第16話

 見ていないようにしていながらも確実に横目の視界に自分を捕らえて、何かを呟き笑う辺りの人々。

 気分がいいものでもないし、腹立ちと一緒に恥ずかしさも胸の奥から上がってきて小百合は急いで立ち上がり、逃げるように走ってその場を後にする。どれ位走って、どの道を抜けてきたのか分からない場所でゆっくり足を止めた小百合は肩で息をし、消えかかった街灯を抱きかかえるように凭れ掛かった。

 瞬きする街灯の光に照らされる辺りは知らない場所。

「こんな景色、セイラムと歩いたときは見てない。めちゃくちゃに走ったから迷ったんだ、どうしよう」

 暫く休んで息が整った小百合は歩き通しで走り回って重たく疲労した足を引きずるように辺りの人に噴水広場への戻り方を聞いて廻った。噴水のあるあの広場に帰れれば森に居るはずの光男の所に行くこともできるし、セイラムに案内された道順を思い出せる。

 一人目の細身の男は、今いる場所から初めの角を右へ、道なりに行けば噴水広場だと言った。

 その通りに歩いていったが、初めの角を曲がれば行き止まり。戻って、まだその場所にいたニヤニヤ笑う男に再び聞く。すると男は間違えていたと謝りながら今度は左に曲がって階段を上った先だと教えた。しかし、左に曲がって現れたのは下りの階段。小百合は苛立ち、近くにいた女性に噴水広場は? と尋ねる。女性に教えられた通りに進んだ小百合がやってきたのはゴミの収集所。

「そうだったわ、この街の人達の発する言葉は嘘ばかり。信用すればするほどこっちが馬鹿を見るんだった」

 小百合はセイラムに出会う前、散々街の住人達に嘘偽りの情報で惑わされたことをセイラムに案内され、それが本当の事ばかりだったから忘れてしまっていた。

「あっ、口約束をしないって、そういうことだったのね。あたいを泊めない理由は……、あたいがこの世界の住人じゃないからだわ」

 街を見て廻った時、人々の目は自分を捕らえてはいたもののおかしな笑いは聞こえてこなかった。それは、セイラムが一緒だったから。今更ながらそのことに気がついた小百合は「あたい、馬鹿みたい」と呟き、自身に対する嘲笑を浮かべる。ただでさえ飲まず食わずで休むことなく疲れきっていたのに偽の情報に踊らされ、歩き回ったことで流石の小百合の体力も限界だった。

 フラフラと目の前に見えた大きな木の根元に座り込み、その背中を完全に木に預ける。辺りに建物は無く、月明かりが下から自分を照らしていた。

「初めは戸惑ったけど、なんだかこの風景にも慣れてきたわ」

 普通なら、上から照らされるはずの月明かり。でも、この街では場所によっては下や横から月が明るく輝く。上下左右、天地の概念すらないように見える街、でも、空にその秩序は生きていて、いい加減なのに規則正しいこの世界に小百合はまるで自分を見るような気がしていた。

 体中全てに重さを感じてきた小百合は少しでも体が軽くならないかと大きな深呼吸をし、頭の中では様々なことを後悔し始める。光男にあの客を紹介してしまったこと、警察から逃げたこと、光男と一緒に行動すればよかった、セイラムの言うことを聞いておけばよかった。次から次へと沸いては消えていく後悔の思いは今更どうしようもないことばかり。

「時間は戻せない。戻りたいと幾ら願っても過ぎたことは戻せない」

 小百合は光男と出会う前にそのことを知っていた。身にしみて分かっていた。でも、こうして後悔してしまうのは変われたと思っていた自分が変わってなかった証拠だとため息が漏れる。

「そういえば、光男と出会った時もあたいはこうしてため息をついていたっけ。光男、まだあの森の中にいるのかしら?」

 小百合はふと、一人で勝手にのたれ死ねばいいと思っていた光男を思い出し、どうしているんだろうとぼんやり考えた。輝く月明かりが徐々にかすんでいく視界の中、小百合は光男に会いたいと思う。

 いけ好かない男だったけれど、自分自身にとても正直な男だった。金に対するがめつささえなければ、気のいい男。

 光男と出会ってからそれが普通の毎日になっていたから、なんとも思って無かったけれど、あけっぴろげな光男の態度が懐かしく、ありがたいとも思ってしまう。

「あぁ、帰りたい。こんな世界に何時までもいるなんて耐えられない。戻りたいわ」

 思わず出てしまった弱気な言葉。きっと光男がいれば小百合らしくないといっただろう姿だったが、それが本当の姿だと知っているのは小百合だけだった。

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