エピソード 1ー6 二つに一つ

 プリンを製作してから一週間ほど経ったある日。俺は応接間のソファに座り、ミリィと夕食後のひとときを楽しんでいた。

「ミリィ、いつもありがとな」

「どうしたんですか、急に」

「いや、たまには感謝の気持ちを言葉にしておこうかなって思ってさ」

 生まれた時からずっと一緒にいてくれる、俺にとっては母親も同然の家族。彼女がいてくれなければ、俺はこの八年の大半を一人で過ごすことになっていたはずだから。


「リオン様……ふふ、明日は雨でしょうか」

「えー酷いなぁ。これでも普段から感謝してるんだぞ?」

「判ってます、冗談ですよ」

 自由に生きるというのとは違うけど、穏やかな日々。こんな毎日がずっと続けば良いのにと、そんな風に思った時だった。

 突然ノックも無しに扉が開かれ、そこからクレアねぇが飛び込んできた。

「誰だ……って、クレアねぇ? どうかした――」

「助けて、弟くん! ミシェルが、ミシェルがこのままじゃ殺されちゃう!」

 ぶつかるような勢いで、クレアねぇが俺の胸に飛び込んでくる。

「殺される……って、落ち着け。何があったか、一から説明してくれ」

「落ち着いてなんて居られないわ! ミシェルが殺されるかも知れないのよ!?」

「クレアねぇっ!」

 焦点があっておらず、プラチナブロンドを振り乱す。完全にパニックになっていると感じた俺は強く名前を呼び、震えるクレアねぇの両肩を掴んだ。


「弟……くん?」

「大丈夫、大丈夫だよクレアねぇ。例え何があったとしても、俺がなんとかする。だから落ち着いて事情を話してくれ」

「本当に? 本当にミシェルを救ってくれるの?」

「ああ、大丈夫だよ」

 根拠なんてなにもない。だけどこんな風に怯えるクレアねぇを見ていられるはずがないと、俺は大丈夫だと言い放った。

 それが功を成したのか、程なくクレアねぇの焦点が定まってきた。

「……ごめん、あたし」

「良いよ。それだけ取り乱す何かがあるんだろ? ゆっくりで良いから、説明してくれ」

「……うん。この間、領地で風邪が流行ってるって言ってたでしょ? でもね、それがどうも風邪じゃないみたいで、みんな高熱を出して倒れてるの。それで、きっとこれは神様の怒りだってみんなパニックになっちゃって。倒れた人達をどうするか揉めてるの」

「どうするって言うのは、隔離するかどうかって話?」

「うぅん、隔離は終わってるわ。話し合ってるのは、被害が拡大する前に殺した方が良いんじゃないかって」

「――なっ!?」


 そんな鳥インフルエンザに掛かった鳥じゃないんだから、殺すなんて馬鹿な話が――いや、医療レベルの低いこの世界じゃそれが普通の感覚なのか?

 ……そうかもしれない。

 スペイン風邪なんて例もあるし、対策を施している現代の地球ならともかく、この世界では伝染病が流行った時点で――と言う判断はあり得るだろう。

 俺がそれを納得できるかは……別問題だけどな。


「ミシェルが殺されるかも知れないって言うのは、もしかして?」

「うん。昨日から急に高熱を出して倒れちゃったの」

「そう、か……。それで症状は?」

「食欲がなくて全身がだるいって。それで急に高熱で倒れて隔離されちゃったの」

 ……隔離、ねぇ。この文明レベルの頃の地球での隔離って言うと、ろくな印象がないんだけど……

「一応聞くけど、暖かくて湿度の高い部屋だったりするか?」

「うぅん。屋敷の外にある大きな倉庫に全員閉じ込められてるわ」

 ……やっぱりか。貴族に仕える使用人でこれなら、一般人はもっと酷いだろうなぁ。


「それで、ほかの症状は? 肌が黒くなるとか、発疹が出るとか、下痢が酷いとかは?」

「えっと……そう言うのは聞いてないわ。領地の人達にも、そんな症状が出たって話はないはずよ」

 ふむふむ。黒死病なんて感じの完全にアウトな類いではなさそうだなぁ。だとしたら、どんな病かって話だけど……

「それじゃ――」

 俺はその後、可能な限りの質問を続けた。


 その結果、患者の大半は感染から発症までの期間が二日前後と短く、急に高熱が発生する。更には症状が長引き、咳や鼻水が止まらない。

 それに、全身に及ぶ倦怠感があることが判った。

 加えて、既に死亡した者も居るが、回復した者も居るそうだ。助かった者の多くは富裕層の人間らしいけど、これは生活環境の違いだろう。


 それらの話を聞き終えて、俺が真っ先に思い浮かべたのはインフルエンザだった。


 例えば、インフルエンザと一番間違えられるのは風邪だけど、引き始めの症状や熱、全身に及ぶ倦怠感。それに症状の長さなどが風邪の症状とは違う。

 そもそも、風邪なら流行する理由が判らないし、流行していたのが風邪だったとしても、インフルエンザより危険な事態にはならないから除外出来る。


 だから心配なのは、次に間違いやすいと言われているサーズだ。

 発症までの平均期間や症状を考えれば違うとは思うけど……似ているから完全に否定は出来ないんだよな。

 そして、もしサーズだった場合は、かなり危険だって問題もある。

 地球でも感染者の10%程が死亡している事例を考えれば、この世界でどれ程の死者が出るかは想像もつかないからな。


 もっとも、それらは一人の患者の場合だ。嘘かホントか、症状をもとに正しく予測すれば、的中率は七割くらいになると言う情報も日本にはあった。

 この数値は眉唾だけど、外れの三割には風邪の可能性も含まれているし、何十人も症例があれば確率は飛躍的に上がる。

 なので、それほど的外れな判断ではないと思う。


 ただし、まだ一番重要な問題が残ってる。それは、この世界と地球の病が共通なのかという問題だ。

 これは……正直言って判らない。

 生態系が似ていることを考慮すれば、ウィルスが存在する可能性は高い。そしてウィルスの性質を考えれば――と、憶測を重ねれば、似た症状を引き起こす病気が、インフルエンザか、もしくはそれと似たウィルス性の病気である可能性はある。

 だけど今の症状がインフルエンザに似ていても、今後いきなり変貌する可能性も否定出来ないし、魔法のある世界で大気中の魔力がどうの――とか言われたらお手上げだ。


 だからここで重要なのは一つだけ。

 俺が、危険だからと感染者を皆殺しにするのを良しとするか、パンデミックの危険を覚悟で、多くの人を救う可能性に賭けるか、だ。


「……弟くん?」

「……聞いた限りだとインフルエンザっぽいな。過去にほとんど例がないって事は、行商人か何かが感染したまま旅をしてきたんじゃないか?」

「やっぱり弟くんはこの病気を知ってるのね!?」

「うん。時期的に考えても、インフルエンザだと思う」

 ――結局、俺は後者を選んだ。

 そして、俺はそれをクレアねぇには話さなかった。

 もしこの行動が切っ掛けでパンデミックを引き起こしたら、多くの人を死に追いやった犯罪人となる。それは俺だけで十分だからな。


 とは言え、無謀な賭のつもりはない。

 インフルエンザかどうかは置いといたとしても、富裕層の人間を中心に助かったケースを考えれば、安静に出来る環境に隔離するだけで回復する病である可能性はある。


「それじゃ、ミシェルや領民達は助かるのね!?」

「うぅん……もともと体力がない人は死んじゃうかも知れない。でも温かくて湿度の高い部屋で、栄養を取って安静にしていれば、多くの人は治ると思う」

「本当? 本当に助かるの!?」

「うん。ミシェルみたいに若くて体力のある人はきっと助かるよ」

「ありがとう、弟くん! 貴方は命の恩人よ!」

 感極まったクレアねぇが抱きついてくる。


「こらっ、まだ喜ぶのは早いぞ。このままじゃ殺されるんだろ? そうならないように、説得しないとダメだろ」

「あっ、そうね。急いでお父様のところへ行かなきゃね。弟くんもついてきてくれるわよね?」

「……いや、説得するのはクレアねぇ一人だ」

「え? ど、どうして? 弟くんはついてきてくれないの?」

「ついて行きたいのは山々だけど……俺は教育を一切受けてない事になってるからさ。もし俺が色んな事を知ってるって知られたら、ミリィがどんな罰を受けるか判らないんだ」

「あ、そ、そうよね……でも、あたし一人じゃ……」

 不安なんだろう。クレアねぇは怯えるように下を向いてしまった。だから俺はそんなクレアねぇの両肩を掴んで、その顔を覗き込む。


「クレアねぇ。ミシェルを大切に思ってるんだろ?」

「それは……もちろんよ。いつも忙しそうにしてるお母様の代わりに、あたしを大切に育ててくれた人だもの。見捨てるなんて出来ないわ」

「だったら、勇気を出せ。さっきの対策を父に話して、感染者を隔離して保護するように説得するんだ。……出来るよな?」

「それは――っ。うん……判った、やってみるわ。そうしなきゃミシェルを救えないのなら、あたしは絶対に諦めたりしないわ!」


 それから程なく、インフルエンザ対策のおさらいをしたクレアねぇを部屋から送り出し、俺はずっと沈黙を守っていたミリィに視線を向ける。

「なぁミリィ。クレアねぇは父を説得できると思うか?」

「……難しいでしょうね」

「インフルエンザに対する正しい知識と対策が判ってるのにか?」

「クレア様の知識はしょせん付け焼き刃です。少し突っ込まれれば、たちまちぼろが出るでしょう。それになにより、クレア様は情報の出所を明かさないでしょうから……リオン様も判っているのではありませんか?」

「……そう、だな」

 いつ何処で知ったかも言えないあやふやな知識で、安静にしてたら大丈夫だからミシェルを殺さないで欲しいと願い出る。

 傍目には、ミシェルを殺されたくない一心での出任せとしか思われないだろう。だから、クレアねぇの説得は失敗する可能性が高い。


 だけど、俺が直接乗り込んで説明すれば説得できるかも知れない。

 その代わり、その思惑が成功すれば、俺が普通の子供じゃなと皆にバレてしまう。そうなれば、俺に教育を施さないという条件で世話係をしているミリィは処罰されるだろう。

 そうと判っていて、話し合いの場に乗り込むなんて出来るはずがない。


「リオン様。私が以前言ったこと、忘れてしまわれたんですか?」

「ミリィが言ったこと?」

「私はいつだってリオン様の味方です。ですから、リオン様が正しい行いをして私が罰を受けるのなら、私はそれを喜んで受け入れます」

 一瞬なにを言ってるのか判らなかった。だけどすぐに、クレアねぇを助けに行けと言われていると気づいて息を呑む。


「……本気で、本気で言ってるのか?」

「リオン様こそなにを迷っていらっしゃるんですか? ここでクレア様に手を差し伸べなければ、一生後悔しますよ?」

「そんなの判ってる!」

 この数年で、クレアねぇは俺にとって掛け替えのない家族になった。そのクレアねぇの大切な人が殺されようとしているのなら、俺は心から助けたいって思う。

 今ここで見捨てれば、悲しむクレアねぇを見れば、自分が許せなくなるだろう。


「でもそれは、ミリィになにかあっても同じなんだぞ!?」

「リオン様、大丈夫ですよ。リオン様のお側には居られなくなるかも知れませんけど、殺されたりはしないはずです」

「そんな、そんな理由で納得しろって言うのか……?」

 死ぬよりはマシ。そんなのは判ってる。だけど、俺の側から居なくなるのには変わらないんだぞ。それを、死ぬよりはマシだからって納得しろって言うのか?

「判っているはずですよ、リオン様。クレア様のところへ行ってあげて下さい」

 その揺らぎのない濃紫の瞳が真っ直ぐに俺を見つめる。ミリィがどれほどの覚悟でもってそう言ってくれているのかを、俺は否応もなく理解させられた。

 ミリィは本気だ。だから俺も選ばなくちゃいけない。クレアねぇを悲しませるか、ミリィを失うか、どちらか片方を……


「ミリィ……俺はこの世界でずっとミリィしか知らなかった。生まれた時からずっと側にいてくれたから、俺はミリィを本当の母親みたいに思ってるんだ」

「……リオン、様?」

 父親はたった一度声を聞いただけ。産んでくれた母親は何処にいるかも判らない。クレアねぇに出会うまで、ミリィだけが俺の家族だった。

 だから――

「だから、ミリィが大丈夫って言うなら俺は甘えるぞ? 甘えて、我が儘を言って、クレアねぇを助けに行くからな? それでも、本当に良いんだな!?」

 歯を食いしばって、上ずりそうな声を必死に絞り出す。そんな俺の言葉を受け取ったミリィは……穏やかな顔で微笑んだ。

「リオン様。その言葉だけで充分です。どうか、クレア様の元へ向かって下さい」

「……ありがとう、ミリィ。それじゃ――行ってくる!」

 俺は精一杯の感謝を残し、踵を返して部屋を飛び出す。


 そうして部屋を閉める寸前、

「……本当に良い子に育ってくれたわね。リオン、私の大切な――」

 ミリィの呟きを聞いたような気がした。

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