第5話 説得

「お言葉ですが、それはすべて推測です」


「ふむ」


「それに、そんなこと承知の上です」


「ほう」


 身分に違いがあることは知っている。そんなことは百も承知の上だ。


 それでも俺は有栖が好きだし、付き合いたいと思っている。加えて、許婚が居る、なんて話をされて引き下がれるほど、出来た人間でもない。


「ですが、お爺様のおっしゃることも分からないわけではありません」


 確かに、有栖との境遇の違いで、ずれが生じて難しくなるかもしれない。だが、それはあくまでもかもしれない、という仮定の話。


 それを実践するのが、交際だと、俺は考える。


「ならば、どうする?」


 お爺様は真っ白な眉を上げて、俺を鋭い眼光で睨みつける。

 一瞬気おされつつも、俺は生つばを飲み込み答えた。


「時間をください。絶対に、認めさせて見せますから」


「ふん、話にならん。こちらにメリットは無い」


「ありますよ」


「……なに?」


 俺は、お爺様から視線を外して、有栖が出て行ったふすまの方を見やる。


「有栖の反抗期を防ぐことが出来ます」


 この条件を設けることで、有栖はきっと渋々ながらも納得してくれるはずだ。


 俺は知っている。

 幼馴染だから、知っている。


 有栖がこのお爺様を大切に思っているということを。


 傍目から見て、それなのだ。

 お爺様自身もそれには気付いていて、加えてお爺様自身も、有栖のことを大切に思っている。

 それは先ほどからの問答で判明していることだ。


 俺はちらりと、お爺様の様子を窺う。

 すると彼は目をぱちくりした後に、口尾を上げて、


「なら、一つ条件を付けよう」


 と科白を零す。


「条件?」


「あぁ。絶対に手を出さず、それを有栖に教えない、という条件を飲めるのなら、一学期が終わるまで待ってやる。それまでにワシを認めさせることが出来たのなら、許してやる」


「認めさせる……?」


「そこはお前ら二人で考えろ。ただ、条件を破り既成事実を作った、などと科白を吐いたのなら、いくら神田の倅とは言え、ただで済むとは思うなよ」


 中々難しい条件ではあるけれど、取り急ぎ、これで時間は稼げる。

 そもそもこの場でお爺様を説得できることは不可能だったろうからな。


「えぇ、分かりました。一学期が終わるまでの約二カ月以内に、認めさせて見せます」


 俺はそう告げて、お爺様に「失礼します」と頭を下げてから部屋を後にした。


 廊下を抜けて向かうのは有栖の部屋だ。

 勝手知ったる我が家、というほどではないが、昔から何度も訪れたことがある家だ。


 有栖の部屋はすぐに見つけられる。

 『有栖の部屋』とプレートがかかった扉の前に着くと、三度ノック。


『誰?』


「俺」


『オレオレ詐欺?』


「そうそう、オレオレ。入れてくれない?」


 すると、室内からドアが開けられ、むすっとした表情の有栖が出て来た。


「入って」


「ありがと」


 有栖の部屋に訪れるのは久しぶりだ。

 でも、昔とそんなに変わっていない。


 下は畳で、部屋の中央には飾りっ気のないちゃぶ台と、座布団。部屋の端にはベッドと、これまた小学生のころから変わらない勉強机。


 ——と、その上に乗せられたショルダーバッグ。


「あれ、なにしてたの?」


 尋ねると、有栖は顔に影を落とし「おほほ」とくらい笑いを上げる。


「お爺様なんて、もう知らないわ。駆け落ちするわよ」


「…………は!?」


 え、何言ってんの、この子。


「大丈夫、お金は今までのお年玉を溜めた二十万円があるから」


 そんなもの、一瞬でなくなるに決まっている。


 そうか、お嬢様だから金銭感覚というのが余りないのか。

 っていうか、駆け落ちって……。


「総一も早く準備をしなさい。今夜出発するわ。大丈夫、駆け落ちって言っても既成事実を作ってお爺様に無理やり頷かせるだけだから。孫の顔を見ればお爺様もきっと喜んでくれるはずよ……おほほっ」


 こんな卑屈なおほほは初めてだ。


 それだけ動揺しているということなのだろうが……、彼女の案は先ほど何とか取り付けた条件の正反対を行っている。


「ちょ、ちょっと落ち着いて」


「落ち着いているわ。大丈夫。とりあえず二人暮らしをして、男女が二人でいるとコウノトリさんが赤ちゃんを運んできてくれるから、その子を連れてお爺様に……」


「コウノトリさん!? い、いや、そうじゃなくて有栖、落ち着いて俺の話を聞いてくれ」


「な、何よ」


 肩を掴んで揺らすと、ハッとした面持ちで俺を見つめる有栖。


「大丈夫、お爺様には俺が話をつけて来たから」


「……そ、そうなの? それじゃあお爺様は認めてくれたの!?」


「あ、あぁ。まぁ、条件は付けられたが」


「条件?」


「一学期が終わるまでに、お爺様に俺たちの関係を認めさせる、っていう条件」


「……? つまり、何をすればいいのかしら」


「さぁ」


「さぁって……」


「俺たちで考えろ、だってさ」


「考えろって……あっ、赤ちゃん、とか?」


 それはダメなんだよなぁ。と言っても、このことを彼女に伝えることは出来ない。

 というか、先ほどコウノトリさんが云々と言っていたし、有栖はセックスについて知らないっぽい。


 どうやって伝えるか考えて、俺は慎重に言葉を紡ぐ。


「あ、赤ちゃんは、ダメだよ」


「どうして?」


「だって、今の俺達じゃ育てられないでしょ?」


「……! そ、それもそうね。それに、私たちの関係を認めさせるためにコウノトリさんを呼んで赤ちゃんをお願いするなんて、そんな道具みたいなこと出来ない物ね!」


「うん、そうだよ! だから、それ以外の方法でお爺様に認めてもらえるように、これから二人で頑張ろうよ」


 ニッと笑って見せると、有栖もにんまり笑顔を浮かべて、口元に手を当てた。


「おーっほっほ! えぇ、そうね総一。絶対お爺様に認めさせて、結婚するわよ!」


 元気を取り戻し、高笑いをする有栖。

 よかった、とりあえず駆け落ちは免れそうだ。

 何て安心していると、


「うるさいです! お嬢様っ!」


 カエデちゃんの怒声と共に勢い良く開け放たれた扉が、俺の側頭部に直撃した。

 な、何で俺が……。

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