エピソード 1ー3 新たな出会い

 それから更に二年が過ぎ、夏の訪れと同時に俺は六歳になった。

 その期間に、変わった事と言えば俺の体が成長したくらい。まわりの環境は恐ろしいほどに変わっていない。

 相変わらず書物の類いは手に入らないし、喋る相手もミリィだけ。最近はこの世界には俺とミリィしか居ないんじゃないだろうかと錯覚するレベルである。

 もちろん、一般教養や周辺の地理、それに難しい言葉など、ミリィが知りうる知識は教えて貰っているけど、それもこの二年でほとんど覚えてしまった。


 せっかく魔術ありの異世界に転生したんだから、科学と魔術の融合で威力倍増! とかやってみたいんだけどなぁ。


 政略結婚の相手次第だけど……最悪の場合、家を捨てて逃げ出そうかななんて考えている。もちろん、ついてきてくれるのならミリィも一緒に、だ。

 その為――という訳でも無いんだけど、最近は体を鍛えるのが日課になっていた。

 別に筋肉ムキムキになりたい訳じゃないので、目指すのは細マッチョ。なのでトレーニングメニューは腕立て伏せや腹筋、それにマラソン等である。


 そして、今日も今日とて、いつものように敷地内で走り込みをしていると、どこからともなくすすり泣く声が聞こえてきた。

「……女の子の声、か?」

 やべぇ。ミリィ以外の声を聞くのが久々すぎて、ホントに女の子の声か自信が持てない。大丈夫か俺、コミュ障とかになってないよな?

 なんて考えてる間も、すすり泣く声はずっと聞こえている。場所はすぐ近くっぽいけど、あっちは敷地の外……か?

 ……ダメだな。離れの敷地から出たら絶対に面倒ごとになる。でもって面倒ごとになったら、ミリィに迷惑が掛かるに決まってる。

 聞かなかったことにして立ち去ろう――と、俺は踵を返して一歩を踏み出す。


 だけど、悲しみを押し殺すように泣く声はずっと聞こえていて……

 あぁもう、なんか両親を失った時の紗弥を思いだしちゃった。ダメだ、ここで無視して帰ったら、ずっと悔やみそうな気がする。

 こうなったらしょうがない。もし問題になったら、ミリィに謝り倒す覚悟で様子を見に行ってみよう。



 そうしてやって来たのは、離れを取り巻く植え込みの向こう側。大きな木の下で女の子が膝を抱えて泣いていた。

 ……どうして泣いてるんだろう? と言うか、どうやって声を掛けたら良いんだ?

 ええっと……こんにちは? いや、泣いてる相手にそれはないな。じゃあ……泣かないで? うぅん。いきなり現れた相手がそんな事を言ったら怪しすぎるな。

 ……あぁもう! 考えても仕方ない。ここは子供らしく当たって砕けよう。


「どうして泣いてるの?」

「――だれっ!?」

 弾かれたように少女が顔を上げる。そうしてあらわになった少女の容姿を目の当たりに、俺は思わず息を呑んだ。

 緩やかなウェーブが掛かったプラチナブロンドの髪に縁取られる小顔には、翡翠の瞳を初めとした整ったパーツが収められている。

 泣いているのは、まるで精巧なビスクドールのような美少女だった。


「……貴方は誰? どうしてこんな所にいるの?」

「驚かしてごめん。泣き声が聞こえたから、心配になって様子を見に来たんだ」

 俺がそう答えた瞬間、女の子は慌てて服の袖で涙を拭う。

「べ、別になんでもないわ」

「そっか……だったら良いけど」

 強がりなのはバレバレだけど、意地っ張りな女の子の相手は紗弥で慣れている。俺は女の子のプライドを刺激しないように受け流した。

 それより――と、俺はスカートの裾から見えている膝頭に視線を向ける。

「膝、怪我をしてるみたいだけど?」

「……え? あ、ホントね。さっき転んだ時に擦りむいたんだと思う」

 な、泣いてたくせに。筋金入りの意地っ張りだな……

 って、感心してる場合じゃないな。転けた場所が悪かったのか土がついてるし、このままじゃ雑菌が入ったりするかも知れない。


「取り敢えず、脚を見せてくれる?」

「脚を見せろって……あたしに何をするつもり?」

 女の子は警戒するように脚を閉じ、スカートの裾を引っぱった。小さな女の子なのに、立派にレディをしてるんだな。なんか見てて微笑ましい。

「ちょっと、何を笑ってるのよ? やっぱり、あたしに変な事をするつもりなの?」

「ごめんごめん。誤解させるような言い方だったな。手当をするから、傷を見せてって言ったつもりだったんだ」

「手当? そんなの必要ないわ。これくらいの怪我、放っておけばすぐに治るもの」

 少女は傷口の土を手で払う。……って、まさかそれだけ?


「放っておいたら化膿するかも知れないよ?」

「かのう……って、なに?」

「ええっと、雑菌が入って炎症を……ようするに、傷が酷くなったり、跡が残ったりするかもしれないよって」

 少女がますます首をかしげるのを見て、俺は結論だけを伝える。そのとたん、彼女は少し不安げに瞳を揺らした。

「……酷く、なるの?」

「まあ、最悪でも少し傷跡が残るくらいだと思うけどさ。せっかく綺麗な脚だから、痕とか残ったらもったいないだろ?」

「な、なななっなにを言うのよ!?」

「え、なんか変なこと言った?」

「変な事って言うか、さっき私のことを綺麗だって……~~~っ、なんでもない!」

「…………そう?」

 綺麗だって言ったのは脚の話なんだけど……まぁ良いか。容姿の方も地球ならキッズモデルとして雑誌の表紙を飾れそうなレベルだから間違ってはないし。


「そ、それで、どうしたら良いのよ?」

「え、キッズモデルにデビューする方法?」

「……きっず、もでる? なにそれ?」

「え、あぁごめん。傷の手当てだっけ。取り敢えずは傷口を洗えば平気だと思う」

「洗うって……水なんかないわよ?」

「水なら、俺が持ってるよ」

 そう言って取り出したのは竹を利用した小さな水筒だ。走り込みの後で飲もうと持ち歩いていたんだけど、意外なところで役に立った。


「という訳で、傷を見せてくれるかな?」

「わ、判ったわ。その代わり、変な事をしたら許さないからね?」

「大丈夫、約束するよ」

 俺は少女の視線を真っ直ぐに受け止める。それでも彼女は少し迷っていたようだけど、やがておずおずとスカートの裾を少しだけまくって膝をあらわにした。


 うぅむ。少し恥ずかしそうにしながらスカートの裾をまくり上げる、プラチナブロンドの美少女。……なんかいけない事をさせてる気がしてきた。

 って、なにを馬鹿な事を考えてるんだ。俺を信用して脚を出してくれてるんだから、さっさと手当を済ませてしまおう。


「そのまま動かないでね」

 俺はスカートを濡らさないように気を付けながら傷口を軽く洗い流す。

「~~~っ」

「あ、少し染みるかもしれないよ」

「い、言うのが遅いわよっ!」

「ごめんごめん」

 そう言えば転んで泣いてたんだっけ。また泣いたりしないよな? と、少女の顔を伺うと思いっ切り目が合った。


「……なによ?」

「いや、その……大丈夫かなって思って」

「少し驚いたけど、別にこれくらいなんでもないわ」

「そっか、そうだよな」

 凄く意地っ張りみたいだし、初対面の相手に弱音なんて吐かないか。


「……一応言っておくけど、転んで泣いてた訳じゃないわよ?」

「うん、判ってるって」

「嘘よ、絶対に誤解してるわ」

「大丈夫だよ。誰にも言ったりしないから」

「ほらぁっ、やっぱり誤解してる! あたしが泣いてたのは、転んだのが原因じゃないって言ってるのっ!」

「……ん? それって、ほかの理由で泣いてたって意味?」

「さっきからそう言ってるじゃない!」

 少女はムキになって答える――けど、

「それ、泣いてた事実を隠せてないけど大丈夫?」

「……判ってるわよぉ。でもね、しょうがないじゃない。貴方はあたしが泣いてるところを見ちゃってるんだし、転んだ程度で泣いてるって誤解されるのはしゃくなんだもん」

 あ、拗ねさせてしまった。ふくれっ面でこっちを睨み付ける様子が可愛い――じゃなくて、俺はなんとなく少女の言い分を理解した。

 でも言い換えると、泣いても仕方が無いくらい哀しい何かがあったって意味だよな?


「もし良かったら話くらい聞くよ?」

「……え?」

「泣いちゃうような辛い何かがあったんでしょ? 人に話せば楽になるかもよ?」

「それは……」

 俺の提案に、少女は迷うような素振りで黙りこくった。誰かに聞いて欲しいけど、弱音を吐くのはプライドが許さないと言った感じなのかな。


 気にならないと言えば嘘になるけど、無理に聞き出すのは良くない。そう思った俺は、何事もなかったように応急処置を再開する。

 そして綺麗に傷口を洗い流し、ハンカチ代わりに使っていた布を巻き付けた。


「はい、これで大丈夫だよ。でも、お家に戻ったらちゃんと処置して貰ってね」

 そう言って少女の顔を見る。だけど彼女は俺の顔を見たまま固まっていた。

「……どうかしたの?」

「えっ? う、うぅん! なんでもないわ!」

「ホントに? なんだか顔が赤い気がするけど」

「――気のせいよ! それより、手当てしてくれてありがとう」

「気にしなくて良いよ」

「そうはいかないわ。あたしの名前はクレアリディル。クレアリディル・グランシェスよ。改めてお礼をしたいから、貴方の名前を教えて?」

「……グランシェス?」

 あぁ……やっぱりか。自分より少し年上の女の子だからもしかしたらって思ってたけど、腹違いの姉さんだ。

 いつか会ってみたいとは思ってたけど……こんな風に遭遇するとは思ってなかった。どうしようかな。心の準備が出来てないんだけどなぁ。


「どうしたの?」

「えっと、その……もうお礼を言って貰ったから、改めてなんて必要ないよ」

「だからそれはダメよ。受けた恩を返すのは淑女として当然だもの。だから、ね。貴方の名前を聞かせて?」

「俺の名前は……その……」

 あぁ畜生。ここまで来て今更だ。偽名とかで誤魔化せる訳がないし、後でバレるくらいなら正直に名乗っておこう。


「俺はリオンって言うんだ」

「……リオンって、あの?」

「あのって言うのがどれを指してるか判らないけど、たぶんあってると思う」

「そう、なんだ……」

 クレアリディルは何処か困ったような表情を浮かべると、「あたし、貴方とは仲良くしちゃいけないって言われてるの」と付け足した。

 誰に――とは聞くまでもない。クレアリディルの母、キャロラインさんに決まってる。


 新しい話し相手が出来たと思ったんだけどなぁ。クレアリディル自身は、俺に嫌悪感を抱いてる訳じゃなさそうだし……なんとかならないかな?

 そう思ったけど、行動に移すことは出来なかった。どこからともなく、彼女の名前を呼ぶ女性の声が聞こえてきたからだ。


「それじゃ俺はもう行くよ」

「え、ちょっと待ってよ。まだ話は終わってないわ」

「ごめん。本当は俺、離れを出ちゃダメなんだ。だから出来れば、俺がここに居たのは秘密にしてくれると嬉しいなっ」

 言うが早いか、俺はその場から大急ぎで立ち去った。その直後、背後からクレアリディルと女性の話し声が聞こえてくる。


「あぶねぇ、ぎりぎりだったな」

 メイドとかに見付かったら、まず間違いなくキャロラインさんの耳に入る。

 クレアリディルが喋ったらどのみちアウトだけど、取り敢えず危機は脱した――と、離れの敷地内へと逃げ帰った俺はホッと息を吐く。

 だけど――

「リオン様、随分と探しましたよ?」

 最大の危機はまだ始まってすら居なかった。



「ち、違うんだミリィ。誤解だ!」

「……まだなにも言ってませんよ?」

「ぐぅ……」

 やばい、むっちゃ呆れた目で見られてる。ここはなんとか弁解しないと。いやでも、ミリィとの約束を破ったのは事実だし、ここは正直に話すべきなのか?

 あぁでもせめて心の準備というものを!


「リオン様がそんな風に取り乱すなんて珍しいですね。一体何処でなにをなさっていたんですか? ぜひ、お聞かせ願えませんか?」

「ええっと、その……こほん。俺はミリィを凄く大切に思ってる。だから、迷惑を掛けるようなことは言いたくないんだ。判ってくれ」

「判りました。つまり、私に迷惑を掛けるような場所に行ってたんですね?」

「…………………」

 ダメだ、なにを言っても墓穴を掘るだけな気がする。こうなったら正直に話して謝ろう。そう考えた俺は、さっきの出来事を包み隠さずミリィに話した。


「……事情は判りました」

 話を聞き終えたミリィは小さくため息をついた。そして膝をついて俺と目線を合わせると、すっと右手を振り上げた。

 頬を叩かれる! そう思ってギュッと目を瞑る。だけど予想したような衝撃は来ず、代わりに頭を優しく撫でつけられた。

「……ミリィ?」

 驚いて目を開いた俺が見たのは、慈しむようなミリィの表情だった。


「馬鹿ですね、リオン様は」

「……そんなの、言われなくても判ってるよ。でも、泣いてる女の子を放っておけなかったんだからしょうがないだろ?」

「だから馬鹿だって言ってるんです。泣いている女の子の為に行動したリオン様を、私が叱ったりするはずないじゃないですか」

「……どうして? 俺が離れを抜け出したのがバレたら、ミリィだって叱られるだろ?」

「そう……ですね。最悪の場合、お暇を出されるかも知れません」

「うえっ!? ちょ、ちょっと待って、そんなに大事なのか!?」

「残念ながら……可能性としてはあり得ます。ですが今回の場合は事情が事情なので、きっと大丈夫です。もし大丈夫じゃなくても、他の罰になるようにお願いしますから」


「……うぅ、ホントにごめんな」

「良いんですよ。それにクレアリディル様が黙ってて下さる可能性もあるんですよね?」

「それは……うん。可能性はあると思う」

 別れ際のやりとりを思いだしてそんな風に答える。

 ただ、さすがにミリィが追い出される可能性は考えてなかった。もしそこまでの大事だって知ってたら、あんな危険は冒さなかった。

 ……なんて、クレアリディルと出会った後ではそんな風にも言えない。

 ミリィに迷惑を掛けたのは間違いだと思うけど、泣いているクレアリディルを助けたのは間違いじゃないと思うから。


 ……俺はどうしたら良かったんだろうな?


 そんな風に悩んで黙りこくる。俺の頭をミリィが優しく抱き寄せた。

「前に言いましたよね? 私はいつだってリオン様の味方だって。リオン様が正しい行いをして私が罰を受けるなら、私はそれを喜んで受け入れます」

「……ミリィ、ごめん」

 ミリィの腕に抱かれながら、俺は強くなろうと誓った。護られるだけじゃなくて、俺自身が大切なモノを護れるように。

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