エピソード 1ー5 平和な日常に忍び寄る影
それから更に二年半が過ぎた。そうして八歳の冬を迎えたけど、俺はいまだに離れに幽閉されたままで、今までと変わらぬ毎日を送っている。
だけど、一つだけ変わったこともある。
それは――
「弟くん、また遊びに来たわよ」
あの日を境に、クレアねぇが遊びに来るようになったことだ。
クレアねぇは応接間に入ってくると、指定席となりつつある俺の隣へと腰掛けた。緩やかなウェーブの掛かったプラチナブロンドがふわりと揺れ、柑橘系の香りが漂ってくる。
「クレア様いらっしゃい。飲み物は暖かい紅茶でよろしいですか?」
「ええ、それでお願いします。ミリィさん、いつもありがとうね」
「いいえ、お気になさらず」
ミリィが紅茶を淹れる為に退出する。
それを見送るクレアねぇは、この二年で随分と成長した。元から歳のわりに大人びていたけど、九歳となった今では、俺でもはっとするような瞬間がある。
まぁそれでも、
「ねぇねぇ弟くん、弟くん。今日はどんなお話を聞かせて欲しい? 最近はちゃんと勉強もしてるし、色んな事を弟くんに教えてあげられるわよ?」
こんな風にお姉ちゃんぶるところは相変わらずだ。まあ俺にとっては姉と言うよりも、背伸びをしている妹といった感じなんだけど……それは本人には秘密である。
「弟くん? 何か聞きたいことはないの?」
「ん~そうだなぁ。前に頼んだ、砂糖の原料となる竹っぽい植物って見つかった?」
「‘サトウキビ’だっけ? それっぽい植物はあるみたいだけど、本当に砂糖の原料になるの?」
「俺の思ってるとおりの植物ならな」
言語が違うから名称はまったく別だけど、この世界の植物は地球のモノと似ているものが多い。なので、‘サトウキビ’が見つかる可能性は高いと踏んでいる。
「ふぅん? それで、その‘サトウキビ’が見つかったらどうするの?」
「うん、お菓子を作ろうと思って」
「お菓子? それなら別に今ある砂糖でも問題ないでしょ?」
「この辺の気候じゃテンサイの栽培は難しいし、輸入頼りだとコストが高すぎるんだ。今ある砂糖を自由に使えるのは貴族だけだよ」
「ええっと……それじゃダメなの? いくらお母様でも、お砂糖を使ったくらいで怒ったりしないと思うわよ?」
「まぁ自分達で消費する分には問題ないけどな」
この地方で砂糖は貴重品なので、量産してお金儲けが出来ないかと考えているのだ。
お金というと即物的に思われるかもしれないけど、だからこそグランシェス家との取引材料になり得る。ようするに、お金で自分の自由を買えないかと考えているのだ。
「――くしゅんっ」
不意に、クレアねぇが可愛らしいクシャミをした。
「大丈夫?」
「ええ、心配してくれてありがとう。最近寒くなってきたし、風邪かしらね? なんだか領地でも流行ってるみたいなのよね」
「風邪なら良いけど……この地方の冬は乾燥するみたいだし、インフルエンザとかだったら怖いから気を付けろよ?」
「……インフルエンザってなに?」
「あぁっと……症状の酷い風邪みたいなモノかな?」
「へぇ、そんなのがあるんだ?」
「うん。だから寝る時は、部屋に濡れた布とかを干すと良いよ」
「そうなの? やっぱり弟くんは物知りね。早速今夜から試してみるわ、ありがとう」
「うん。それが良いよ……と言うかクレアねぇ。最近よく来るけど、あんまり来るとバレるんじゃないか?」
「ん~? あぁお母様なら平気よ。最近はあたしの結婚相手ばっかり探してるから」
「……それは、平気って言って良いのか?」
「良くはないけど……どうせ逃れられない運命だもの。こうして弟くんと会う時間が作れるだけ幸運よ」
「逃れられない運命、か……」
俺は幸せにならなきゃいけない。それが紗弥に出来るせめてもの罪滅ぼしだから――と、前世ではその為だけに、幸せを追い求めてきた。
幸せを求める気持ちは、生まれ変わった今でも変わらない。
だけど、だ。
そもそも幸せとはなんなのか――と、最近はそう考えるようになった。
この世界にはちゃんとした戸籍もなければ、顔写真なんてモノも存在しない。だから屋敷を抜け出して変装すれば、グランシェス家から逃げるのだって不可能じゃない。
例えばどこかの商人に弟子入りし、地球での知識を使って生きていくのも良いだろう。そうすればきっと、それなりに充実した毎日を送れるはずだ。
そして、その生活にミリィを混ぜるくらいは出来る。
だけどクレアねぇは無理だ。クレアねぇが失踪して、家の連中が放って置くはずがないし、そもそも屋敷から出られるはずがない。
こうして時々遊びに来てくれる、意地っ張りで優しい姉。そんなクレアねぇを置いて、自分だけ屋敷から逃げ出す。
そんな選択をしても、俺は幸せになれないような気がするのだ。
世界中の誰もが幸せに――なんて事は言わない。でもせめて、自分の大切な人たちは幸せでいて欲しい――と、思うんだけど……
ミリィはなんとかなるとしても、妾の子供として疎まれてる俺と、政略結婚の道具にされようとしているクレアねぇ。両方救うのは難易度が高すぎだ。
……本気で内政チートを目指してみようかな。
「あ~あ~。どうして結婚くらい、好きな相手を選べないのかなぁ。弟くんが結婚相手だったら良かったのに」
「……………は? いきなりなにを言ってるんだ?」
「だってさ。弟くんは優しくて頭も良いし、体だって鍛えてるでしょ? あたしの弟くんだけあって外見も格好いいし。だから、弟くんが相手だったら良かったのにって」
「いやいや、半分しか血が繋がってないとは言え、俺達は紛れもなく姉弟だからな?」
「そりゃあね、近親婚があまり良い目で見られないのは知ってるわよ? でも、あたしの政略結婚の候補、一人でも見たことある?」
「いや、ないけど……そんなに酷いのか?」
「このあいだ紹介された相手なんて、三十離れた、脂ぎったおじさんよ?」
「……うへぇ」
近親婚と比べるってどれくらいだよって思ったけど、想像以上に酷かった。
五十歳と二十歳とかなら前世でもたまに聞いたことあるけど……九歳と三十九歳――しかも愛のない結婚とか、どう考えても犯罪にしか思えない。
半分血の繋がった弟と、三十も年上のロリコン。……どっちがましなんだろうなぁ。いや、俺にその気は無いけどな。
でも弟として、なんとかしてあげたいとは思う。
だけど、今の俺にはなにも出来なくて――と、思考が行き詰まる。そんなタイミングを見計らったかのように、ミリィが紅茶を乗せたトレイを持って戻ってきた。
「お待たせしました……って、どうかしましたか?」
沈んだ雰囲気を感じ取ったのか、ティーセットを並べるミリィがブラウンの髪を揺らしてながら首をかしげた。
「うぅん、なんでもないわ。それよりミリィさん、そのとろっとしたのはなに?」
「これはリオン様より教えて頂いたお菓子です」
ミリィに作って貰ったのはカスタードプディング、いわゆる加熱して作るプリンだ。
冷やすタイプのレシピも覚えてはいるんだけど、この世界に冷蔵庫の類いはなかったので作れないでいる。
「なんか、プルプルしてて怖いんだけど、こんなのが美味しいの?」
「――食べてみなよ。きっとクレアねぇは気に入ると思うから」
「うぅん。弟くんがそう言うなら……んっ」
クレアねぇはプリンを一口、思い切って口の中に。警戒心をあらわにしていた顔が、みるみるとろけていく。
「ん~~~~っ! 美味しい! なにこれ、なんなのこれ、甘くて物凄く美味しいわ!」
一口、二口と、クレアねぇは上品さを保つぎりぎりの速度で食べていく。そうしてあっという間に、自分のプリンを平らげてしまった。
「はふぅ……しあわせぇ。これ凄いよぉ、こんなの食べたことないよぉ~」
訂正、淑女らしさはあんまり残ってないな。年相応に可愛くて良いけど。
「そんなに気に入ったなら、俺の分も食べるか?」
「えっ、良いの!? ――って、だ、ダメよ。それは弟くんのだもの。お姉ちゃんは、弟くんのお菓子を取ったりしないのよ?」
言ってる内容はお姉ちゃんをしてるけど、視線はプリンに釘付けだ。
「無理しちゃって、素直になったらどうだ?」
俺はちょっと悪戯っぽく笑いながらスプーンでプリンを一口すくい、クレアねぇの鼻先に突きつけた。
「ほら、これが欲しいんだろ?」
「そ、そんなこと――ない、わよ……っ」
クレアねぇはぷいっと顔を背ける。だけど――
「いくら顔をそらしても、目で追ってたら意味がないぞ?」
「……弟くんのイジワル」
「ふふん、少しは素直になったらどうなんだ?」
「くっ、欲しっ、欲しく、ないわっ。欲しくなんてないんだからぁ」
「ふぅん、そうなんだ」
クレアねぇの鼻先に突きつけていたプリンを少しだけ引き戻す。その距離に比例して、クレアねぇの顔が泣きそうになっていく。
「まっ、待ちなさいよ」
「ん? なに?」
「あ、あたしは、欲しくなんてないんだけどね。お、弟くんがど~してもって言うなら、い、良いのよ? あ、あたしは欲しくなんて、ないんだけどね?」
「ん~でもさ? 俺も無理強いはしたくないんだよね。だから、クレアねぇがど~しても欲しいって言うなら、あげても良いんだけどさぁ?」
「うぅぅ、弟くんのイジワルっ! そんな恥ずかしいこと、言えるはずないじゃない!」
「恥ずかしいから言えないってことは、ホントは欲しいんでしょ? それともホントにいらないのか? それだったら仕方ないなぁ」
俺はスプーンにのったプリンを、ゆっくりと自分の口元に――
「わ、判ったわよ! 認めれば良いんでしょ! ……ほ、しぃ……わ」
「え、なに? 聞こえないんですけど?」
「~~~っ。欲しいっ、それが欲しいのよ! だから、ねぇ! お願い、早くそれをあたしにちょうだいよ!」
「はは、やっと素直になったな。それじゃ――」
「――そこまでです! それ以上はR15タグが必要になりますっ!」
どかんと扉が開き、ミシェルが部屋に飛び込んできた。そうして、クレアねぇにプリンを食べさせようとしている俺を見て固まった。
「……あら? リオン様はなにをなさっているのですか?」
「なにって、プリンを食べさせようとしてるだけだけど」
「弟くん。早く、早くちょうだいよぉ、もう我慢できないよぉ」
「はいはい、ちょっと待ってな」
俺はクレアねぇの口の中に、スプーンに乗ったプリンを入れる。
「はふぅ……しゃあわせだよぉ~」
クレアねぇは再びとろけた顔になる。
「……あの、リオン様? もう一度お聴きしますが、なにをなさっているのですか?」
「だから、プリンを食べさせてただけだって」
「……そのプリンというのは、依存性のある薬物が入ってたりするのでしょうか?」
「依存性のある薬物? ……そんなのは入ってないけど?」
「ですが、それならお嬢様はどうして……」
「いや、単にプリンが美味しかったからだと思うぞ。まぁ俺も、ここまで気に入ってくれるとは思わなかったけどな」
「え? 本当にそれだけですか?」
「本当だよ。でもそんなに心配なら――」
俺はミリィに視線を向ける。紅茶は淹れ終わったみたいだけど……なんで笑いを堪えるような顔をしてるんだ?
……まぁいいや。
「ミシェルに教えてやってくれるか?」
「――それが良いわ!」
俺の提案に真っ先に食いついたのはクレアねぇだった。これから毎日ミシェルに作らそうって言う魂胆がすけてるぞ?
食べ過ぎないように後で釘を刺しておこう。せっかく天使のように愛らしいクレアねぇが、プリンのせいでぶくぶく太ったりしたら目も当てられない。
そんな風に考えているうちに、ミシェルはクレアねぇに焚きつけられて、ミリィと共に厨房へと向かう。そうして、再び室内は俺とクレアねぇの二人になった。
「それで、残りもクレアねぇが食べる?」
「うぅん、もう十分よ。弟くんの気持ちは嬉しいけど、残りは弟くんが食べて?」
クレアねぇは大人びた落ち着きを取り戻して言い放つ。
「なるほど。後でミシェルに作って貰うつもりか」
「………弟くんのイジワル」
真っ赤になって視線を逸らすクレアねぇ可愛い。
地球での食べ物がこの世界で受け入れられるか心配だったけど杞憂だったな。後は安価に量産する環境を整えられたら完璧だ。
もしプリンが量産出来るようになって大ヒットすれば、その権利と引き替えに自由を勝ち取れるかも知れない――と、俺が暢気に考えていられたのはこの頃まで。
俺が気付かなかっただけで、厄災はすぐそこに迫っていたのだ。
――およそ一週間後。
「助けて、弟くん! ミシェルが、ミシェルがこのままじゃ殺されちゃう!」
血相を変えたクレアねぇが応接間に飛び込んできた。
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