18話
男の「家まで送る」と言う言葉をたくみに交わして家に帰ってきた奈津紀。
今、奈津紀が住んでいるのは、家賃が安いと言うだけがとりえのボロアパート。そんな場所に住んでいると知られるのはまずいと思ったのだ。
たくさんの紙袋を手に、アパートの2階、自分の部屋に帰ってきた奈津紀は膝を突いて座り込み、今日1日の出来事に対して大きな溜息をつく。
当然、それは負の感情からの溜息ではなく、感嘆と喜びの溜息。
あの後、男は奈津紀が今まで足を踏み入れたこともない高級なブランドショップを訪ねては次から次に洋服を購入した。
洋服を買わねばと思っていたところだったし、今まで手にしたことのない有名ブランドの服だったこともあり、内心嬉しさが溢れていたが、それを表に出すことはせず、少し申し訳無さそうに微笑んで「嬉しい、ありがとう」とお礼を言う。
すると男は嬉しそうに、何軒も回って何着も購入してくれた。
奈津紀はどの店でも試着の為に鏡を見つめるほどに、自分の美しさに酔いしれる。
今まで鏡といえば小さな、顔が映るだけで十分なものしか見たことなかった。自分の顔を見るのも嫌なのに全身を見るなどもっと嫌なことだったからだ。
しかし、今はこうして全身をくまなく映す鏡が素晴らしいと思える。
豊かな胸はやわらかく揺れ、素肌は透き通るように肌理が細かく白い。
試着をしてカーテンを開ければ男の欲望と賞賛の顔が目に入り、奈津紀の優越感をくすぐった。
洋服を買い終えて食事にいけば、全ての人の視線が自分に釘付けとなり、自分の傍に居る男は優越感と嫉妬の中で奈津紀を自分のものにしようと必死になっている。
自分の容姿が劣っている、そう感じてから奈津紀は人の心情に敏感になっていった。
そしてその経験は容姿が美しくなった今では他者を手玉に取るのに十分なスキルとなって開花する。
自分が美しく誰をも魅了することの出来る女であるから出来ること、それが一体何なのか、自然と奈津紀には分かり実行していた。
男の前で、奈津紀は手が届きそうでありながら中々手に入れることの出来ない存在であらなければならない。
欲望をかき立て与えるようでありながら、全てを与えては貰えない存在。それが出来るのはこの容姿だからこそ。
そして女には同じ次元であり、完璧な存在ではなく欠点が必ずある存在であらなければならない。
完璧すぎればそれはやっかみにしかならず、女の陰湿で面倒な事柄の中に存在しなければならなくなる。
今までの経験は無駄ではない。
しかしそれも、この容姿を手に入れたからそう思えること。
「すごいわ、容姿だけなんて嘘ばっかり。私は全てを手に入れることが出来たんだわ」
奈津紀は、以前の自分にお似合いのボロアパートの一室で、こみ上げてくる笑いを抑えることなくひとしきり笑い、最後に一度大きく深呼吸をして部屋を眺めた。
「でも、これは駄目ね。なんて貧乏臭い部屋かしら。今の私には不釣合いだわ」
地味な色合いで構成された、今までは一番落ち着く場所だったはずの部屋も、今となっては野暮ったくて気に入らない。
奈津紀は溜息をつきながらとりあえず、男に買ってもらった服を地味な洋服箪笥に仕舞った。
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