エピローグ 俺の異世界姉妹が自重しない!

 

 スフィール家がしでかした罪はあまりにも大きい。

 もし真実を明るみに出せばスフィール家はお取りつぶしが確実。なにも知らなかったエリックやソフィアにまで責任が及ぶだろう。

 だけど、それは俺の望むところじゃない。なので別の形――例えば賠償金などで責任を取って貰う方向でエリックと話し合う事が決まった。

 もちろん不安がない訳じゃないので油断はしない。けど、エリックはどちらかというとお人好しそうな性格なので、恐らくは大丈夫って言うのが俺達の結論だ。


 そんな訳で、その日の夜。

 俺はスフィール家の二階にあるバルコニーで夜空を見上げていた。蒼い月を見ていると、ここが異世界なんだなぁと実感させられる。

 どれくらいそうしていただろう? 静かな足音が近づいてきた。


「リオン、こんなところにいたんだね」

 夜の帳に染み渡るような穏やかな音色。アリスは俺に寄り添うように空を見上げる。

「クレアねぇの傷はどうだった?」

「大丈夫。一週間もすれば、傷跡も残らずに完治すると思う」

「そっか、それなら安心だな」

 クレアねぇの頬に傷跡が残ったら、悔やんでも悔やみきれないところだった。その程度で済んでくれて本当に助かった。


「これから大変だね」

「そうだなぁ……」

 グランシェス家の復興と、スフィール家との話し合いにクレアねぇの婚約の件。ソフィアも心配だし、ミリィも迎えに行かなきゃならない。

 正直、体がいくつあっても足りる気がしない。

「リオンはこれからどうする予定なの?」

「どうするって?」

「グランシェス家を継ぐのかなって思って」

「あぁそれなぁ……最初は伯爵の地位になんて興味なかったんだけど、今はちょっと継いでも良いかなと思ってる」

「そうなんだ? 少し意外かも」

「ほら、俺が領主になれば、サトウキビとかも栽培できるだろ?」

 それどころか、闘病生活中にかき集めた知識で内政チートがやり放題。こう言うと不謹慎かも知れないけど、箱庭系のゲームみたいで面白そうだと思うのだ。


「だったら、私も色々と手伝うよ。私の知識も役に立つと思うよ」

「それは頼もしいけど……良いのか? もう奴隷から解放されたんだし、自分の好きなように生きて良いんだぞ?」

「だからこそ、だよ。言ったでしょ、一緒に幸せになろう……って。私はリオンと同じ時間を歩みたいの」

「そ、そうなんだ」

 おおお落ち着け俺。なんか告白されてるみたいな感じだけど、一緒に幸せになろうって最初にそれを言い出したのは俺の方。あの時の言葉に他意はなかった。

 それをアリスに言われて告白と勘違いとか恥ずかしすぎる――と、平然を装いながらアリスを見た俺は今度こそ硬直した。

 桜色の髪を風になびかせ、俺をジッと見つめる。アリスは蒼い月明かりの下でもそうと判るほどに、頬を真っ赤に染めていた。


「アリ、ス……?」

「私は、私はリオンが好き」

 唐突に紡がれた真っ直ぐな告白に、俺の平常心は為す術もなく打ち砕かれた。相手に聞こえるんじゃないかってくらい、胸の鼓動が激しく高鳴り始める。

「ア、アリス? 今のは、その……」

「……告白、だよ。異性として、リオンが好き、大好き。リオンはまだ子供でそういうの判らないかもだけど、私がリオンを思う気持ちは本物だよ」

「あ、う……そ、そうなんだ。ありが、とう」

 やばい、顔が熱い。色んな気持ちがないまぜになって訳が判らない。だけど、アリスの蒼い瞳に魅せられたように目が離せない。


「リオンは……私のこと、好き? それとも、まだそう言う気持ちは判らない?」

「い、いや、そんな事はないよ。俺だって――」

 ま、待て落ち着け俺。なにを言おうとしてるのか判ってるのか? 三十年近い人生経験があるとは言え、肉体年齢はまだ十歳。将来を決めるのは早すぎる。


 だけど――と、俺はアリスへと視線を向ける。

 アリスはこの数年間、俺をずっと支えてくれた。アリスがいなければ、俺はクレアねぇもソフィアも救えなかっただろう。

 なにより、優しくて可愛い。そんなアリスと一緒にいるのが凄く楽しい。これからもずっと、アリスと一緒にいたい。それは俺の偽らざる本心だ。

 そういう意味では、年齢なんて関係ないのかも知れない。

 けれど……


「アリス、一つだけ聞かせてくれ。アリスはどうして俺を好きになったんだ?」

 引っかかったのは、アリスの母親が危惧していたストックホルム症候群。その由来はストックホルムで起きた立てこもり事件で、人質の一人が犯人と結婚した事にある。

 つまり、アリスが俺に向ける好意は、奴隷契約の影響かも知れないってこと。


 もちろん、俺だって全てがそうだって思ってるわけじゃない。アリスと一緒に居て楽しいのは事実だし、アリスだってそう思ってくれてるだろう。

 だけどもしアリスが最初から奴隷じゃなければ、アリスは俺に対して気の合う親友以上の感情を抱かなかったかも知れない。

 そんな不安が消えない。


「私がリオンを好きになった理由? 色々あるけど……やっぱり兄さんに似てるって思ったのが切っ掛けかな」

「お兄さん……そう言えば、俺と似てるって言ってたな」

「うん、雰囲気とかがね。あ、でも誤解しないでね。切っ掛けはそれだけど、別に兄の代わりとか思ってるわけじゃないから」

「それは心配してないけど……兄に似てたら好きになるのか?」

「ん~普通はならないかな? でもね。私と兄さんは少し特別な関係だったんだ」

「特別……ってどういう?」

 まさか、アリスはクレアねぇと同じ人種……って、いやいやまさか。


「あのね、リオン。告白してからこんな風に言うのは卑怯かも知れないけど、いま言わなければ一生言えないと思うから言っておくね」

 な、なにこの前置き。本当に兄と深い関係だったとか? さ、さすがにそれはないと思うけど……この話の流れは否定しきれない感じがする。

 ――な、なんてな。俺の盛大な勘違いってオチなんだろ? うん、判ってる。だから、遠慮無く言ってくれ。


「私はね、兄の事が好きだったの」

 ホントにクレアねぇと同じ人種だった――っ!?


 おっ落ち着け。俺が好きになったのは過去のアリスじゃなくて、今のアリスだ。例えどんな過去があったとしても、俺の気持ちは変わらない!

 …………………けど、気になる。

「もしかして……付き合ってたのか?」

「うぅん、私の片思いだよ。それに、気持ちすら打ち明けていないよ」

「それは……お兄さんが死んだから?」

「違うよ」

 それを聞いた俺は、『告白できなかったのは、兄が死んだからじゃない』と言う意味だと思った。

 だから――


「死んだのは兄さんじゃなくて、私なんだ」

 アリスの言葉をまったく理解できない。あまりの衝撃に硬直する俺に向かって、アリスは静かに言葉を重ねる。


「私は一度死んでるの。私には前世――こことは違う世界で過ごした記憶があるんだ」

「……………こことは違う世界?」

 それって、それってまさか――っ。

「魔術はないけれど、ここよりずっと文明の進んだ世界の日本という国」

「じゃ、じゃあ、自分が病弱で、お兄さんに負担ばかり掛けていたって言うのは……?」

「日本での話だよ。今の私に兄弟はいないから」


 そ、そんな事ってあり得るのか? 確かに俺が転生している以上、他に転生者がいたっておかしくはない。だけど、病弱で、兄に負担を掛けてって……まさか、そんな……


「…………紗弥、なの、か……?」

「え、どうして私の名前を――まさか裕弥兄さん……なの?」

「う、うん。そうだよ。と言うことは、紗弥なんだよな?」

「……う、嘘。ほ、ホントに、本当に裕弥兄さんなの?」

「ああ、そうだよ」

「――裕弥兄さん!」

 瞬間、弾かれたようにアリスが抱きついてきた。俺は慌ててその体を抱き留める。


「裕弥兄さん、裕弥兄さん、裕弥兄さん!」

「……うん、俺だよ。紗弥、本当に久しぶり」

「うん、うんっ、ひさし――っ」

 アリスはビクリと身をすくめ、怯えるように俺から身を離した。

「……紗弥? どうかしたのか?」

「私、嫌われちゃうのかな?」

「は? なんで?」

「だって……私、裕弥兄さんに負担ばっかり掛けて。最後は嫌われちゃったから。私が紗弥の生まれ変わりだって知られたから、嫌われちゃうのかなって」

 不安げな瞳が俺を見つめる。


 ……そう、だ。

 俺は紗弥の最後の願いを叶えようと、幸せになろうとしていた。でもそうしようと思った理由は、紗弥を傷つけたまま死なせてしまったからだ。

 もう、二度とあの日の後悔は消せないと思ってた。

 だけど――


「…………嫌わない。そもそも、嫌ってなんてないよ。俺に負担を掛けて嫌われたって言うのは紗弥の誤解だよ」

「嘘! だって、辛そうにしてたじゃない!」

「それは紗弥のせいじゃないよ。紗弥には心配を掛けたくなくて黙ってたけど、俺も紗弥と同じ病気を患ってたんだ」

「う、嘘だよ」

「嘘じゃないよ。学校を辞めたのだってそれが理由だ。紗弥だって入院前に辞めたから判るだろ?」

「それは……」

 色々と身に覚えがあるのだろう。アリスの瞳に理解の色が宿り始める。


「それじゃ、ホントに? ホントに私は、兄さんに嫌われてないの?」

「……バカだな。俺が紗弥を嫌うはずないだろ」

「そっか……そう、だったんだ……私は、兄さんに嫌われた訳じゃなかったんだ」

「うん、嫌ってなんてないよ」

「そっか……そうだったんだ」

 アリスは何処か幸せそうに、大粒の瞳からぽろぽろと涙をこぼし始めた。それを見た俺は、もう二度と解けないと思っていたあの日の誤解を正せたのだと、ようやく実感した。



「ねぇ裕弥兄さん。裕弥兄さんは八年も闘病生活を続けていたの?」

 暫くして泣き止んだアリスが俺を見上げる。

「……え? いや、俺は一年くらいのはずだけど」

「でもそれじゃ計算が合わないよ? 私が死んじゃった時は既に病気だったんでしょ?」

「そうだよ。だから……あれ?」

 死ぬと同時に生まれ変わるのだとすれば、俺はアリスより一つ年下のはずだ。でも実際には八歳も離れている。

 ――いや、待てよ。最後の頃の俺は、聴覚以外の全てを失い、ほとんど眠っているような生活を続けていた。もしあの状態から七年ほど生きていたのだとしたら――

 いや、それ以上考えるのは止めよう。もしそれが事実だとしても誰も喜ばない。


「裕弥兄さん?」

「俺は紗弥が死んだ一年後に亡くなってる。だから多分だけど、死んで直ぐに生まれ変わるとは限らないんじゃないかな?」

「そう、なのかな? うん、そうかも知れないね」

 全てを察した訳じゃないと思うけど、なんとなく追求しない方が良いと思ってくれたのだろう。アリスはすんなりと引き下がってくれた。


 それより問題なのは――と、俺は改めてアリスを見る。

 ここ数年はずっと一緒にいて、掛け替えのない存在になっていた女の子。アリスが側にいない人生は考えられないと思うほどだ。

 だけど、アリスは紗弥だった。俺の実の妹だった。


「なぁ紗弥。さっきの告白なんだけど――」

「さっきの告白は本気だよ」

「え、いやでも、俺達は前世で兄妹だったんだぞ?」

「それでも、私はリオンが好き。リオンは私をどう思ってるの? 前世の記憶があるのなら、恋心だってちゃんと理解してるでしょ?」

「………それは、うん。正直に言うよ。俺もアリスに惹かれてた。ずっと一緒に居たいと思ってる。だけど、俺達は血の繋がった兄妹――んっ!?」

 その言葉は最後まで言えなかった。なぜならセリフの途中で抱き寄せられ、アリスの唇で口を塞がれたからだ。…………………………って、いやいやいや。唇で塞いでどうする。え? なに? キス? なんでキスしてるんだ!?


「ア、アリス!? じ、自分がなにをしたか判ってるのか!?」

「……なにって、恋人同士のキスだけど?」

「キスだけど――じゃないだろ!? 冷静になれ! 俺達は兄妹だったんだぞ!?」

 落ち着いてくれと促すが、アリスはむしろ、なんでそんなに慌ててるの? みたいな感じで小首をかしげた。


「大丈夫だよ? 前世では兄妹だったけど、今は兄妹じゃないし。心は兄妹なのに、遺伝子的にはなんの問題も無いって最高だよね?」

「それもそうか……って、いやいやいや、騙されないからな!?」

「え~?」

「え~じゃなくて、取り敢えず離れてくれ!」

「どうして?」

「どうしてって、そんなの……」

 兄妹だからという言葉は口をついて出なかった。だってアリスが言うとおり、俺達が兄妹だったのは前世での話。今世で血のつながりは全くないのだ。


「あのね、裕弥兄さん。私は裕弥兄さんが好きだった。でも、告白は出来なくて、もう二度と会えないと思って一度は諦めたの」

「だ、だったら、この状況はおかしいだろ!?」

「おかしくないよ。だって、私が好きになったのはリオンだもん。だから、なんの問題も無いはずだよ」

「いやいやいや、実はそのリオンが、実の兄だったんだぞ?」

「凄いよね、恋人になった相手が、前世で大好きだった兄だったんだよ!」

「なんで嬉しそうなんだよ!? ドラマとかでも、恋人が生き別れの兄だったりしたら、思いっ切り葛藤したりするところだろ!?」

「変だよね? 恋人が生き別れの兄だったら喜ぶところだよね? と言うか、行き着くところまでいくべきだよね?」

「行くなっ、帰ってこい! と言うか、少し冷静になれ! 紗弥はもっと大人しい性格だったはずだぞ!? なんでそんなに積極的なんだよ!?」

「それは体が病弱だったからだよ。私は元からこんな感じだよ」

「ええええええぇ……」

 なんか、俺の中で紗弥のイメージが崩壊していく。


「それにね。私の髪を見れば判るでしょ?」

 アリスは桜色の髪を指ですきながら微笑んだ。

「……どういうことだ?」

 なんとなく嫌な予感を抱きつつ尋ねると、アリスは満面の笑みで言い放った。

「日本ではよく言うでしょ、ピンクは淫乱って。だから、良いよね?」

「良いわけあるかっ! ちょっとは自重しろっ!」

 

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