エピソード 1ー4 姉弟での契りに興味はおありですか?

『リオン様が正しい行いをして私が罰を受けるなら、私はそれを喜んで受け入れます』

 ミリィはそんな風に言ってくれたけど――いや、そんな風に言ってくれたミリィだからこそ、これからも側にいて欲しい。

 そう強く願うけれど、全てはクレアリディルの気分次第。離れから出られない俺には何も出来なくて、悶々とした日々を送った。


 そうして三日ほど過ぎ、大丈夫だったのかなと思い始めたある日。俺とミリィが部屋で紅茶を飲んでいると、不意に一人のメイドさんが尋ねてきた。

 黒髪に黒い瞳のメイドさん。もちろん俺に見覚えはない。


「……どちら様でしょう?」

 ミリィが椅子から立ち上がり、さり気なく俺を背後へと庇うように移動した。

「突然の来訪で申し訳ありません。私はクレアリディル様お付きのメイドで、ミシェルと申します」

「そのミシェルさんが、離れになんのご用でしょう? ここは許可された人間以外の立ち入りを禁じられているはずですが?」

「確かにその通りですが……先に決まりを破ったのは、そちらではありませんか?」

「……なんのことでしょう?」

「そう警戒しないで下さい。私はリオン様に少しお話があるだけです」

「先ほども言いましたが、ここは許可のない人間が来る場所ではありません。お引き取りください」

「――ミリィ、待って」

 俺は椅子から立ち上がってミリィの袖を引く。


「……リオン様?」

「ごめん、ミリィ。その人と話してみたいんだ」

「ですが……いえ、判りました。リオン様が決めたのなら、私はなにも言いません」

 ミリィが横に控えてくれたので、俺はミシェルと名乗ったメイドと向き合った。


「貴方がリオン様ですね?」

「そうだよ。そう言うあんたはクレアリディルさんお付きのメイドだって聞いたけど、俺にどんな用事があるんだ?」

 離れに乗り込んできたのがキャロラインさんの使いではない以上、最悪の展開にはなってないはずだけど……ミシェルには様々な感情が見え隠れしていて目的が予想できない。

 俺はどんな内容を聞かされても動揺しないようにと身構えた。


「用件を伝える前に、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「良いけど……なに?」

「姉弟での契りに興味はおありですか?」

「……………………………は? ごめん、ちょっと聞き違えたみたいだから、もう一回言ってくれないか?」

「ですから、姉弟での契りに興味はおありですか?」

「意味が判らないんだけど!?」

「姉弟で契るというのは、姉と弟で性的な――」

「言葉の意味が判らないんじゃなくて、なんでいきなりそんな話になったかが判らないって言ってるんだよ! と言うか、子供になんて話をするんだあんたはっ!」

「別に変な話ではないでしょう? 確かに平民の間では滅多にありませんが、貴族同士なら時々あるはずです」

「そ、そうなのか?」

 さすが異世界……いや、そうじゃないな。地球でも昔は普通にあった話だし、この世界の文化レベルを考えれば不思議じゃないか。


「リオン様はご存じなかったのですか?」

「俺みたいな子供が知ってるはずないだろ?」

「その割りには、契りの意味をご存じのようでしたが?」

「――ぶっ!」

「それに、クレア様から聞いた時は半信半疑でしたが、妙に大人びた話し方ですよね?」

「それは……」

 しまったなぁ。ミリィとしか話さないから、最近は話し方を意識してなかった。

 俺が普通の子供じゃないなんてキャロラインさんの耳に入ったら、色々やりづらくなるに決まってる。なんとしても誤魔化したいところだけど……


「そんな顔をしなくても、ここだけの話にするつもりなので大丈夫ですよ」

「……それはどういう意味だ?」

「先日の件も報告していませんし、今回のやりとりも話すつもりはないという意味です」

「それを信じろって言うのか?」

「少なくとも、この三日はなにも起きなかったと思いますが?」

「……確かに」

 もしキャロラインさんの耳に入っていれば、とっくにアクションを起こしているだろう。今日までそれが無かったのは、クレアリディルが黙ってくれている証拠になる。


「そっか。だから日を置いてから顔を出したんだな」

「……そこまで理解が及ぶとは、本当に凄いですね。クレア様も随分と大人びている方だと思っていましたが……貴方は本当に子供なのか疑いたくなりますね」

「リオン様はとても聡明でいらっしゃるんですよ」

 ミリィは誇らしげに言うけど、実際は十九と六年ほどの人生経験があるから凄くもなんともないんだよな。

 本当の二十五歳なら、もっとしっかりしてる気がするし……って、いやいやいや、俺は一応勉強してないことになってるんだけど?

 ……って、今更か。俺も動揺していろ色やらかしたしな。幸い黙っててくれるみたいだし、味方に付ける方向で何とかしよう。


「これは聡明とか言うレベルじゃない気がするんですが……まあリオン様が人間なのは疑いようがありませんからね。いわゆる天才なのかも知れませんね」

 いいえ、ただの転生者です――なんて、口が裂けても言えないので、素知らぬふりで受け流した。


「彼女やあんたが黙ってくれてるのは判ったけど、あんたの目的はなんなんだ?」

「それを伝える前に、さっきの質問に答えて頂きたいんですが?」

「さっきの質問?」

「ですから、姉弟の契りに興味はおありですかと聞いているんです」

「……それ、本気で聞いてたのか?」

「もちろん本気です。それで、興味はおありですか?」

「ある訳ないだろ。と言うか、そんなの考えた事すらないよ」

「考えたことが無いのなら、今後考える可能性も……」

「いや、無いって」

 前世での俺は紗弥と支え合って生きていた。それは他人から見れば、夫婦のような関係に見えたかも知れない。だけどそこにあったのは愛情であって恋ではない。

 だから、姉や妹となんて想像すら出来ない。


「……そうですか、良く判りました」

「俺は全然意味が判らなかったけどな」

 ちくりとイヤミを投げかけるが、ミシェルは何処吹く風で納得顔を浮かべている。本気でなに考えてるか分かんないな、この人。


「取り敢えず、納得したなら用件とやらを教えてくれないか?」

「あ、そうですね。一つ目は、先日のお礼です」

「お礼って傷の手当の件か?」

「ええ。お嬢様は意地を張ってなかなか処置をさせて下さらないので、本当に助かりました。一体どうやって説得なさったんですか?」

「別に大した話はしてないよ。ただ、雑菌が入ったら化膿するかもって教えただけだ」

「雑菌が入ったら……ですか。お嬢様から聞いたのと同じですね。それは一体どういう意味なんでしょう?」

「……え? あぁ、そう言うことか」

 クレアリディルは子供だから理解できないんだって思ったけど、この世界の医療レベルが低いのか。どうりで話が通じないはずだ。


「ん~っと、傷口が化膿する場合があるのは知ってるよな?」

「ええ。それくらいは知ってますが……」

「その原因が雑菌なんだ」

「……つまり、その雑菌が入るのを阻止すれば化膿はしないと?」

「もしくは、綺麗な水で雑菌を洗い流す感じかな」

「なるほど……大怪我をした時に、アルコールで傷を洗う風習があると聞きましたが、それも同じ理由でしょうか?」

 ……風習て。その程度の認識しか無いのかよ。これは思った以上に医療レベルが低そうだ。下手に病気とか怪我とかしないように気を付けないとな。


「えっと……理由は同じだけど、アルコールは使わない方が良いよ」

「そうなんですか?」

「うん。綺麗な水、出来れば生理食塩水薄い塩水で洗うのが理想だな。後は時々洗って乾燥しないように湿らすと速く治るらしいよ」

 地球ですら最近ようやく知られてきた事実だから、この世界で誤解されるのは無理もないけど、消毒や乾燥をするとかえって傷の治りが遅くなるのだ。


「お詳しいんですね。貴重なお話を聞かせて下さってありがとうございました」

「別に大した事じゃないから気にしないでくれ」

「今のが大した事じゃない、ですか。貴方がそれほどの知識を何処で知ったのは気になりますが……聞かない方が良いんでしょうね」

「そうしてくれるとありがたいかな」

「判りました。それでは最後の用件ですが――」

「ちょっとミシェル、いつまで待たせるつもり?」

 ミシェルの言葉を遮るように扉が開き、ふわりと銀色が舞い込んできた。


「……お嬢様。私がお呼びするまで外でお待ち下さいねって念を押したじゃないですか」

「ミシェルは心配しすぎなのよ。弟くんは信用できるって言ったじゃない」

 ミシェルに向かって不満げな声を漏らす。銀色はクレアリディルの長い髪だった。


「……どうしてキミが?」

「えへっ、来ちゃった」

「いや、来ちゃったって。キャロラインさんに、俺と仲良くしちゃダメだって言われてるんだろ? それなのにこんな所に来て、大丈夫なのか?」

「そうねぇ……お母様に知られたらすっごく怒られると思うわ。だから、黙ってて欲しければ言う事を聞けって脅されたら、あたしは逆らえなくなっちゃうかも?」

「いやいや、なっちゃうかもって。それは俺に言っちゃダメだろ?」

「ん~どうして? 弟くんは、あたしを脅したりするの?」

「いや、それはしないけどさ。いくら何でもぶっちゃけ過ぎだ。もう少し危機感を――」

「――ほらね? ミシェルも聞いたでしょ?」

 俺の言葉を最後まで聞かず、クレアリディルは満面の笑みをミシェルへと向けた。


「そうですね。確かにリオン様は信用にたる人物のようです。ですがお嬢様。もう少し警戒心を持って下さい。なにかあってからでは遅いのですよ?」

「だから、ミシェルは心配しすぎだって。ね、弟くんもそう思うでしょ?」

「いや、俺も少し疑って掛かった方が良いと思うぞ?」

「え~、誰かも判らない女の子の為に、離れから抜け出した弟くんがそれを言うの?」

「む、それを言われると辛いけど。って言うか、弟くん?」

 今更ながらに突っ込みを入れる。


「だって貴方とあたしは血が繋がってるでしょ?」

「確かに血は半分繋がってるけど……」

「でしょ? だから、あたしは貴方のお姉ちゃん。そして貴方はあたしの弟くん」

「いや、その理屈は判るけどな。キャロラインさんの耳に入ったらどうするんだ?」

 俺と関わるだけでもやばいのに、弟扱いは絶対にバレたらやばい奴だ。それなのに、弟くんだなんて、大丈夫なのかと心配になる。


「平気よ。こう見えてもあたし、人を見る目には自信があるのよ?」

「それは周囲に信用できる人しか居ないからだ。社会に出たら痛い目に遭うぞ?」

 クレアはまだ七歳。社交界にだって出ていないだろうし、周りに居るのはグランシェス家に所縁のある人間ばかり。そりゃ周りに味方しかいない状況で、信頼できる人を選んでたら外れるはずがない――と、思ったのだけど、

「うぅん、そんなことないわよ。だってあたしが誰かを信用したのは、ミシェルのほかは貴方が初めてだもの」

「……そうなのか?」

「周りの人間なんて、あたしを利用しようとする人ばっかりだもの」

「そう……なのか?」

 ミシェルへ確認の視線を向けると、彼女は小さく頷いた。


「それは……なんというか、なかなかヘビーな環境だな」

「でしょ? 嫌になるわ。この間も、お見合いを勝手に決められた後だったのよ」

 あぁ、あの時に泣いてたのはそれが理由か。

 精神年齢二十超えの俺ですら絶望的な気持ちになったもんなぁ。七歳の女の子なら、泣いちゃってもしょうがない。

「なんか大変なんだな」

「お互いに、ね」

 ……そっか。なんかシンパシーを感じると思ったら、政略結婚の道具にされそうになってるって境遇が一緒なのか。


「俺を信用してくれてるのは判ったけどさ。クレアリディルさんはなにしに来たんだ?」

 問いかけると、クレアリディルは急に不機嫌そうに頬を膨らませた。

「も~クレアリディルさんじゃないでしょ? どうしてそんな他人行儀な呼び方をするの? クレアお姉ちゃんでしょ?」

「ク、クレアお姉ちゃん? それはさすがに恥ずかしいんだけど」

「え~どうして?」

 どうしてってそれは、俺がキミよりずっと年上だから――なんて言える訳ないよなぁ。


「ええっと、クレアねぇとかじゃダメか?」

「クレアねぇ?」

「うん。クレアお姉ちゃんを略してクレアねぇ、……ダメかな?」

「うぅん、ダメじゃないよ。もう一回言ってみて?」

「クレアねぇ」

「もう一回!」

「……クレアねぇ?」

「……うん! あたしすっごく気に入っちゃった。ふふっ、クレアねぇかぁ~」

 クレアねぇは両手を広げ、そのまま踊り出しそうな勢いでくるくると回る。随分と大人びたところがあると思ったら、こういうところは年相応で可愛らしい。

 普段は妙に背伸びしてる感じだけど、もしかしたらそれは周囲の環境がそうさせてるだけで、こっちが本当のクレアねぇなのかな。


「それでクレアねぇの用件は?」

「……用件? そんなモノはないわよ? あえて言うなら、弟くんに会うのが目的かしら。この前のお礼も言ってなかったしね」

「お礼って、必要ないって言ったのに」

「なによぉ、弟くんはあたしに来て欲しくなかったの?」

「それは……」

 仲良くしたいと思っていた相手が会いに来てくれた。それは凄く嬉しい。

 だけど……


「大丈夫なのか? キャロラインさんに知られたら怒られるんだろ?」

「良いのよ。確かに貴方には関わるなって言われてるけど、受けた恩はちゃんと返しなさいとも言われてるんだから」

「……それ、ちゃんと通用する言い訳なのか?」

「クレア様はいつもこんな感じなんです」

 あ、なんか納得。

 でもまぁ、クレアねぇが大丈夫なら良いかな。クレアねぇが遊びに来る分には、ミリィにだって迷惑は掛からないと思うし。……掛からないよな?

 ちょっと不安に思ってミリィを横目で見ると、こくりと頷かれた。うぅむ、大丈夫なのか、大丈夫じゃないけど良いよって言ってくれてるのか区別がつかないな。

 判らないけど、クレアねぇとはもっと話してみたい。ここはミリィに甘えるとしよう。


「会いに来てくれてありがとうクレアねぇ」

 意を決して答えると、不安げだったクレアねぇの顔が一気に輝いた。

「良かったぁ。それじゃ弟くん、それじゃ何かお話しよ。弟くんの知りたいこと、なんだって教えてあげるからねっ」

「え、ホント? だったら、この世界の植物について教えてくれないか?」

「……植物? 良いけど……どんな植物を知りたいの?」

「そうだな。例えば――」

 こうして二人ぼっちの静かな世界に、クレアねぇと言う一石が投じられた。

 そこから生まれた波紋はやがて大きな波となり、様々な事件を引き起こしていくのだけど……この時の俺はそれを知るよしもなかった。

 

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