38話

「そうね、会いたいとも思わない、そう言ったのは私だものね」

 当然の結果。

 口の端に小さく残っていた微笑は消え、歯を食いしばった私だったが、涙を止める事はできず、その場に膝をついて声も出さずただ涙を流していた。

 どのくらいの時間が経っただろう。

 小さな音が玄関に響いて、私は涙を拭く事もせず音に促されるように立ち上がり、玄関まで行く。ドアの下の方についているポストの小さな扉を開けてみれば、そこには白い封筒が一つ入っていた。

 差出人は知らない人の名前。

 消印もなく、切手すら貼っていないその封筒を恐る恐る開けてみれば、中にピンク色の便箋が二つ折りにされて入っている。

「何にもなくなった私に手紙なんて、何時振りかしら」

 便箋を出して封筒を逆さにしてみるがそれ以外に入っているものは何もなかった。肌の張りと共に若さが失われ、性格も良くない私は醜い年の取り方をする。独りぼっちになってからこのポストが使われるのは新聞配達のときのみで、電話も鳴らなくなった。

 何かしらのセールスの手紙であるかもしれないが、手紙が来たことに私は笑みを浮かべる。そう、それだけのことが嬉しいと思えたのだ。

 手紙を開き、その紙に泣いて腫れかかった目を走らせる。

「藤島奈津紀様」

 とても丁寧な手書きの文字はそれがセールス等の類ではないことを思わせた。

「お元気でしょうか? 突然のお手紙をお許し下さい。私も年をとり、長年の思いの丈をここにしたためる事にしました。貴女に初めて出会ったのはずいぶん昔の事です」

 手紙には私との出会いから、出会ってからの想い、そして、私から離れていったこと、今こうして手紙を書いているその理由が何通にも渡って丁寧にしたためられている。

 私の目からは自然と熱い涙が零れ落ちる。とても熱いその涙は私の冷め切った心を温めるように流れ、私は手紙を丁寧に折りたたんで胸に抱きかかえた。

「この人は、あの人だわ」

 外見にとらわれ続けた私。

 男を翻弄する事を楽しみ、男の数が自分の魅力だと思っていた私。

 相手の気持ちを考える事も無く、自分の思いと気持ちを満たし、そして数多くの品々に囲まれる事が幸せだと感じていた。でも、結局私は一人きりになってしまう。今私が感じているのは孤独と寂しさ。

 どうして私は自らの見た目と自らの心だけを見つめてしまったのだろう。

 今、ここにあの鏡屋が居て契約書を見せたなら、きっと私は契約など結ぶことはしない。そう、今なら分かる。

 どんな状況であっても相手だけが悪いことは一つもない。全てを引き起こしたそれは自分に責任があった。自分が居て、自分を見てくれる人が居て、互いが互いを思いやってこそ、私と言う人物、私と言う存在がそこに現れる。

 彼はずっと私を見ていてくれた。容姿ではなく、私の心を見ていてくれた。私はそれだけで十分すぎる存在理由を得ていたのに。

 彼が私の前から去った理由。

 彼は手の届かない存在になったからと書いていたけれど、それは違うわね。きっと、私が心をなくしたからだわ。

 ゆっくりと立ち上がった私は久しぶりに髪の毛をひっつめて一つにまとめた。数多く置かれた化粧品の中から、ファンデーションと口紅だけを取り出して、いつものように時間をかける事無く、化粧を仕上げる。洋服も、若者ぶった洋服ではなく年相応に落ち着いた洋服を取り出し、小さなハンドバッグに彼からの手紙を入れて、玄関でスニーカーを履く。

「彼は私に会ってくれるかしら?」

 少しの喜びと少しの不安をかかえ、私は扉を開けて光り輝く外の世界に一歩踏み出した。

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