゴに積まれたパンとなっていた。目玉焼きやベーコンの味はまぁまぁ。パンは硬くてぱさついている。

 これは別にスフィール家が貧乏だとか、俺達がイジワルをされているとかではなく、これがこの世界での普通――と言うか、それなりに贅沢な朝食だったりするんだよな。

 冷蔵庫もない時代だからしょうがないんだけど、グランシェス領に帰ったらなんとか改善しようと思ってる。


「それで、ソフィアちゃんの話だけど」

「ソフィアがどうかしたのか?」

「どうしたのはこっちのセリフよ。ずっと引きこもってるのは知ってるでしょ?」

「それは知ってるけど……」

 ソフィアはあの日――父親とレジスを殺し、母親をも殺そうとしたあの日から、ずっと部屋に閉じ籠もっている。


「知ってるなら、どうして様子を見に行ってあげないの?」

「それは……もう婚約も解消したし、別に心配する理由なんてないし……」

「嘘ばっかり」

 深い緑色の瞳が呆れたように俺を見つめる。

「別に嘘なんて……」

「そんなの誰も信じないわよ。それに、スフィール家に留まってるのだって、ソフィアちゃんが心配だからでしょ?」

「いや、スフィール家との話し合いが無事に終わるか心配だったからだよ。俺の都合でクレアねぇに仕事を押しつけた訳だしな」

「……あたしの心配をしてくれたのも嘘じゃないでしょうけどね。それを口実にするなんて、弟くんらしくないわよ? 大体、話し合いは昨日で終わってるのに、まだ帰ろうとしてないじゃない」

「それは……」

「ねぇ弟くん。もう一度聞くわよ? どうして会いに行ってあげないの?」

 クレアねぇは真っ直ぐに俺を見つめる。どうやら誤魔化せる雰囲気ではないらしい。俺は小さなため息を一つ。観念して打ち明けることにした。


「……だってさ、俺が否定したせいでソフィアは傷ついて引きこもってるんだぞ? それなのに、どの面下げて会いに行けって言うんだよ」

「……呆れた。そんな理由で会いに行かなかったの?」

「そんな理由……って、これでも本気で悩んでるんだぞ」

 ソフィアの両親は殺されても仕方の無い程の罪を犯した。

 だけど、だからって、ソフィアが親を殺す必要なんて何処にも無かった。俺が不用意に巻き込まなければ、ソフィアが親を殺すような事態にはならなかったはずだ。


「あのね弟くん。確かにソフィアちゃんは傷ついたけど、それは弟くんに拒絶されたと思ったからよ。でも弟くんは、ソフィアちゃんを拒絶したわけじゃないでしょ?」

「当たり前だろ。ソフィアは俺の為に――あんなことをしたんだから」

 スフィール家がしでかした罪を知るのはごく一部の人間だけ。当然ソフィアの件も一部の人間しか知らないので、俺は慌ててあんなことと言葉を濁す。

 そうして俺達の話を誰も聞いてないのを確認して、念の為と声のトーンを落とす。


「……俺がソフィアを拒絶するなんて有り得ないよ」

 それは俺の偽らざる本音だ。だから正直に言えば、あの場で反射的にソフィアの行動を否定してしまったのを後悔している。

 もちろん、ソフィアのしでかしたことは、この世界のルールにおいても行きすぎだと思う。だけどそれでも、俺だけは受け入れてあげるべきだったと思うから。


「だったら会いに行ってあげなさいよ。ソフィアちゃんが心配なんでしょ?」

「それは……でも、会いに行ってもっと傷つけるかも知れないだろ?」

「大丈夫よ、弟くん。ソフィアちゃんは絶対、弟くんが来るのを待ってるから。だから会いに行って、ちゃんと自分の気持ちを伝えれば大丈夫。お姉ちゃんが保証してあげる」

 クレアねぇは少し小首を傾け、緩やかなウェーブの掛かった髪を揺らす。そうして浮かべるのは、見る者を安心させるような穏やかな微笑み。

 まだ十二歳にもなっていない子供なのに、こういうところはお姉ちゃんだなぁと思う。

 俺はクレアねぇの言葉に背中を押され、ソフィアに会いに行く覚悟を決めた。

 

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