21話

(なんだろう、何か覚えがあるような気がする。誰だったかしら?)

 奈津紀が一生懸命思い出そうとしていると、電車がカーブに差し掛かり大きく揺れる。

 考え込んでいた奈津紀は踏ん張ることを忘れてバランスを崩し、目の前の彼の胸に受け止められた。

 耳に当たる彼の胸からは早い鼓動が聞こえる。

 奈津紀は彼の心臓の音を聞いて先ほどの恐怖心が少し芽生え、この男もこのまま自分をどうにかするのではないかと体を硬くした。

 電車の揺れが収まると彼は奈津紀の肩に手を置いて、自分から引き離し小さく息を一つ吐き奈津紀の耳元でそっと呟く。

「何かあったのかと思って心配したけど、何も無いみたいで良かったよ」

「え?」

 彼の呟きに奈津紀が聞き返そうとしたとき、電車のドアが開いて彼は奈津紀を駅へと下ろした。

「遅刻しないようにね」

「ちょ、ちょっと!」

 電車から降りてくる人の波の中、車両の奥へと消えて行った彼に向かって手を伸ばす。

 しかし、降りてくる人に押されてホームの中央まで後ずさってしまい、結局彼の姿を見失って電車の扉は閉められた。

 電車から降りた人の波は揃って階段の方へと流れて行くが、奈津紀は1人ホームに立ち尽くす。

(あれは一体誰なの? 心配したってどう言う事? どうして私がこの駅で降りるってわかっていたの?)

 疑問ばかりが浮かび上がる中、そういえばと考え込んで「あ! 」と声を上げる。

(あの声、留守番電話に入っていた声だわ。私はどこかであの人に会っているの? それとも、ストーカーとか)

 自らが出した答えに奈津紀は身震いした。

 何か見覚えがあるような気がするが確実に思い出せない。

 相手は自分の電話番号や降りる駅を知っている。ということは自宅や会社を知っているということ。ストーカーである可能性は高いかもしれない。

(でも、そんな風には見えなかった。さっきも助けてくれた)

 警戒すべき相手なのか、そうではないのか、結論の出ない思考を頭にめぐらせていた奈津紀は、ホームに入ってくる電車を知らせる音楽に驚き時計を見る。

「いけない、遅刻しちゃう」

 それほどでもないと思っていたが、少々考え込みすぎていたようで、奈津紀は慌てて改札へ走って行った。

 会社についてからも奈津紀の頭の中は彼のことばかり。

 特別かっこいいと言うわけでは無く、助けてもらった以外、プレゼントを貰ったわけでも何かをされたと言うわけでも無い。

 ただ、彼の事が気になってしようがなかった。

(何かあったのかと心配したって言う事はやっぱり知り合いなのかしら? でも、思い出さないわ……)

 仕事中もずっと彼の事を考えていたが、これといって仕事に支障はでない。

 なぜなら黙っていても仕事を手伝ってくれる人がやってきて、手伝いと言いながら仕事をほとんどやってくれてしまうからだった。

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