エピソード 4ー8 暴走

 ソフィアがユラリとベッドから降り立つ。まだ何処か夢心地のようで、虚ろな瞳をしている。そんな彼女が、ゆったりとした仕草で扉の外へと視線を向けた。

「お父さん……なにしてるの?」

「ソ、ソフィア。目覚めたのか?」

「お父さん、なにを、してるの?」

「こ、これはその……リオンくんが話を聞いてくれなくてな。お前と一緒になるように頼んでいるのだ。だから、なにも心配しなくて大丈夫だ」

「ふぅん……そうなんだね」

「ああ、そうだ。だがそこは危ない。こっちに来なさい」

 カルロスは俺にちらりと視線を向けてそう言った。そこにいれば、俺に人質にされるかも知れないと思っての発言だろう。

 もちろん、俺にそのつもりはない。

 だけどカルロスは本気で心配しているはずなので、ソフィアはその言葉に嘘を感じていないのだろう。こくりと頷き、ゆっくりとした足取りで扉の方へと向かう。


 止めるべきだろうか? ……いや、カルロスはソフィアに危害を加えないはずだし、ソフィアは向こうにいた方が安全だろう。

 それよりも重要なのは、この劣勢を覆す方法だ。

「アリス、動けそうか?」

 ぐったりとして俺に寄り掛かっているアリスに問いかける。

「ごめん、まだ全力はちょっと……無理、かな」

「判った。時間を稼ぐから、機会をうかがってくれ」

 俺はアリスを床に横たえ、いつでも飛び出せるようにする。

 だけど、今すぐは動かない。ソフィア達のやりとりを伺いつつ時間を稼ぎ、クレアねぇを助けて逃げる算段を立てる。

 そうこうしているうちに、ソフィアはカルロスの前までたどり着いた。


「……ねぇ、お父さん。リオンお兄ちゃんになにをしたの?」

「それ、は……彼と交渉していただけだ」

「……交渉? 交渉! あはっ、あははははっ。それが交渉!?」

 不意にソフィアが笑い声を上げた。その時ソフィアがどんな表情を浮かべたのか――それは、背後から見ている俺には判らない。

 だけど、それが見える位置にいたカルロスとエリーゼはこぞって息を呑んだ。


「ソ、ソフィア? きゅ、急にどっ、どうしたんだ?」

「あはは…………はぁ。あ~おかしい。お父さん、知らなかったんだね」

「な、なにをだ?」

「私の恩恵はね。その気になれば接触なんてしなくても、相手が今なにを考えてるかくらい判るんだよ。だから、交渉と言いながらお父さんが思い浮かべた内容も、ね」

「なんだと――っ!? そ、そうか。俺が命令した内容に怒ってるんだな? だがそれは、リオンくんを自由にする為なんだぞ?」

「……嘘ばっかり。今までみんなの本心を知るのが怖くて使わなかったけど、こんな結果になるのなら、もっと早くに使っておけば良かったよ。……ねぇお父さん?」


 ソフィアはゆったりとカルロスに向かって最後の一歩をつめる。

 その最中に流れるような仕草でスカートの裾を翻し、太ももに取り付けていた短剣を引き抜きざまに振るった。


 一体なにが起こったのか、即座に理解したモノは誰一人いなかっただろう。だけど直後に鮮血が舞い、返り血がソフィアを赤く染め上げた。

 そうしてカルロスが血だまりに崩れ落ちるのを見て、皆はようやく理解した。短剣を振るったソフィアが、実の父の首を切り裂いたのだと。


「ソ、ソフィア……?」

 俺の呼びかけに、ソフィアはゆっくりと振り返る。

「大丈夫だよ、リオンお兄ちゃん。お兄ちゃんを悲しませる悪い人はみんな、みーんな、ソフィアが一人残らず、殺してあげるから、ね」

 血塗られたソフィアは――無邪気に微笑んでいた。


 それを見た瞬間に俺が抱いた感情はなんだったのか。もしそれをソフィアが知ったら、この先の未来は変わっていたのかも知れない。

 だけど幸か不幸か、ソフィアはそれに気付かなかった。我に返ったレジスがカルロスの元に駆け寄ったからだ。


「カルロス様、しっかりして下さい! カルロス様!?」

 レジスは血だまりに跪き、カルロスを抱き起こす。だけど、カルロスは既に事切れていたのだろう。レジスは顔を大きく歪ませた。

「カルロス様。わたくしが側にいながら、申し訳ありません……っ」

 遺体を丁寧に横たえ、見開いたままの瞳を閉じる。そうして立ち上がったレジスは、静かにソフィアを見下ろした。

「……ソフィア様。どうしてっ、どうしてこの様なマネをなさったのです。自分がなにをしたのか、ご理解していますか?」

「レジス、それはこっちのセリフだよ。どうしてリオンお兄ちゃんの家族を殺したの? 自分がなにをしたか、理解してるの?」

「そっ、それは……」

「あはっ、凄い罪悪感だね。それでも止まらなかったのは……お父さんの命令だったから、ね。レジスは、スフィール家の為に尽くしてくれたんだね」

 レジスは答えない。だけど心を読むソフィアにとっては、相手の言葉なんて必要ないのだろう。まるで会話をしているかのように続ける。


「レジスの気持ちは判るよ。判るけど……それでも、リオンお兄ちゃんを悲しませた罪は決して許してあげない。‘凄く、哀しかったんだから’」

 ソフィアはレジスへと歩み寄り、静かに短剣を振り上げた。


「お止め下さい、お嬢様!」

 レジスは放たれた一撃を素手で受け止めようとした。実際、ソフィアの動きはゆっくりで、俺だって片手で受け止められるだろう。

 にもかかわらず、その一撃は、レジスの胸を貫いていた。


「……な? ……な、にが?」

「あはっ、どうして驚いてるの? 相手を油断させての一撃。レジスがブレイクさんを殺した方法と同じだよ?」

「そん、な。今の一瞬に油断など、在る、はずが……」

「もぅレジスったら、人の話はちゃんと聞かないとダメじゃない。私は人の心を読めるって言ったんだよ? 心の隙を突くくらい、出来て当たり前、でしょ?」

「おじょう、さま……」

「……おやすみ、レジス。貴方の忠誠心は嫌いじゃなかったよ」

 ソフィアは少しだけ寂しげに笑って、レジスの胸から短剣を引き抜く。直後、血を流しながら、レジスはドサリと崩れ落ちた。


 もはや誰も動けない。

 驚きと恐怖が支配した空間でソフィアだけが無邪気に笑っている。


 ……なにが、どうなってるんだ? まるで俺の知ってるソフィアじゃないみたいだ。目の前にいるのは本当にソフィアなのか?

「さて、と……後は、お母さん、だけだね?」

 ソフィアは未だ硬直から抜け出せないエリーゼへと視線を向ける。その瞬間、エリーゼは呪縛から解き放たれたように我に返った。

「ソ、ソフィア。何をするつもりです!? 私は貴方のお母さんなんですよ!?」

「……心の中で化け物とか叫んでおいて、良くそんなセリフが出てくるね」

「――ひっ!?」

 図星――と言うか、ソフィアは心を読み続けているのだろう。エリーゼは恐怖に顔を引きつらせ、クレアねぇを突き飛ばして後ずさった。

 だけど、エリーゼは直ぐには廊下の壁に行き詰まる。そんなエリーゼに向かって、ソフィアはゆっくりと歩み寄り――

「ダメだ、ダメだソフィア!」

 我に返った俺はとっさに駆け寄り、ソフィアの腕にしがみついた。その瞬間、エリーゼは悲鳴を上げ、這々(ほうほう)の体で逃げ出していく。


「お兄ちゃん離して、お母さんが殺せない!」

「ダメだっ! 殺しちゃダメだ!」

 拘束を振り払おうとするソフィアの腕に必死にしがみつく。ソフィアは暫く足掻いていたけど、エリーゼさんが廊下の向こうへと消えるのを見て大人しくなった。

 それを確認して解放すると、ソフィアはゆっくりと俺を見る。


「……お兄ちゃん、どうして止めたの? リオンお兄ちゃんだって、お母さんを許せないと思ってるでしょ?」

「た、確かに許せないとは思うけど……なにも殺さなくてもいいだろ?」

「あのね、お母さんは全部知ってたの。お兄ちゃんの家族が死んだのを知った時も、これでスフィール家はもっと大きくなるって喜んでたんだよ? それを許せるの?」

「それ、は……」

 吐き気がするほどの事実。もしそれが真実なら――いや、ソフィアが心を読んだのなら、それは間違いなく真実なのだろう。

 だとしたら――


「なぁんだ。リオンお兄ちゃんも殺したいって思ってるんじゃない」

「ちっ、違う!」

「違わないよ。心の中でずっと、許せない、殺してやるって叫んでる」

「それ、は……」

 落ち着け、落ち着け俺。ソフィアがそう言うのなら事実なんだろう。

 いや、確かに殺意はある。だって俺は家族みんなと仲良くなりたいと願っていた。今は無理でも、いつかきっと、そんな風に思ってた。

 それなのに、スフィール家の勝手な思惑でみんな殺された。

 そんなの、許せるはずがない!


 ……だけど、

「それでも、俺はこれ以上ソフィアに人を殺して欲しくないんだ。だから、もう誰かを殺そうとするのは止めてくれ」

 俺がそう言った瞬間、ソフィアの顔が驚きと恐怖に染まった。

「……え、嘘。心からそう思ってる。……ダメ、だったの? ソフィアは、リオンお兄ちゃんの為に頑張ったんだよ? それが、ダメだったの?」

「ダメというか、ソフィアが誰かを殺すのは嫌なんだ」

「だったらっ、だったらどうすれば良かったの!? ソフィアのお父さんとお母さんが、リオンお兄ちゃんの家族を殺したんだよ!?」

「……ソフィア?」

「いやぁっ、いや、 このままじゃリオンお兄ちゃんに嫌われちゃう! そんなのっ、そんなのはいや、嫌、嫌! いやあああああああああああああああああああぁ!」

「ソフィア、落ち着け! ソフィア!」


 畜生、判断を誤った! 見るからに不安定なのは判ってたのに、なんで俺はソフィアを否定したんだ!

 なんとか落ち着かせなきゃと抱きしめる。けど、小さな体の何処にそんな力がと言うほどにソフィアは暴れまくる。

「リオン、そのまま押さえてて!」

 それがアリスの声だと理解するのとほぼ同時、ソフィアの体から力が抜け落ちた。俺は慌ててソフィアが倒れないように体を支える。


「眠らせたのか?」

「うん、まずは落ち着かせた方が良いと思ったから。ダメだった?」

「いや、助かったよ」

 ソフィアは明らかに錯乱していた。

 様々な悲劇を追体験し、自らの父を殺してしまった。幼い精神に掛かった負担がどれほどのものか……あのまま放っておけば、ソフィアの心は壊れていたかも知れない。

 まずは落ち着かせて、時間を掛けてケアしていく方が良い……と思う。


 そんな風に考えていると、廊下の向こうから複数の足音が聞こえてきた。そして程なく、部屋に騎士が数名なだれ込んでくる。

「――父上!? しっかりして下さい!」

 なだれ込んできた騎士の一人がカルロスに駆け寄り、その容態を確認する。だけどカルロスが死亡していると理解したのだろう、怒りに満ちた表情をこちらへと向けた。

「これをやったのはお前か!」

「いや、俺じゃない」

「なら、誰がやったというのだ! それに、ソフィアになにをした!?」

 ……やっぱりそう思われるよな

 他人の屋敷に侵入してきた怪しげな少年。付近にはカルロスやレジスの遺体があり、更に腕の中には意識を失ったソフィアがいる。

 どう見ても俺が犯人だ。俺が相手の立場でもそう思うだろう。

 そもそも、相手がどういうスタンスなのか判らないのも問題だ。ソフィアと同じなにも知らない側ならともかく、カルロスと同じ考えの持ち主なら戦闘は避けられない。


「その者は無実です、エリック様」

 不意に部屋の隅から声が上がる。誰だろうと思って視線を向けると、アリスに気絶させられていた騎士が、いつの間にか上半身を起こしていた。

「ウィル、無事か!」

「はい、エリック様。少し朦朧としていましたが、状況は把握しております。その者達に罪はありません。むしろ罪があるのは……その、カルロス様の方です」

「なんだと? お前はなにを言っているのか判っているのか!?」

「実は――」

 と前置きを一つ。ウィルと呼ばれた騎士は洗いざらいをぶちまけた。命令だからと従ってはいたものの、カルロス達の卑怯な手口に嫌気がさしていたそうだ。

 そんな訳で、最初は疑っていたエリックだけど、最終的には自分達の非を認めてくれた。全てが解決とはいかないけど、どうやら助かったらしい。

 

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